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戦え、崩陣拳!  作者: 新免ムニムニ斎筆達
第五章 北京編
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第二話 楊氏の微笑み

 ひとりでに開かれた自動ドアをくぐり抜けて駅のホームに出た瞬間、冷房のよく効いた電車内の涼しい空気から一転、サウナのような熱気が全身を包み込んだ。気持ちよく涼んでいた要は一気に気が滅入るのを実感した。


 他の乗客を吐き出し終わった後、目の前の国鉄は自分の側面にあるドアを全て閉じ、線路に沿って次の駅へと去っていった。


 そのホームの駅名標には「石川町」とある。そして壁には観光名所の紹介とともに「右が元町、左が中華街」と表されていた。


 二人はホーム左奥にある階段を下り、ICカードで改札をくぐる。


 駅を出てすぐの所に、赤と金を基調とした煌びやかなデザインの牌樓(はいろう)――中国伝統建築における門の一種。形状的には鳥居に近い――が立っていた。中央部には「西陽門」という大きな金文字が浮かんでいた。


 目的地に着いたことの裏付けとなるものを見つけたからか、易宝の足取りがのんびりしたものになる。自分に歩く速さを合わせてくれていたのでゆっくりだったが、それがさらにくつろいだ歩調となっている。


 二、三分歩いたところで、横断歩道に差し掛かる。そして、向こう側の歩道の先には「延平門」と刻まれた立派な牌樓が見えた。


 横浜中華街。


 山下公園と横浜港の手前に位置する、日本最大規模を誇るチャイナタウン。


 要はこの場所に初めて来るが、易宝はそれなりに慣れた足取りだった。おそらく、今回が初めてではないのだろう。


 横断歩道を渡り、長大な「延平門」の真下をくぐる。この牌楼という門は風水の法則に従った配置で、中華街のあちこちに建っている。古代の東洋人は風水的に正しい位置を「良き場所」としていた。「四神相応の地」と呼ばれる配置にあったという平安京がその良い例だ。


 奥へ進むと、先ほどまで通っていた場所とは打って変わり、明らかに人通りが多くなってきた。脇道へ入らず真っ直ぐ進むにつれて、まばらな人通りが密度を増していく。


 やがて差し掛かったのは、全方向へ幾本にも別れた道の交差点だった。自分たちが出てきた道の先には、対面するようにして「中華街」という金文字が書かれた豪勢な牌楼がある。易宝に聞くと、あれは善隣門(ぜんりんもん)というらしい。

 ごった返す観光客の数も、ここまで来ると輪をかけていた。歩行者天国は善隣門の先に続く一本道だけのはずなのだが、明らかにその他の道も歩行者天国と同じ気安さで人々が行き交っている。道を通ろうとしているタクシーもほとんど動けない様子で、運転手も辟易しているみたいだ。


 易宝の足は、分かれ道に差し掛かった位置から右側に伸びる道へと向いた。要もそれに倣う。


 軒を連ねる建物のほとんどが、食べ物屋だった。包子(ぱおず)やゴマ団子といった軽食を扱う店が多数。観光客が気軽に買えるようにという配慮なのだろうか。


 飯店(レストラン)の数も負けてはいない。しかし、


「うげ」


 展示されていたメニュー価格を見た要は思わず呻いた。高い。要の知るレストランに比べて値段が明らかに高い。一品頼んだだけでも、学生相応の額しか入っていない要の財布は一気に干からびてしまうだろう。


 とりあえず店からは一旦そっぽを向き、人混みの中を歩くことに集中する。夏の熱気が人の熱気によってさらに増し、半袖Tシャツの内側にある肌に汗をにじませた。


 至極当たり前のように歩く易宝とは違い、要は少し緊張していた。


 そして、興奮もしていた。


 住んでいる町から比較的近くにある有名な観光名所だが、足を運んだことは一度もない。まだ見ぬものに対する未知と好奇心が心の中で密かに沸き立っていた。


 自分なりに、その興奮をすまし顔でマスキングできていたつもりだった。


「カナ坊、言っておくが観光に来たわけじゃあないぞ。大事な用事で来たんだからな」


 しかし、そんなこちらの心を読んだのかのようなナイスなタイミングで易宝がたしなめてきた。


 要は「分かってるよ」と平然と言いながらも、内心で図星をつかれた事にハラハラしていた。この人は妙に勘が鋭いところがあるな。


 歩く。途中途中で鉢合わせする人を避けながら進む。ときどきぶつかり、すみませんと謝る。


 しばらくして、関帝廟通りという道に入った。三国志の武将、関羽を神格化した神「関帝」を祀るという大きな廟を途中に置いたその道には、やはり見ていて辟易しそうなほどの人混みにあふれていた。


 易宝の足は止まらない。まだまだ目的地は先のようだ。


 そう思った瞬間、彼の足が突然止まる。


「――っ!?」


 かと思えば、酷く切羽詰ったような表情で、鋭く真後ろを振り向いた。


「ど、どうしたんだよっ?」


 要は動揺を隠せなかった。常に平静を崩さない易宝にあるまじき態度だったからだ。「よほどのことがあったのだろうか」と、要も思わずにはいられなかった。


 こちらの呼びかけには全く応じず、キョロキョロと周囲の人垣を見回す易宝。この猛暑でも汗一つかいていなかったはずの彼の額には、うっすら汗が浮かんでいた。


 けれど、やがて大きく一息吐いて全身を弛緩させた。


「師父、一体どうしたのさ? なんか編だぞ?」


「……いや、なんでもない。うむ、なんでもない」


 要の質問に易宝は歯切れ悪く答えた。その口調はまるで「なんでもない」と己自身に言い聞かせているかのようだった。


 易宝は「すまんな、先に進もうか」と踵を返し、歩き出した。


「あれ、師父、襟に何か挟まってるよ?」


 ――ふと、あるものが要の目にとまった。


 易宝の着ている赤い半袖の唐装。その立ち襟とうなじの間に、さっきまで無かったはずの一枚の紙が挟まっていたのだ。


 「何っ?」と反応し、易宝はそれを抜き取った。折りたたまれていた紙面を開く。


 その紙には、


我得到了首级 (討ち取ったり)♡』


 と、書かれていた。


 簡体字の中国語。それを刻む丸っこい筆跡は、どことなく女のものっぽかった。


「なんだこりゃ……?」


 書かれた言葉の意図するところが分からず、要は首をかしげる。


 しかし、易宝は紙を握る両手をワナワナ震わせていた。その顔に浮かんでいたのは――屈辱感。


「あ……あんのババア……! 舐めた真似を……!」


 低い声で忌々しげに呟くと、雑な手つきで紙をくしゃくしゃに丸め、ポケットの中に押し込んだ。


 かと思った時には、再び歩き出していた。


 今までは歩く速さを要に合わせてくれていたのだが、今回は手加減なしの歩行速度だった。人垣の中を滑り抜けるようにしてどんどん先へ行き、あっという間に離れてしまった。


「ちょっ、待てよ! 師父! 置いてかないでよ!」


 人垣の奥でどんどん小さくなっていく赤と黒の後ろ姿を、要は慌てて小走りで追いかけた。


 我が師のようにうまくいかず、途中で度々人にぶつかる。その都度謝りながらも懸命に距離を戻し、ようやく追いついた。


 それからも歩くペースを緩めない易宝の後ろ姿に、要は必死で食らいつく。


 そんなことをしながら、心の中で思った。


 ――ババア、って誰だ?









 不機嫌なオーラを纏わせた易宝に付き添う形でやってきたのは、一件の中華飯店だった。


 どうやら薬膳料理を得意とした店らしい。値段が高めに設定された中華街の飯店の例から外れ、値段も比較的リーズナブル。そのためか、客足もそれなりに潤っていた。


 その店が目的の場所かと思ったが、易宝はその店の暖簾はくぐらず、入口のすぐ隣にある細い階段を上り始めた。


 階段が終わり、早々に目に止まったのは、カフェテリアの入口を彷彿とさせるデザインのアクリルドア。その上には「玉茗堂(ぎょくめいどう)」と彫られた木製の看板があった。


 ドアを開いた瞬間、カランカラン、という心地よいベルの音が耳に届き、上品で落ち着いた雰囲気を醸し出す店内が視界いっぱいに広がった。


 和洋折衷(わようせっちゅう)ならぬ、中洋折衷とでもいえばいいのか。店内にいくつも置かれた木製の椅子やテーブルは、喫茶店に見られるような洋風のデザイン。白い壁紙もうっすら花柄が見える。しかし、内壁の上部には竜跳虎臥(りゅうちょうこが)という表現がよく似合う見事な書画が掛けてあり、茶葉や茶器のカタログが並べられている棚の上には、関羽をモチーフにした陶製の人形が置かれていた。


 冷房も効いているようで、涼しい。


 店内に入ったきり立ち止まったままの易宝に、要は問うた。


「師父、ここって……」

「茶館だ」


 易宝は簡潔にそう答え、店内をゆっくり巡り歩き始めた。その声はさっきに比べると、柔らかみが多少戻っているように聞こえた。機嫌の悪さも少しは落ち着いた様子。


 茶館、というと、聞くまでもなく茶を飲む店だろう。言われてみれば、さっき目に付いた棚には茶に関するカタログがあったし、店内に漂う香りもお茶のものだった。


 この香ばしい香りは知っていた。


凍頂(とうちょう)烏龍茶(うーろんちゃ)か……」


 有名な台湾茶の名を、思わず口にする。


 すっかり易宝のコバンザメ状態な要は、当然歩く彼に続いた。


 店内は静かだった。当然だ。今はお客が全くいないのだから。




「――私は大陸の出身だが、茶は台湾の方が好きなんだよ」




 突然、声が聞こえて来た。


 年老いた男の声だった。元々穏やかな声が、老いによってさらに暖かみを増したような声。


 音源は、壁際の席。要の視線が自然とそこへ向く。


 ――声質通り、一人の老人だった。


 要よりもさらに小柄な背丈。上には半袖のワイシャツ一枚を着ており、下には黒いスラックスを履いている。真っ白で短い髪の上には深緑色のハンチング。いかにも好々爺といった温厚そうな顔立ちは、こちらに対して微笑みを作っていた。笑っている間は顔の皺が見られないことから、よく笑う人である事が伺えた。


 紳士のような上品さと、下町のおじいさんのような親しみやすさを同時に感じさせる老夫。


 ――今、俺に声かけたんだよな?


 そう確信しつつ、要はその老人にどう言葉を返していいか分からなかった。


 しかし、その沈黙を易宝が嬉々として破った。


老楊(ラオヤン)! 久しいのぉ!」


 易宝は老人の元へ駆け寄り、嬉しそうに握手を交わした。


「うん、久しぶり、小劉(シャオリウ)。相変わらず君は老けないね」


 皺の多い老人の手も、易宝の手を握り返した。


 イマイチ展開についていけてない要だが、この二人が知り合いである事はとりあえず分かった。


 この店についた「玉茗堂」という名。その名は昨日、易宝が電話相手との会話でもらした単語だった。


 つまり、ここが目的地。


 そして彼が、昨日の電話相手。


 ひとしきり握手を続けると、易宝はそれを離し、その手でそのまま要を示した。


「実物に会うのは初めてだろうから、紹介しよう。――この小僧が工藤要だ」


 老人はそれを聞くと、半眼気味だった目を見開き、要を真っ直ぐ見つめてきた。


「そうか、この子が君の弟子の……」


 彼の発した「弟子」という単語に反応した。


 ――この人、俺の事を知ってる?


 それに、実物に会うのは初めて?


 まるで、姿かたちは前々から知っていたかのような言い方。


 この人は一体……


「あの……あなたは……?」


 まごつく要に配慮したのか、易宝は老人を手で示し、紹介した。


「そういえば、おぬしは初見だったのう。紹介する。このじいさんは(よう)氏。わしの古い知人だ」


 老人――楊氏はその紹介に合わせて会釈してきた。


初次见面(はじめまして)、工藤要くん。私は北京から来た楊北熙(よう ほっき)という者だ。请多感照(どうぞよろしく)

「は、はあ……请多感照(よろしくお願いします)


 要はとりあえず挨拶を返した。あんまり上手じゃない中国語で。


 対して、楊氏は満足そうに頷きながら、


「中国語を教わったのはつい最近と聞いてるけど、それにしては随分上手じゃないか」

「そ、そうですかね。師父からは、まずは喋るより聞くのを上手くなれって感じで教わってきたんで、発音にはあんまり自信がないんですが……」

「ははは、小劉らしいね」


 ころころと愉快そうに笑う楊氏。


 ……うん。とりあえず悪い人ではないみたいだ。いや、師父のダチなんだから当然かもしんないけど。


 んんっ、と易宝は咳払い。そして、改まった口調で告げてきた。


「カナ坊、今日おぬしをここへ呼んだ理由は他でもない。この楊氏と会わせるためだ」


 要はそれを聞いてキョトンとした。


「え、どうして……」

「この爺さんが――我々崩陣拳の門人にとって、欠くべからざる重要な存在だからだ。ゆえに、おぬしにも顔合わせをさせておく必要がある」

「重要な存在……」


 易宝の発した文脈の一部をそらんじながら、要は楊氏を見た。


 一言も言わず、ただ満面の笑みを浮かべている。


 見た感じでは、今まで同様好々爺然とした笑み。しかし今の笑みの中からは、どこか底知れない「何か」を感じた。

 まるで、自分の運命の果てまで見通し、その様子に満足感を得ているような雰囲気。

 それは、この場における彼の存在感を最大限に上げていた。


 易宝はふぅ、と一息つくと、


「さて、このまま話を始めたいところだが…………おい、クソババア! いつまで「空隙(くうげき)」に隠れてるつもりだ!? いい加減姿を現せ!」


 誰もいない虚空に向かい、そう声を張り上げた。


 一体誰に向かって言ってるんだ――そう思った時だった。




「――女の子に向かってクソババアは酷いわよぉ、易ちゃん☆」




 ひどくおちゃらけた女の声とともに、要のすぐ隣に「存在感」が現れた。


「――――っ!!」


 要はビクッと体を震わせ、思わず数歩下がった。


 見ると、要と易宝の間に、いつの間にか一人の女性が立っていた。


 石膏を思わせる白皙の肌。艶っぽさと意思の強さを同時に感じさせる美貌。枝毛一つ無い薄茶色の髪が柔らかく腰まで伸びている。(しゃ)のような薄手の生地でできた黒い長袖と、それと同色のゆったりした長ズボン。それらの装いは、包み込んでいる肢体の曲線美をくっきりと強調させていた。まるで上流階級の婦女といった風貌。


 美しい女性だった。思わず見とれてしまいそうなほどの。


 いや、そんな事は今は問題ではない。


 ――どういうことだ? さっきまで隣には誰もいなかったはずなのに?


 そう。要が驚いた点はそこだった。


 さっきまで、易宝と自分の間には確かに誰もいなかった。


 けれども、この女性の声が響いたと思った瞬間、パッとその実体が湧いて出たのだ。まるでLEDライトの点灯のような前触れの無さで。


 「走雷拳のような常軌を逸したスピードでは?」という考えは浮かんで間もなく切り捨てた。彼女が現れた時、風圧を全く感じられなかったからだ。「高速移動」ならば、風圧が必ずあるはずだから。


 「速さ」でないのなら、この人は一体どうやって突然現れた?


 いや、そもそもこの人は誰なんだ?


 様々な疑問で頭をいっぱいにさせている要を余所に、易宝は慣れ親しんだような気安さで女性に話しかけていた。不機嫌そうに鼻を慣らし、


「ふん、何が女の子だ片腹痛い。おぬしの黄金期なんぞ半世紀以上前に終わってるだろうが」

「あっらぁ、知らないのぉ? 女はどれだけ歳を取っても心は乙女なのよぉ」

「やかましい。それより貴様、関帝廟通りに来た辺りからずっとわしらを尾行()けていたな?」

「ノンノン♫ 「尾行()けてた」って表現は適切じゃないわよぉ易ちゃん。あたしはずっと――易ちゃん達の隣(・・・・・・・)を歩いていた(・・・・・・)んだもの(・・・・)


 なんだって……? ずっと、隣を歩いていた……?


 そんな馬鹿な。ありえない。自分と易宝の周りにはいなかったはずだ。人込みの中にも同様だ。こんな綺麗な女の人なら、いたら絶対目立つだろう。確かに要は見かけていない。


 もう、何が何だか分からない。


「ついでに、この巫山戯た紙切れも貴様の仕業だな。深嵐(しんらん)

「うふふ、バレた?」


 易宝は丸めた紙――『我得到了首级(討ち取ったり)♡』と書かれた紙だ――をポケットから掴み出し、投げつける。女性はそれをいたずらに成功した子供のような笑みでキャッチ。


 あの紙は、この人が入れたのか。


 いつの間にそんなことを、そしてどのようにやってのけたのか。それは今の段階では置いておくとしよう。


 深嵐……どこかで聞いたことのある名前だった。


「師父、その人は?」


 ようやく、その言葉を口にできた要であった。


 易宝は苦々しい顔を崩さぬまま、親指でクイッと女性を指し示した。


「こいつは紅深嵐(こう しんらん)。奇影拳の『高手(ガオショウ)』にして、悪辣なクソババアだ」

「どーも、易ちゃん曰く悪辣なクソババアの深嵐ちゃんです☆」


 片目をパチリと閉じ、舌をちろっと出し、かわいこぶったポーズを取って挨拶してくる女性。その開き直ったようなリアクションが癇に触ったのであろう易宝は「腹立つ……」と静かにつぶやいていた。


 紅深嵐――そうだ。聞いたことがあるではないか。


 強力な力を持った奇影拳の『高手』。二・二六事件があった辺りの時代に生まれた人。そして、易宝が一度だけ負けたことのある相手。


「それにしても……君が工藤要くんかぁ……へーぇ……」


 女性――改め深嵐は、やや鋭い猫のような眼差しを好奇心で輝かせ、要をじっくりと見つめてきた。


「ふむ……ふむふむ……ふぅむ……」


 真っ直ぐ見るだけにとどまらず、右、左、前、後ろと様々な方向から好奇の視線を向けてくる。


 居心地の悪さに身を微かによじっていると、ようやく満足したのか、深嵐は再び元の立ち位置へ戻り、ニンマリと笑った。


「ふふふっ、なかなか可愛らしい子じゃない。そしてその中にもどことなく男の子らしさがある。奐泉(かんせん)ちゃんがゾッコンになるのも分かる気がするわぁ」


 そんなことをのたまってきた。なんだか意味がよく分からない単語と文脈を最後に付け加えて。


「……のう、無駄話はここでお開きにして、いい加減本題に入らんか?」


 易宝はうんざりしたように目頭を揉みながら言う。


 対し、深嵐はあからさまにニヤニヤしながら易宝の背にしなだれかかり、


「ふへへへ、なぁに易ちゃん? ジェラシぃ?」

「吐かしてろ」


 ぷいっとそっぽを向く易宝。深嵐はその耳元で「ぶーっ」とわざとらしく頬を膨らませた。


 ――あらゆる情報が頭の中に一斉に飛び込んできたせいで、未だに混乱が収まらない。


 崩陣拳という門派にとってなくてはならない存在だという老人、楊氏。

 奇影拳の『高手』であり、易宝とも顔見知りらしい年齢不詳の美女、紅深嵐。

 そしてそのメンツに、自分と易宝が追加される。


 これらの人物がこの一箇所に会する事に、一体どんな意味が含まれているというのだろう。


 ふと、楊氏と目が合った。


 彼は、ただただ温和な微笑みを崩さぬまま、こちらを見つめていた。


 その瞳からは――まるでずっと探し焦がれていた人物にようやく会えたような、そんな感動のような輝きが見えた。


 そういえば、易宝は自分を楊氏に会わせるためにここへ連れて来た、と言った。


 その目的は、一体なんだろう?


「工藤要くん。私が海を越えてこの場にやってきた理由は二つある。一つは、単純に君と会いたかったから。そしてもう一つは――私の口から「全て」を君に話すため」


 まるで要の心の内を見透かしたような言葉に、思わず息を呑んだ。


「今から話そう。崩陣拳という門派の歴史と真実を。そして工藤くん――君自身についての事を」


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