第54話 「メイジャー・ジョンソン」
少佐とフォックスが甲板を去った。
残される、トラとニニコ。
さあさあと吹く風が、心地いい。
背後では海兵たちが、せわしく各自の任務に追われている。そんな船上で、のんびりと海を眺めているのは、じつに贅沢で、手持ち無沙汰だ。することがない。
どこまでも続く水平線―――
「ねえ、トラ」
「なんだ、ニニコ」
「わたし、海も船も初めてよ。きれいね」
「お前この3日、ずっとそれ言ってんじゃん。俺はもう飽きちまったよ」
飽きちまったと言いながら、手すりにもたれかかるトラ。
話題は、いつも同じ内容に行きつく。
青い青い海に目を落とし、ニニコがつぶやく。
「ジョンソン少佐のこと、フォックスはいつも " レインショット " って呼ぶでしょ?」
「ああ……そうだな」
神妙な顔のニニコ。
神妙な顔のトラ。
「どうなってるの? トラは聞いてない?」
「昨日も言ったろ。知らねえし、知る必要ねえよ。オーナーの仕事のことに首つっこむな。な?」
「……うん」
「さあて部屋に戻ろうぜ。ここにいたら兵隊さんらの邪魔になる。行こうぜ」
◇
少し補足をしておこう。
この軍艦についてだ。
フォックスたちが乗りこんだミサイル駆逐艦は、全長160メートル。排水量は7200トンと、かなり大型のものだ。
イージスシステムも備えるこの艦は、名前を「かしはら」 という。
現在の乗組員は、トラたち3人をのぞいて262人。いずれも屈強な水兵たちが、せわしなく勤務についている。
◇
その艦内の一室……
ジョンソン少佐の部屋に、フォックスは招き入れられた。
いや、彼の名はジョンソンなどではない。
壁にもたれるフォックス。
「なんだって科学者なんスか? 記者でも赤十字でも、ほかの身分用意できなかったんですかい、レインショット?」
首にかけた、偽のIDカードをぴらぴらと持ち上げる。
IDには、実在する大学の名前が記されていた。
将校の部屋といえども、そこは船の中。とてつもなく狭い。ベッド、チェスト、机、テレビ、強化ガラスの窓がひとつ……以上の個室だ。
「レインショットはやめてくれ。この国ではジョンソン少佐だ」
「海洋学者の身分を用意するのに、どれだけの書類の偽造が必要だったと思うのかね。さらに、助手とその妹まで……」
部屋に入ってから、彼はうすら笑いをうかべっぱなしだ。
革張りの椅子にぎしんと腰かけ、フォックスの右腕に目をやる。包帯をぐるぐる巻きにした、骨折を装った右腕。
「国際指名手配されている君を、密入国させる方法は限られるんだ。それよりも、まだ君が呪われたままと知ったときは驚いたよ。119軒の放火など簡単だろうに」
「ンなこたアンタにゃ関係ねぇだろ。それよか取引はわかってんだろうな」
急に口調を変えるフォックス。
ジロリと眼鏡を光らせて、レイン……ジョンソン少佐を睨みあげる。
「おいおい、同じ国の人間をそんな目で見るなよ……わかっているとも。私は君たちをキスカンダス王国に送り届ける。君は私に900万ナラーを支払う。まっとうな取引だ」
「ボッてくれたもんスね。あんたは 『 北 』 にいたころから変わってねぇ。銭亡者め」
「同じ穴のムジナだろう。私も君も、選ばれた人間だ。能力があるからこそ 『 北 』 ……いや、祖国から亡命するチャンスを得た。ちがうかね?」
ジョンソン……以下、ここでは統一性を持たせるため、レインショットと記載する。
レインショットの、嫌な笑み。
一方、フォックスの刺し殺さんばかりの目。
「いったいアンタ、おんなじ手口でどんだけ儲けたんだ? “ 脱北 ” の斡旋から始めて、いまは軍人の身分を使って密輸業者か?」
「そうとも。だから同じ穴のムジナと言ったのだ。私は密輸屋、君はその客だ。違うかね?」
沈黙。
沈黙が流れる。
そのとき―――
ドンドンドン!
ドンドンドン!
「少佐、ジョンソン少佐! 大変です、おられますか!」
部屋のドアが激しくノックされ、ドア越しに男の叫び声が響く。びくりと肩をすくませる、フォックスとレインショット。
「なんだ? 入りたまえ!」
レインショットの返答に、乱暴にドアを開けて飛びこんできたのは、若い水兵。
「しょ、少佐……失礼! あ、博士もご一緒でしたか! じ、じつは……そ、それが……」
敬礼も忘れ、激しく手振りをしながら口をパクパク動かす彼に、レインショットが怒鳴りつける。
「ええい、なんだ! 何があった!」
狭い室内に大声が響き、フォックスが耳をふさぐ。
ごくりと唾を呑みこむ水兵。
と――――――
「ハール二等兵が甲板上で小銃を発砲! 現在、人質をとっているのです!」
ようやく、言葉が出た。
……ちょっと待って。
「ちょっと待って」
「ちょっと待ちたまえ」
フォックスとレインショットが、目を見開いた。
人質―――?
「人質は、その……博士の助手なのです!」
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「お願い、トラを離して! どうしてこんなことをするの!」
甲板の中央でニニコが叫ぶ。
「た、助けてください! 博士、博士――!!」
トラも叫ぶ。
「俺は妖精だ! ピーターパンを呼んで来い!」
犯人も叫ぶ。




