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戦え、崩陣拳!  作者: 新免ムニムニ斎筆達
第一章 入門編
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第七話 小さき者の戦い方

「カナちゃん、お話があります。そこに座りなさい」


 早朝。

 二階の自室から朝食を食べに一階のダイニングキッチンへ降りてきた要を待っていたのは、肉の香ばしい香りと、母、工藤亜麻音のむくれ顔だった。


 やや丈の余る長袖のパジャマ姿で木製ダイニングテーブルの一角に座する彼女は、要に似た大きな瞳を疑惑の色に染めながら、細くて色白な人差し指で向かい側の席をちょんちょんと指し示す。


「え? ああ……うん」


 いきなり何だと思ったが、亜麻音の表情を見た要は一旦考えるのをやめ、とりあえずそこへ座ることにした。


 昔からそうだ。亜麻音がこのような顔と目をする時は、大抵自分のやった何かが彼女の気にかかり、それに関して物申す時である。

 いずれも大した話ではない。「ああいう服はカナちゃんには似合わないと思うの」とか「お尻のことを「ケツ」とか言っちゃダメよ」などといったものである。

 だが、この顔をしている母に逆らうことはあまりいい策とは言えない。その場をしのいだところで、また別の時間を見つけて追求をはかってくるからだ。

 なら、先延ばしにせず、今のうちに消化しておく方がいいだろう。


 はてさて、今回は何を言われるやら。

 表には出さず心の中で苦笑しつつ、要は椅子に座る。


 向かい側には、むくれたベビーフェイスの母が沈黙してこちらを凝視している。いかにも「これから大事な話をします」といった雰囲気だ。つられて自分も黙ってしまう。

 そしてそんな二人の間を流れるBGMとなっているのは、大型液晶テレビの流すどうでもいいニュースと――父、工藤良樹(よしき)がキッチンで鼻歌まじりにハムエッグを焼く音だった。 


 温厚そうに見えるパーツをふんだんに組み合わせて構成されたような顔立ちは好青年と呼ぶにふさわしい。もう三十半ばになるが、その身は細くスラッとしていて、メタボリックシンドロームの傾向が一切見られない。

 家事スキルが絶望的な亜麻音に変わって料理、洗濯、掃除などを喜んでやってくれる主夫で、趣味を「妻の世話」と公言するほど。

 なるべく定時で帰れる市役所職員の仕事を選んだ理由も、家事の出来ない亜麻音を世話するためらしい。


 やがて亜麻音は責めるような様子で口を開いた。


「カナちゃん、あなた最近何をしてるのっ?」


 質問の意味が、イマイチよく分からない。


「いや、何をしてるのって言われてもよ……」

「決まってるでしょカナちゃん? ――入学以来、ほぼ毎日帰りが遅いのはなんでなのっ?」

「…………ぅ」


 要は言葉に詰まる。ああ、とうとうツッコまれてしまった。


 シオ高からここ工藤家まで、そう時間はかからない。両者とも最寄駅から徒歩五分以内の距離だし、シオ高のある「潮騒町駅」と自宅からの最寄駅は四つしか離れていない。時間割がフルに入っていたとしても、夕方中には家路につくことが出来る。

 だが自分は入学以来、放課後は易宝のもとで修行に励んでいたため、帰りは大体暗くなった時だった。その事を不審に思ったのだろう。


 実は要は、自分が武術を学び始めたことを、まだこの二人には言ってないのだ。


 父、良樹は見た目通りおおらかな人なので言っても平気だろう。問題は母、亜麻音だ。


 亜麻音はどうやら自分を「可愛い男の子」にするのをまだ諦めていないようで、自分が少年漫画を読んでいるのを見ると頬をぷくっと膨らませる。本人曰く「可愛い趣味じゃないわっ」だそうで。

 ましてや拳法なんて、亜麻音的「可愛くない趣味」の代表格ともいえる存在。悪い表現をするなら殴り合うための技術だからだ。

 自分がケンカで青あざ作って帰って来ただけでオロオロするような人だ。拳法をやってるなんて知れたら何を言われるか分かったもんじゃない。


「それに昨日だって顔におっきなバンソーコーして帰って来たし…………」

「そ、それは……」


 今でも頬に貼り付けたままの絆創膏を優しく撫でながら、要は逡巡の顔を見せる。ケンカしてました、なんて言えるかよ。

 そんな自分をじぃっと疑いの目で見つめる亜麻音の前に、横から伸びた手がコトンと皿を置いた。上にはハムエッグが乗っている。


「もしかして、何か部活にでも入ったのかい?」 


 手の主、良樹は微笑みを交えてそう尋ねつつ、要の前にもハムエッグを置く。


「え…………そ、そう! 部活! 俺部活に入ったんだよー!」


 部活とはナイスな言い訳材料だ。要は提供してくれた良樹に心の中で感謝しつつ、それに乗る事にした。部活なら学生らしい、明るい取り組みに聞こえるはず。


「何部に入ったのっ? ママに言ってみなさい」


 だが、そこに亜麻音の追撃が入る。ちくしょう、食い下がって来た。


「な、何だっていいだろっ」 


 要はそっぽを向いて、投げやりにそう答えた。

 ああ、我ながら苦しい対応だ。見ろよ、母さんの顔。犯人を追い詰めた刑事みたいだ。


「やっぱり何か隠してる! もしかしてボディービルディング部みたいな所に入ったんじゃ!? イヤーーーー私イヤよーーーー! ウルヴァ○ンみたいな体の上にその可愛い顔が乗っかってるとこなんて見たくなーーーーい!! 毎晩夢に出てきちゃーーう!!」

「変な想像すんじゃねーよ! ちげーから! そんなトコ入ってねーからな!?」


 頭を振り乱して叫ぶ亜麻音に要は必死に弁解する。なんだよボディービルディング部って。そんな部活、探すほうが大変だっての。


 そんな亜麻音の前に、良樹が乳白色の液体が入ったグラスを置き、苦笑まじりで、


「まあまあ、亜麻音ちゃん。スムージーでも飲んで落ち着いてよ」

「う、うん。ありがと、よっくん…………あら美味しい」


 亜麻音は黙々とスムージーを飲み込んでいく。取り乱したりおとなしくなったり忙しいなぁ。


「亜麻音ちゃん、要が自分で決めた事なんだから、たとえマッスル化するとしても、親として子供の意思は尊重しないとだよ?」


 良樹はなだめるように亜麻音に言った。

 いや、マッスル化なんかしねーから。要は心の中で突っ込んだ。


「うう~~~~…………分かってるけどぉ~~……」


 亜麻音は頬をぷくーっと膨らませ、子供のように唸る。幼さが残る顔立ちも相まって、本当に子供みたいである。

 そんな亜麻音をよそに、良樹は柔らかな微笑みを浮かべながら、


「要、気が引けるなら無理に話す事はないよ。お前は少し短気で喧嘩っ早いところはあるけど、決して道を踏み外すような事をする子じゃないって分かってるから」

「……父さん」

「打ち込みたい事があるなら、思いっきり打ち込みなさい。父さんは応援してるから」


 父のそんな暖かな言葉が、胸にスーッと染み込んでいった。


「……アリガト、父さん」








 ◆◆◆◆◆◆ 









 そんな朝のやり取りを終えた後、要は朝食のハムエッグとトーストをさっさと腹に収め、制服に着替えて家を出た。

 最寄駅を含めて四つ目の駅である潮騒町駅で下車。駅を出てから徒歩で五分も経たない場所に潮騒高校はある。


 要は多くの生徒の波をくぐり抜け、昇降口にやって来た。

 出入り口から入ってきた生徒たちの塊がバラけ、別々の下駄箱へ向けて歩みを進めて行く。

 要も彼らと同じように自身の下駄箱を見つけ、カンフーシューズから上履きに履き替えて校舎内に足を踏み入れた。


 廊下を歩く途中、ゴミ箱があるのを見咎めた要は、頬にぴったりと貼られた絆創膏に触れる。「何かと触れている」以外の触覚は感じなかった。


 ――もういらねーか。


 そのまま絆創膏をビッと剥がし、丸めてゴミ箱へ放り込んだ。


 昨日、易宝が施した治療は、思いのほか効いた。

 いつもなら最低二日は尾を引くはずであろう打撲の痛みが、一晩寝ただけで嘘のように消え去ったのだ。

 嘘だろ、と思って患部だった所を指で強く押したが、指の圧力以外の痛みは全く感じられなかった。

「一晩寝れば治るだろう」と言われて半信半疑だったが、まさか本当に治るなんて。


 なんだか易宝と出会って以来、驚くべき事にたびたび遭遇しているような気がする。


 今度はどんな驚きに会えるのだろう。それを考えると、これから毎日を過ごすことが楽しみに思えてきた。


 要は階段までたどり着くと、周りの生徒には聞こえない小さな声で呟いた。


「今日も頑張るかな」









 長い階段を登りきり、要は五階にたどり着いた。


 シオ高の校舎は一つのフロアに一学年の教室が集中しており、最上階の五階には一年生の教室、四階は二年生、三階は三年生と、学年が上がるにつれてフロアが下がっていく。

 そのため、一番下の学年である一年生が一番に労力を強いられる。

 入学当初は息切れしながら上っていた要だったが、最近は余裕ができている。

 慣れてきたのか、それとも階段を上るよりも厳しい修行を毎日繰り返しているからか。


 そんな事を考えながら、要は朝の賑やかさを外へ洩らす一年三組の教室にやって来て、その扉を開けた。喧騒が一気にこちらへ押し寄せる。


 だが教室へ足を踏み入れた瞬間――その賑やかさが一層強いものとなった。


 何事かと思い、要は教室を見渡す。

 クラスメイトたちはそれぞれ塊を作り、遠巻きからワクワクしたような笑みを浮かべてしきりにこちら側をチラチラ見ている。

「見て、あの子よ」「マジかよ、あいつが?」「嘘だろ?」「あんなちっこい奴が?」「らしいよ、すごいよね」「人は見た目によらないって本当だったのね」…………皆口々にいろいろ喋っている。どれも要領を得ない言葉だ。


 要は後ろを向く。誰もいない。自分が横へずれると、皆の視線も移動する。

 自分を見ていることは明白だった。


 なぜ? それを考えるよりも先に、聞きなれた声が耳に飛び込んできた。


「よう、工藤! おはっす!」


 声の主である倉田はスキップ気味にこちらへやって来ると、嬉々として肩をバンバン叩いてくる。

 やけにハイテンションな倉田は続けて言ってきた。


「ハハハ、いやぁ、お前スゲェな!」

「痛いって、倉田。それにスゲーって? なんで皆俺を見て笑ってるの?」

「なんでって……そんなもん決まってんだろ?」

「いや、わかんねーって。ホントに何事?」


 要のその問いには、倉田の後ろにいるもう一人――岡崎が答えてくれた。


「お前が昨日、鹿賀をやっつけたことが学校中で話題になってるんだよ」

「ええっ? マジかよ…………ひょっとしてお前らが?」

「いや、広めたのは俺らじゃないよ。俺らが昨日校舎裏に駆けつけた時にはもう鹿賀はいなかったから、どっちが勝ったかは今日聞くまで分かんなかった。俺らてっきり、お前が負けたものだと思ってたから、逆にやっつけたって聞いた時はびっくりしたよ」


 岡崎の言葉に、要は戸惑いの表情で、


「い……一体誰が……」

「わからん。もしかして校舎裏の窓から誰かが見てたんじゃないか?」と岡崎。


 しばらくすると、遠巻きに見ていたクラスメイトたちが、好奇心に満ちた顔をしながら一気に押し寄せて来た。 


「工藤くんスゴーイ!」

「あの「血染め」を倒したってマジ!?」

「工藤くん頼りなさそうだと思ってたのに見直しちゃったー!」

「マジすげーよ!」

「ホントホント!」


「わ、わわっ」要は押し寄せる人波を前にどうしていいか分からず、オロオロし始める。こういう風に大勢から賞賛されることに慣れていない要らしいリアクションだった。


「ワンパンで倒したってマジ!? リアルワンパン○ンなの!?」

「殴られた鹿賀が壁にめり込んだってマジ!?」

「腕の関節回して竜巻作れるってマジ!?」

「九秒間に百の秘孔を突いたってマジ!?」

「死ぬ間際に天国を感じられるってマジ!?」


 返事に窮した要は何も言わずに、ただただ引きつった笑みを浮かべてごまかす。ていうか今日の朝だけで尾ヒレ付き過ぎだろ。それに最後の。殺しちゃダメでしょうが。

 いっそここから逃げ出してしまおうかと本気で考えかけたとき――反対側の出入り口が乱暴に開かれた。


 見ると、今まさに話題の渦中にいる人物の一人、鹿賀達彦が教室に入ってきていた。後ろには相変わらず、三人の手下が付いている。


 それを見たクラスメイトたちが一気に静まり返る。


「…………チッ!」


 入ってきた達彦はただでさえ機嫌が悪そうだったが、自分と、そしてそれに群がるクラスメイトたちを一瞥するとハッキリ舌打ちし、心底面白くなさそうな顔をして再び教室を出た。手下三人も慌ててそれに続く。


「なんだあれ……」

「感じ悪ー……」


 達彦が遠ざかったのを確認すると、黙りこくっていたクラスメイトの口々から封を解いたように非難の言葉が溢れ出す。

 そんな彼らとは違い、要はやや緊張を見せていた。


 ――もう、何も起こらなきゃいいけどな。









 ◆◆◆◆◆◆ 









「――今、少しだけ足が慌てたぞ。しっかりしろ」


 易宝にそう注意され、要は正拳を突き出した体勢のまま、汗まみれな顔で頷く。


 要は放課後学校を出て、まっすぐに易宝養生院へやって来た。

 易宝に開口一番「もう痛まないか?」と聞かれたので、自信満々に首肯すると満足そうな笑みを見せ、修行をすることを許可してくれた。


 そして現在――要は夕日の中、『開拳』の修行にひたすら没頭していた。


 達彦との一戦以来、技を確実に成功させる事の重要性を痛感した要は、これまで以上に『開拳』に熱を入れている。

「誤って改めざる、是れを過ちという」という言葉をいつだったか学校で習ったことがあるが、今の自分の置かれた状態がまさにこの中間の段階。改める道、改めない道、どちらを選択するかの状態だ。

 もちろん、自分が選ぶのは前者だ。自分の目的は、今よりもっと強くなること。そのためには、改める道を選ばざるを得ないのだ。


 要は一心不乱に拳を突き出しながら、中庭の土を踏み進んでいく。

 慌てないように。焦りは体を強ばらせ、技の成功を妨げる要因だ。水平線のような平常心で、そしてその上で求める気持ちを大切に。


 (イー)……(アール)……(サン)……(スー)……(ウー)……(リウ)……(チー)……(バー)……(ジウ)……(シー)――拳が重量を帯びる。


 十分の一。これが今の自分の限界だ。

 だが近いうちにこれを縮めて、確実に発力を打てるようにしてしまおう。達成は近い。

 これをやり遂げた自信は、きっと後学に大きく役立つだろう。要はやる気が増した。


 そして、手足に感じるだるい苦痛を払拭しながら必死に拳を打ち続けること数分後――


「はい、五分休憩」


 母屋まで往復を終えたところで易宝の号令がかかると、体の力がガクッと抜けた。

 要は地へ落ちるように膝をつき、荒く息継ぎをしながら黄銅色の地面とにらめっこ。大量の汗が前髪や鼻先を伝って目の前の土をぽたぽたと濡らす。雨が降っているみたいだ。


「いいぞ。いつにも増して気合が入っとる。そのモチベーションを維持し続ければ完成は目前だろうよ。ただし焦らんようにな」


 頭上から、易宝の笑みを含んだ声が降ってくる。

 呼吸が荒い今はしゃべるのが億劫だったので、要は「ハハッ」と軽く笑うことで返事を返す。


 ある程度息が落ち着いてきたところで、要は気がかりだったことを尋ねた。


「そ…………そういえば……昨日…………防御とか避け方とか……教えてくれるって、言ってたよね……」

「ああ。休憩が終わったら、次はそれを教えるつもりだ。だから今は少し休め」


 易宝にそう言われて、要は地面に尻を付き、どかっと座り込んで休息を取り始める。


 荒かった呼吸もすぐに整っていき、あっという間に五分は過ぎていった。


「よし、時間だ。立てカナ坊」

「おうっ!」


 待ってました、とばかりに要はピョンと立ち上がる。


「――これより『百戦不殆式(ひゃくせんふたいしき)』と『閃身法(せんしんほう)』を教える! まずは『百戦不殆式』からだ。わしの構えをよく見ておけよ」


 易宝は体を右斜めに向けて半身になり、腰を落とす。

 左掌を腕ごと立てるように前へ構え、もう片方の右手は拳にして、前に立てた左腕の真下に添えるように構えた。


「これが崩陣拳で用いられる基本の構え『百戦不殆式』だ。カナ坊、わしに向かって『開拳』を打って来い」

「ええ? でも、危なくない?」

「バカを言え。今のおぬしのナメクジじみた突きなんぞ、十年連続で避けられる自信があるわ。だから安心するがいい」

「……む」


 少しだけカチンときた。ナメクジはないだろ。ホントのことかもしれないけどさ。

 それを見て、易宝は口の端を軽く歪ませる。 


「……いい目になったな。よし、もう一度言う。打って来い」

「ああもう、分かったよ、行くぞっ」


 要は前方で『百戦不殆式』の構えを取る易宝を視界の中心に捉え、右足を屈曲。右拳を脇に、左拳を引き手として前に構え、右足の力を開放。それと同時に「通背」で両拳を入れ替えていく。

 全身の力を総動員させたしなやかで、なおかつ鋭い右拳打が易宝へ急激に迫る。このまま何もしなければクリーンヒットは間違いなかった。


 だが次の瞬間――前に構えていた易宝の左腕が、突き出された要の右腕の左側面にするりと接触。それによって要の拳は進行方向を右に逸らされ、易宝にはヒットせず。

 易宝は驚く間を一切与えることなくそのまま要の懐へ入り込み、残ったもう片方の拳を腹部で寸止め。


 両者の動きはそこで停止する。


 自分の腹部と薄皮一枚の距離で止められた易宝の拳を見下ろし、要はぞわっとした。


「――このように、この構えでは相手の攻撃を防いでから、そのまま自分の攻撃に繋げることができる、というわけだ」


 易宝の解説はまだ続く。


「だがそれだけではないぞ。ほい」


 突き出されたままだった要の右腕が、接触していた易宝の左手にガシッと掴まれた。


「こんな感じで、相手の突きを受け流してから、そのままその腕を捕らえることもできる。この状態ならもう片方の腕で相手の顔面を殴ったり、足で蹴ったりすることが簡単に可能だ。そして――」


 易宝が左足を後方へ大きく退け、そこに重心を移す――要の腕を掴んだまま。


「うわっ!」 


 当然のごとく、要の体は易宝に掴まれた右腕からグイッと引っ張り込まれ、バランスを崩して転倒しそうになるが、待ち構えていた易宝がキャッチしてくれたおかげで地面とぶつからずに済んだ。


 間近にある易宝の顔がそのまま告げる。


「こうやって、相手を引き倒す摔法(投げ技)に繋げることもできる」

「へぇー……便利ー……」

「だろう? だが、最後のこの摔法だけはむやみな使用を控えておくことだ」

「どうして?」

「それを今から教えてやろう」


 そう前置きすると、易宝は要を立たせ、自身の右腕を差し出してきた。


「まずはこの腕を掴め」


 言われるがまま、要は出された右腕を左手でギュッと掴む。


「いいな? そしたらわしを一気に後ろへ引き込め」


 易宝の腕をしっかりと握り締めながら、要は後ろに体重をかけ、渾身の力でその腕を引っぱった。

 その腕は羽のようで、恐ろしく軽い――――当然だ。易宝自らこちらへ飛び込んで来ているのだから。


「痛っ――!?」


 驚くことが許されたのはほんの一瞬の間。要は飛び込んできた易宝の体をその身で受け止めたことで、思わぬ衝撃を食らった。その拍子に掴んでいた腕をほどいてしまい、後方へ勢いよく投げ出されて地面に背中を打つ。


「――とまぁ、ある程度実戦慣れした相手なら、こんなふうに引っ張る力に乗って体当たりしてくる可能性がある。だから使いどころは考えること。分かったか?」

「う、うん……いてて」


 易宝が差し出した手を取って立ち上がる要。


「よいか? もしも転んでしまったら痛くても速やかに立ち上がるのだ。地功拳のような特異な拳法を除いて、中国の武術は立って戦うものがほとんどだ。日本の柔道のような寝技はない。だから寝転がってるところを攻められたらお開きだ」

「わ、分かった」


 易宝は「さてと」と腰に手を当てると、


「『百戦不殆式』の説明は以上だ。次は――『閃身法』を教えてやる」

「『閃身法』?」

「うむ。「閃身(シャンシェン)」というのは中国語で「避ける」という意味で、その名の通り、相手の攻撃をかわす方法ということだ。これはおぬしには絶対に覚えてもらわないといかん」

「どうして?」

「昨日、腕のリーチが足らんと感じたんだろう? それを補うためだ」

「――!」


 要は興奮で総毛立つ。どんな方法だろう、と。


 それに構わず易宝は続けた。


「おぬしは体が小さい方だ。だからちょっとばかし工夫をしないと、大男に一発入れるのはちと厳しい。さっき教えた『百戦不殆式』を使うのも手だが、持ち札がそれだけじゃ心もとない。そこで体捌き――『閃身法』という一枚を追加してやる」

「体捌き?」

「そうだ。達人と呼ばれた者の中には、おぬしのように体が小さい者も少なくなかった。八極門の李書文(リー・シューウェン)がそのいい例だ。あやつはほとんどの相手を一発でぶっ殺してきたことで有名だが、身長はせいぜい百六十センチ程度。おぬしと同じくらいだろう」

「い、一発で……マジかよ」

「だが李が強かったのは、パワーがあったからだけではない。その殺人的なパワーを秘めた一発を絶対に当てる(・・・・・・)ことができたから(・・・・・・・・)こそ、奴は「二打不要(二の打ち要らず)」と呼ばれたんだ。そしてそれを可能にするものこそが体捌きだ。ただ攻撃を避けるだけではなく、そのまま自分にとって有利な位置を取ることで、小さい者でも大きな者へ一撃くれてやることが十二分に可能となる。今から教える『閃身法』もそのためのものだ」


 易宝はまっすぐ立ち、両手を軽く広げる。


「『閃身法』には二つの使い方がある。今から一つずつ教えていこう。さあ、またわしに『開拳』を打ってくるんだ」


 要は小さく頷くと、腰を落とし、両拳を構える。

 構えぬまま直立姿勢の易宝を標的に、後ろ足と上半身の力を同時開放――右拳による『開拳』を繰り出す。


 そして、放った右拳が当たる寸前、易宝は自分の隣――右拳の外側に素早く移動。標的を失った突きが空を切る。

 自分のすぐ右隣には、小さく笑う易宝の姿。


「一つ目はこのように、相手の横合いへ移動するやり方。相手の突きや前蹴りなどが来たら、その打撃部位の外側へ足を素早く運び、そこへ移動し回避する。蟷螂拳(とうろうけん)なんかでよくやる戦法だ。避けるのにも役立つが、避けると同時に相手の攻撃の範囲内に入り込むことも可能だ。わしが今いる位置も、おぬしの伸ばされた拳の範囲にすっぽり収まっているだろう? ここからおぬしを殴ることも容易」


 そう言って、隣の易宝はそのままヒュッ、と自分の顔面へ右拳を放ち、鼻先で寸止め。

 視界いっぱいにアップされた易宝の拳に、要は全身を硬直させた。


「――だろう?」

「お、おう」


 恐る恐る頷く要。


「さて、あともう一つだ。カナ坊、もっかい『開拳』」


 打って来い、と手で促す易宝に従い、要は再度距離を取る――腰を落とし、三度目の『開拳』を放った。

 一気に肉薄、今まさに腹部に当たらんとする距離まで来た右拳を――易宝は全身を反時計回りに勢いよくよじることで自分の位置をずらしてかわしつつ、右肩から要の懐へ潜り込んで停止。


 ゴクリ、と息を呑む要。


「これが『閃身法』二つ目の体捌きだ。相手が真っ直ぐ打って来た攻撃を、身をよじって体軸をずらすことで回避すると同時に、そのまま懐へ侵入する。相手の正面に立たなきゃならんから少し勇気が要るかもだが、上手く使えるようになればまさに鬼に金棒だ。この距離ならば簡単に攻撃が当てられるからのう」


 易宝は要の胸に一番近い右腕を使い、鼻先に裏拳、鳩尾に肘打ち、金的打ちを実演してみせる。

 無論、寸止めで、だ。全部急所なので当たったら痛いだろう。これが実戦だったら……要の背中に冷たいものが走る。


 易宝は要の胸から離れ、


「以上が『閃身法』だ。これを使いこなせるようになれば、たとえ身長差があろうとも、互角かそれ以上に渡り合うことが出来るようになるだろうよ」

「ほ、ホント!?」

「ああ、わしが保証する。なにせ、わしの師もおぬし同様チビだったんだからのう」


 それを聞いて、要は嬉しそうにはにかんだ。


「さあ、方法は教えたぞ。次はそれを実際に使うための練習に入ろうか、構わんなカナ坊?」

「おう!」

「良い返事だ。それじゃあ始めに――さっき教えた『百戦不殆式』の構えを取れ」


 要は右斜めへ体を向けて半身になり、左腕を前に立て、その下に右拳を添える。覚えたての『百戦不殆式』だ。使い方もちゃんと覚えている。


「よし、先ほどまではおぬしに打たせていたから、今度はわしが打つ役に回ろう。これからおぬしを攻撃する。対するおぬしはさっき教えた『百戦不殆式』『閃身法』のいずれかを使ってそれを避けよ」

「ええ!? 師父が打つ役ぅ!? 大丈夫かよ、危なくない?」

「案ずるな、ちゃーーーーんと手加減するとも。だから食らってもおぬしが逝ったり廃人になったりすることはない。易宝養生院の全財産かけても構わん」

「そ、そうか? それじゃあ……やる」


 要は気合を入れて構えを維持し、前方に立つ易宝からの攻撃に備える。


「それでこそわしの弟子だ。じゃあ――行くぞっ」


 易宝が右拳を脇に構えて腰を落とし、ゆらりと動き出した――来る。


 右拳……なら最初は『閃身法』を使って左へ逃れよう。要は早々に行動方針を決め、攻撃に備――――


「――――え?」


 ――――えようとした瞬間、約二メートル先に立っていたはずの易宝が急激に視界にバストアップし、腹部に強烈な一撃を叩き込まれた。


 その凄まじいインパクトで要の体が宙を舞い、背中から着地するととんでもない勢いで何度も後転。中庭を囲う木塀の数メートル前で仰向けになりようやく静止した。


「いってーーーー!」


 要は打たれた場所を押さえて、ひっくり返ったコガネムシのように足をジタバタしながら苦悶の叫びをあげる。


 易宝が小走りでこちらへ来る。二人の距離は打つ前よりもさらに広がっていた。


「ほら、何を寝ている? さっさと立て!」

「ちょちょちょちょっと待てーー! 手加減なんてしてねーじゃん! どんだけ吹っ飛んでるの、俺!?」

「何を言ってる? ちゃーーーーんと手加減しただろう? もし本気だったらおぬしはもうあの世行きだ」

「……リアリー?」

「マジだとも。分かったなら早く立つのだ。続きをやるぞ」


 要は渋々といった表情で立ち上がり、再び『百戦不殆式』の構えを取った。くそっ、今度は絶対避けてやる……!


「言っておくが、失敗して打たれる事は別に悪いことではないぞ?」

「なんで? 攻撃食らうのはマズイだろ」

「まあ実戦では、な。だがこれは練習だ。練習で何度も打撃を受けて痛い思いをすることで、だんだん打たれる事に対する精神的な余裕が生まれて、敵が殴りかかってきてもあまりビビらなくなるもんだ。格闘技のスパークリングはそのためにやるものでもある」

「…………つまり?」

「どんどん失敗して構わんゾっ♫」

「い、嫌だ! 絶対避けてやるっ!」

没問題(大丈夫)、没問題。昨日言ったろう? 怪我したら治してやると。だから安心して失敗するがいいさ」


 易宝がニヤァと笑う。いかん、これは意地悪モードだ。





 それから要は日が暮れるまでの間、何度も「失敗」した。


 反比例して避けられた回数は、両手の指で数えられる程度だった。

読んでくださった皆様、ありがとうございます!


ああ……ちゃんと書けたかなぁ……?

説明過多、もしくは不足してないかなぁ……?



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