第19話 「エンブレム」
「ああああああああああああ……!」
ついに力尽きたトラ。
握力だけで、かろうじて橋にぶら下がっていたが……悲鳴とともに奈落へと消えていった。
そんなことより、橋の上―――
対峙する、シーカとフォックス。
おたがいに構えたまま動かない。フォックスの籠手から吹きあがる炎の球が、ごうごうと空気を焦がす。
ものすごい熱波。
橋の上にぐらぐらと揺れ動く、男女の長い影。
『 “ 焼き籠手 ” 、炎を引っこめろ……だめか、眠っているな』
睨みあいの静寂を破ったのは、シーカの籠手だった。
“ 朽ち灯 ” が、フォックスに……いや、彼女の籠手に語りかける。
『フン……おおかた、限界まで飛びおったな。どうせ足枷もだろうて。バカなやつらだ。いつまで眠ることになるやら……』
朽ち灯の言うとおり、焼き籠手……フォックスの籠手はなにも答えない。
勝手にしゃべって、勝手に納得している。
籠手がだ。
代わりにフォックスがぴくりと反応した。
「ヤキゴテ……この籠手の名前か? いや、そんなこたどうでもいい! 聞いてんのか、黒コゲにすんぞテメエ!」
ギシと歯を軋らせて、フォックスが声を荒げた。
さきに言っておくとハッタリである。実際には、彼女に人を焼く勇気はない。これには彼女の過去のトラウマが関係しているのだが、いまはよそう。
無論、シーカにはそんなことわからない。
じりじりとフォックスの隙をうかがう。
ふたたび膠着状態になる2人。緊迫を破ったのは、また “ 朽ち灯 ” だった。
すっ、とフォックスを指さす朽ち灯。
「!」
身構えるフォックス。
と―――……
『焼き籠手よ――― “ アモロ ” は今、どこにいる?』
「あ……はぁ??」
フォックスが眉をしかめる。
朽ち灯からの、唐突な質問。
意味が分からない。
アモ、ロ―――?
その直後!
『あっち』
グルン……
びし!!
「ンにゃ!!」
どこにいると聞かれるや、フォックスの右腕が肩からぐるりと回転し、籠手が「あっち」と空の彼方を指さした。
ビシッ!!
ゴォウッ!!
「あっ……」
火球が飛んでっちまった!
遠心力で火炎弾がヒュンとすっぽ抜けて、飛んでいく。
ドオオオオオオオオオオオオオン!!
炎は放物線を描いて、100メートル離れたとなりの橋を、ドオンと炎上させた。
爆音―――
ごうごうと炎をまきあげる、となりの橋。
あさっての方角に右手を伸ばすフォックス。
う、腕が勝手に……なんじゃこりゃ!?
「な、なんじゃこりゃ……うわ!」
おどろく間もなく、シーカが一瞬で間合いを詰めてきた!
“ 朽ち灯 ” が “ 焼き籠手 ” の手首を押さえる。
ガシッ!!
「は、はなせ!」
動けない……ビクともしない。
「な、なにしやがったテメエ……」
至近距離にせまる、シーカの顔。
シーカが、ふふんと笑い声をもらす。
「フン…… “ 2回目 ” だろ、その籠手。 “ 紋 ” でわかるよ」
余裕しゃくしゃくの、端正な顔のシーカ。
対してフォックスの顔は、ゆがみに歪む。
「にぎぎぎぎ……」
危機を脱するべく、彼女の脳はフル回転を始めた!
(だ、だめだ。腕力勝負に持ちこまれてる!)
(押さえこまれる、なんとかしねえと)
( “ 紋 ” ……この変なマークか!?)
(2回目……同じ呪いに2度かかると、一層ヘンなことになる??)
(いや、そんな場合じゃねえ。ヤ、ヤバイ……)
『美味そうだ、女……食わせろォォォ』
朽ち灯の掌がボウと光る。毒々しい真っ赤な光。これに触れてしまったら―――
「ひ……」
食うとか言ってる、食うとか言ってる!
冗談じゃない!
ぐぐぐ……押し返そうと、全腕力をこめる。だが、シーカのほうが強い。だんだん力負けしてきた。
「や、やめ……」
とうとう許しを乞う。
しかし……
『ダメだ』
「ダメだ」
朽ち灯とシーカが、ハモる。
シーカの表情の恐ろしいことよ。
穏やかに笑っている。いまにも死にそうなフォックスに、笑みを浮かべているではないか。
『そうら! そうら……!』
顔面スレスレまで迫り来る、死の灯り。
もうすぐ鼻に触れる。
頬に触れる。
死ぬ、死ぬ……!
「ト……ト……」
ついに、フォックスが悲鳴をあげた。
よほど錯乱してしまったのだろう。
あろうことか、もういない男の名を叫ぶ。
「トラああああああああああああ!」
『 下…… 』
ぐるん、ビシ……!
フォックスの右肩が、いや “ 焼き籠手 ” が、彼女の意志に反してグルリと回転した!
ビシィ、と足もとを指さす。
「うわッ! な、なに……!?」
まるで合気道の技のごとく、シーカの左腕をねじりあげた。いきなり形勢が変わる。
「痛ぅ…………!」
たまらず膝をつくシーカ。はじめて苦悶の表情を浮かべた。
う、うごけない。
『な、なにをしている、シーカ! 立て、立たんか。立て!』
突然のピンチに怒る朽ち灯。
「い、いますぐ、オーナー……」
うめき声を漏らしながら、なんとか立ち上がろうと体勢を変えるシーカ。
「はれ……? なにコレ??」
きょとんとしながら、シーカの左手をねじり続けるフォックス。
そのとき、トラの声が響いた。
「テメ……死ぬかと思ったじゃねえか!!」
いつもの、ブチ切れたときの、いまにも飛びかかってきそうな唸り声。
どこから聞こえるのか?
「こ……! どうやって上がるんだコレ!」
トラは、どこにいるのか?
トラは橋の真下……いや真裏にいる。
例えではない。
形容ではない。
本当に、橋の裏側にへばりついている。
2本の足で。
トラは、橋の真裏に貼りついていた。
あろうことか2本の足で、まるで長靴の底に磁石でもついているかのように、
――――――逆さに立っている。
長靴の側面の “ 紋 ” が、光っている。




