第145話 「ブレイブ」
カシャン、カシャン。
パリン、パリン。
ルディは……いや、穢卑面に乗っ取られたルディの体は、ガラスの山をすべりおりて歩き出した。
だが1歩目でつまづく。
『ケケケ、おっと! 危ない危ない』
膝をついてしまった。
『なかなか人間の体というのは操りにくいな。しばらく練習がいるわ』
「動くんじゃねえ、化け物。そのままじっとしてろ」
バルコニーからフォックスが命じる。
きわめて冷たい声で。
「ルディは死んじまったのか? ってことは、死体を動かしてんのかよ。お前らアイテムの隠し芸にはもうウンザリだぜ」
のろのろと立ちあがるルディの体。
……以下、本当に不本意であるが「ルディの体」を穢卑面と記載する。
立ちあがる穢卑面。
強い口調で命じるフォックス。
「おい、動くなってんだろ。火葬すんぞテメエ」
ボンッ!!
籠手に収束する巨大な炎が、穢卑面に向けられる。
向けられた、のだが―――
「や、やめてぇ!」
ステフがつかみかかった。
引き倒されそうになるフォックス。その右手から炎が消えた。
「な! なにしやがるテメエ! 遊んでる場合じゃねえぞ!」
「お、お願いだから神父さまを焼かないで! お願いだから……!」
半狂乱。
大人の女とは思えない取り乱しよう……錯乱と言ったほうがいい。フォックスの修道服をつかみ、幼児のように泣きじゃくる。
「やめてえ! やめてえ!」
「……バカが!」
苦虫をかみつぶすようなフォックスの顔。ルディを燃やすわけねえだろうが!
「バカが……放せ! ルディを燃やすわけねえだろうが!」
『そうだぞステフ。ルディを殺せば、我と咲き銛が解放されてしまうではないか』
2階の女どもを笑う穢卑面。
『フォックスがそんなリスクを負うはずあるまい。落ちつけ落ちつけ。ケケケ……おっと!』
笑いすぎたのか、ふらりとバランスを崩し、しりもちをつく穢卑面。
『ケケ……やはりだめだな。まだ歩くには練習不足だ。さ、手を貸してくれ。勇者』
勇者―――
勇者!?!?
―――勇者が現れた。
「あ、いたいた。叫び声が聞こえたから来てみたら……どうなってるんです?」
暗闇から、血まみれのシルフィードが現れた。
全身、上から下まで真っ赤……ものすごい死臭をまといながら、ゆっくりと歩いてきたではないか。
2階をにらむ―――
恐ろしい声をもらすフォックス。
「……ぶっ殺してやる」
恐ろしい声。
ボゥォオオオオオオ……!!
籠手から噴き出す炎が、ギュルギュルと回転しはじめた。電ノコの刃のごとく、籠手のうえで火の粉をふりまく。
炎の車輪―――
つかみかかるステフ。
「やめろ! 神父さまも死んじゃう! やめろ!」
泣き叫ぶ。
「殺さないで、殺さないで!」
「うるせえ! なんなんだよ、マジでよ!」
本気ムカつくフォックス。
でも、でも、でも、ステフの必死の願いを受けて、炎を消した。
フォックスの右手に宿った炎が、どんどん小さくなり……フッと消えた。
過去、フォックスが頼まれて放火をやめたことなどなかった。
それも一晩に2度も。
シルフィードは、極大回転炎を見てもまったく動じなかった。
「フォックス……! 会えてよかった。僕の、愛しいフォックス」
やはりその腕には剣がない。血だらけのジャケットから、ぼたぼたと血が落ちる……
いま、なんと?
勇者シルフィードは……微笑んでいる。うつろな目で2階をぼんやりと眺め、フォックスに愛しいとか言い出した。
そしてそのまま穢卑面に視線をうつす。
「神父は死んじゃったんですか? お悔やみを申し上げます。ええと……いまは咲き銛さんですか? 穢卑面さんですか?」
『ケケケ、我は穢卑面だ。咲き銛は眠りについた。ルディと一緒に仲良くな。ケケケ!』
冒涜とまらない穢卑面。
「死んでない! 死んでない!」
ステフが泣きじゃくる。
「アンタ誰よ! ああああ!」
穢卑面は……ステフなんか無視。けらけらとシルフィードに軽口をたたく。
『ずっと見ていたぞ、1階のロビーをな。ケッケッケ』
「見られてたんですか? まいったな」
ぼんやりと答えるシルフィード。
『軍隊をどうしたものかと思っていたのだが、おかげで助かったわ。見事だな。一瞬で兵士30人を皆殺しとはな』
うれしそうな穢卑面。
なにが嬉しい!?
「嬉しそうですね。僕はこんなに胸が痛いのに」
胸を痛めるシルフィード。とてもそんな風には見えないが。
……本当に、押し問答していた軍人らは皆殺しにされたのだろうか。シルフィードの返り血から見るに、事実らしい。
いったい現場ではどんな凄惨な光景が広がっているのか。
割って入るフォックス。
「おい、漫才してんじゃねえよ。こっち見ろ」
冷酷な声。
かつて、ここまでフォックスが静かに怒ったことはない。
「殺したのか軍隊連中を。アタシの趣味じゃないね、ド素人が」
「なんなの……殺したってなによ」
もう吐きそうなステフ。
「あれ誰よぉ」
「漫才はヤダって言ったろステフ。聞きたくねえんなら耳ふさいでろ」
「好きだよフォックス。あ、いや……本名で呼んでもいいかな? 好きだよ、僕のフゥ」
シルフィードから、いきなりの愛の告白。
目を潤ませ、その手をバルコニーに向けた。血まみれの手を。まるでロマンス劇のように。
なぜ、フォックスの本当の名を知っているのだろう……オスカー達から聞かされていたに違いあるまい。
その名で呼んでいいのは、死んだマリィだけ。
「フゥ」と呼んでいいのはマリィだけ。
告白を受けたフゥ……いやフォックスは、完全にキレた。
「腸が煮える感覚って知ってるか? いま教えてやるよ……死にやがれ」
恐ろしい声。
殺意に満ちた声。
死にやがれと言われ、シルフィードはまた微笑む。
「そう……死ぬ。僕を倒せるのは、この世でキミくらいのもんだ。だから好きだよ」
ふたたび甘いセリフ。
おぞましいセリフ。
「ずっと探していたんだ、魔法使いを。いっしょに旅をする魔法使いを……」
うっとり。
うっとり……
「鎧に呪われた女の子と……世界を旅しながら愛し合いたい。僕の冒険についておいでよ」
……かつて、ここまでのアホが登場したことがあっただろうか。
真の真の真のアホ。
「冒険の前に精神鑑定してもらえ。問診票に、私はアホですって書くのを忘れんなよ」
顔中に殺意をにじませて答えるフォックス。
「どうしてそんなことを言うんだい。やさしい言葉をかけてほしいよ」
シルフィードが悲しそうに訴える。
そして聞いてもないのに語る、語る。
「僕は16歳で鎧に呪われたんだ。当時、僕の国では異世界転生っていうジャンルの小説が流行っててね……」
「主人公が魔法世界に生まれ変わるんだ、現世の記憶を持ったまま。僕は憧れたよ。いつも空想していたんだ、僕も魔法の世界に行きたいって」
「バカげてると思うだろ? でもそんな幻想世界の産物みたいなものが、この世界に本当に存在したんだ。鎧だよ、ファンタジーは本当にあったんだ」
「だから、僕を愛してくれるエルフや、僕を愛してくれる魔法使いや、僕を愛してくれるお姫様もいるはずだ。絶対にいる」
「その通り、いた。僕と同じく鎧に呪われてる君は、魔法使いだよ。君は、僕を愛してくれるはずだ。出会いは最悪でも、なんの脈絡もなく唐突に僕を好きになってくれるに決まってる。昔読んだ異世界転生の作品でもそうだったし」
「そうだ。その作品の洞窟探検で、こんな謎かけの詩が出てくるんだ。えーっと、なんだったかな……思い出した」
「大きなアダムと小さなイブは、おとなりどうし。生まれたオズは一人っ子」
「オズとオズは、まぐわって、2合目に行った」
「オズとオズとオズは、まぐわって、3合目に行った」
「オズとオズとオズとオズは、まぐわって、3合目にとどまった」
「オズとオズとオズとオズとオズは、まぐわって、4合目に行った」
「ふしぎな詩だろう? オズは一人っ子のはずなのに、何度も詩のなかに出てくるんだ。それに同一人物どうしでセックスするって意味がわからない」
「それにオズ4人でヤったときだけ、3合目に留まるんだ。それまで順当に上へ上へと登って行ったのに。このときだけ法則がちがうんだよ。不思議だろ?」
「この詩には、ちゃんとした答えがあるらしい。アダム、イブ、オズの3者は何者かというマザーグースなんだ。魔法使いのフォックスなら、答えがわかるかな」
……聞いてるだけで頭が痛くなってくるようなセリフ。
ひと息に、機関銃のごとくまくし立てたシルフィードの満足そうな顔はどうだ。
フォックスの怒りは、それはそれは……すさまじかった。
「それ以上言うな。唇が腐る……!!」
籠手が、バチバチと火花を発している。
ほんの数時間前に、こいつとキスしたことを思いだす。吐き気をもよおすような、忌まわしい記憶。
「おえっ……吐きそう」
※ ※
フォックスが吐きそうになっている、その最中。
14階では―――
※ ※
「ハムハム、生きてるか?」
「う、うん。でも神父さまが……」
メチャクチャだったオフィスは、爆発でいよいよメッチャクチャになってしまった。なんとか立ち上がろうと、トラとハムハムはもがく。
撃たれた足を引きずりながら、窓へ匍匐前進する2人。散乱するガラス片などお構いなし。
立てた肘に、腹に、ガラスが刺さる。
凍結した床に、体温が奪われていく。
意識が遠のく―――
それがどうした!
「い、行かなくちゃ……神父さまを……!」
「くそ……この世が終わったほうがマシだぜ……!」
ジャリ、ジャリ、ジャリ。
死にそうになりながらも、窓へと向かうトラとハムハム。
そして窓から離れること30メートル。
散乱するガレキの下で、同じく死にそうな声がする。トラに腹を蹴り飛ばされた、サモンの声。
「全、滅……状況C77……パッケージ6番、9番、げ、現在地……11番、転落……状況、C77……」
ガレキに下半身をうずめたサモン。半生き埋めの彼の手には、スマートホン。どこに通話をしているのだろうか。
「C77……およびC81……お……お願いです……どうか、仇を……」




