第247話 「マッシロヤミ」
さて前回書いたように、ニニコとトラは、この第47魔王城にて監禁されている。監禁というと言葉が悪いが、治療と検査をかねてだ。
そもそも犯罪者のふたりが行ける場所などないし、魔王軍に匿われているともいえるわけだが。
では、ニニコ用の監獄……ではなく客室の様子を見てみよう。職員が寝泊まりするための個室を、簡易的に鉄格子で囲った「ニニコ部屋」は、けっこう快適だ。
テレビもあるしゲームもある。ソファ、ベッド、トイレも個室シャワーもある。ビジネスホテルの客室そのものだ。ちなみに毎日3食にオヤツも出る。
ただし24時間、魔王軍に監視されている。3人の女性隊員が、交代制でニニコを見張っているのだ。
3人とも、ニニコにたいへん優しい。ニニコが不安がっているときは話を聞いてくれるし、ときには魔王城のなかを案内してくれたり、とても親切にしてくれている。
もちろん、ここまでニニコに甘く接するのも作戦だ。
バーベキューファイアに依存してるニニコを、今度は魔王軍に依存させるため。作戦はきわめて順調と言えた。
そしていまニニコ部屋には、マオちゃんが訪れている。もちろん黒服のボディーガード3人も一緒だ。
ニニコの監視役の女は、退室を促されて出ていった。テーブルに、いつものうがい薬を置いて。
※※
「ニニコちゃん、今日で1カ月だね。さ、うがいしに行こうか」
「う、うん」
マオちゃんに命じられ、ニニコはコップを手に取る。なかに入っているのは、ポビドンヨードのうがい薬だ。いわゆるイソジンである。
この1カ月、毎日これでうがいすることを義務付けられていた。
真っ白闇のノルマは、その触手を12色に染めること。
黒、赤、茶、ピンク、水色、青、黄緑、灰色、オレンジ、黄、と10色を集めて、のこりは2色。
緑とムラサキだ。
ポビドンヨードは紫色のノルマにあたる……らしい。
ニニコは不思議だった。
なぜ、このうがい薬は茶色なんだろう。紫じゃなくていいの?
みんなで洗面台へ向かう。黒服たちももちろんついて来る。トイレ、浴槽と一緒になった洗面所で、ニニコは薬を口にふくむ。
ぶくぶくぶく。
ガラガラガラ……んべっ。
ガラガラガラ。
ベッ。
すると、ニニコの右足で声がした。
悪魔の声が。
『タヌキ……電気……酸素……塩酸……ハイドランジア……ヨウ素……半分いった……』
『選べ……このまま最後の物質を探すか、片方だけ解き放つかを……』
ふとももで、冷たい悪魔の声が響く。
ニニコが何年か振りに聞く、真っ白闇の声。
「あ、え、あの」
「さっさと外れろ」
ニニコがなにか言う前に、マオちゃんが命じる。
ぐっと押し黙るニニコ。
『お前を半分だけ解放しよう、次が待ち遠しい……』
ズトンッ!
右の真っ白闇が、ニニコのふとももから外れる。外れるというか、ふつうにドスンと床に落ちた。
なんというあっけなさだ。ズボンでも脱げるように、いとも簡単に呪いは半分解けてしまった。
が……
ドガッ!!
マオちゃんが洗面台の収納棚を蹴る。マオちゃんは軽く蹴っただけのつもりだったが、なにしろアスカの子孫の怪力だ。棚の戸は、バキンと砕け散ってしまった。
「ひっ!」
ビクッ!
ニニコは驚いて立ちすくむ。てっきり自分が蹴られるのかと身構えたら、蹴られたのは真後ろの洗面台だ。しかし、そのキック力たるや……棚がバキバキに粉砕されているではないか。恐ろしくて身を縮ませる。
「な、なに……」
「右じゃん、クソ!」
怒鳴るマオちゃん。
「あーもう! 左だったら煙羅煙羅のパーツが回収できたのに!」
バンッ!
今度は浴槽を蹴るマオちゃん。さすがに今度は砕けないが、スリッパが廊下まで飛んで行った。
おびえるニニコ。
しかしマオちゃんは気に留めることもなく、ゆっくりと身をかがめた。そしてニニコの足元に手を伸ばす。
「ちょっとニニコちゃん、足上げて。真っ白闇取らせてよ」
「ひ……は、はい」
怖い。
マオちゃんに言われるがまま、右足をあげる。筒……真っ白闇から右足を抜いた。マオちゃんは床に落ちた真っ白闇の片っぽを、なにも言わずに拾い上げる。まるで自分のものだと言わんばかりに。
ニニコはちょっと泣きそうだった。呪いから解放された記念すべき瞬間なのに、まったく嬉しくない。
悲しい。
そして、マオちゃんが怖い。
「じゃあ、ちょっと今後のこと話そうか」
真っ白闇をぞんざいに持ったマオちゃんは、さっさと洗面所を出ていった。めちゃくちゃに壊れた洗面台はそのままに。
ニニコはなにも言わない。
何年振りかに見る自分のふとももを、ペタペタと触っている。かゆい。右足だけ軽くてスースーする。なんだか、自分の肉体が減ったかのような奇妙な感覚だった。
「どしたのニニコちゃん。こっち来て!」
立ちつくすニニコに、来いと命じるマオちゃん。さっさと浴室を出ていってしまった。もちろんボディーガード3人も出ていく。
ニニコの心中は複雑だった。
トラ、フォックス、シーカ、ハムハムに会わせてもらえないまま、もう1カ月。ジェニファーのことや煙羅煙羅のこと。聞きたいことは山ほどある。
いや聞かされてはいるのだ。
トラもフォックスも、ハムハムもシーカも、魔王軍に捕まっていること。全員が魔王軍への協力を条件に、命は助けられたこと。ジェニファーが入院中であること。
教えてはもらえるのだ。
だが、会わせてもらえない。
それに、鎧のことはなにも教えてもらえてない。
煙羅煙羅は、なぜあんな巨大なボールみたいになったのだろうか。教えてもらえない。
この1カ月やらされたことと言えば、イソジンでうがいすることだけだ。真っ白闇のノルマを満たすために―――そして有無を言わさず、解放された真っ白闇は没収されてしまった。
たしかに呪いを解くことが人生の目的だったが、こんな強引かつ事務的に対応されるといい気はしない。
なんか、悲しい。
だがとても口答えする気にはなれない。
人質の自分が、魔王に逆らってどうしようというのだ。それにマオちゃんのカブトも、なぜか形が変わっている。
煙羅煙羅とおなじ現象なのだろうか。
聞いてみたい。
……怖い。
とても聞けない。なんだかものすごく、今日のマオちゃんは怖い。
「ニニコちゃん、はやく来てってば!」
怒鳴り声―――
イラだった様子のマオちゃんに怯えながらも、びくびくとニニコは洗面所を出た。黒服のひとりに促され、ニニコはテーブルをはさんだ向かい側に座る。
マオちゃんはもうソファに座っていた。ニニコから取り上げたばかりの真っ白闇は、テーブルに置かれている。
「あの、マオちゃん。その……ひさしぶりです」
「今ごろ? そういや君らが私を誘拐した日から会ってなかったっけ? 忙しくて忘れてたよ」
「あ、あのときはごめんなさい」
「ん? べつにもういいよ。あんなの50年に1回くらいあるしね。それよか私のカブト、形が変わってるっしょ。どう?」
ビク。
まさかマオちゃんのほうから兜の話を振ってくるとは……
「う、うん。とってもその、強そう」
「そうかな? ちょっとは魔王らしく見えるかな」
飄々としたマオちゃん。ニニコの不安そうな様子を楽しんでいるかのように、にっこりと笑う。
……ようやくマオちゃんが笑った。
だからこそ、よけいに怖い。
「あの、ジェニファーはどうなったの……?」
おそるおそるニニコは尋ねる。
「まだ入院してるよ。部隊に復帰すんのはまだ先になりそうだけど。だったよねコイル?」
黒服のひとりが、こくんと頷く。巨木のような体格をした彼がコイルらしい。ほかの2人は微動だにしない。
雰囲気というか、佇まいとでも言おうか、このボディーガードらの威圧感はふつうではない。3人とも別格の達人だとニニコにも理解できた。だが、マオちゃんのほうがはるかに怖い。
マオちゃんがテーブルの真っ白闇を、パンパンとたたく。
まるで無価値な物みたいに。
「あ、あの私、ジェニファーに謝らないと……」
「へ? なにを?」
「その、ケガさせたことを……」
「ケガは彼女が自分で負ったんじゃん、私を守るために。ニニコちゃんには関係ないし」
「……」
「謝られてもジェニファー君も困ると思うよ?」
「で、でもお見舞いとか」
「なら本人に伝えとくよ。でさ、そろそろ真っ白闇の話していい?」
ニニコは怖かった。
本当にマオちゃんを恐ろしいと思った。聞きたいことがたくさんあるのに、はやくこの面談が終わってほしいとしか思わない。
「聞いてる? 真っ白闇の話していいかな?」
「は、はい」
そう答えるしかなかった。
「はい。じゃあまず1ヶ月のうがいお疲れ様。真っ白闇のノルマってけっこう大変だよね。12個の毒素とか元素とかを吸収することだもんね。よくひとりで10個も集めたもんだよ」
「……自分で集めたのは、2つくらいしかないわ。パパやママや、シーカがいたから……」
「うんうん。いままでの人生で出会った人たちのおかげだよね。なので最後のふたつは、私が用意してあげました」
「あ、ありがとう……ございます」
「はじめは安定ヨウ素剤でも飲んでもらおうと思ったんだけど、ニニコちゃんの体調の経過観察もしたくてさ。時間はかかるけどポビドンヨードでうがいしてもらって、ちょっとずつヨウ素を吸収させたってわけ」
「あ、あの……」
「たぶん今日あたり、必要量がニニコちゃんに蓄積されるころじゃないかと睨んでたのよ。いやー、計算ぴったりだわ。ちゃんと呪い解けたもんね。え、どしたの?」
「ポビドンヨードって……なに? なんですか?」
「へ? ああ、いまの若い子は知らないかな。ヨウ素ってのを利用した消毒薬があんの。むかしはヨードチンキって薬もあったんだけど、あれすごいしみるんだよね。懐かしいなあ」
「あ、あの」
「あー敬語じゃなくていいよ。なに?」
「あの薬、茶色だったけど……どうして紫のノルマになるの? ぜんぜん色ちがうのに」
「ああ、そんなことか。大丈夫、間違いなくヨウ素は紫色だよ。水に溶けたときだけ茶色に見えるってだけ。さっきのうがい薬、デンプンに触れても紫色になるんだけどね」
「あ、そうなの……よくわかんないけど」
ニニコは、なんとなくイヤだった。
ニニコにとって真っ白闇は、呪わしい異物であると同時に、自分の人生の象徴でもあった。だからこそ、自分の力でいつか呪いを解きたかったのだ。
マオちゃんに所有権があるのはわかる。だが、「さっさと返してくれ」とでも言わんばかりの対応がとても悲しかった。
本当は、残りのノルマも自力で見つけたかった。それにムラサキの触手も、自分の目で確かめたかった。半分だけ呪いを解くことができるというのも、聞かされていなかった。
なにもかもマオちゃんが決めてしまう。
いまもマオちゃんは、真っ白闇にヒジを置いたり、ぐらぐら揺すってみたり。さっきはテーブルから落っことしたりした。
無神経で乱暴な扱われかただ。
悔しい。
……私の真っ白闇なのに。




