第118話 「ソード」
いきなり店にやって来た男に、勇者が近づいていく。
血のプールを歩くたび、びちゃびちゃと足音が響く。
「君、ヒグマに似てるね……行政書士かい?」
「ま、ちょ、ちょっと待ってくれ……来るんじゃねえ! こ、これアンタが……?」
ヒグマ……いや、大男の情けない声。
血だまりに尻もちをついたまま後ずさる。
「ま、待ってくれ。俺はなにも見てねえ! 俺はただ、待ち合わせにこの店に来ただけなんだ……へ、へっへ……」
顔中、脂汗を流して、なにも見ていないと主張しはじめた。
ウソつけ。
勇者は許さない。
「待ち合わせのシスターなら帰っちゃったよ。ずいぶん待たされて、怒ってたみたいだったよ」
眉ひとつ動かさない。
しかし。
しかし……事態は最悪の展開をむかえる。
大バカ野郎のヒグマ男のせいで。
「シ、シスター……? ははは! そ、そうかよ。アンタ、バーベキューファイアのツレか!」
パッと明るく……とは言えないが、とにかく男がはじめて笑顔になった。とても引きつった笑顔。
バカ野郎め。
「ひ、ひひ……傑作だぜ。あの女がシスターの修行だとか電話で聞かされたときは、なにかの冗談かと思ったがな。へ、へへ。マジかよ」
笑いながら、なんとか立ち上がろうともがく。
そして、とんでもない失言をしてしまった。
「アッ……も、もしかして、あんた、トラブリック・オールデイズかい?」
勇者の表情が変わる。
「……うん? トラブリック?」
勇者は、肯定したつもりはなかった。ただ聞き返しただけ―――
だが、ヒグマの顔色は変わった。
助かったと言わんばかりに。
「はは、なんだそうかよ! アンタがそうか。いや、俺のことは聞いてるだろ? 偽造屋のローリーだよ」
必死に身元を明かすヒグマ。
「へへ、心配いらねえよ。仕事はカンペキに終わらせたさ。依頼どおり、バーベキューファイアの隠し口座を、べつの隠し口座に移してきたぜ。大変だったよ。へへへ」
笑う。
必死に笑う。
「へへへ。ちゃんとアンタの預金も、新規の口座に移しといたぜ。あ、あんまり少ねえから驚いたよ。も、もちろん手数料はいただいたぜ? 約束通り30%な。ははは……その…………20%にまけようか?」
首をかしげる勇者。
「うん??」
「ははは、遅れたのは悪かったよ。あいにくタクシーが捕まらなくってよ」
ようやく立ち上がる男。
いや、ローリーと記載しよう。
「バーベキューファイアに電話しても、つながりゃしねえんだ。はは、ま、まいったよ。まさかスマホが壊れたなんてギャグじゃねえだろ?」
よくしゃべるローリー。
「はは……この死体の山は……アンタが? まさかバーベキューファイアのわけないよな?」
「ああ……うん、僕がやった」
話について行けない、といった顔の勇者。
首をかしげる。
「待ってくれ。バーベキューファイアって、あの国際指名手配犯のかい? ……あれ? トラブリックの名前もどこかで聞いたような……」
ジャケットのポケットを探る。
ごそごそ。
スマホを取り出した勇者。
アイコンのひとつをタップして、画面をスクロールしていく。
ディスプレイに映るのは、リスト。
数人の名前がならんでいる。
スクロール―――
「えー……ニニコ・スプリングチケット」
「えー……シーカ・カリングッド」
「えー…………バスター・ロドニー」
「マリィ・ブロウニング……あ、やっぱりだ。トラブリック・オールデイズの名前もあるね」
いったいなんのファイルを見ているのか?
まさか、呪われた者のリスト……なんでそんなものが!?
……バスター・ロドニー?
「バーベキューファイア、バーベキュー……あった。おいおい、ちょっと待ってよ!」
勇者の驚いた顔。
コイツが初めて見せる、人間らしい表情かもしれない。
画面に映っていたのはフォックス。
「軍艦かしはら」での映像だろうか、メガネをかけた白衣姿だ。そして、逮捕直後の包帯姿の写真もある。
……なんでこんな画像を持っているのか?
「ひどいな、こんなの気づくわけないよ。女の子はメイクで変わるっていうけど、これじゃ別人じゃないか。まんまとダマされたなあ」
ひとりでしゃべる勇者。
口をはさむヒマもないローリー。
「ねえ。えーっと、ローリーは彼女に会いに来たのかい? その……バーベキューファイアに」
勇者の表情は、形容のしようがない。
無表情のような、うすら笑っているような、なにも考えていないような……なんなんだよコイツは。
ローリーの表情は……顔面蒼白だ。
真っ青になって質問に答える。
「はは、当たり前じゃねえか。そっちが呼んだんだろ、はは…………お前、トラブリックじゃねえのか?」
さらに顔を青くするローリー。
実にカンのニブい、そしておしゃべりな男だった。
ジャケットが、ほどけていく。
勇者の羽織るジャケットが、ほどける。
布にしか見えなかったジャケットが、ばたばたと翻る。いや変形する。
ほどける。
帯状に何十本とほどけて、ジャケットだったものが勇者の右ひじに結束していく……巨大な剣になった。
ただの剣ではない。
長さ2メートルを超える、まるでサーベルのような剣……
ちょい待ち。
以前は、包丁みたいな剣だったよな?
なんか前と、形が違うんですけど。
「詳しく話を聞かせてもらえるかな。ローリー」
ジャキジャキジャキ……勇者の剣が、ふたたび変形していく。
店のスペースいっぱいに広がるように、網の目のように。ジャキジャキと鋏が開くような音を立てて、幾何学模様に広がる。
ジャケットがほどけていく。
剣が、ジャケットに化けていた???
広く、広く―――ブラインドカーテンの1枚1枚のような、薄さ、鋭さ。
細く細く伸びる剣のカーテンにふれたテーブルが、照明が、椅子が、床が、マーガリンのように切れていく。
まるで刃の竹林。
さっと撫でられた瞬間、切れていく。
ふたたび、べしゃんと尻もちをつくローリー。
「あひゃ、あひゃ、あひゃ……」
ひいひいと後ずさる。
逃げられない―――
右手の " 腕覆い " だけはそのまま、肘から無数のカッターを振り伸ばし、近づいてくる。
まるで化物……
「ローリー、いいこと教えてあげるよ。バーベキューファイアなら、いまこの店を出たばかりだよ。電話して呼び戻せばいい」
失神寸前のローリーに肉薄する。
「い、いや……さ、さっきも言ったろ。電話がつながらねえんだ。何度呼び出しても……ちょっと待ってくれ。アンタ、本当にトラブリックか!?」
笑う。
にっこりと笑う勇者。
「大丈夫、もう一度電話してごらん。たぶん繋がるよ。いまごろSIMカードを入れ替えてるはずから」
「いや、アンタはトラブリックなんだよな? なあ!? お前はなんなんだよ!?」
死にもの狂いのローリー。
勇者は―――
「ああ、自己紹介がまだだったね。僕はシルフィード。シルフィード・ウィンドナイトだ」
名乗る。
そして、右腕に形成される剣の名も告げた。
「この剣の名前は……いや、ジャケットの名前は【 勇者 】っていうんだ」
うつろな目で、つぶやく。
つぶやく。
右ひじを覆うアイテム!
形状は剣!
ノルマは1945回、戦争を終結させること!
能力は、繊維状にほどけること!
アイテムの名前は……ふざけんなよ、マジに。
「バーベキューファイアを呼び戻してくれ、いますぐに。あ……ヤバイ」
くりかえし要求を突きつける勇者……じゃない。勇者はアイテムのほうで、こいつはシルフィードだっけ?
なにかを思いついたようにシルフィードは立ち上がり、天井を見上げると―――
「歌いたくなってきた……」
さて中途半端ではあるが、勇者のエピソードは、ここでいったん区切らせてもらう。
なぜメインになるべき " 井氷鹿 " の話を置いといて、さきに勇者……いや、シルフィードを紹介したか、お分かりだろうか?
ご理解いただきたかったからだ。
やってくる悪夢に順番などないと。
ふざけんなよ、マジに。




