第196話 「B1」
地下。
トラが落ちてきたところは……なんだここは? 真っ白な粉が舞い、周囲がまったく見えない。
「ペッペッ! な、なんじゃ、ここは? あ痛ててて」
尻をさすりながら、ズッシリと起き上がる。口の中にも、正体不明の粉塵が入ってきた。この味は……
「こ、こりゃ塩か? ペッペッ!」
だんだん視界がはっきりしてきた。
天井の大穴に届かんばかりに、塩の30キロ袋がいくつも積まれている。こんな大量の塩を、いったいなんのために?
だが、これがクッションになったおかげで助かったようだ。トラ落下のショックで数十袋が破れ、床は塩の砂場になってしまった。
どうやらここは倉庫らしい。
塩の袋のほかには、なにやらよくわからない機械類が置いてある。だが、いずれも電源は入っていない。とにかく、ここが火の海でなかったことだけは幸いだ。
ふと正面を見ると、わずかに空いたドアから光が漏れている。部屋を舞う塩のパウダーがきらきらと反射し、とてもきれいだ。
いや、待て。
塩なんかどうでもいい。
フォックスは?
フォックスはどこだ?
「トラ」
「ぎゃあ!!」
びくぅ!
おもわず叫んでしまった。声のしたほうに目をやると―――塩袋のタワーに身を隠すフォックスがいた。
「ヒソヒソ。こっちこっち」
「ヒソヒソ! ア、アホ。心臓止める気か! ヒソォ!」
音を立てないよう、すり足で移動するトラ。あんだけ叫んどいていまさら……とにかくフォックスに目立ったケガが無いのを見て、すこし安心した。
「お前、ケガはねえのか? ヒソヒソ。まったく勝手なことしやがって」
「悪かったよ。ヒソヒソ。悪かったよ」
いつになく素直なフォックス。
しおらしいと言うべきか……やはり様子がおかしい。少し震えているようだ。
「なあ。上は? ニニコはどうした、ヒソヒソ」
「そとに逃がしたよ、こうなったからには別行動だ。ヒソヒソ」
「みんな怒ってたか? ヒソヒソ」
「ヒソォ! 当たり前だヒソォ!」
「……それでも来てくれたのか? アタシのためにヒソヒソ」
「ヒソォ! 当たり前だヒソォ!」
塩まみれになって小声でささやき合う。頭から真っ白になったフォックスの小さいことよ。ずいとトラに迫り、真剣な目で訴える。うるんだ目で。
「アタシの籠手が無くなっちまった。ヒソヒソ」
「わかっとるわ、自慢か! ヒソヒソ」
「怖い」
「なん……え?」
「自分でも不思議でしかたねえ。情けねえよ。ヒソヒソ、けどダメだ。籠手が無いと……アタシは怖い」
「な、なに言ってんだ、お前。なんのために苦労してここまできたと思ってんだ、ヒソヒソ。やっと呪いが解けたんじゃねえか、ヒッソ!」
「シーカとルディの気持ちがわかった。ヒソヒソ」
「……ヒソ?」
「あの籠手は……いや " 焼き籠手 " はアタシの一部だ。一部だったんだ。失って初めてわかった。無くすなんて考えらんねえ。怖くて死にそうだ。ヒソヒソ」
「ヒソ。まさか探そうってのか?」
「来てくれて助かったぜ。お前の長靴に、焼き籠手がどこだか聞いてくれねえか。ヒソヒソ」
「イヤだね。殺す気かよ」
とんでもない申し出だ。
フォックスは正気か? にべもなく断るトラ。
「頼むよ。ヒソ、頼む頼む頼むヒソ」
「ダメだ、ダメに決まってんだろ。いいかげんに籠手のことなんざ忘れちまえ」
「あ忘れてたー! すいません!」
ビクゥ!
ビクゥ!!
……いまのはトラでもフォックスでもない。若い女の声だった。どこから聞こえたのだろうか。2人は顔を見合わせ、声のした方向を探る。
薄暗い倉庫内。
まだ塩のにおいが立ちこめる中を、そぅっと、そうっと音を立てないように移動する。
声はまだ続く。
今度は中年の男の声。
「忘れたじゃないよ、ホワイトくん。なんでスマホを置いてきたりするんだ」
……なんの会話だ?
声は倉庫の外から聞こえてくる。トラとフォックスは、扉にへばりついた。どうやら5人いるらしい。通路を移動しながら、なにやら話しているようだ。
そのなかでもよく響く声は……
ビキッ!
トラの顔に血管が浮き出る。
クイックの声だ。
どうやら電話をしているらしい。
「はい、はい。焼き籠手のパーツ発見しました。大変でしたよ、捕獲すんの。はい。いま地下の封印室に向かってます」
フォックスの顔に血管が浮き出る。
焼き籠手のパーツを捕まえた―――?
いったいなにが起こっているのだろうか。
彼らにスポットを移してみよう。
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「忘れたー! すいません!」
「忘れたじゃないよ、ホワイトくん。なんでスマホを置いてきたりするんだ」
20歳くらいの女の子を叱る中年の男。
女の子は……ホワイトと言ったか? 背の高い、モデル体型の美人だ。だらりとぶら下げた彼女の両手は、ベッチョベチョのローションにまみれていた。
「ひぃ~、気持ち悪~」
「じゃあブラックくん、君が総務にかけてくれ」
スーツ姿の中年は、もうひとりの女の子に命じた。ウェーブのかかった髪の、おっとりした雰囲気の女の子。
だが……
「あの、すいません。私もロッカーにスマートホンを置いてきちゃいました」
微笑みながら謝る。
「……もういい。クイックくん。総務部に連絡してくれ」
中年の疲れ果てた声に、クイックは了解っすとスマホを操作する。
「あー、もしもし。はい、はい。焼き籠手のパーツ発見しました。大変でしたよ、捕獲すんの。はい。いま地下の封印室に向かってます」
パーツ確保の連絡を入れるクイックに、女の子2人は熱い視線を送る。クイックもそれに答えるようにウィンクして見せた。
「あー、いえ。確保したのは、えーっと、大学実習生の2人です。いえマジです。ほかの待機要員は、全員消火活動に回してもらって大丈夫です。はい、はい」
ピッ。
ようやく電話を切った。
「わー、ありがとうございます。クイック先輩」
「よかったー! 先輩が今日いてくれて!」
熱狂。
「困るねえクイック君。教育担当官の僕の立場がないじゃないの」
ジロリ、にらむ中年。
「またまた~大目に見てくださいよ、ヒューストン主査。OBの俺の顔を立てさせてくださいよ」
ヘラヘラと笑うクイック。
どうやらクイックと、2人の女の子は同じ大学の先輩後輩らしい。3人に共通する軽い雰囲気よ、まさに類は友を呼ぶだ。
ここには5人の魔王軍がいる。
ひとりはクイック。
その前を歩く2人のインターン生と、スーツ姿の中年男。
さらに、まったく喋ってないがもうひとり。メガネをかけた細身の女がいる。女は小型の金庫を手にしていた。
べっちょべちょに汚れた金庫。しかも、中でなにかが動いているらしい。コンコンと内側から音が聞こえ、そのたび金庫は揺れた。
「クイック、この金庫どんどん熱くなってきてる。それに防火用ジェルが漏れてきて、べちょべちょする」
「あっそ」
メガネ女は、金庫がアツアツであることを訴えた。
どうやら金庫の中に、焼き籠手のパーツは閉じこめられているらしい。防火ジェルでくるんで封入しているらしいが、内部から発する熱のために、湯気まで出ている。
メガネ女も大したもので、厚手のナベつかみを両手にはめているではないか。だが金庫の熱さに、鍋つかみの布地はブスブスと焦げつき始めた。しかもジェルでぐちょぐちょ……
「クイック、この金庫どんどん熱くなってきてる。それに防火用ジェルが漏れてきて、べちょべちょする」
大事なことなので、もう一度伝えるメガネ女。
しかしクイックはそれを無視し、おなじくジェルまみれの女子大生にハンカチを渡した。
「なあ、ホワイトちゃん。このハンカチ使いなよ。べとべとで気持ち悪いだろ」
「わー、いいんですか。ありがとうございます」
「……」
無表情のメガネ女。
「クイック、話がある」
「すいません主査。俺そろそろ3階に行かせてもらっていいスか? バーベキューファイア一味の拘束に行きたいんスよ」
「ダメだよ。君の気持ちはわかるけど、焼き籠手の封印がさきだ。呪いにかからない者には、ひとりでも多くいてほしいからね」
中年男は、クイックの申し出をきびしく却下した。
女子大生……ブラックとホワイトと言ったか? 彼女たちの表情にも緊張が走る。
クイックの答えは―――
「……了解です。すいません」
ぼさぼさと髪をかきつつ、不満げながら承知した。
「……」
無表情のメガネ女。
「クイック、話がある」
「さ、行こう。焼き籠手本体はもう封印を済ませたはずだ。パーツもそこに封印する」
歩き出した中年男。
以下、彼をヒューストン主査と記載する。ヒューストンは、女子大生らに問題を出す。
「さてホワイトくん。鎧の封印に必要な塩の割合は? 覚えているだろうね」
「えーっと……0.3パーセントです。人体の塩分濃度と同じです」
即答。
「よろしい。ではブラックくん。鎧が人間に憑依するために必要な魔力値は?」
「はい。鎧の体積1リットルに対し、必要な魔力値は100ミオです。これを下回る場合、鎧は人間に憑依できません」
即答。
「よろしい、ではホワイトくん。通常の人間の魔力値は? また、アスカの子孫の平均魔力値は?」
「うえ、難しい! えーっとふつうの人の魔力は、だいたい88000ミオです。アスカの子孫は、多くても1200ミオくらいしかないんで、まったく呪いにかからないか、巨大な鎧には呪われません」
即答。
ヒューストンの口元がゆるむ。
「よろしい、よく勉強してるね。研修内容まで忘れてたらどうしようかと思ったよ。ところでクイックくん。キッカくんがさっきから呼んでるよ」
「クイック、話がある」
「……お前ホントにしつこいな。どうした? なによ?」
メンドくさそうにクイックは横に並んだ。前を歩く3人から離れるように、2人は歩くペースを落とす。
女……いや、キッカと記載しよう。
キッカは表情ひとつ崩さず、クイックの顔をまじまじと見た。
「焼き籠手のパーツを捕まえたの、クイックなのに。なんでインターン生に手柄を譲ったりしたの」
ぼそ。
外見に似合わぬ、ハスキーな声のキッカ。
「あの子らマジカワイイしー。優しくすんの当然じゃん?」
「……かわいいけど。かわいいっていうか、オシャレのしすぎ。インターン生なのに自覚に欠けてると思う」
「お前もすりゃいいじゃん。俺の行きつけのサロン紹介してやろうか? ひとり紹介するたびに割引券もらえるんだよねー」
「行かない。クイックの金髪、ぜんぜん似合ってない。チャラい」
「悪かったな」
「なんでインターン生に手柄を譲ったりしたの」
「あの子らマジカワイイしー。優しくすんの当然……何度言わせんだよ」
「ウソ」
「ウソじゃねーよ、勝手に決めんな」
「説明できないけど、ウソだとわかる」
「……」
「ウソ」
会話が終った。
談笑しながら進む3人の後ろを、クイックとキッカは無言で歩く。沈黙を破ったのは、クイック。
「……俺もインターン時代に、モーリス先輩から手柄を譲ってもらったんだよ」
「モーリス? モーリス・レイダー警部? サントラクタで確か……あ、その、ゴメン……」
「俺がマヌケさらしたせいで、モーリス先輩とオスカー主任を死なせちまったんだ。いや、十津川隊そのものを潰滅させちまったんだ」
「……」
「なんでお前にこんなこと話さなきゃなんねーんだ。もう黙ってろ」
「……」
さっきから冷たい態度を取られ続けるキッカ。だが食い下がる。感情の読み取れない無表情、だが、すがりつくように寂しい声で食い下がる。
「クイックはこの任務のあと、どうするの?」
「さあな。先輩たちに土下座でもして、隊に復帰させてもらうか」
「なら国連安保理に来ない? 内閣官房庁より休みも増えるし。いまの部署、アスカの子孫は私しかいない。クイックが来たら2人になる」
「お前とダブルスで仕事なんか冗談じゃねえっつーの。ていうか、アスカアスカうるせえよ。だいたい、俺は好きでこんな体に生まれたんじゃねえし」
「……どうして? 人より強いし、呪いにもかからない。生れつき魔力が無いのは、特別なこと。私はアスカの血を引いて生まれたことを誇りに思ってる」
「400年も前の先祖の話すんじゃねえよ。もう黙ってろ、うぜえ」
「……」
黙れ、と言われてしまった。
キッカは―――
いや、あとにしよう。
5人は通路の一番奥にやってきた。
大金庫の前に。




