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第七話 憎悪を忘れぬ者


 男は、夜の町をあてもなく徘徊していた。


 すでに太陽は西の稜線にとっぷりと浸かりきっており、満月が地上を俯瞰していた。


 右側通行の公道では、ライトを煌々と光らせた自動車が絶えず行き交っている。向こう側の歩道へ渡りたがっている人々の事など歯牙にもかけず、無遠慮に速度を出していた。この北京に限らず、アジアの道路は大体こんな感じだ。


 軒を連ねるのは、ネオンなどでライトアップされた建物。この通りに並ぶ建物は全て商業施設である。


 そこの歩道を、男は一人歩いていた。


 夜となった今でも多くの人々が往来しているこの道にて、男の姿は頭一つ以上飛び抜けていた。一九〇は優に超える堂々たる体格。眼光は炯々(けいけい)とはしていないものの、静かな鋭さがある。普通の人が見れば、その筋の者と間違えるほど威圧感があった。それを裏付けるように、往来する人々は男から距離を置いていた。


 男はその事実に不快感を抱かなければ、傷つきもしなかった。慣れているからだ。


 それに今、男の中にはそれが可愛く思えるほど、凄まじい腹立ちがあった。




 ――『公会(ギルド)』の面々が、日本人を次の伝承者として祭り上げようとしている。




 以前、日本にいる劉易宝からの連絡を聞いた時は、思わず我が耳を疑った。


 こともあろうに、次の崩陣拳の伝承者は――日本人の子供だというのだ。


 男は、日本人という人種が死ぬほど嫌いだった。


 姿かたちこそ、自分たち漢民族と大差無い。しかし、連中の精神は獣を下回る残虐性を備えている。


 かつて抗日聯軍として日中戦争を戦った武術家である男は、その事を人一倍知っていた。


 旧日本軍の行った蛮行は、今でも昨日のことのような鮮明さで覚えている。


 思い出すだけで吐き気と憤怒を催しそうになる。


 浮かんでいた情景は燃える家屋、崩れた建物、荒廃した町中を我が物顔で闊歩する兵隊、そして同胞の屍山血河。その情景を彩る嗅覚は血臭、屍臭、硝煙臭。


 死体を見ない日などなかった。


 そして、その死体の中には友人や知り合いもいた。


 当時まだ若者だった男は、その光景に恐怖した。


 しかし、それ以上に義憤を覚えた。


 だからこそ、そんな東洋鬼(ドンヤングイ)共から祖国を守りたいと思った。その感情から、男は抗日ゲリラに身を投じた。


 男は幼少期から武術を好み、毎日のように練功に励んでいた。幼き日から培った武は、戦場で恐ろしいくらい重宝した。


 兵隊を殴り殺すたび、胸がすく思いをした。


 軍服を着た死体をいくつも作っていった。


 男はとにかく、兵隊を殺すことに夢中だった。


 そしてそんなことを繰り返しているうちに、男は抗日ゲリラの中でも英雄的な存在として知られるようになった。


 そして一九四五年。日本の無条件降伏によって終戦。日中戦争は中国側の勝利で幕を下ろした。


 そう。もう戦争など、とっくの昔に終わっている。


 それでも、男の中の憎しみと怒りは消えなかった。


 かつて共に戦った同志たちのほとんどは先立ってしまった。幸か不幸か『高手(ガオショウ)』となってしまった男は、今でも日本軍に対する憎悪を燻らせたまま生き続けていた。


 だが、『高手』も死なないわけではない。老化がほぼ止まり、寿命が常人よりも長いというだけで、寿命という名の呪縛から逃れられたわけではない。


 男は死にたくないと思っていた。


 命が惜しいからではない。


 自分のような戦争経験者がみんな死ぬことで、日本軍の行った行為を見た者がいなくなってしまう事が怖いからだ。


 過ぎ去った過去は、いくらでも誤魔化しが効く。生き証人のいない過去であればなおさらだ。


 『公会』の連中は、日本人が昔やった事を知っているはずだ。


 だというのに、連中は日本人を次期伝承者にしようなどと本気で吐かしている。「楊氏の導きだから」という思考停止に等しい理由で。


 奴らは、その餓鬼の祖先が行った悪逆非道を肉眼で見ていない。だからそんな愚行ができるのだ。


 自分は見ている、知っている。あの東洋鬼どもの行いを。


 糞まみれな軍靴で祖国の土へずかずかと踏み入り、災いを撒き散らした。壊し、奪い、侵し、殺し、無抵抗な婦女子を弄んだ。


 『公会』の連中は、漢民族の秘法である崩陣拳を、そんな鬼どもの血を引く糞餓鬼に差し出そうとしているのだ。


 そのようなこと、あってはならない。断じてならない。


 男は、この国の武術を心から愛している。だからこそ、崩陣拳という宝を守る守護者の組織『公会』へ入ったのだ。


 しかし、『公会』はもはや守護者に非ず。ただの醜い漢奸(ハンジェン)だ。


 ――崩陣拳を、『公会』の手から救済せねばならない。


 男はそれを、自分の使命のように思い始めていた。


 けれども『公会』の中には、厄介な顔ぶれがそろい踏みだ。劉易宝の師にして二代目伝承者の呂月峰は、現在世界各地を旅しているので不在。だが、それでも優秀な人材は残っている。特にその中でも『烟姫(ミス・スモーク)』と名高い紅深嵐は極めつけだ。


 ――これは、もう少し体制を整える必要がある。


 人工の煌めきが集まる町中で、男は密かにそう決めたのだった。


読んで下さった皆様、ありがとうございます!


一時間半で書けました。

びっくりぽん(´・ω・`)


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