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戦え、崩陣拳!  作者: 新免ムニムニ斎筆達
第五章 北京編
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第十二話 内外合一

 中国、特に北方で盛んだった伝統建築の四合院には「倒座房(とうざぼう)」と呼ばれる建物が存在する。


 塀で囲まれた敷地の中央にある大きな中庭から門一枚隔てた手前には、「倒座院(とうざいん)」という左右に広い横長の中庭が広がっている。そのさらに手前に面した横長の一階建て建造物が倒座房だ。


 ここは昔、一般来客用の客間として使われていた。『公会(ギルド)』の本部にある倒座房では、封建時代と同じく客間としてはもちろんのこと、会員たちの休憩室としても使われている。伝統建築の景観ぶち壊しだが冷暖房も備わっているため、春夏秋冬のいずれも快適に過ごせる。

 

 奥行きは短く、左右に広さのある客間には、横一列の位置関係で椅子と卓が四セット置かれている。壁際には経年ですすけた木調に包まれた食器棚と小さな四脚机。机の上にはマグネットプラグで繋がれた手持ち型の電気ポッドが置いてあり、ふつふつと熱気を持っている。


 要は机の一つに中国茶器セット一式を揃え、椅子にふんぞり返ってくつろいでいた。


 円盤型の木製茶盤には、なみなみと茶が注がれた小さな茶杯が三つ。その傍らには開いた茶葉がこんもり盛られた蓋碗(がいわん)と、そこから茶を移すための器である茶海(ちゃかい)が置かれていた。いずれも陶製である。


 三つある茶杯のうち一杯を手につまむ。中に溜まった鉄観音茶の香りを鼻腔で味わってから、今度は飲み干して舌で味わう。香ばしさと苦味がほどよくマッチしており、何杯でも飲みたいくらい美味い。


 三杯全て飲んだ後、今いる席のすぐ傍にある電気ポッドのマグネットプラグを外し、取っ手を持つ。蓋碗の中からこんもり膨らんだ茶葉めがけて、上段から叩きつけるようにして湯を注いだ。「高冲底篩(ガオチョンディーシャイ)」といって、こうして注ぐ事で茶葉に空気を含ませ、開きを促す。


 しばらく待ってから、蓋碗の中の茶を茶海に移し、それをさらに三つの茶杯へ均等に移す。


 そしてまた聞香(ぶんこう)し、飲む。


 易宝から教わったやり方を繰り返しながら、要は正午のティータイムを満喫していた。


 茶器セットも茶葉も、全てこの部屋の食器棚から取った。特に茶葉は絶品ぞろいで、要は最近その美味の虜となっていた。


 暑い時期に熱いものを摂るのは健康に良い。しかも冷房の効いた部屋でそれが出来る。修行後のシャワーの余韻も手伝って、そりゃもう最高だった。こればかりは、封建時代では享受できない快楽だ。


 ふと、要は熱い茶を嬉々として愛飲している自分に、感慨深いものを感じた。


 昔は、熱い茶は好きではなかった。冷たいお茶の方が好きだった。


 だが易宝と出会い、中国茶の世界を教えられ、その美味に取り付かれた。


 彼との出会いがもたらした変化は、武術だけにとどまらない。色々な面で、要の人生を変革させたのだ。


 これから彼を中心に、要の世界はどう変わっていくのだろうか。不安半分、期待半分だった。


 しかし、今はただ、ここにある茶を楽しもう。


 この鉄観音の茶葉は、食器棚の下段にある引き戸の中にあったものだ。結構上等な茶葉で、味が良いだけでなく、長持ちする。すでに結構な回数飲んでいるが、まだその味は濃い。


 新しく淹れた茶杯をつまもうとしたその時、閉めきられていた倒座房のドアが外側から開け放たれた。


 奐泉だった。


「カーナ様っ♪」


 ドアが開いてその姿が露わになった時には、すでに彼女は上機嫌なニコニコ顔だった。その反応から、要がここにいることをあらかじめ分かっていたのだと容易に察することができた。


 奐泉は馬の尻尾のようなポニーテールを上下させながら、野山を跳ね歩く兎よろしく軽い足取りで隣まで来た。椅子を要のソレと隣り合わせでぴったりくっ付けてから座る。


 椅子と同じく、押し付けるように身を寄せてくる。


 今の奐泉の格好を見て、思わずドキリと鼓動を高鳴らせた。


 肩紐が細く頼りない、肩幅と腕を目一杯露出したキャミソール。大腿部の中間辺りで途切れたジーンズショーツは、カモシカの美脚と表現出来る白い脚部を露わにしている。正直言って、目に毒であった。


 さらに、鼻孔をくすぐるシャンプーの香り。


 嗅ぎ覚えのある匂いだった。ここのシャワールームにあるシャンプーと同じ香りだ。


「もしかして奐泉、シャワー浴びたのか?」

「そうでなきゃ、カナ様にこんなくっついたりはしませんわ」


 遠回しな言い方で肯定すると、奐泉はスキンシップを再開。要の肩に頭を乗せてきた。


「お、おい。重いっての」


 そう発せられた要の口調は、添えおく程度の弱々しい響きだった。拒絶というより、照れ隠しの側面が強い。


 そしてそんな脆弱な拒絶が通用するはずも無く、奐泉は構わず訊いてきた。


「あら? カナ様、お茶を飲んでらしたのですね」

「ああ。……って、今気づいたのかよ」

「だって、わたくしカナ様しか眼中にありませんもん」


 要の肩にのしかかる重みが増す。ぬふふー、と嬉しげな笑声が耳元でささやかれる。甘い吐息が耳を撫で、体がぞわぞわする。


「カナ様の耳たぶ、すごく美味しそうです……「はむっ」って、していいですか?」

「い、いや、遠慮してくれ」


 ぶー、と奐泉が不満を声で表す。当たり前だろうが。


 要は少し赤い顔のまま、疲れた溜息をついた。


 迷惑ではない。けれどこうまで付きまとわれては落ち着いて茶も飲めやしない。せっかくの悠々としたティータイムが台無しである。


 けれど、茶というのは一人だけでなく、複数でも楽しめるものだ。茶葉はまだまだ出る。なのでここはもう一人誘おうと思った。


「良かったら、奐泉も一緒に飲むか?」

「よろしいんですの!?」


 思ったよりも良い食いつきに、要は苦笑しながら頷いた。


 さっそくとばかりに、奐泉は茶の入った杯を一つ手に取り、それをじゃぱりと平らげてしまった。……初めて易宝の茶を飲んだ要と同じ、香りを楽しまない邪道な飲み方だった。


 奐泉は余韻に浸るようなほっこり顔で、


「ふふふ、カナ様の味がしますわ」

「変なもん入れてるみたいに言うな」


 くすくすと笑う奐泉。そして、的を射た一言。


「この香りと味……鉄観音ですわね。それも結構高価な」

「よく分かったな」

「わたくしもいささか心得がありますので」


 要は少し驚いた顔になり、


「へえ、そうなのか。そういや奐泉ってお嬢なんだっけ? 一種の教養ってやつ?」

「いえ、使用人が淹れる所を見て覚えただけですわ。そういうカナ様は、劉師傅から教わったんですの?」

「そんな感じ。最初は師父(せんせい)が淹れてくれてたんだけど、しばらくして「自分で淹れられるようになれ」って感じで教え込まれた」

「ふふ、また一つカナ様の情報ゲットですわ。これで倉橋様を一歩リードしました」

「言っとくけど、キクも知ってるからな」

「まぁ、マジですの?」


 そんな感じで、会話に花を咲かせる二人。


 茶の香りとシャワー上がりの爽快感も手伝って、とてもまったりとした時間に感じられた。互いの口調も、自然とやわらかいものになっていた。


 最初は一人でのんびり過ごそうと考えていたが、これはこれで悪くない気がした。

 





「ふん、随分と呑気なものだ。隙だらけだぞ。そのまま背後から首を落とされたいのか?」






 ――が、不意に投じられた野太い声が、そんな平和なやり取りに水を差した。


 この声には妙に聞き覚えがあった。


 話した回数こそ、北京に来て以来数える程度しかない。


 いや、話さなかったというより、話したくなかった。


 その人物の顔を思い浮かべながら、倒座房の出入り口である古い木製ドアを見る。――頭に浮かべた通りの姿がそこにはあった。


 毛一本無い禿頭に、岩を穿って作ったような厳つい顔貌。雲衝く巨体。そして、圧倒的存在感。


 霍響豊(かく きょうほう)


 途端、要の顔の表情筋が、否応なしに挑むような表情を形作った。


「……何か用かよ」


 どういうわけか、この男には少しも敬語が出てこない。気に入らないというのもあるが、本能が警戒しているのだ。少しでも油断すると打ってきそうなほどの殺気を常に放っているから。


 そしてそんな要に対し、この男もまた良い反応をするはずがなく、


「会って早々ご挨拶だな、工藤要。(うぬ)に用があるなどとは一言も言ってはいない。いちいち過剰反応するな」

「……そうかい。なら、ここに来た目的ってやつをとっとと終わらせれば」


 正直、食って掛かってやりたい気分満々だったが、そんな事をすれば余計に話がこじれる。なのでおとなしく頷くだけにとどめておこう。


 響豊から強引に視線をそらし、再び茶を楽しもうとした。


 しかし次に彼は、そんな要の努力を無碍(むげ)にする、聞き捨てならない言葉を発した。


「……最近、余計な"もの"が一匹混じっているな」

「は?」

「あの根暗そうな日本人の小娘のことだ。ふん、この『公会』も落ちたものだ。華人の共同体の中に、あんな日本人の雌餓鬼をやすやすと招き入れるとは。民族的団結など皆無と見た」


 「日本人の小娘」という代名詞が当てはまる人物は、一人しかいない。


 菊子のことである。


 要は椅子を蹴飛ばす勢いで立ち上がった。


「――おい。お前今何て言った? もう一度吐かしてみろこの野郎」


 敵意を露わにした眼差しで響豊を射抜く。口調も槍のように尖っていた。


 菊子に対するあからさまな侮蔑の言葉。それにはさすがの要も腹に据えかねた。


 だが、殺気全開な要の視線を彼は少しも恐れず、不遜(ふそん)に鼻を鳴らして言い放った。


「何故汝などのために労力を費やしてやらねばならぬ? 拝師式を終えて正式な門人になったからといって、のぼせ上がっているのか? 拝師を終えても、この霍響豊にとって貴様はただの鬼子(グイズ)の糞餓鬼に過ぎぬ。あの小娘と同様にな」

「……こいつ」


 頭に来た。一度ならず二度までも菊子を侮辱したのだ。一発くらい殴ってやらないと気が済まない。


 しかし、詰め寄ろうとするのをいち早く察したのだろう。奐泉が要と響豊の間に立ちはだかり、静止を訴えてきた。


「ダメです、カナ様。霍師傅(しふ)に牙を向けようとしてはいけません」

「ふざけんな! こいつは――」

「カナ様っ!」


 有無を言わさぬ強い口調。


 要の顔をくっきり映す彼女の瞳は、咎めるようでも、そして(すが)るようでもあった。


 その眼差しに、思わず圧される。動きが止まる。


 要は『融声』の呼吸法を行った。心身のボルテージが下がり、怒りの熱が少しばかり引いた。


「…………分かった」


 怒りはまだ完全には冷めたわけではないが、奐泉に免じて、しぶしぶながら退くことにした。

 

「ふん」


 すると、もうこれ以上相手してられないとばかりに、響豊は踵を返した。


 その態度に要はさらに頭に来たが、どうにか我慢。


 響豊がドアから外へ出て、そしてまた閉まった瞬間、要は落っこちるように座った。平手で卓上をバン、と叩く。


「――ったくもう! 何なんだあいつは! 会うたび会うたび好き勝手言いやがって! 日本人が嫌いなのは分かるけど、いちいち突っかかってくんなよまったくもう! もう戦争はン十年前に終わってんだっつの! ていうか、結局あいつ何しに来たの!? 用事ってのは俺に喧嘩売ることだったワケか!? あーもー、とにかく腹の虫が収まらねーよっ!!」


 やり場のない怒りを込めて言い募る。


 要を止めた奐泉もまた、理解できない問題を抱えているかのような渋い顔をしていた。


「……なんだか、最近の霍師傅、少し変ですわね」

「何が変なんだよっ。あいつ普段からあんな調子なんじゃないのか?」

「いえ、確かに少しとっつきにくい所がある方ではありましたけど……あそこまで一人に固執して、幾度も悪し様に言うような方ではありませんでしたわ。良くも悪くも、余計な事は言わないししない人でしたし」

「んなもん、俺が日本人だからだろ。ン十年経った今でも、頭の中じゃ日本軍とバカスカ銃撃戦繰り広げてるんだろうさっ」


 要のぷりぷりした物言いに「カナ様ったら……」と苦笑をもらす奐泉。


 響豊が消えていった出入り口を無言で睨んだ。


 やり場のないわだかまりと不快感だけが、沈殿物のように心中に残留していた。


 それらは『融声』でも消せなかった。












 手足の経絡を教わってから、さらに数日が経過していた。


 任脈、督脈に手足の経絡を合わせたことで、全身の経絡のルートを覚えた。


 方法を得たなら、それをモノにするためにひたすら修練するのが武術というものだ。拳法の修行の時のように、気功術の訓練にも継続的に取り組んだ。


 その結果は確実に現れていた。 


 今ではやり始めた頃ほど強く集中せずとも、『太極気』を巡らせることができるようになった。四肢と胴体すべての経絡を、まるで自宅の庭のように認識でき、そして気を通せる。


 こうして、経絡という道路で『太極気』というマシンを乗りこなすことに慣れていった。


 しかし、これで終わりではない。


 むしろ、ここからが始まりなのだ。


 時刻は夕方六時。陽が傾きつつある時間帯、要は大樹の広場にいた。


 易宝も一緒だ。


 今頃、四合院では夕食を用意している最中であることだろう。なので腹が減っている間に、気功術の修行を済ませてしまおうという魂胆だろう。やっぱり疲れた後に食う飯は美味しいから。


「さてカナ坊、おぬしはもう経絡の感覚は十分に身につけたと太鼓判を押せる。なので、これからは「静」から「動」の訓練に入ってもらう」


 大樹の巨大な影の下、易宝がそう口にした。


「それってつまり、動きながら気功術を使えるようにする、ってことだろ?」


 要の言葉に、易宝は「そういうことだ」と頷く。


「東洋医学において、「人体には「気」が通っている」という思想がある。気の流通が円滑ならば健康、流通が滞れば何らかの病気になってしまう。気功は、経絡を開き気の流通を促進することで、健康な肉体を手にすることができる。正しく行えば自律神経が整い、自然治癒力が上がり、健康に大いに易となる。わしが生き証人だ」


 そういえば、易宝は子供の頃、かなり病弱だったと聞いている。もしかすると健康になったのは、拳法の修行より、気功術の修行によるものが大きいのかもしれない。


「だが、「気功術」は武術における技術の一環。当然、武術への応用が効かなければ、それこそ健康法止まりとなってしまう。今までは止まった状態で訓練していたが、これからは体を動かしながら気功術を使えるよう練習を積んでもらう。動作に気功術を加える、すなわち「内外合一(ないがいごういつ)」だ」


 ごくり、と要は唾を飲み込み。


「発力を行うための体術と、『太極気』の流通を同時に行い、終始のタイミングを完全に一致させる。正拳突きに例えるなら、拳を前に伸ばしきるのと同時に、『太極気』をその拳に到達させるということだ」

「……それだけでいいの?」


 要が思わずそう訊くと、易宝は「ほほう?」と意味深に笑った。


「それだけだ。だが、その「それだけ」がとても難しい。試しにやってみると良い。カナ坊、『太極気』を作り出してから、『開拳』を終えると同時にそれを突き手に送り込め。突き手に送り込む手順は、今まで習った経絡を沿って進ませるという手順で良い。さあ、やってみい」


 促された要は、とりあえずやってみる事にした。


 まず『融声』によって心身をリラックスさせ、そして息を吸って百会穴から『阳気』を取り込んだ。それを丹田に送り、体内に元々存在している『阴気』と融合させて『太極気』を作り出した。


 これで準備は良し。


 要はまず、力を溜めるために腰を落とした。


 軸足を右足にし、右拳を引き絞り、左拳を前に構えた。


 これから「さあ打ってやろう」という時だった。要が自身の体に起きた異変に気付いたのは。


「……あれ?」


 ――『太極気』が、丹田から消えていた。


 そんな馬鹿な。さっきまできちんと作っておいたはずだ。


 要は構えることをやめ、その理由を考えた。


「……あ!」


 すぐにひらめいた。


 ――集中力が切れていたからだ。


 『太極気』は、阴阳(いんよう)の気が固まった状態を維持させるために、強い意志の力「意念」が不可欠だ。そして『太極気』を崩さぬまま経絡へ通すのにも、同じく意念が必要。


 しかしさっきの自分は、集中力を『開拳』の体術を行うため"だけ"に使ってしまっていた。そのせいで、気功術への意念がおざなりとなっていたのだ。


 ……そういうことか。


 そして、そんな要の心の中を見透かしたような易宝の指摘が、タイミングよく入った。


「そうだ。今おぬしは体術を行うために全神経を注ぎ込んでしまっていた。だから『太極気』が霧散したのだ。気功術と武術は「内外合一」をもってこそ互いの真価を発揮できる。しかし先ほどのおぬしは「外」にのみ注力し、「内」を蔑ろにしていた。だからこそ失敗したのだ」


 そうだったのか。


 真実を体と耳で聞いた要は、「内外合一」のむずかしさを痛感した。


 拳法における体術は強力な運動エネルギーの生成に富んでこそいる。

 が、代わりに少しもズレを起こすことなく、身体を動かさなければならない。

 そして、だからこそたくさん練習する必要があるのだ。


 『開拳』は、要が覚えた技の中で最も古いものだ。つまり技を発するための体術が一番濃く体にしみついている。つまり一番出しやすい。


 けれど、まったく意識せずに放てるわけではない。

 「『開拳』を出そう」という意思の力が、技を導き出す道標となる。そのため、『開拳』を発することに気を取られすぎて、結果的に気功術に向けられた意識が薄れ『太極気』を分離させてしまうこととなってしまった。


 この理屈は気功術にも言える。経絡を覚えこそしたが、『太極気』の運用には意念が必要である。しかも習得して間もない技術であるため、『開拳』よりもはるかに練度が低く、不安定だ。


 『開拳』に集中しつつも、『太極気』の運用にも意識を割かなければならない。


 いうなればそれは、右手で(まる)を、左手で(さんかく)を同時に描くようなものである。


 つまり、いきなり要求がシビアになったということ。


「カナ坊、今度は集中して打て。『開拳』と気功術の両方に意念を割きながらやってみせろ。大丈夫だ、今のおぬしならば可能なはずだ」


 そう励ましを受けた要は、やる気を取り戻した。


 腰を落とし、右足に溜めを作る。右拳を脇腹へ引き絞り、左拳は鼻先で構える。引き手と足腰の力を一拍子で開放して勁を生み出す前準備。


 『融声』で心身を落ち着ける。それから『阳気』を体内へ取り入れ、丹田へ運び、『太極気』を再び生成。


 (太極気)(武術)への意念を5:5と均等に分けて維持。


 『太極気』は消えていない。ちゃんと(はら)に宿り、腰を重くしている。


 ――準備完了。


 要は雑念を全て意識の埒外へ捨て去った。


 研ぎ澄ませた集中力を用い、内外の運用を同じタイミングで開始。




 内――丹田の『太極気』を背中の「督脈(とくみゃく)」へ駆け上らせる。

 外――右足の溜めを解放。(ウエスト)の回転を伴わせ、前に構えられた右拳を真後ろへ引く。次の突き手となる予定の右拳が、それら二つの勁を受け取って直進を開始。


 内――『太極気』を首筋の経穴「大椎」まで到達。

 外――右足の膝の角度が「く」の字よりもさらに広がりを見せる。突き進む右拳と引き込まれる左拳が、鳩尾(みぞおち)の前ですれ違う。


 内――『太極気』は右前腕の中央まで来ている。

 外――右足はもうすぐ伸びきり、今まさに重心が左足に移ろうとしている。突き手も引き手も、今まさに伸展の限界までたどり着こうとしている。




 両腕と右足が伸びきり、重心が左足へ移った。


 タイミングを同じくして、『太極気』も伸ばされた右拳に達する。


 ――「内」と「外」が、寸分たがわず"合一"した。


 瞬間、身体の芯から何かが抜けていく感覚。


 その抜けた「何か」は拳面を出口として、外部へ流動。突き出した拳の延長線上にある雑草が、激しくざわめいた。


 拳を突き出した姿勢のまま、要は停止していた。


「……できた」


 ようやく、息を言葉とともに吐き出すことができた。


 成功だ。内外合一を見事にやってのけた。それがなんとなくわかった。


 先ほどの感覚こそ、成功の感覚に他ならない。


 易宝も、しきりに頷きながら言った。


「いいぞ。理想的な内外合一だ」


 成功を裏付けるその言葉に、要は胸をなでおろした。


「体術が火種であるなら、気はその燃焼を爆発的に促すガソリン。そして気功術も功夫(くんふー)だ。拳法と同じように修業を重ねれば重ねるほど、その強さや速度、クオリティは無限に増す。カナ坊、確かに今おぬしは成功したが、まだ一度だけだ。これから幾度も練習して、使おうと思ったら必ずミスせず使えるようになってもらう」


 要は力強くうなずいた。


「あと、前にも言ったと思うが、気功術は使いすぎるとガス欠を起こして気絶する。もし虚脱感を感じたらそれは気が減っているサインだ。そうしたらすぐに休め」


 再度うなずく。


 そして少し休んだ後、再び練習を始めた。


 



 「内」と「外」の両方に意念を向ける。これはやはりというべきか、簡単ではなかった。


 何度も失敗した。成功した回数など、それこそ両手の指の数に収まる程度だった。


 しかし『開拳』の練習を思い出す。あの頃も10回中2回しか力が出ない時期が続いたが、懸命な練習で10回中10回出るように成長させた。


 そのころの経験が、基盤となった。


 やればなんとかなる。そう思って、修業にあけくれる要なのであった。


読んで下さった皆様、ありがとうございます!


めっちゃ悩んだ。修行パートの書き方、この作品を書き始めた頃並みに悩んだ気がする……


同じような展開が続いて飽きている方もいらっしゃるかもしれません。

ですが次回から、少しずつ話が進んでいきます(´ー`)

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