第148話 「プリーズ モバイル」
さて―――何から書くべきだろうか。
ひとまず現在の状況から書くことにしよう。
ルディの死が午前5時24分。
その際、オスカー隊員からパムズ製粉に向かうよう伝えられたはずだ。
フォックス、トラ、ハムハム、ステフはパムズ製粉に向かったであろうか。
向かってるわきゃねえだろ。
※ ※
午後17時41分。
「お願い、電話を……電話を貸して!」
ステフは叫ぶ。
「やかましい娘じゃわい……! 大人しゅうせいと言うに」
老人のためいき。
ここは……どこだろうか。
市の中心部から少し外れた、難民キャンプのひとつだ。星湾センタービルから60ブロックも外れた場所にある。
そこには数百人の難民たちがテント生活を送っているが……そのひとつ、8畳ほどの広さに、ベッドが4台並んでいる。
そのひとつにステフは寝かされていた。
他の3つのベッドには、誰もいない。
右足は銃創2か所を縫われ固定されている。そのうえ足首の骨折も判明、ギプスをはめられた。
ボロボロだった修道服ではなく、無地のTシャツを着ていた。下はなにも履いていない。
そして少女のように泣きじゃくっている。
「電話、電話貸してえ……」
「バカぬかせ、さあこれで終わったぞ」
白衣を着た老人は、ステフの検温を終えて立ちあがった。
大変、不機嫌そうに。
「フン! まったく近ごろの若いもんは、けしからんわい。こんな被災地で飲んだくれて、ケンカ騒ぎ起こして朝帰りとはな。ゴースト神父さまの弟子どもでなければ、治療なんぞせんかったわい」
「待って! 電話……電話を……!」
ステフの懇願もむなしく、老医師はテントを出て行ってしまった。
「トラブリック! トラブリック、どこ……フォックス! なんでいないのよ、あああ……」
ステフの叫びが、テントの外にまで響く。
だがトラもフォックスも、ハムハムも、ここにはいない。彼女を助けには来ない。
「神父さま、神父さまあ……」
もちろん、神父も来ない。
先ほどまで……と言っても4時間前くらいだが、トラもフォックスもハムハムも、この難民キャンプにいた。
ステフと同じテントで、老医師の治療を受けていたのだ。
だが今、彼らはいない。
ステフが骨折の処置をされている間、簡単な麻酔を打たれた。意識混濁を起こすような強い薬ではなかったが、ステフはよほど疲れていたのだろう。1時間半ほど昏睡状態となり、目が覚めたとき、ほかの3つのベッドはもう空だった。
なにがどうなっているのか?
時系列で説明する。
さかのぼること数時間前……
※ ※
午前5時49分。
駅。
トラは、難民キャンプの共同公衆回線に電話をかけた。テント村の中心にある公衆電話だが、いまは難民たちに管理されている。
「もしもし? あ、すいません俺です、トラブリックです。いや、誰って。ルディ神父のとこのバイトっすよ。そっちはどなた……てめえかよジジイ!」
むこうは公衆電話なので、誰が出るかはわからない。悪いことに、パッパカトルトレ・ニャンニャンさんが電話に出たらしい。
覚えてる?
第110話 「ディグアウター」に出てきた、フライパンおじさんである。
「なにがこんな時間にだ! ジジイども毎朝3時には起きてやがんだろうが! 待て、いいから聞いてくれ。キャンプに、ワンボックスのバンで生活してる人いたろ。港区の星湾センタービル……いや、その近くのベイライト駅まで迎えに来てくれ」
スマホに早口でまくしたてるトラ。
「いいか、ルディは死……いや、ルディ神父が一時帰国することになったんだ。で、俺たちは空港までトレーラーで送って行ったんだよ。その帰りに武装強盗に襲われて、大ケガしちまったんだ」
ウソ。
本当にトラは、ウソが上手くなった。
「頼むよ、迎えに来てくれ。トレーラーも奪われて身動きがとれねえんだ。そ、そうか! いや、助かるよ。なるべく早く頼む」
午前5時51分、通話終了。
もはや体力のすべてを使い果たした4人。全員、重症―――いま彼らがいるのは、トラが言ったように星湾ビルの最寄り駅だ。
痛みに気を失ったハムハム。
抜け殻のようになったステフ。
フォックスは……ようやくありつけた煙草をプカプカとふかし、ご満悦だ。
駅と書いたが、内戦で電車の運行はストップしている。その構内にあるコンビニも、閉鎖中に何者かが盗みに入ったらしい。商品はほとんどが持ち去られていた。
これ幸いと、フォックスも遠慮なく店内を物色。
かろうじて盗みを免れていたジャージに着替えたのが3分前。
……窃盗。
被災地での窃盗。
お忘れにならないでほしい、フォックスはこういう女である。
いや、いつもと違う点がひとつ。
やたらトラに優しい。
「トラ、まだ飲めそうなジュースあったぞ。冷えてねーけど飲んどけよ」
コンビニ袋から缶を取り出し、手渡した。
びっくりするトラ……
「あ、ど、どうも。あれオーナー、いつ着替えたんです? たぶんあと30分くらいで迎え来ますよ」
「ちーがーうだろ、アタシのことはオーナーじゃなくて! フォックスって呼べ。敬語もやめろ!」
騒がしい2人と対照的に、ステフとハムハムは静寂だ。ハムハムは前述のとおり、痛みに気を失ってダンボールの上に寝かされている。
ステフは……体育すわりをしたまま、ピクリとも動かない。
「ステフ、着替え盗んできてやったぞ。ダッセえTシャツとスウェットだけどな。おいって……ダメか。まーだ放心状態だな」
フォックスはステフの手に、強引にコンビニ袋をにぎらせ……ふたたび煙草をふかし始めた。
ぷかぷか。
ぷかぷか。
※ ※
午前6時30分。
駅にバンがやってきた。
運転してきたのは……まあ名前はどうでもいい。難民の老人のひとりである。老人はルディ使節団のピンチと聞くなり、飛んできてくれた。
彼はトラ達の有様を見るなり驚き、4人を乗せて難民キャンプに引き返してくれた。大急ぎで。
※ ※
午前7時04分。
難民キャンプに到着。
なにがあったんだ、神父さまは!? と大勢が質問攻めにしてきた。当然である。
直後、フォックスが「医者かナースの免許持ってるやつ以外消えろ」と恫喝。みんないなくなった。
6000人の難民のなかに、医師免許をもつ者は3人いた。難民たちが貴重な消毒薬や包帯を提供してくれたのは、ひとえにルディの人徳があったればこそだろう。
午前7時10分。
不衛生極まるが、雑菌だらけであろう診療所テントの中で、全員の治療が開始された。
※ ※
午前11時。
処置完了。
トラ、局部麻酔。
全身6か所を縫合。右手橈骨の不全骨折を固定。
フォックス、局部麻酔。
両腕2か所を縫合。
ハムハム、局部麻酔。
右足の不全骨折部位を固定。ならびに全身の凍傷を処置。
ステフ、全身麻酔。
右足の銃創2か所を縫合。ならびに脛骨、腓骨、膝蓋骨の骨折を処置。
なお感染症を防ぐため、全員に抗生物質を投与。
※ ※
午後12時40分。
トラ、フォックス、ハムハム昼食。
※ ※
午後15時00分。
トラ、フォックス、ハムハム失踪。
※ ※
午後17時37分。
ステフ、昏睡状態から覚醒。
トラ達の失踪を聞かされる。
※ ※
午後17時41分。
「お願い、電話を……電話を貸して!」
ステフは叫ぶ。




