第144話 「ダイ」
「ルディ……!」
「神父さま!!」
フォックスとステフは確かに見た。流星群のようなガラスの雨の中を落ちていく、ルディの姿を。
ザアアアアアアア……
やがてガラス雨が止み、ふたたび2階は静寂に包まれる。
カシャン、カシャン―――
2階のバルコニーは、降りそそいだ破片でガラスだらけだ。
「し、神父さま! 神父さま……」
「ま、待て!」
片足を引きずって進むステフ。その表情は焦燥に満ちている。見間違いであってくれと願う、必死の顔。
「ウソでしょ。うそよね、うそよね」
「あぶねえ、つかまれバカ! こ、こりゃヤベえぞ」
フォックスに介助され、ステフはバルコニーの手すりにたどり着いた。体を乗り出し、下を覗きこむが―――
「どこ!? ねえ、見えないわよ!」
階下は真っ暗だ。
おそらく駐車場であろう真下は、5メートルも離れてはいまい。だが、なにも見えない。
「神父さま! 神父さまぁ―――!」
ステフの叫びもむなしく、声はビル群に反響した。
「チィ……! 上じゃどうなってんだ!?」
上階を見上げるフォックスが舌打ちする。まちがいなく14階でなにかあったはず。だがビルの高層は、なにごともなかったかのように、暗くそびえるばかりだ。
「くそっ……おいルディ!」
右手を振りあげ、真っ暗闇の地上をにらむ。
ボウッ!!
籠手に炎が灯った。車輪のように回転する炎だ。
「当たっても恨むんじゃねえぞ!」
ブンと階下に放たれた車輪炎は、地面にぶつかるや真っすぐに走り、一直線にアスファルトを燃やす。
まるで炎のレール……カーテンライトが当たるように闇は晴れ、駐車場の様子が露わになった。
「……あ……」
「うそ、だろ……」
2人の絶句、眼下の光景は―――
ガラスの山。
火の光をさんさんと照らすガラス、ガラス、ガラス……そのなかに埋もれるようにルディがいた。
ガラスの布団に寝そべるように、ルディは倒れている。ぴくりとも動かない……背中から伸びる咲き銛の槍は、まるで骨だけになった翼のようだ。
死んだのか?
死んでない、よな?
バルコニーから見下ろすステフは、いまにも気を失いそうだ。意識を保つだけで精一杯。
「……うぁ……」
言葉も出ない。
ステフにもフォックスにも聞こえていなかったが、このときアイテムたちは深刻な会話を交わしていた。
絶望的な会話を。
……
…………
………………
『ルディ神父。起きてください、返事をしてください……』
咲き銛の、かつてないほど弱々しい声。
ルディは動かない。
『神父さま……神父。ゴースト神父! 立ってください、ルドルフ・ゴースト。どうした、ここでおしまいかルドルフ? 立ちあがれ、立ちあがれ! お願いです、立ってください神父……』
『ケケケ、無駄だ。もう遅い。ルディは死におったぞ、ケケケ!』
笑う穢卑面。
せいせいした、とでも言わんばかりの口調。
『ケケケケ。脳波が完全に停止しておる、ケケケ』
咲き銛は―――無視。
必死にルディに語りかける。
『爆風も落下の衝撃も、私が槍をのばして緩和しましたよ。あなたは私がいないと、なにも出来ませんからね』
泣きそうな声の咲き銛。
『私だってそうです。あなたがいなければ何もできない、なにも……』
『ケケケ、ケケ……待て、ちょっと待て。おかしいぞ』
穢卑面がなにかに気づく。
恐ろしい異常事態に。
『なぜ、我らはまだルディから解放されんのだ? 死ねば呪いは解けるはずなのに、なぜ……』
『神父さま。あなたが死んだら、教会はどうなるのです。信徒のみなさんに、なんと申し開きされる気ですか。シスターたちはどうなります。ゼルフ教区長さまに、なんと言い訳する気ですか』
『ケケ、ケ……? どうなっている……ルディの脳波はたしかに感じられん。大脳、小脳、脳幹、すべて停止している……なのに心臓と肺は動いておる。血も流れておる。なのに脳だけは死んでいる。バカな……』
『お願いですルディ神父。たのむルドルフ、死なないでくれ。もう私も、意識を保つのが、限界です―――』
『ケケケケ! ケケケケ!! そういうことか咲き銛。お前がルディの心肺機能を代替しているのか! 器用なことを、ケケケ。無理をするな、このまま死なせてやれ咲き銛』
『だ、まれ。だまれ……私はまだルディ神父に……神父はまだ、死んでいない……』
『死んでいる、脳の死だ。すなわちルディの死だ。それとも咲き銛よ、このさきずっと生命維持装置の代わりをする気か? 眠りにつくことになるぞ。そうなったらルディの体は、我の意のままだ』
『ふざ、けるな……そんなことは……』
『だろう? だから咲き銛、そのままルディを死なせてやれ』
『だまれ……わ、私は、ルディ神父と……』
『そうか、好きにしろ。ケケケケ!』
『ぐ……ス、ステフ! ステフ!!』
咲き銛が叫ぶ。
最後の、最後の、最後の叫び。
『ステェエエエエエエエエエエエフ!! 聞こえますかステェフ!』
バルコニーから見下ろすステフとフォックスが、息をのむ。答えを返したのはステフではない。
フォックスが声をはりあげる。
「咲き銛! ルディは!? 無事なのか!?」
『フォックス……! いいえ……ヤバいです……』
「……!」
「……マジかよ」
絶句。
いつもの咲き銛とはちがう。いつもの、憎らしいほどの余裕はまったくない。
「さ、咲き銛!」
ようやくステフが声をふりしぼる。
「し……死んでないよね。神父さま、無事なのよね?」
希望、絶望―――
『……よく聞いてください。 " アモロ " を探してください。鎧のひとつです、アモロを……アモロならば、この状況を変えられるはず』
希望、絶望―――
『お、お願いですフォックス。ステフを助けてください。ルディ神父を助けてください。700万ナラーの報酬は倍にしましょう。あなたがいつか、自由になることを祈っています』
希望―――
「いや……やめてよ咲き銛、やめて」
「おい、どういうことだ! ルディはどういう状況なんだよ!」
絶望―――
『も、もう話していられません。き……聞いてください。アモロの能力についてです。アモロは……3つの……』
徐々に小さくなる咲き銛の言葉。アモロの秘密について伝える……
ことはできなかった。
『ケケケケ!! ここだァ―――!! ここだあ!!』
恐ろしい大音響!!
穢卑面が叫ぶ。敷きつめられたガラスが震える。照らす炎が揺れる!
『ここだここだ、ここだ―――!!』
かき消される咲き銛の言葉。
バルコニーから2人の女が叫ぶ。
「な、なんだ? この声……!!」
耳をふさぐフォックス。
泣き叫ぶステフ。
「穢卑面ぇ!! てめえ黙れ! 咲き銛の声が聞こえ……黙れ、黙れぇ!」
泣き叫ぶ。
「お前のせいで……お前が……やめてよぉ……!」
女たちの叫び。
それすらも吹き飛ばすような、穢卑面の咆哮。
『ケケケーケケ!! ここだああああああ!』
『くそ……穢卑面……ちくしょう……』
咲き銛の最後の言葉も届かなかった。
―――神には届いたのだろうか?
『天に、まします、我らの神よ……なにとぞ、ルドルフ・ゴーストが負うべき裁きは、私に……』
『神よ……』
穢卑面の絶叫がやんだ。
そして。
ガシャ。
カシャカシャン。
ザシュ。
ルディが立ちあがった。
ガラスの山を踏みしめ、よろよろと立ちあがった。
ザシュ。
ザシュ。
「あ……あ……し、神父さま……?」
希望を託すように、ステフが声を投げかける。
「しんぷ、さま?」
立ちあがったルディを見下ろすステフ。その表情が希望に、そして絶望に染まる。足の痛みなどもう感じない。こんなに神に祈ったことはない。
神さま、彼はルディ・ゴーストですよね―――
フォックスの顔は、絶望に染まった。
「……化け物が」
立ちあがったのはルディではない。
いや、人間ではない。
ドクロの仮面の目を光らせて、バルコニーの2人を見上げた。青白い、炎のような目で。
『ケッケッケ。ケッケッケ……いい夜だな、ケッケッケ』




