第134話 「グレネード」
『生きているぞ! 全員聞け、ステファニーは生きているぞ!』
穢卑面が叫ぶ。
全員が固まった。
仮面だけが絶叫する。
『おのれ……マズい、マズいぞ。2階のフロアを動き回っておる。待て、なにをしているのか……電話だ! 電話を探しておる! なにをする気か知らんが、いますぐやめさせろ! 誰か行って、とどめをさしてこい!』
すっかり司令官気取りの穢卑面。
誰も動かない。
隊員たちがざわざわと、穢卑面に言い放つ。
「あとにしろ。それどころじゃねえよ」
「そんな大事なこと、わざわざ敵に聞かせるかね……」
手榴弾を突き出したまま、フォックスは笑う。
「あっはっは、口の軽い仮面だぜ。おいてめえら、アタシに近づくんじゃねえぞ。このまま籠手が火を吹きゃ、ドカンといくぜ」
ぴく、と動くたびに血が吹きだすフォックスの傷。左右の腕は、すさまじい赤色に染まっている。
こんな状態の、ましてや指名手配犯に爆弾を突きつけられたら平気なはずはない。
普通の人間なら。
オスカー隊はどうやら、ふつうの集団ではないようだ。
「だからなんだ? 死にたきゃ死ね」
「調子乗ってんじゃねえよ。カミカゼ攻撃の予告だ? 笑かすな」
「許さねえ、死刑だクソアマ」
ひるまない。
男たちは怯まない。
眼光鋭くにらむオスカー隊の前で、またも笑ってみせるフォックス。本当に死ぬ気なのか?
「誰からでもいいから、そろそろかかってこいよ。アタシはにらめっこが大嫌いなんだ」
と―――咲き銛。
『フォックス、お願いです。ステファニーを助けに行ってください』
懇願。
初めてではあるまいか。
咲き銛がルディ以外の人間に、下手に出るのは。ましてやフォックスに。
フォックスは―――
「イヤだね。なんでアタシがアイテムに使われなきゃなんねーんだ。ステフがくたばろうが知ったことかよ」
拒否。
歯を軋り、申し出を拒否する。
『あなただって、この状況を脱出する方法を考えているのでしょう? そのために時間稼ぎをしているはずです』
説得。
「バラすなアホ! 出来るもんなら、とっくにそうしてるっつーの。おい動くんじゃねえ! 誰かひとりでも近づいてみろ! ドカンといくぜ!」
牽制。
オスカー隊に怒鳴る。
そう。
オスカー隊の面々は、いまにも飛びかかってきそうな顔だ。
にらみあい―――
咲き銛の交渉は続く。
『そこを何とかしてください、お願いします』
「勝手なこと抜かすな! もう黙ってろ!」
『では―――……バーベキューファイア。私の依頼を受けていただけませんか』
「……あ?」
フォックスの表情が変わる。
『地下1階には平和維持軍がいます。いるそうです。まもなく大挙して押し寄せてくるでしょう』
咲き銛は続ける。
『その侵入経路をふさぎ、2階のステファニーを救出して脱出してください。報酬は700万ナラー。いかがですか』
とんでもないこと。
咲き銛が、とんでもないことを言い出した。
笑うフォックス。
「ひ、いひひひ。あっはっはっは……」
状況はなにも変わっていない。
だが修道服の放火魔は変わった。
「あっはっは。さすがに1600年も長生きしてると、違いますねえ。人間の使い方をよく知っておいでですよ、咲き銛の旦那」
完全にビジネスモード……いや、ピンチであることすら楽しんでいる。
「ステフ嬢の救出と、退路の確保ね。しめて700万。現金で頼みますよ、オーナー」
笑う。
「おい、聞いてるかハムハム。テンカウントだ。作戦通り行くぞ。テーン、ナーイン……」
カウント。
カウントが始まる。
ざわっ!
オスカー隊に緊張が走った。
さすがに迂闊に動くような者はいないが、全員が周囲を警戒する。
ハムハムは?
ハムハムがいない……
「エーイト。なあ、お前ら。この手榴弾の……接着剤を剥がしてえんだけどよ。ベンジンかトルエン持ってたら貸してくんねえか?」
フォックスの口調は、楽しそう。
男たちをにらみ籠手を……いや、手榴弾を突き出したままだ。
オスカー隊の視線が泳ぐ。
ハムハムがいない。
……すっかり忘れてた。ハムハムは? ハムハムがいない!!
「……!」
「いねえ……!」
どこだ、どこにいる?
明らかにバーベキューファイアは、ハムハムと会話している。
ハムハムはどこに。
バーベキューファイアの足もと……机のかげに隠れているのか?
それともハッタリ……
「セーブン。無視かよアホども。そう来ると思って、勝手に拝借したぜ。シーックス! お前らみたいなプロの銃オタなら、絶対持ち歩いてると思ったよ」
フォックスはオスカー隊をにらみ……なにかを借りたとか言いだした。
そして、だらりと右腕を降ろした。
机のかげに手榴弾は隠れてしまう。
「おい……おい! なにしてんだ手ェ見せろ、隠してんじゃねえ!」
「よせスコット、こいつの話に合わせるな。ハムハムを探せ」
「バーベキューファイアの足もとだよ。気配がする、耳をすませてみろ」
……どういう知覚をしているのか。
オスカー隊員らは、即座に見抜いた。
ハムハムは、机のかげにいる。
フォックスの足元に。
「茶番だな。出て来いよハムハム」
「ふざけやがって、痛い目にあわせてやるぜ」
吐き捨てる男たち。
「たまげたぜ、まだ脅しが聞くと思ってんのかアホども……痛い痛い!」
フォックスの顔から笑みが消える。じつに痛そうな顔。歯をむいて足もとに怒鳴りだした。
「おい、そんなに引っぱんじゃねえよ! まだ外れねえのか、肩にひびくんだよ!」
だれかに……どうせハムハムだろうが、右手を引っぱられているらしい。肝心の籠手は机のうしろ。なにをしているのかわからない。
だが嫌な予感がする。
オスカー隊は、いまにも飛びかかってきそうな顔だ。
「先輩、もう殺しましょうよ。時間の無駄ですよ」
「だめだ。あの位置で爆発されたら、ハムハムも死ぬぞ」
「もうそれでよくね? それよか、なんかイヤな予感がするぜ」
「おっと! 近寄んじゃねえぞ!」
じりじりと詰めよる男たちに、フォックスが笑顔で答える。
「さっきの話だけどな、ちょっと使わせてもらったぜ。あれはなんて言うんだっけ、銃のメンテをするオイルは……ガンオイルだっけか? あ、ファーイブ」
……ガンオイル。
拳銃のサビ落とし用の石油溶剤。
もちろん、接着剤を溶かせる―――
「!!!!!!!!」
ずざっ!
オスカー隊が、はじめて後ずさる。
そして……デスクのかげから、バキンと高い音が響いた。
「おっ、外れたか……ぎゃあ! レバーまで取ってどうすんだ、バカ!」
フォックスが叫ぶ。
足もとに向かって。
「やべえ! いいから投げろ、フォースリーツーワンゼロ!」
0.4秒でファイブカウントを終え、サッと身をかがめた。
代わりにハムハムが現れた。
「や、やああ!」
ガタッ!
ハムハムが現れた!
オスカー隊の言ったとおり、机の後ろから。芸がない。
フォックスの代わりにぴょんと飛びだした彼は、意を決した表情で吠えたてた。
「くらえ、うわああ!」
勇ましい!
ぽい。
ハムハムが手榴弾を放り投げた。
「ひ―――!」
投げるやいなや、ハムハムはまた身を隠してしまった。
放物線を描いて飛ぶ手榴弾。ちょっと高すぎる。天井に当たる―――
「クッソァああああ、殺してやるアアアアア」
「離れろ、急げ! 殺してやる!」
「殺してやるぁ! 全員ふせろァ!」
電光石火。
殺してやると絶叫しながら、8人は一瞬で物陰に飛びのいた。
瞬間。
ドオンンン!!
爆発。
圧縮された空気がオフィスを駆け抜ける。
衝撃波は遮蔽物すべてをブッ飛ばし、窓から外へ―――爆煙と無数のコンクリートの粉が舞う。
なにも見えない。
蛍光灯が半分以上吹き飛んだ。
真っ白だ。
真っ暗だ。
ドオオオオオ……
デスクのかげに隠れたフォックスとハムハム。すさまじい空圧に内臓を圧迫されたのか、2人同時に吐いた。
「オエー!」
「オエー!」
あちこちから同じうめき声が聞こえる。あちらのデスクの奥からも、こちらの棚の向こうからも。
「オエー!」
「オエー!」
「オエー!」
……ザアアアアアアア。
雨が降って来た。
オフィスに雨が降る。
いや雨じゃない。
天井の水道管に、穴が空いたようだ。何か所も、何か所も。
ザアアアアアアアアアアアアア!
ザアアアアアアアアアアアアアアアア!
「うおっ!」
「ウワッ! つめてえ……」
ザアアアアアアアア!
水の勢いが増す。
だが視界は明けない、まだ爆炎が舞ったままだ。
部屋中、真っ白な闇のなか―――




