第3話 「ヒー イズ フリー」
「長靴に呪われてる男だよ。みんなは、長靴を履いたトラって呼んでるけど」
中年男は、聞いてもいないのに長靴野郎のことを教えてくれる。よっぽど親切な人なのか、おしゃべりなだけなのか。
きょとんと聞き返すマントの女。
「長靴?」
「1000万歩歩かなきゃ脱げねーんだと。けんど、コイツがメチャメチャ重い。トラのやつ、もう10年もああやってんのよ」
中年はそれだけ言うと、早々と去って行った。
「10年……」
興味深そうに、長靴男をみつめる女。
ものすごいフラフラじゃないですか、彼。
あの長靴。
重い、なんて言葉で足りるだろうか。
1歩あるくごとに、大地を揺るがす超重量。
いったい何キロあるのだろう。
まさか何トン……
※ ※
「ひ、火の用心……」
ドズゥーン!
ドズーン!
長靴男が……以降、『トラ』と記載する。
トラがふたたび、ゼェゼェドスンドスンと歩きだした。よろよろと77番の橋に近づいていく。
橋に長靴がのしかかる―――寸前。
「おいコラ、トラァ!!」
警察官がやってきた。
「トラ! てめえ橋に乗るんじゃねえ!」
「ハァ……ハァ……ああ、なんだタカかよ。
立ちどまったトラは、やってきた警官の姿を見てゲンナリとした表情を浮かべた。
「悪いけど俺、仕事中なんだよ」
「俺もだよ! おい、そこ動くなってんだ!」
若い警官は、トラを追い越して橋の前に立ちはだかった。
「お前はこの橋使うんじゃねえ! 潰されちゃたまんねえからな、70番の橋まで行け!」
ムカ!
トラの眉間にしわが寄った。
「なんでわざわざ遠いほうにエスコートすんだよ! 大きなお世話だ、新米警官!」
「なんだとこのフリーター!」
トラを通せんぼする、警官タカ。
「消防本部から巡回のルート決められてんだよ! ワーワー!」
「まわり道すりゃいいだろ、地盤のしっかりしたところを! ワーワーワー!」
おたがいの名前を知っていることからみて、どうやら2人は顔なじみらしい。じゃなきゃ、こんなしょうもないケンカしないだろう。
「てめーこの!」
「てめーこの!」
口論がはげしくなってきた。
だんだん、人だかりが出来てきた。
しかしヤジ馬たちの表情は、見物というより、危ないものでも見るかのようだ。
「日が暮れちまうだろ、どけ!」
「ハン! 日が明けるの間違いだろ?」
警官がバカにしたように皮肉を返す。
だが―――
ピク。
その言葉にトラの目は鋭く吊りあがった。
ピクピク。
「な……おあ!?」
明らかにトラの表情が変わった。
だが、警官タカはそれを見逃したらしい。
「もっともお前の足じゃ、明後日までかかるだろうがな!」
……追い打ちをかけてしまった。
「な、な、な、なんだってめえ……?」
トラの様子がおかしい。完全に怒ってらっしゃる。
「なんだじゃねえ……うッ!」
ようやく、空気の変化に気づいたらしい警官タカ。
しまっ……た。
やってもうた。
恐ろしくトーンの変わったトラの声を聞いて、警官が後ずさる。
「あ、いや、その……」
「あ、あ、あ、あ、明後日だと……?」
ぶるぶると小刻みに震えながら、警官タカに詰めよるトラ。
じりじり。
人だかりの最前列にいるマントの女にも、トラの横顔が見えた。
額に、頬に、血管を浮き出した怒りの表情。
瞳孔が完全に開いている。
「おい、トラのやつヤベエぞ……」
ざわ。
「もうだめだ、遅いよ」
どよどよ。
?なにが?
周りのヤジ馬たちが、ざわめきながら下がり始めた。
なにも状況がわからないマントの女だけが、ポツンと残される。
いったいなにが始まるというのか。
しかし、トラは大きく深呼吸をすると……
「フ――――――……わかったよ。70番橋にまわりゃいいんだろ?」
ズドンと背を向けた。
「……え?」
意外な反応。
どうやら、話が通じたらしい。
「あ、ああ。わかりゃいいんだよ……ホッ……」
警官の体から緊張がとけた。
ホッと肩をなでおろす。
なんだ。
トラのやつ、今日はずいぶんものわかりがいいじゃあないか。ふう、よかった助かった。コイツを怒らすと厄介……
次の瞬間!
「嘘じゃああああああああああああああ!」
「あッコラ!」
ドスドスドスドスドスドス!
ゴンゴンゴンゴン!!!!
警官の油断をついて、トラが橋へ駆けだした。
ゴンゴンンゴンゴン。
バキッ!
ゴンゴンゴン!!
「おいよせ戻れ! トラ、カムバッ――――ク!」
轟音とともに橋が揺れ、砕けた破片が飛び散る。
ドゴドゴドゴゴゴ!
ものすごい迫力。
めっちゃ遅いが。
長靴はどんだけ重いのか。
歯を食いしばり、死にもの狂いに駆けるトラ。
走る、走る。
はたして橋は耐えられるのか!?
まだ半分も来ていない!
早く、早く……!
否。
大丈夫、大丈夫なのだ!
なぜなら!
この橋は最近、耐震工事を終えたばかりなのだ。
徹底的に補強された木造橋が、どうして長靴なんぞで壊れるものか。
バキバキバキ!!
バッキャアアアアアアアア!
ズボォン、ガラガラ……
……ドッパーン!!
駄目だった。
4分の1ほど来たあたりで、長靴は敷木をぶち抜いた。
開いた大穴はバキバキと橋を貫き、トラは10数メートル下の川面に落下した。
ドバンと水柱があがる。
砕けた木材が、川にバラバラと降りそそぎ……
あっ。
火の用心の旗が浮かび上がり、流されていく。
……トラが浮いてこないんですけど。
※ ※
「それみろ! 言わんこっちゃねえ!」
「はやく引っぱり上げろ!」
「バカ、どうやって……」
一部始終を見ていた野次馬たちが、ワオワオと慌てふためく。
目の前で起こった、あまりにもアホな事態。
マントの女は茫然としていた。
「……なんだったんだ、今のは……?」
何だったんでしょう。