第57話 「ハイドランジア」
「どうしたニニコ。なに泣いてる?」
ニニコが泣いている。
唇をかんで、顔をくしゃくしゃにして泣いている。
「……なんなの、それ……」
トラもフォックスも、なにも答えてあげられない。なんなの、の意味が分からない。
なぜ、そんなクズが存在するのか。
なぜ、そんなクズが将校の地位にいるのか。
なぜ、そんなクズの依頼を受けねばならないのか。
……そんなこと聞かれても困る。
トラがふたたび挙手し、質問した。
「わざわざ燃やさなくっても、海に捨てちまえばいいんじゃありませんか。証拠も残んねえっしょ」
グスグスと鼻を鳴らすニニコを無視し、フォックスがため息をつく。
「いや、無くなるってだけじゃダメだ。ヤクの売買ってのは、ンな甘くねえ。失くしましたなんてことになったら、あいつ、取引相手にひき肉にされちまう。不可抗力で失ったってシナリオが必要なんだ」
「されればいいんだわ、挽き肉に」
シワになるほどスカートを握りこみ、肩を震わせるニニコ。
「ねえフォックス……ハール二等兵は、どうしてその麻薬を使っていたの?」
ふたたび、ため息。
「さあな。資材の管理がハールの任務だったらしい。偶然みつけて耳に刺したみてえだな。好奇心でか、それともヤクと知っててかは分からねえが」
「……彼はどうなるの?」
「ハールの耳にあったハイドランジアは、押収されちまったからな。そのうえ血液検査もされてるだろうし、ごまかしようがねえ。間違いなく除隊、悪けりゃ禁固刑だな」
「……ひどい、ひどいわ」
スカートをぎゅっと握り、うつむくニニコ。
消え入るほど小さな声をふりしぼる。
「ハール二等兵、指輪をしていたわ。薬指に」
だがフォックスは冷たく視線を返す。
「だから?」
「……こんなことを見過ごさないでほしい……です……告発できるのは、私たちだけだわ」
「ニニコ!」
よせ、とばかりに声をあげるトラ。
だがニニコは訴え続ける。
「のうのうとレインショットが助かることが許せない、許せないの。それに、これからもいろんな人を不幸にしつづけるわ、きっと」
嗚咽をもらしそうなのを耐えて、懇願する。
一方、フォックスの冷ややかな目……
「それで? アタシたち密航者ですって艦長に白状するわけ?」
「! だ、だから……ここでは何もしないでおきましょう。で、キスカンダスに着いてから、レインショットの正体を警察に通報しましょう。ね? そうしましょう」
立ち上がり、必死に熱弁する。
と――――――
「アッ!」
ギシッ!
フォックスがニニコをベッドに押し倒した。
「ニニコォ……」
キスを迫るかのように覆いかぶさる。しかし、フォックスの表情はそんなものではない。
敵意。
明確に、ニニコに敵意を向けている。
「ひ……」
「ニニコ……トラも聞け。なんだってお前らに、アタシの思い出したくもない過去を教えてやったと思ってんだ?」
ぎしん。
ニニコの薄い胸に、フォックスの双丘が押さえつけられる。
「レインショットが逮捕でもされてみろ。あいつは間違いなく、アタシのことをゲロるぞ。わかる? 芋ヅルでアタシも破滅するんだよ」
「死ぬまで牢屋入りか……いや、だったらまだいい。 “ 北 ” に送還されるくらいならな、死刑になるほうがマシだ。で、アタシが絞首刑になったら、おまえ満足か?」
「ふぃ、ひ……」
がたがたと震えるニニコ。
なんとか首を振り、否定の意思を示す。
トラは……なにも出来ないでいる。
止めようにも、フォックスの迫力に圧されているらしい。アテにならない男だよ、ホント。
「トラ。レインショットを始末しようなんて考えんじゃねえぞ。あの男は必ず、手下を近くに置いてやがる。当然、この艦にもな。用意周到なんだよ、あいつは。OK?」
「……了解です、オーナー」
「8時間ごとに倉庫係が勤務交代するらしい。あと4時間だ。そのタイミングを狙って燃やす」
ニニコを組み敷いたまま、命じるフォックス。
「トラ、おまえは陽動だ。甲板でもどこでもいい、騒ぎを起こして人目を集めろ。そのスキにアタシが燃やす。4時間後だ、OK?」
「……了解ス。消火はどうしますか」
「心配いらねえ。火災感知のシステムが作動する手筈だ。すぐさまスプリンクラーと防火シャッターが動くはずだ。わかったら行け」
「……了解ス。行ってきます」
ズシ、ズシ、ズシ……
ギィ、バタン。
短く了解と答え、トラはずしずしと部屋を出て行った。いつもなら、かならず余計な一言をいう男が、たんたんと命令に従った。
あえて書かなかったが、彼の顔はずっと悲しそうだった。
あのトラが。
「ふ……ん」
ギシ。
ようやくニニコの上から離れるフォックス。さっき解いた包帯を拾いあげ、左手でくるくると籠手に巻きつけていく。
ニニコのほうを見ようともしない。
おそるおそる身を起こし、ニニコが声をふりしぼる。
「あ、あのフォックス……私は……」
「なにもするな。ここにいろ」
カツ、カツ、カツ……バタン。
パンプスを踏みならし、フォックスも部屋を出て行った。とうとうニニコの顔を見ずに。
出て行ってしまった。
残されたニニコはベッドに横たわり、ちいさな体を丸めて泣きはじめた。
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「そ、そうだ…… “ ハイドランジア ” だ……」
レインショットの船室に、悲痛な彼の声が響く。昼にフォックスと密談をしていた、あの部屋。
レインショットはいま、右手に拳銃を持ったまま無線機を操作している。
軍のものではない無線機を使い、誰かと交信をしていた。とてもとても焦った様子で。
「ど、どうすればいいのか分からない。助けてくれ、沈没屋……!」




