第12話 「アンコール」
フォックスが包丁を研ぎつづける。
それと同じ時刻。
警察署の留置場に、あの組長はいた。
檻のなかの組長。
彼はまだ、どっしりと長靴を履いたままだ。ぶくぶくと太っていた体が、ひとまわりやつれたように見える。
無理もない。
逮捕された日から彼はずっと、冷たい便器に腰かけているのだ。
便器から1歩も身動きできない。
やむなく食事も睡眠も、取り調べもそこで行われるという異様な独房生活を送っている。逮捕前の彼の生活とは、天国と地獄ほどの落差だった。
地獄―――組長の精神状態は、数日前に限界を迎えていた。
「お、おいお前……いや看守さん! あ、あの女は捕まったのか? なあ、なあ……」
今にも泣きだしそうな声で組長が訴える。
いや、すでに本家から破門されているので、彼はもう組長ではない。だがここでは便宜上、組長と記載する。
「うるさいぞ65番! 消灯だ」
ガン!
看守が、鉄格子に警棒を叩きつける。ジロリと檻のなかを一瞥すると、うすら笑いを浮かべた。
そして、さっさと行ってしまう。
沈痛な表情を浮かべ、がっくりと肩を落とす組長。
「で、出ろ。火ィ、出ろ、出てくれ……」
毎日毎晩、自分の右手……いや、籠手にひたすら語りかける。
だが籠手は返事どころか、火花すら発しない。
なぜ?
なぜ……?
バン!
バン!
消灯。
監房が暗闇に包まれた。
「なんで……? ど、どうして? わ、わしが、いったい何を……したと……」
彼は知らない。
あと数時間後に自分が死ぬことなど。
どれほど疲れ果てていたのだろう。
組長はそのまま深い眠りに落ちた。
それを待っていたかのように、籠手と長靴の会話が始まる。
…
……
…………
『足枷。足枷よ、起きているか?』
『もうこの男に憑依するのはウンザリだ』
『我もだ、焼き籠手よ』
『前回の “ 贄 ” はよかった。トラとか言ったかな?』
『我を履いて歩いた人間は、初めてだ』
『男の贄はもういい。それより、女はいいぞ……』
『いいとは? なにがだ』
『この1600年、色んなことがあったぞ』
『さまざまな勇名の宿主を得た』
『炎竜の騎士、民族解放の父、救国の王子……』
『そのいずれも男だった』
『だが、一度でも女の体を味わってみろ』
『だから、いいとは何がだ?』
『みずみずしく、すべるような肌』
『くすぐるような匂い。柔らかい肉……』
『男の体に、あんな柔らかい部位は存在せん』
『男など、臭いだけのスジ肉の塊だ』
『女だ』
『若い女がいい。宿主は女に限る……』
『よくしゃべる籠手だ。人間に染まったな、焼き籠手』
『余計なお世話だ』
『お前は何も変わっておらん。1600年、歩みが無いな』
『余計なお世話だ……』
『では行くか。どっちだ、焼き籠手』
『ちょっと待て。いま探す……』
『見つけた。あっちだ、行こう……』
…………
……
…
あっちだと籠手が言うや、組長の右手が持ち上がる。
びし……!
檻のそとを指さした。
と、ほぼ同時!
ズシン。
ズシン!
長靴が勝手に動きだした!
留置所全体に、振動が轟く。
「……ん、んん? え! え……!」
目を覚ました組長がさけぶ。
だが、事態がまったく理解できない。
ズシン、ズシン……!
「ま、待て……どこへ……」
組長の意志を無視し、ズシンズシンと壁に向かって長靴は進む。
ズシイ!
ギシ、ギシ……
右足が、コンクリートの壁にかかった。
ビシイ!
バキバキ!!!!
亀裂が走る!
ぶ厚い壁が、いまにも砕けそうだ。
ドオオオ!!
ガラ、ガラ……
ズシン、ズシン……
砕けた。
壁をブチ壊し、外へ出た。
ズシン!
ズシン!
脱走―――組長の頭に、石壁の破片がガツガツと降りそそぐ。
「うわ! 痛い、ぐあ、ぎゃあ!」
石の雨を食らう。
流血。
ズシン、ズシン。
ズシン。
ジリリリリリリリリリリリリリリ!
留置場内に、けたたましいベルが鳴り響く。
すぐさま3人の看守たちが駆けつけた。
そして、言葉を失う。
檻のなかは空っぽだった。
壁には大穴があき、足あとが外へと続いているではないか。
「だ、脱走! 脱走だ!」
「いや見ろ! まだあそこにいる! 撃て、射殺しろ!」
穴の向こう。
暗闇のなかに、どんどん遠ざかる組長がかすかに見える。
「撃て! 逃がすな!」
「発砲、発砲しろ!」
バンバンバン!
遠すぎるターゲットを狙い、看守たちはムチャクチャに発砲する。
バンバンバンバン!
「ギャア! ギャ!」
暗闇から悲鳴が聞こえた。
まさか、当たったのか?
バン!
バン!
バンッ!
「ギャ……ぎゃあああ!」
悲鳴と足音が、遠ざかってゆく……
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※※※※※※
場面は変わって、ふたたびトラ宅。
そこは地獄と化していた。
「や、やめてくれ! 落ち着いてくれ……」
命乞いをくりかえすトラ。壁ぎわに追いつめられた彼に、フォックスが包丁を突きつけている。
フォックスは目を血走らせ、ひひひと笑いながら近づいてくるではないか。殺す気満々だ。
なんでこんなことになったのか。
それは2分前のこと。
食事を終え、さあ風呂に入ろうとしたトラ。そのとき、言ってはならないことを言ってしまった。
「いっしょに入る? なーんちゃって♪」
バカである。
瞬間、フォックスのなかで、なにかが切れた。研ぎたてピカピカの包丁をつかみ取り、トラを家じゅう追いまわした。
トラは悲鳴をあげて逃げ出した。
だが床の延長ケーブルに足をひっかけ、テレビに頭をぶつけて悶絶。とうとう部屋の隅に追いこまれたのだ。
「こ、こ、こ、こ、こ殺してやる。私は自由だ。へ、へへ」
「や、や、やめ……ヒィ来るな!」
「ご、50音順に内臓抉り出してやる。胃、延髄、横隔膜、か、か、か……肝、肝……!」
狂気に満ちた表情のフォックスが、包丁を舐めながら近づいてくる。ゾンビ映画より怖い。
その時――――――
ズシン、ズシン。
なにやら地響きが聞こえてきた。
室内が揺れ、壁かけのカレンダーが振り子する。
ズシイィイイン、ズシイイン。
「……?」
「い……?」
音のするほうに目をやる2人。
と―――
ボゴォオオオン!
ガラガラガラ……!!
突然!
ボオンと壁がぶち抜かれ、何者かが室内に入ってきた。
「うおっ!」
「うわっ!」
2人が飛び上がる!
カン、とフォックスの落とした包丁が床で弾んだ。
部屋にブチ入ってきた人物を見て、ふたりはギョッとした。
「あ……!」
「え……!?」
驚いた。
組長ではないか!
「あ……あ……たす、助け……」
トラとフォックスの前に現れた組長。
だが、全身血まみれだ。
首に腹に腕に、体じゅうに銃創が見られる。組長は苦悶の表情を浮かべ、すがるように右手を……籠手を持ち上げた。
次の瞬間。
ボッ!!
メラメラメラメラメラメラ……
一瞬で組長の全身が炎に包まれた。
「ああああアアアアアアあああゝあああああああああああああああああ!」
「ウワッ!」
「うお…!」
とてつもない火炎。
トラもフォックスも後ずさり、両腕で顔をかばう。
なんという熱―――
「アアアアああぁ……ドサ……」
断末魔は即座に途絶え、黒炭と化した組長が崩れ落ちる。
猛烈なにおい……!
同時に、組長の呪いは解けた。
籠手、長靴がバラバラとブロック状になり、ぶわァと室内を舞う。
『足……』
『腕……』
ザアアアアア!
カタカタ、ガチャガチャ!
ガチャガチャ……
ぶつかりあいながら、部屋中をブロックが埋めつくした。
「ギャ――――――!!」
「うわあああああああああああああ!!」
絶叫……
めらめらと火をまとう焼死体。
肉の焼けるにおい。
黒煙。
百個ちかいブロックの群れ―――
ザァアアアアアアアアアアアアア……
ブロック群は二手に分かれ、トラとフォックスに襲いかかった。




