第42話 「ホール」
ドズドズドズドズドズドズ!
研究所のうす暗い通路に、長靴の足音が鳴りひびく。
「ひー! ひー!」
「ひっ、ひっ、ひっ……」
ニニコを背負って、トラは走る。
おんぶ&ダッシュ!
「殺されるわ! 私たち殺されるわ!」
「ハァ! ゼ! ん、ンなこた、ハッ、ハッ……わかっとる!」
ドズドズドズドズドズドズ!
通路の床を粉砕しながら、ニニコをオンブしてトラは走る、走る。
シーカ?
冗談じゃない、それどころじゃない。
現在、2人は全速力で廊下を逃げている。煙羅煙羅の能力を見るなり、あまりのヤバさに逃走してしまった。
ほんとヤバいんだって!
「ハァ! ハァ! こ、おま……自分で、はし、走らんか……」
ドズドズドズ!
「腰が抜けたの! 抜けたの!」
背中にしがみついてわめくニニコ。ヒー、ヒー!
「ヒィ、ヒィ! な、なんなんだよ、あのアイテムはよぉ!」
ドスン、ドスン!
真っ暗な廊下に、轟音と震動と、死に物狂いの絶叫が響く。
ドズン、ドズンドズン!
やがて大きなホールにたどり着いた。
吹き抜けの、おおきなホール。
ガレキだらけの床―――
壁には、機関銃の弾痕が見てとれる。中庭をのぞく大きなガラス壁は煤で曇り、あちこちにひびが入っている。
ボロボロになったベンチソファ。
ひっくり返されたオブジェ像。
通電していない自販機……まともな物はなにもない。
ズガンッ!
ズガン、ズガン。
「ぜっ、ぜっ、ぜぇ……」
走り抜けるトラの足音が、だんだん小さくなっていく。
もう限界―――
「も、もう、ハア、だ、だめだ、はぁ、はぁ……あ……」
ついに力尽きた。
「うが……」
ドサァッ!
頭からソファに倒れこんだ。
「キャアッ!」
宙に投げ出されたニニコの悲鳴。
ビタン!
落下、ゴロゴロと床に転がる。
「う、う、痛い……う、う。トラ……」
強打した肘を押さえながら、ふらふらと立ち上がってトラのもとへ足を引きずる。
「トラ、トラ……」
「……」
トラは反応しない。
死体のようにソファに横たわって動かない。
ニニコがその背中をゆする。
「トラ、トラぁ……」
ゆする、ゆする。
起きない。
いや、起きた。
「……ハッ。はぁ、はあ……ニニコ……」
ゆっくりと顔を上げるトラ。
「はぁ、はぁ、お、お前歩けんじゃねぇか……う、おおおおあァ!」
ズシィン!
必死の形相でソファから立ち上がる。
「へ、へへへへ。やっぱし居ねえな」
「……え?」
笑うトラ。
きょとんとするニニコ。
「オーナーだよ。どっかで待ち伏せしてくれてるかと思って逃げたんだけどよ。やっぱ見捨てられたかな。シーカも追ってこねえし……」
つぶやく。
そして、意を決したように―――
「しょうがねえ、戻るわ。お前はさっさと逃げな」
驚愕するニニコ。
「ふぇ!? も、戻るって……逃げるんでしょう? 一緒に……」
「冗談じゃねえ。やっと立場がイーブンになったんだぜ? こいつと俺のパーツをトレードするのさ。こんなチャンス2度とねぇ」
ふひふひと苦しそうに笑いながら、煙羅煙羅のパーツ……指に挟んだ小さなネジを見せつける。
「じゃあな、ニニコ。生きてたら、よ」
ズシ……
ニニコの返事を待たず、背を向けて歩き出した。
ズシ……
「と、トラ……トラあ!」
ニニコは、呼び止める言葉さえ出てこない。
私だけ逃げる?
イヤだ、イヤだ……
と―――
ドゴン!!!
ガラガラガラ…………
タイル張りの壁が、大鉄球を打ちつけたように崩壊した。ガレキがぶちまけられ、もうもうと立ちこめる粉塵。
その中から……
しゅう、しゅう、しゅう。
壁の向こうから、重そうに左半身を揺らしてシーカが現れた。
このコンクリートのブッ壊れかた……
朽ち灯のそれとはまったく違う、繊細さのかけらもない破壊。 “ 煙羅煙羅 ” の継ぎ目から、真っ赤な煙がふき出している。
しゅうしゅう、しゅう……
「はぁ、はぁ、おいでなすったな……」
待ってましたと言わんばかりに、トラが立ちはだかる。
シーカが眉を吊り上げ、ゆらりと近づいてきた。
「か、か、かえ、せ。ネジ……」
震える声―――怒りに満ちた顔でトラを睨む。
「そりゃ、はあ、はあ、こっちのセリフだ。パーツ返せ……何度言わせんだボケが!!」
ズドン!
床を踏み鳴らす。
鬼の表情で立ちはだかるが、すぐに気持ちの悪い笑いを浮かべだした。
「ふ、ふふ、えっへっへ……壁の向こうから登場か? ほかの芸は無えのか、てめえはよ」
挑発。
またしても挑発する。
ほかに会話のしかたを知らないのか、こいつは。
「だ、だめよ! 挑発しちゃ!」
慌てふためくニニコ。
どうにかトラを落ち着かせようとかけ寄り……
「ひッ!」
凍りついた。
自分を見る、トラの冷たい目。
まるで虫でも見るかのような、冷たい目を向けてくる。
「……うるせえな、クソガキ……」
トラは、ギロリと睨みつけると―――
「ト、トラ……あッ!」
ドン、とニニコを突きとばした。
突然なにをするのか、この男は。
「気安く呼ぶな、厄病神が」
朽ち灯よりも、煙羅煙羅よりも、はるかに恐ろしいトラの声。
「いい子だから、さっきの火事場に戻ってろ。パパとママが待ってるぜ、こんがりとな」




