第23話 「ハードモード」
ドドドドォ……
再びトレーラーは荒野を走り始めた。
だが、ヘッドはもう傾いてはいない。
トラは荷台にいた。
いや、追いやられた。
荷台の最後尾、50センチほどの隙間にべったりと尻をつけているではないか。そして生気を失った目で、1枚の紙を眺めている。
それは契約書。
以下に内容を紹介しよう。
◇◇
奪われたアイテムを探す旅契約書
① フォックス(以下、甲)は、トラブリック・オールデイズ(以下、 乙)を旅に同伴することを認める。
② 旅の目的は、甲のアイテムの一部を取り戻すことにあり、甲の都合はいかなる場合でも乙に優先する。
③ 甲は旅の途中、乙の財産すべてを所有・管理・運用・貸借・廃棄・売却する権利を持つ。
④ 甲は旅の途中、乙に一切の雑事を命じる権利を持つ。結果、生活に甲乙間で格差が生じる場合にも、乙は一切異存申し立てを行う権利を持たず、甲はその交渉を拒否できる。
⑤ 乙は、つねに甲のプライバシーを尊重しなければならない。
⑥ 乙は、つねに甲の命令に迅速かつ従順でなければならない。
⑦ 乙は、つねに甲の生命・財産・自由を守らなければならない。
⑧ 乙が甲に対し、あらゆるハラスメント行為を行った場合、甲は乙をその場に置き去りにする権利を持つ。
⑨ 乙が甲に対し、あらゆる背信行為を行った場合、甲は乙をその場に置き去りにする権利を持つ。
⑩ 乙が甲に対し、あらゆる叱責行為を行った場合、甲は乙をその場に置き去りにする権利を持つ。
⑪ この契約は、甲からの異議申し立てがない限り、毎年1月1日に自動的に更新される。
⑫ この契約は、甲のアイテムの一部を取り戻した時点、すなわち甲の旅の目的が終了した時点をもって、自動的に解消される。
○○年○月○○日
甲 フォックス
乙 トラブリック・オールデイズ
◇◇
風にあおられ、契約書はバサバサとはためく。
契約書……と呼べるのだろうか?
悪魔との取引にしか思えない。
「ブラックすぎる……」
トラの消え入るような声は、エンジン音にかき消され、運転席には届かなかった。いや届いていたら大変だったが。
こいつに同意しな!
さもなきゃ、もう知らねぇ!
フォックスの言うがまま署名させられ、トラは通帳を没収されてしまった。
10年、死ぬ思いで貯めた金である。
思い返すのは数々の苦心。
うれしかったこと、失敗したこと、怒られたことさえも懐かしく輝かしい。公園の清掃で、内職で、消防団の巡回で、配達で……人生をかけて蓄えた財産。血の結晶のような金、金、金……
「あああああああああああああああああああああ! クソアマぶっ殺すぞぉぉおお!」
「聞こえてんぞゴラアアアアアアアアア!」
……トレーラーは怒り狂う2人を乗せ、荒野を走る。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
ひた走ること1カ月、ついに国境を越えた。
補給のため、とある地方の中核都市に停泊する2人。国道沿いの開けた空き地に、トレーラーを停めた。
フォックスはもちろん国際手配されている。だがトラは、ここではもうお尋ね者ではない。
「やれやれ……これで自由の身か」
逮捕される可能性だけはなくなり、一応ホッとするトラ。
なんという高い空―――ビュンビュンと猛スピードで車道をはしる車を横目に、うんと背伸びをする。
しかし、すぐに表情が絶望にしずむ。
「いや……自由じゃねえか。自由じゃねえ」
鉄の化け物のようなトレーラーの車体をながめ、ため息をついた。
ここに来るまでに、かなりの金を使っている。
それは……
※ ※
「トラ、見ろ。コンテナ改造したぞ。お前の金で」
トレーラーに積載したコンテナは3つ。
大きさはすべて同じだが、ひとつはフォックスの部屋。
ひとつは台所兼、手洗い兼、浴室。
最後に貯水槽兼、倉庫。
これすべて、トラが半生をかけて貯めた金で改造された。
なのにトラの部屋がない。
「あの、オーナー……俺は……その、どこに……?」
「? お前ならそこにいるじゃん?」
「いえ、俺はどこで生活を……」
結局、彼の部屋はない。
貯水槽……まあ500リットル程度のタンクなのだが、その隅で彼は生活している。毎夜、タオルケットに包まり、泣きながら眠る日々。
まるで下僕……いやあ、もっとひどい。奴隷である。
「トラ、これも洗っといてくれ」
「肩揉んで、腰揉んで」
「プリン食いてえ」
屈辱。
屈辱の日々である。
だがトラはよく耐えた。
血管キレそうになりながらも「はい、オーナー」と般若のごとき笑顔で、ワガママ姫のゴキゲンを取り続ける。
この毎日は、徐々に彼の精神を蝕んでいった。
「は、は、は、はいオーナー、ひ、ひひ……」
引きつった口は耳まで裂け、顔色もよくない。
マジで大丈夫か?
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
そうして数日がたったある日―――すなわち今日の午後。
事件は始まった。
「な、なんですかオーナー。この金は……?」
午後、繁華街にあるオープンカフェに2人はいた。昼食を兼ねた、今後の作戦会議である。
ランチには少し遅い時間ともあって、ショッピングモールの中はそんなに混雑していない。大通りに面したカフェに、気持ちのいい日差しが降りそそぐ。
その席でトラは、フォックスから現金を手渡された。
フォックスは、ブティックで購入したニットポンチョを羽織って上半身を隠している。髪をうしろでくくり、印象を変えた。一応、変装である。
ブランド物のバッグから彼女が取り出したのは、現金の入った封筒だ。
「いま車に積んでるノートさぁ、ナビからネット経由してるだろ? あれ、超遅ぇんだ。ワールドウィング対応のルーターで、早いのがあったら買ってきてくれ」
デザートの皿をつつきながら、買い物を命ずる。
トラの表情は―――
ぱぁっ。
晴れやか……いや、開放感に満ちている。
(オーナーが俺に、金を預けてくれた……?)
(うれしい。ああ、うれしい)
(ようやく俺を信頼してくれたんだ―――)
などと、この男が思うはずがない。
(着服してやる。もとはと言えば俺の金じゃないか)
(そうさ、これは俺のものだ! ぎひひひ)
封筒を握りしめるトラ。
しかし―――
フォックスの悪魔のような笑み。
「言っとくけど、着服なんかしてみやがれ。金額にふさわしいヤケドをさせてやるからな」
恐ろしい声。
美しい顔が、悪魔のようにゆがむ。ほほえみ―――
(ば……バカな……なぜ……)
トラの表情が、希望から絶望へと変化する。
お見通しでやんの。
冷や汗を流し、「僕がオーナーを裏切るはずがありません」と首を振るしかない。
恐怖―――
なぜ見抜かれたかは知らないが、見破られては不正はできない。
トボトボ、ズシズシと席をあとにするトラ。
と。
「ああそうだ! おーい、言い忘れたけど……」
後ろからフォックスが、おーい、と呼び止める。
まだなんかあんのかよ。
うんざりと振り返ったトラ。
「それはアタシの財布から出した金だからな。まあ、なんかひとつくらいなら好きなの買いな」
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
ズシンズシン、ルンルン。
ズシンズシン!
なあんだ、オーナーもいいとこあるじゃあねぇか。
普段ならとっくに息切れしているはずの距離を歩いているが、足取りは非常に軽い。
一方、トラを見た通行人らの表情はかたい。
ズドンズドンと体の揺れを感じた人々は「何事か!?」と、みな振り返る。そして地面を鳴らして歩くトラを見るや、そのまま固まった。
アレ、なんでんねん?
地鳴りとともに去っていく長靴男を、居合わせた人々は、何事だったのかと眺めていた。
繁華街をスキップしながら、軽快に進むトラ。
勝手によけてくれる買い物客たち――――――
どよどよとざわめくその中に、少女が1人まぎれていた。
「わあ……両足だわ」
グレーがかった、くしゃくしゃの長い髪の少女。
トラよりいくつ年下だろうか。
まだ14、5歳くらい……だが、学生には見えない。
周りの人達と比べても、あまりいい身なりではない。ホームレス風と言ってもいい。ひらひらと長いフレアスカートは薄汚れ、ところどころ油染みもある。
もとは上品な白のワンピースだったのだろう。かわいらしいレースをあしらった、みすぼらしいスカート。
彼女の手には、大金の入った封筒が握られている。
封筒の表には、「トラ用」と鉛筆書きされているではないか。
……ちょい待ち。
もう一度。
彼女の手には、大金の入った封筒が握られている。
封筒の表には、「トラ用」と鉛筆書きされているではないか。
これは…………ヤな予感がする。
少女は人だかりから離れると、建物の陰に隠れて紙幣を数えはじめた。
「なな、はち、きゅう……10万ナラー、すごいわ」
盗りやがった、このガキ。
「……ごめんなさい」
謝っても遅いよ。
すでに遠ざかったトラに、謝罪はもちろん届かない。
少女の、申し訳なさそうな顔。
「これでお花が買えるわ。そうだ、シーカにお茶とお菓子を買っていこう」
ズシン、ズシン。
ルンルンルン~♪
我が身の不幸も知らず、鼻歌を歌いながら遠ざかっていくトラ。
かわいそうに。




