第222話 「クリーク」
『聞いているのか、フォックス。荷台に隠れているのはわかっているぞ。お前のマントと黒髪が、我にはまる見えだ』
『我のフォックス。返事をしろ…………返事をせんか!!』
「黙って聞いてりゃ……ふざけんじゃねえ! アタシに近寄んじゃねえよバケモノが!」
叫び。
フォックスの悲痛な叫びが返ってきた。
穢卑面の言ったとおり、荷台のなかから―――袋のネズミではないか。
「来るんじゃねえ! 来たら燃やしてやる、燃やすぞコラァ!」
叫び。
『ケケケ! 好都合だ、燃やしてくれ。ルディの体が死ねば、それだけ早くお前に憑依できるわえ、ケケケ!』
嘲笑。
「誰が……! 冗談じゃねえ、お前なんかに操られてたまるかよ!」
絶叫。
コンテナの中を反響し、何度もたまるかよとエコーする。
「アタシの脳みそをナメんじゃねえ! お前にコントロールされるほどヤワじゃねえんだよ」
ねえんだよねえんだよねえんだよ……
穢卑面がコンテナのドアに手をかけた。
『ケケケ、その通り……だからお前にはルディ同様、脳死状態になってもらう』
ギィ……ざばああああ。
すでに半開きだった扉が、両側とも開け放たれた。真っ暗―――荷台は上50センチを残して水没し、ところ狭しとパレットが逆さに浮いている。
そのパレットの山に隠れるように、荷台のいちばん奥にフォックスがいた。真っ暗、だが穢卑面にはフォックスの姿がよく見えた。
ずぶぬれの黒い髪、ずぶぬれのマント、どこからどう見てもフォックスだ。誰がなんと言おうがフォックスである。
『ケケケ! 心配するな。咲き銛がお前の壊れた脳の代わりに、心肺を動かしてくれようぞ。ケケケ……え?』
荷台を開いたところで、穢卑面の足はピタリと止まった。
おかしい。
なに……この、なに?
『え? あれ?』
「ぞっとしねえな。焼け死んだほうがマシだぜ」
フォックスが穢卑面に向かってスマホを突き出した。非常に機械的な音声で、死んだほうがマシだと告げる。
スマホを持つ右手のゴツいことよ、女の手とは思えない……
……え?
右手?
フォックスの右手に焼き籠手がない。
フォックスじゃない!!
荷台にいたのはフォックスじゃない。マントを羽織ってはいるが、頭は黒髪ではない。
シャツだ。
黒のシャツを頭にかぶっている。
『ト……!!』
穢卑面の絶叫。
トラだ。
フォックスの扮装……と呼ぶにはあまりにもお粗末、かつ不気味だが、誰がなんと言おうがフォックスに化けている。
その手にスマホを持って。
「ヨク来キヤガッタナ、歓迎スルゼ」
しぼりだすような高い声で、フォックスの声色を出すトラ。その声はどう聞いてもトラの声で、濡れたシャツをかぶる姿はどう見てもトラだった。
「アタシノ……ゲホァ! ゴホン! アタシノ作戦勝チダナ」
《やーい、ひっかかった》
フォックスの声がスマホから流れてきた。さっきまでは荷台に反響して気づかなかったが、ひどく機械的な音声だ。
《アホ丸出しだぜ、化け物》
『化け物はどっちだ!』
ざばッ!
さすがの穢卑面もヒく。いや取り乱しはじめた。
『ど……どこだフォックス! どこだッ!』
トラのことなど眼中になし。
バシャバシャ!
荷台から飛び出し、周囲を見回す。
『どこだッ! どこにいる!?』
ぐるぐると川の360度すべてを見まわす。だが霧、霧、霧でなにも見えない……透視、透視、透視! フォックスはどこだ!?
いた!
岸にいた!
川のド真ん中でひっくり返る配送車から、30メートルも離れた岸にいる。
「イッパイ食わせてやったぜ、化け物」
スマホを手に、フォックスは笑っている。
なんという姿……上半身は半裸だ。花柄のレースをあしらったブラジャーと、下はジャージのすごい格好だ。トラに、マントどころかシャツまで渡してしまったのだから当然だ。
刺激的な姿と言いたいところだが、あんまりエロティックじゃない。
恐ろしい炎を右手に纏っているから―――
《イッパイ食わせてやったぜ、化け物》
トラのスマホから、同じセリフが聞こえた。
と同時!
ズドンッッ!!
フォックスは炎を放つ。
まるで徹甲弾。
赤き一直線を宙に描き、火炎弾は川面すれすれをブッ飛ぶ。穢卑面の腹から下は水のなか、よって……炎は顔面に向かって飛ぶ!
ボォン!!
『ぅぐあァああ!!』
ものすごい炎。
一瞬で炎に包まれる穢卑面。だが直撃はしていない。
『うおぉお!? お、おのれッ……!』
直撃はしていない。
咲き銛だ。伸ばした10本の槍を、網のように交差させ盾を作った。
バッ!!
ジュウウウウウウウゥウウ!
炎にまかれた槍シールドは、ふたたびすさまじい速さで縮む。水中に引きずりこまれた火は一瞬でかき消えた。
危なかった。
穢卑面を……仮面を燃やされるところだった。
『フォックス、おォのれァアアアアアアアアア!』
ざぶんッ!
ざぶンッ!!
穢卑面の怒りは頂点に達した。水をかきわけ、フォックスに突撃する……しようとした。
だが、後ろから肩をつかまれた。
「待てよ。どこ行こうってんだ」
トラが穢卑面の肩をつかむ。がっしりと……ていうか、まだ頭にシャツを被ったままだ。
川面を覆っていた霧は、火炎弾の熱がかき消してしまったらしい。まだ深夜だというのに、月明かりと高速道路の照明で、どんどん視界が明けていく。
だがひときわ明るく光るのは、穢卑面の目だ。鬼火のような2つの目がギラギラと光る。
ギラギラ。
ギラギラ。
怪物。
もはや、人間の要素はひとつも残っていない。
『なんのつもりだ、死にたいのか?』
恐ろしい声。
声ばかりではない、穢卑面はトラを見ようともしない。それどころか肩をつかむ手を振り払おうともしない。
ただ、足を止めた。
真っ黒焦げになった勇者が、すさまじい異臭を放っている。
『聞いているのか? 手を離せ、死にたいのか』
「うるさい怪物だぜ、ひでえにおいだ」
顔をしかめるトラ。
ようやく頭の黒シャツを川に投げ捨てた。
「殺せるもんなら殺してみろよ。長靴に呪われてもいいんならな」
『それはこちらとて同じことだ、ケケケ。我らに呪われたいか?』
おそろしい穢卑面の声。
うわずったように笑う。
『そもそもお前に、ルディの肉体を殺せるのか? 殺せまい、ケケケ!』
プツン。
糸が切れるような音がした……した気がする。
トラの顔が豹変した。憤怒の表情に。
そして川に怒号が轟く。
「ルディはもう! お前が! 殺しただろうが!!」




