第210話 「レイクサイド」
さて。
さて……
魔王城からの大脱出劇から10分後。
鎧の真の物語は、魔王城の湖畔より、いま幕をあげる。
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「アイシャ、まだ写真撮る気か。魔王城を出発してから、もう2時間だぞ」
魔王城。
その周囲は断崖絶壁であり、さらに湖に囲まれている。
その湖に沿う道路に、1台の車が止まっていた。ワンボックスのバンだが、車体には “ 産業廃棄物収集運搬車 ” と書いてある。
バンの荷台のドアは厳重に閉ざされている。どうやら保冷車のようだ、外見は。
運転席に座るタンクトップの若者は、どう見ても産廃業者には見えない。服装の問題ではなく、なんと説明すればいいのか……両腕にいくつも鉄板が突き刺さっている。ガラス窓に頭から突っ込んだみたいな、と表現すればいいだろうか。10数センチの尖った金属板が何枚も腕に刺さり、さながらヤマアラシのように剣先を突きたてている。
あろうことか、額にも鉄板が1枚刺さっているではないか。まるでツノ……よく生きてるものだ、この青年は。
青年は運転席の窓からトゲトゲの腕を伸ばす。
「いい加減にしろ。そんだけ撮れば十分だよ、カワセミだってウザがってるぞ」
「ブブ」
湖のほとりでスマホを構える女。どうやら鳥の写真を撮っているらしい。
また強烈な女……レザーのライダースーツだが、インナーを着ていない。お腹丸出し……にもかかわらず、ベールで口元を隠している。そのうえ、頭にはこれまた2枚の鉄板が刺さっている。まるでネコ耳だ。
女は、青年にブブとだけ答えた。どうやらあともう5分、という意味だったらしい。スマホを持ったまま、離れたバンに向かって指を5本立てる。
青年はやれやれと腕を車内にひっこめた。
「まったくいまの世の中、なにが金になるかわかんないな。素人のお前が撮った写真に、素人のお前が書いた詩を載っけただけのブログだよ? それが月42万の広告収入なんて、真面目に働くのがバカらしくなるよ」
「ブブ!」
イヤミな青年。
女はムッとした表情でブブ! と答えた。
「はいはい、わかったよ。お前には才能がある。お兄ちゃんも誇らしいよ」
「ブブ。ブブ、ブブ」
「俺の才能? 霊柩車の運転に才能なんかいらないさ。ゆっくり撮れよ、まだ時間はあるから」
「……ブブ」
女……アイシャと記載しよう。アイシャと青年は兄妹らしい。しかもアイシャは言葉をしゃべれないようだ。だが意思の疎通はできてるっぽい。そう信じたい。
この湖は、よほど多くの水鳥が集まる環境なのだろう。アジサシ、カイツブリ、シギ、マガモ、コガモ、オナガガモ、トモエガモ、ヨシガモ、ハシビロガモ、ツクシガモ、アカツクシガモ、ホオジロガモなどが、優雅に水面を泳いでいる。
「カモをいじめた奴が行く地獄だな、ここは」
「ブブ!」
ぼそっと呟いた兄の言葉に猛抗議する、耳のいいアイシャ。美しい景色に水を差されたことに腹を立てたようだ。だがやがて気が済んだのか、スマホをポケットにしまい車に近づいてきた。
「もう撮影はいいのか? お前はほんと木だの鳥だの花だのが好きだな。魔王様と気が合うのがわかるよ、こないだも蘭の品評会にお供したんだって?」
「ブブ! ブブ!」
「いや、ちが……誘ってくれなかったとかそういう話じゃなくて! あのな、花のコンテストなんかに俺が行きたがったことあったか?」
「ブブ?」
「なんだってそう、変なふうに解釈するんだ。いいから早く乗れ」
「ブブ」
ほほえましい会話、と表現していいのだろうか。アイシャは、ブブと5回ほどくり返して助手席に乗りこんだ……そのとき。
「ちょっと待て! な、なんだ、ありゃ!?」
車内から、鉄板だらけの腕を林に向ける青年。その指さす先、生い茂る木々のはるか向こうに、黒煙が立ちのぼっているではないか。細ながい煙が空いっぱいに広がっている。
手前の山に隠れて魔王城は見えない。
だが位置的、距離的に魔王城しか考えられない。湖の反対側には、第47魔王城しかないのだから!
「煙だ! 見ろアイシャ……って、アイシャ! こら待て!」
「ブブ!」
アイシャは兄を待たずに走り出した。車で向かったほうが絶対に早いのに……なんて冷静さを、彼女は持ち合わせていない。すぐそこに見えるカーブを猛ダッシュで走り去り、もう見えなくなってしまった。
ブルン!!
エンジンがかかる。
「戻ってこいアイシャ! くそ、まったく……まさかほんとに魔王城か? 大変だ、まいったぞ大変だ!」
「おう大変さ、真っ赤っかだぜ」
ぬ。
「え、うわっ!」
誰だ!?
いきなり車の前に、ずぶ濡れの女が! 全身、水浸しの女が現れた。
「な、なんだ!? 誰……」
青年は、ハンドルを握ったままギョッと固まった。だが次の瞬間……!
ズガァっ!!
「ぐはッ!」
ドガァン!
青年は車外にブッ飛んでいた。ブッ飛ぶ、としか言いようがない。とてつもない衝撃を受けた運転席のドアは内側にひしゃげ、青年を反対方向……助手席のドアぐるみ、車の外へと弾き出してしまった。
「があッ!」
2枚のドアにはさまれた青年。サンドイッチ状態の彼はがらんごろんと転がり、ガードレールを乗り越えて、湖の反対側の土手に落ちていった。
「うぐ、くそ、この……アイシャ! アイシャ―――!」
生きている。
なんと丈夫な……いや、全身を埋めつくす鉄の刃が、鎧となって彼を守ったようだ。しかし今度は、そのトゲだらけの体が前後のドアに刺さって動けないらしい。
「誰だ! ちょっと待て、いまいったい何した!」
土手の下で叫びまくる。
がらんごろん。
そして土手の上では、2人組の男女が車を物色していた。ドアが無くなったバンの、ボックスやシートの裏を漁りまくる。
「ラッキーだ、救急箱があったぜ。こっちのバッグは……着替えだ! 待てよオイ、なんで女物まであるんだ? さっきの男が着るってのか?」
「ていうか助手席のシート見てくれよ。サーベルタイガーが爪でも研いだみてえにボロボロだ。あいつが飛んでいくついでに引っかきやがったな」
「あいつはいったい何だったんだ。トリケラトプスの生まれ変わりか? ああいうゲテモノのアクセサリーが流行ってんのかな」
「ハロウィンでもねえのにあんな姿になりたがる奴いるか? 変身ヒーローか魔王軍のどっちかだよ。どっちにせよ変態だってことに変わりねえ」
トラとフォックス。
トラとフォックスだ!
どうやらフォックスが青年の注意を引いたスキに、トラが思いきりドアを蹴飛ばしたらしい。それにしてもやりすぎだ。
「ちょっと力が入りすぎたな。あんなに飛んでくなんて思わなかったぜ。助けに行った方がいいかな」
「お前は人が良すぎるんだよ。あんなに元気に叫んでんじゃねえか。アイシャアイシャってよ。お前はお呼びじゃねえとさ」
ずぶ濡れのトラ。
ずぶ濡れのフォックス。
「アイシャ―――! アイシャ―――!」
がらんごろん。
土手の下から叫びまくるサンドイッチマン。




