第188話 「キャンディポップ」
フォックスの右手が斬られた。
「痛っッッ……ぎゃあ!」
ぶわあ!
いきなりエレベーターから人間が飛び出してきた!
超高温のエレベーター内で、ずっと外の会話からスキをうかがっていたらしい。しかし、なんという姿か。消防士のようなマントを身にまとっている。銀色の、ひざの下まであるマントだ。
その手には剣。エレベーターから躍り出るなり、すさまじい速さでフォックスの腕を切りつけた。
その剣が、次は前後をなぎ払う!
ガンッ!!
台車の手すりがブッた斬られた。
「うわッ!」
「わあ!」
かろうじてトラとハムハムは躱す。いや、驚いて台車から転げ落ちた。助かった。
「ヒョッ!」
たん、とん、とステップを踏んで距離をとるシーカ。危なかった、ギリギリだった。シーカの目の色が変わる。
「(これは……相当な使い手だな。このレベルのがうようよいるんなら、脱出するのは楽じゃないぞ)」
「うあ! こ、こんの……あああ!」
うずくまるフォックス。
どうやら剣は、手の甲をカスっただけだったようだ。血がぱたぱたと床に飛び散る。大したダメージではないはず……だがフォックスの混乱はひどい。
「ああああ! この、このクソ野郎が! ぶっ殺してやる、殺すぞァああああああ!」
……なんだ?
ふだんのフォックスにはありえない反応。いつもの彼女なら、殺すのなんだの言うより早くつかみかかってるはず。
だが今日はちがう。傷を押さえながらギャンギャン吠えるだけ。まさかこの女、怯えている?
いや、そんな場合じゃない。
幅の広い剣をかまえる敵は……なんという姿か。頭からフードをかぶる姿は、まるっきり銀色のテルテル坊主だ。
トラは、フォックスとはじめて会った日のことを思いだした。あの日のフォックスも、厚い化学繊維のマントに身を包んだ姿だった。
(第1章を参照)
ばさ。
謎の剣士がマントを脱ぎはらった。
現れたのは、女だ。
濃い色の肌とボリュームのある黒髪の……女だと思う。顔はゴーグルとガスマスクでわからないが、間違いなく女の体型だ。
そんなことより剣。たしか、ファルシオンとかいう名前の剣。でかい中華包丁みたいな長剣を、女は軽く振りまわす。
ヒュン!
ソード女は、椅子にぐるぐる巻きのマオちゃんに視線を向けた。つづけてニニコに視線を移す。
「魔王様を縛ってるその……ロープみたいのが真っ白闇だな、幼児体型」
しゃべった。
「魔王様を離せ、ほかのヤツは動くなよ。5秒待つ、魔王様を離せ」
「い、イヤよ! ギャー、フォックス!」
叫ぶ幼児体型。
いつものようにフォックスに助けを求めるが……
「コラア! ニニコに近寄んじゃねえ、殺すぞコラァ!」
わめくばかりのフォックス。
『ハハハハ! 美味そうな女だ』
『食わせろぉおお!』
ザアッ!!
朽ち灯がシーカから離れ、ソード女に襲いかかる。
だが女は、お構いなしにニニコに剣を振りかぶった。
「5秒経過、死になロリポップ」
ソード女の背後から、朽ち灯のブロック10枚が迫る。だが女のほうが速い! ニニコの首めがけ、剣が飛ぶ……よりも早く!
「オウラアアアアアアアア!!」
トラが長靴を振りあげた。
一面に敷かれていた絨毯ごと、ぐいと引きずり寄せる。4畳はあろう巨大なマットの上にいたのは、ニニコ、マオちゃん、そしてソード女だ。
「うわ!」
「きゃあ!」
とつぜん足場がスライドし、3人がころんとひっくり返る。マオちゃんを座らせていた椅子はキャスターのため、すごい勢いで横転した。
スッ転んだ女の手から、ガランと剣がこぼれてしまう。
ガラン!
カランカラン!
「ぐあッ! うぐ……け、剣……!」
床に叩きつけられながらも、ソード女は必死に剣を拾おうと手を伸ばす。
だが。
ズドォ!!
ドゴォ!
「こンの、クソが! 死ねババア!!」
ドコッ!
バゴッ!
いまが勝機と、フォックスは女を蹴りまくる。
「オラァ! なんとか! 言ってみろオラァ!!」
ドガッ、ドガッ!
ソード女は最初の4発まで身を丸めてガードしていたが、後頭部を踏みつけられてからは動かなくなった。
「はあ、はあ、はあ。ナアアア!!」
ドガッ。
まだ蹴る。
ドガッ!
まだ蹴る。
「や、やめて! トラ、止めて!」
ニニコは叫ぶ。
「やめろオイ、なに考えてんだ!」
トラが駆け寄ってフォックスを止めた。
「な、なんだってんだ! どうしたんだよ!」
ニニコもトラも、こんなフォックスははじめて見る。まるで、怯えているみたいだ。
「フォックス! ど、どうしたのさ」
床に転がるハムハムも、大声で怒鳴る。
「はぁ、はぁ、な、なんでもねえよ。どうもしてねえよ」
汗。
滝のような汗、なにを興奮しているのかフォックスは。
「ど、どうもしてないって……どうもこうも、エレベーター行っちゃったよ」
ハムハムの言うとおり、エレベーターの扉は閉まっている。階数表示のランプは、地下まで下がっているではないか。
「くそ、あの調子じゃエレベーターは使えそうもねえな。どうする?」
「さすがにウロつくわけにいかないよ。その女の人から脱出ルートを聞くしかないけど……起きそうもないね」
トラとハムハムの言葉に、フォックスが舌打ちする。
「アタシのせいだってのか? 拷問しようが、そのアマは吐きゃしねえよ」
そのアマ。うめき声すら上げずに、ソード女は倒れたままだ。そこに朽ち灯ブロックが集まってきた。
『美味そうだ』
『足から食ってやる』
ザラザラザラザラ。
おそろしいことを言いながら、本当に女の足に纏わりつき始めた。
「く、く、朽ち灯! ヤ、や、めろ」
シーカが怒鳴る。
「魔王が! ヤバ・い!」
魔王、の言葉に全員が身構えた。
「シャロン、助けに来てくれたの? こんな火事のなかを」
マオちゃんが目を覚ましている。
倒れた女を見るなり、悲痛な声を震わせた。いつのまに目を覚ましたのだろう? いや、そんな場合じゃない。
まだ椅子に縛られたままだが、そんなの気休めにもならない。細い体のどこにそんな力があるのか、マオちゃんは両腕を広げていく。ちぎれそうなほど、どんどん触手は引き伸びていくではないか。
「シャロンから離れるんだ、朽ち灯。いますぐ離れて」
ゾッ……!
悪魔のような声。なぜボロボロの女子高生が、こんな威圧感を出せるのか。
じりじりと5人は後ずさる。いや、ニニコは触手でマオちゃんとつながっているために逃げられない。さっさとマオちゃんを離せばいいのだが……力くらべでは勝ち目がない。
綱引きに負けたみたく、ニニコは床に転がされる。左右の足が触手に引っぱられ、大股開きのすごい姿だ。
「は、恥ずかしい! 助けて!」
泣き叫ぶロリポップ……
マオちゃんは許さない。
「これが最後だ朽ち灯。シャロンから離れろ」
朽ち灯の反応は―――
『さて、離れろと言われましても』
『シャロンとは誰ですな?』
『くくく、なんと恐ろしい魔王様』
『お断り致す』
「シャロンから離れろ―――!」
バキン!!
怪力に負け、椅子の背もたれが砕けてしまった。緩んだ触手からマオちゃんは抜け出した。
「朽ち灯―――!!」
激昂。
自由になったマオちゃんが拳を振り上げた。
しかし。
「マオちゃん、おすわり!」
ニニコは新たに2本の触手を伸ばした。青とピンクの触手だ。シュバシュバとマオちゃんに巻きつく―――
青とピンク!?
ブシュウ!
ブシュウウ!
触手から噴き出した2色の霧が、マオちゃんを包みこんだ。
「ぎゃあ、みんな離れろ!」
「ハイドランジアだ、離れろ!」
逃げるフォックス。
ハムハムを引きずってトラも逃げる。
「足を持たないで、痛ででで!」
引き回しの刑のハムハム。
「ハ・ハ・ハ・ハイド……!?」
さすがのシーカも、血相変えて逃げだした。
ハイドランジア。
軍艦でニニコが吸収した麻薬だ。なんてことを……
ニニコは叫ぶ。
「なぜなのマオちゃん! どうして暴力に訴えることしか出来ないの!?」
どの口が言うのか。
2秒、15秒、30秒、だんだんと麻薬の霧が晴れてきた。ほかの4人は数メートルも避難している。マオちゃんの周囲にいるのは、ニニコと瀕死のソード女だけだ。
肝心のマオちゃんは、仁王立ちのまま動かない。
いや動いた。
ギギギ、と首だけが振りかえりニニコを睨む。その顔はまるで―――
恋する乙女のようだ。




