第2話 「サウスキティ」
10年後―――
忌まわしい「長靴事件」から10年後。
少年はどうしているだろうか。
街は噂で持ちきりだった。
ある放火犯のうわさで。
※ ※
「聞いたか、バーベキューファイアが出たって」
ざわ。
「放火魔だろ」
がや、がや。
「やだ怖い、放火魔バーベキューがこの町に?」
キャッ、キャッ。
「いや、それが狙うのは悪党だけだそうだ」
ははは。
「世直しバーベキューってわけだ」
ざわざわ。
「下らねぇ、ただの放火魔さ」
この町はいま、連続放火魔『バーベキューファイア』の噂で持ちきりのようだ。
正体も目的も手口も不明の、広域放火犯である。
バーベキューファイアの名はマスコミが付けたものだ。
これは食中毒事件で、小中学生を含む3名の死者を出したファミレスチェーン「バーベキューキッチン」の本店、支店、あわせて14件を全焼させた事件にちなむ。
ほかにも企業犯罪に対する制裁……と言わんばかりの放火被害にあった組織は、公・民あわせて100社を超える。
このことから怨恨説、世直し説などが新聞各紙で取り上げられているのだ。
こともあろうにネット上では、バーベキューファイアを英雄視する書きこみもある。
その第一級放火犯が、田舎町サウスキティに潜伏しているらしいとあって、この町ではバーベキューの話題が出ない日はない。
――――――この町。
このサウスキティ市は、幅の広い川によって、町全体が南北に分断されている。
川には、100メートル間隔で木造橋がかけられている。
航空写真を見れば、さながらモノサシのように、川に目盛りが付けられているように見えるのだ。
橋々には上流から順に、1番から、422番まで番号が振られている。
橋のたもとに設置された、高さ3メートルほどもある柱には、番号の彫られたプレートが埋めこまれているのだ。
これがなければ、自分が町のどこにいるのか、旅行者にはまったくわからなくなるだろう。
その橋のひとつ。
77番の橋の欄干に、灰色のマントを羽織った女が背もたれて……
「は~~」
深いため息をついていた。
「バーベキューファイア、バーベキューファイア。けっ、どいつもこいつも……」
ああ、うんざり。
「アタシが、そうでございますよ」
誰にも聞こえないように、女がつぶやいた。
黒髪の女。
彼女のマントは、口元が隠れる高さまで襟が立てられ、顔、胸、腹の3か所をベルトで留めてある。
これでは両手が出せない。
転んだらどうするのだ。
(やれやれ、なんでこんなにウワサが広まってるんだか)
(約束の時間まで随分あるから、たまには観光名所を見ようと思ったのに。うっとうしい話が、イヤでも耳に入ってたまらねえ)
それにしても、なんと見事な景色だろう。
上流を見ても下流を見ても、ずーっと橋が並んでいるではないか。
眺めても眺めても、ずうっと、ずぅ~っと…………眠たくなってきた。
うつら、うつら……
ドズン……!
振動。
「?」
膝まであるマントの裾が揺れる。
きょろきょろと周囲を見まわす女。
ドズン……ドズン……
「(気のせいか……?)」
足元に目をやる。
橋が、振動している?
ドズン……!
グラ……ぐら……
気のせいではない。
遠くから地響きが聞こえる。
いや、近づいてくる。
グラグラと揺れる橋。
ドズン、ドズン……!
グラ、グラ、グラ……
振動がだんだん大きくなってきた。
街路樹も道路標識も……その場にいる全員が上下するほどの揺れ―――
ドスン、ドスン、ドスン……
「な、なんだ? 地震!?」
橋が崩れてはたまらない。
慌てて女が、揺れつづける橋から離れた。
だが彼女の周囲にいる人間は、みんな平然とした様子だ。
めっちゃ揺れてんのに。
「お、トラだ」
「今日は早いな」
行きかう人々は、にわか雨でも降ってきたくらいの反応だ。ぜんぜん地震に動じていない。
すると――――――
「火の用 ―――――― 心!!」
長靴を履いた男が、絶叫しながら現れた。
「マッチ1本……ゲェホ! ゴホ!」
ズドォオン!
「ハァハ……火っ……事のもと……」
ズドォオン!
息も絶え絶えになっているではないか。
長靴の男……ただの長靴ではない。
レンガで出来た長靴を履いている。
男が、1歩踏み出した。
「火のッ、用――――――心!!」
ズゥゥゥゥン!
地面が揺れる。
長靴男が一歩歩くたび、地響きが起こる。
ズゥ―――ン!
ズ――――――ン!!
まさかこの揺れは、あの男のしわざなのか?
異様な恰好……大きく「火の用心」と書かれたノボリを背負い、肩にかけたタスキには「家内安全 サウスキティ消防組合」と印刷されている。
とんでもないスタイルだ。
なんだ、ありゃあ?
「あっ、トラだ」
「トラ、元気?」
下校中の小学生が2人、その異様な男に近づき声をかけた。
「うるさい、あっちに行きやがれ! 火のもとに気をつけやがれ!」
男が怒鳴りつけるや、子供たちはキャッキャと立ち去って行った。どうやら、おちょくられていたらしい。
※ ※
「な……なんだ、アイツ」
マントの女が、長靴男を眺めてつぶやいた。
こんな変なやつ、いままでに見たことない。
「ん、姉ちゃん知らねえの?」
びくり。
通りがかった中年の男に声をかけられ、女が振り返る。なんだあいつ、と言ったのを聞かれていたらしい。
「長靴に呪われてる男だよ。みんなは長靴を履いたトラって呼んでるけど」
ズシーン!
「はぁ、はぁ、火のッ用――――――心!」
男が、橋に向かって歩みを進める。
ズシーン……!
ズシーン……!