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戦え、崩陣拳!  作者: 新免ムニムニ斎筆達
第四章 金行の奸計編
78/112

第九話 決着と粛清

ちょっと文量多いです……


 無数の雨粒が舞い、稲光が照らす神社の境内にて、その混戦は繰り広げられていた。


 要、達彦、竜胆の三人は、無数の『軍隊蟻』を相手に大立ち回りしていた。


「ふっ!」


 竜胆は数度体を回転させてから、振り向きざまに股を一気に展開。外側へ払うような蹴りを振り出した。

 回転による遠心力、骨盤の展開力を合わせた払い蹴り『旋風擺蓮』。合理的な身体操作から生まれた強い運動量は、その足の細長さとは不釣り合いな力を竜胆の蹴りに与えた。

 目標の敵の二の腕に狙いあやまたず命中。しかしそれだけでは収まらず、その敵と隣り合わせていた二人の男も同時になぎ倒す結果となった。


 べちゃべちゃべちゃっ、と三人分の落下音が耳朶を打つよりも速く、竜胆は次の相手(えもの)に急迫していた。

 みぞおちにくっつくくらいに片膝を抱え込み、そして踏みつけるような前蹴りを放つ。

 その男は慌てて角材を構えてガードの体勢に入る。だが竜胆の蹴りは、ガードに使われた角材を爪楊枝のように容易くへし折り、本体に直接ぶち当たった。

 男は吸い込まれるような勢いで真後ろへ飛び、地面に仰臥。


「おらぁ!!」


 背後にいた男が、棒を竜胆めがけて横一直線に振りかかる。


「おっと」


 が、そんな男の攻撃をあらかじめ読んでいたのだろう。竜胆は腰が九十度になるほどに前傾し、棒の軌道上から上半身を外した。背中の上を一陣の風が通る。


「かはっ……!?」


 そして回避に成功した時には、すでに竜胆の後ろ蹴りが男の腹に噛み付いていた。バレリーナのように片足を真後ろへ跳ね上げる蹴り、『蹶子(けっし)』である。避けるために上半身を前傾させつつ、片足を後ろへ跳ね上げて攻撃したのだ。


 以降も巧みな足技の数々を惜しみなく発揮し、竜胆は敵の数を減らしていく。


 そんな彼の背中側から、バットを持った者が一人駆け出してきた。


 しかしその男に、横から飛び出した達彦がタックルを仕掛け、地面に転がした。


 達彦はそいつが取り落とされたバットを足で寄せると、今まさに近づいている一人の敵の足元へ蹴転がした。

 その敵はバットを踏むと、その転がるままに足を取られ、仰向けにぶっ倒れた。


「囲い込め!!」


 『軍隊蟻』の次の行動は速かった。数人で囲い込み、その輪の中央にいる達彦へ集中するように攻め込んできたのだ。

 四方八方を敵で塞がれた状況。これでは「避ける」という選択肢は選べない。

 だからだろう。達彦は棒切れを振りかぶりながら駆けてくる眼前の敵めがけ、疾風のような速度で”歩き出した”。

 走雷拳特有の流れるような高速移動。達彦は目標との間隔を一瞬で潰しきった。

 武器を振りかぶっているせいでがら空きなボディへ向かって、肘が突き刺さる。


「ぐぼっ――!」


 その男は何かを吐き戻すような呻きを口からもらすと、宙へ飛び、緩やかなアーチを描いてから転がり、動かなくなる。あの高速移動の勢いが乗った肘打ちだ。当分起き上がれないことだろう。

 先ほどまで囲い込もうとしていた残りの敵たちは、達彦へ目標を絞り直した。そして、雪崩のように一斉に襲いかかる。

 それらを流れ作業のように蹴散らしていく達彦。

 打撃は鋭く。

 防御は手堅く。

 回避と同時に、自分にとって有利な立ち位置を奪う。

 改めて見て、彼のすべての動作が、以前よりも洗練されていると感じられた。


 ――達彦、お前スゴイよ。


 要は驚きを通り越し、尊敬の念すら抱いた。

 自分が多人数とまともに闘えるようになったのは、ほんの最近からのことだ。つまり、そこまで成長するのに三ヶ月は掛かったことになる。

 しかし、達彦は自分よりもずっと短期間で、ここまでの実力を持つことができている。自分をはるかに超える成長ぶりだ。

 臨玉の指導力の賜物でもあるかもしれないが、それ以上に達彦の努力のおかげだろう。彼の技や動きの端々から、その努力が垣間見えた。


 ひと月前までの素人はそこにはいない。


 いるのは、刀のように研ぎ澄まされた技を持つ、一人の武術家だった。


 武術を習う先輩として、要も負けてはいられないと思った。


 視野を広く持つ。横一列に並んで近づいてくる男たちの全身を見極める。

 棒を縦に振り下ろす「初動」が全員の上半身に発生。要はその発生が一番遅れた、右端の男に狙いを定めた。


「ふっ!」


 要は両腕を頭上でクロスさせて頭部をガードしながら、後足を瞬発。

 目標の男の懐へと一気に飛び込むと、ダッシュの勢いを込め、足裏で踏むように蹴った。『蹬脚』だ。

 潰れたような呻きを上げて、男は真後ろへ勢いよく流される。


「クソがっ!」


 すぐ左隣にいた男がいきり立ち、木の棒をスイングさせようとする。

 だが要はそのリーチ内に素早く入り込み、棒を握る腕を両手で押さえてスイングを止める。

 後足と背筋を同時に伸ばしてから、踏み込みを入れる。それによって生じたアーチ状の運動量が、相手の腕を押さえる両手に伝達された。


「どっ!?」


 『浪形把』の勁力を利用した両手押しは、要よりも一回りも大きな男の五体を軽々と押し流した。

 さらにその後ろにいた仲間も巻き込んで共倒れし、地面にバタバタと雑魚寝する。


 それからも休みなく、敵が攻めてくる。

 しかし、要はそのことごとくを躱し、防ぎ、そして一撃のもとに沈黙させた。

 さっきまでとは違って、攻めてくる敵の数がかなり減っていた。それによって周囲を過剰なまでに警戒せずに済み、立ち回りに余裕が生まれていた。達彦と竜胆が手伝ってくれているおかげだ。

 さらに、敵が減る速度も凄まじく速かった。

 三人の個々の力が強いのはもちろんだが、それだけではない。

 一人の動きが他の邪魔にならず、上手く噛み合っていた。連携が不思議と取れていたのだ。

 要は今更ながら確信した。


 これが「力を合わせる」ってことなんだ。


 自分一人じゃカツカツでどうしようもなかった事でも、手伝ってくれる仲間がほんの少しでも加わるだけで、こんなにも楽になる。

 独力における不可能を可能にする。それが連携。

 こんな状況に置かれる前に、最初から誰かに頼っていれば良かったのだ。

 一人で解決しようと必死になっていたさっきまでの自分を、笑い飛ばしてやりたくなる。


 気がつくと、『軍隊蟻』はすっかり壊滅状態となっていた。


 立っている者の比率より、地面で寝転がっている者の比率の方が圧倒的に高くなっていた。もう敵は、両手の指で数えられる程度しか残っていない。

 こちらはたった三人。が、されど三人。力の差は歴然だった。

 しかし勇敢なのか無謀なのか、敵はその少ない人数で立ち向かってきた。

 無抵抗なら何もしないが、攻めてきた以上は反撃する。そんな単純かつ当たり前な理屈を三人は再び実行し、その残党も返り討ちにした。


 そして、その神社で立っているのは――自分たち三人だけとなった。


「はぁ……はぁっ……さ、さすがにこの数はちょっとしんどかったな……」


 達彦はワイシャツが含んだ雨水を絞りながら、息切れ気味にそう呟く。その体には打撲痕も切り傷も無いが、肩は荒い息で速く上下していた。


 対して、比較的息が落ち着いている要は冗談めかした口調で、


「スタミナはまだまだ俺の方が上かな?」

「うっせぇよ先輩様……体力面はお前よか劣ってても仕方ねぇだろ。まだ武術始めて間もないんだからよ……」


 達彦はぶすっとした顔でぼやく。

 助けに来た直前までの緊張した空気はどこへやら、二人はすっかり普段通りの調子で話すことができていた。


 散々雨水を降らせて満足したのか、ドス黒かった雲は灰色になっていた。

 雨はさっきより落ち着いて小雨になっており、雷に関してはすっかり止んでいる。通り雨なのかもしれない。

 学校指定のTシャツは水をたくさん吸っていた。なので絞り出す。


「ごめんごめん。でも――まだ喜ぶのは早いかもな」


 そう言って、要は今立つ石敷の道の伸びた先――社殿の段差に腰を下ろしている三枝の方を見た。


 自分たちと違って、社殿の軒下にずっと座っていた三枝は少しも濡れていない。深くうつむき、前髪を垂らしている。そのせいで、どんな顔をしているか分からない。


 かと思えば、突然立ち上がり、こちらへ向かってゆっくりと歩き始めた。

 雨に濡れた石敷を踏みしめながら歩を進める。

 その途中、二つの灯篭の間に張り巡らされたギター弦の前まで着いた。

 三枝は小さく、しかし鋭くローキックを放ち――その細く頑丈な弦をプツンと切った。


 要はそれを見て少し驚く。

 あの弦は、日々鍛えられている自分の足を取るほどの強度を持っている。

 それを一蹴りで引きちぎったという事実は、そのまま三枝の蹴りが普通ではない威力を持っていることの裏付けとなる。


 三枝は最初に、六合刮脚の『磨脚』に似た強力な蹴り技を使ってきた。


 ということは、三枝の使う拳法は竜胆と同じ、蹴り技主体のものなのだろうか。


「さ……三枝さん……」


 途中、三枝は横たわった『軍隊蟻』の一人の前に差し掛かるが、


「邪魔だよ、穀潰し」


 三枝は冷淡に言い捨て、その男の脇腹を躊躇なく蹴り飛ばした。

 蹴り方は一見軽そうだったが、男の体は地面から十数センチほど浮き上がり、そして横へと大きく転がっていった。

 その後も途中途中で倒れた手下を端っこへと蹴り転がし、道を作っていく。


 仲間を平然と路傍の石扱いする三枝のやり方に憤りながらも、要はいつ攻められてもいいように、身構えておく。


 やがて、三枝がすぐ目の前までやって来た。こうべを垂らし、前髪がカーテンのように遮っているため、未だに表情が見えない。


 要は警戒心をさらに強くする。


 自分のグループがやられたのだ。怒り狂って襲いかかるのを予想した。


 が、三枝が浮かべた表情は、満面の笑みだった。


「すごいじゃないか! たった三人でこれだけの数を倒しちゃうなんて! いやー、今回は人材の豊作だなぁ! ねぇ君たち、三人揃って『軍隊蟻』に入らない? その力を自己満足だけで終わらせるのは凄く勿体無い! ボクがその腕前を存分に活かせるステージを用意してあげるよ! もちろん、見返りも用意する! そこらへんに転がってるカス共よりずっと高い報酬を支払うと約束しよう!」


 輝いた目をこちらへ向け、そんなことをのたまってくる三枝。


 その予想外な反応に、要は気味が悪くなった。

 そして、言いようのない不快感を覚える。

 達彦も竜胆も同じように、眉根を深くひそめていた。


 心が一つになった三人は、はっきりと言い放った。


「その頼みに対する俺の答えは一つだけだ――おととい来やがれ」

「俺も、テメーらの仲間になる気はねぇよ。お友達は選ぶ主義でね」

「俺も日々修行と仕事に忙しい。暇人の君たちと違ってね」


 発した言葉は三者三様。しかしそれらに込められた意味はみな同じだった。


 三枝はその不気味に輝いた表情を一気に暗くし、あくどい微笑を浮かべた。


「……君たちって頭が悪いんだね。せっかく実力があるのに、それを有効利用しないだなんてさ」

「言いたいことはそれだけか?」


 要が皮肉混じりに言うと、三枝はくつくつと喉を鳴らして笑い、


「そうだねぇ……仲間になってくれないなら、君たちに対する認識は「仲間候補」から「敵」に変わる。『五行社(エレメンツ)』の一人であるこのボクの手下をここまで可愛がってくれた以上、何もしないで引き下がるのは面子に関わる。だから――少し痛い目を見てもらおうかな」


 身にまとう雰囲気を、色濃い闘志へと変貌させた。


 達彦と竜胆は同時に身構える。


「なあ二人とも、ここは俺一人にやらせてくれないかな」


 そんな二人に、要は落ち着いた声色でそう提案する。


「え……でもよ」

「分かってるよ達彦。三人で攻めた方が勝率が上がるって言いたいんだろ? でもごめん、ここは俺だけに闘わせて欲しいんだ。念のため言っておくけど、別にお前を除け者にしたいわけじゃないからな」


 要は眼前に立つ三枝を、視線で刺すように睥睨する。


「――こいつには俺の生活をめちゃくちゃにされて、挙句に身内や周囲の奴に手を出された借りがあるんだ。その落とし前は、俺一人の力で思う存分つけさせたいんだよ」


 そう。こいつだけは許せなかった。

 自分を散々襲わせた事に関しては、百歩譲ってまだ良いとする。

 しかし、自分以外の大切な人に危害を加えようとした事に関しては、どうしても許すことはできなかった。


 内心でボイラーのようにくすぶるその憤激を察したのか、達彦は小さくフッと笑い、


「――いいよ。好きにしな」


 そう、背中を押してくれた。


 要は小さく笑って頷きを返すと、真っ直ぐ三枝の立ち位置へと歩みを進める。


 約二メートル弱の間合いを開いた位置で、両者は向かい合う。


「くくくっ、本当に利口な判断が出来ないんだねぇ。鹿賀達彦の言うとおり、三人で来れば簡単なのに。サシの勝負になるのはむしろボクにとって好都合。キミは自分で自分の首を絞めてるんだよ?」

「何とでも言え。これは温情でも何でも無い。俺一人でお前にたっぷり借りを返すためだ。それに、お前を叩きのめすのに三人は多過ぎる――俺一人で十分過ぎるくらいだ」

「……言ったね? なら、やってみるといい」


 三枝は眼に明確な敵意を表す。


 それが攻撃と、闘いの始まりの合図だった。


 三枝は爆轟のような凄まじい靴音を立てたかと思うと、一歩で間合いを潰した。

 そして右正拳と、低い左爪先蹴りを同時に放つ。正拳は顔を、爪先はむこうずねを狙っていた。

 要は三枝の側面へと全身を移動させ、ギリギリで回避。

 そして回避から全くといっていいほど時間差を作らず、両足底の旋回と『通背』の力を複合させた正拳『旋拳』を放った。

 

「おっと!」


 三枝は突き出していた右腕を引っ込め、そのままこちらの正拳を側面から弾いていなした。


 それからすぐに、突き刺さるような鈍痛を脛に感じた。

 足元を一瞥すると、三枝の爪先がこちらのむこうずねに直撃していた。

 痛みで全身が反射的に硬直する。

 三枝は次に、それが狙いだったとしか思えない行動に出た。硬直という隙を突く形で一気にこちらの懐まで入り込み、片足を軸に全身を回転。それによって片膝を円周軌道で回し、こちらの膝裏へと直撃させた。


「うわ!」


 痛くはない。

 だが膝裏に衝撃を与えられたことによって、膝カックンされた時と同じ感覚とともに片足が容易く折れ、下半身のバランスが崩れた。

 要は結果的に石敷に尻餅を付く。

 すぐに立ち上がろうとしたが、それを許さないかのように、眼前から三枝の靴が迫った。


「くっ――!」


 要は両腕でなんとか蹴りをガード。

 しかしその蹴りが持っていた圧力は凄まじいものだった。勢い余って後ろへ大きく転がされる。


 三枝が再び攻めてくる前に素早く立ち上がる。


 蹴りを受け止めた両腕を見ると、小刻みに震えていた。手根にまで響いた衝撃の余韻は今なおビリビリと残っており、かじかんだように手の動きを乏しくさせている。バットでコンクリートの壁を思いっきり叩いた後の感じにも似ていた。

 あの蹴りの持つ運動量の莫大さを、それだけで十分に痛感できた。


 そうして手を眺めている間にも、三枝はこちらとの距離を縮めにかかっていた。


 要はこの場にとどまろうと一瞬考えるが、さっきの蹴りでかなり奥まで飛ばされていた。このままいくと格闘ゲームのハメ技よろしく社殿に追い詰められる。

 なので、要も自分からすすんで前に走り出した。

 互いの間合いの端はすぐに重なった。

 が、三枝は何もしてこない。未だ走った姿勢を崩さない。

 両者の間合いの重なった範囲がさらに増える。つまり、要は三枝のリーチ内に入ったということ。

 何もしてこない理由が気になるが、相手のリーチ内は体の小さい自分にとっての天国だ。ここで打たないのはもったいない。


 要は走りの勢いを乗せたタックルを食らわせることに決めた。


 しかし、それを実行しようとした瞬間、三枝が視界から――


「うっ!?」


 ――消えた、と思った途端、踏み出した左足の爪先に強い圧痛を感じた。


 自分の左側面に立ち位置を移した三枝が、自身の左足でこちらの左足を踏んづけていたのだ。


 軸足を釘付けにされたせいで必然的に重心が崩れ、走行の慣性のまま、前のめりに体が傾いていく。


 胴体と地面の間隔が残り三〇センチを切った瞬間、隣り合わせていた三枝の体が急激に時計回りの捻りを得た。


「『蹶子脚(けっしきゃく)』っと!」


 腹部にとんでもない衝撃を受けたのは、それから半秒と経たないほどすぐの事だった。

 あまりの圧力と痛みに要は息が止まり、呻きさえ出せなくなる。

 三枝は前のめりに倒れようとする要の真下で片足を跳ね上げ、踵という名のハンマーで殴りつけてきたのだ。

 蹴りの威力も然ることながら、そこへ倒れてくる力も加算されたため、そのダメージはより痛々しいものとなった。


 蹴りの衝撃によって、要は後ろから引っ張られるようにして無理矢理立たされる。

 下がろうとしたが、左足が動かない。そうだった、まだ足を踏まれたままなのだ。

 そしてそんな状態を三枝が有効活用しないわけがなかった。

 後ろへ跳ね上げた右足を戻すと、今度はその膝を円弧軌道で要の背中へと振り出した。膝蹴りへと繋げる気だ。


「このっ、調子に――乗るなっ!!」


 いいようにされて頭に血が昇った要は、四肢と胴体を急激に螺旋回転させた。「旋」の発力を応用した崩陣拳実戦技法『纏渦』である。

 真っ直ぐ突き伸ばした拳は当たっていないが、要の爪先から指先までを強大な螺旋力が包み込んだ。

 結果的に、爪先に乗っかった三枝をその力で外側へと弾き飛ばす事に成功。拘束された時に用いる、『纏渦』のもう一つの使い方だ。


「うおっと?」


 三枝は少しびっくりしたような声を出しながら、後ろへたたらを踏む。そのバランスは少しだが崩れかかっていた。


 好機を見た要は『震脚』にて大地の反発力を借り受け、後足で石敷を踏み貫く。

 『震脚』によってわずかに強化された瞬発力は、彼我の距離をすぐに潰す。

 そのまま前足を強く踏んで急停止し、『撞拳』を打ちかかった。


「おっと」


 しかし三枝は、惜しくもこちらが拳を放ち始めた瞬間に重心の安定を取り戻した。

 そして片手で拳を上にいなすと同時に、手刀を形作ったもう片方の手を喉元へ鋭く伸ばしてきた。


「ふぐっ!」


 が、要はその一突きを顎先で挟み込んで間一髪ガードする。

 我ながら奇抜な防御方法だが、防げさえすればこの際やり方なんかどうでもいい。


「おおっ! ボクの『托天掌(たくてんしょう)』をそんな方法で受け止めるなんて、面白いねキミ。ちょっと感動しちゃったよ」


 三枝がごちゃごちゃと吐かしている隙に、要は次の行動に移った。

 点・線・面の展開をイメージする。

 自分の拳と、それを受け流した三枝の掌との接点を「点」とし、そこから胸による体当たりという「面」に繋げようとした。


「――おっと、ダメだよ。人が話してる最中に攻撃しちゃ」


 しかし踏み込もうとした要の足を、三枝の靴裏がつっかえ棒よろしく途中で止めた。

 移動をいきなり止められ、要の全身が驚いて思わずこわばる。

 そして次の瞬間、三枝の鋭いローキックが左太腿を横殴りした。


「っはっ――!?」


 恥を捨てて身悶えしたくなるような激痛が、要の左足を襲った。


 足腰が崩れそうになるが、渾身の気合いでなんとか持ち直し、数歩退いた。


 額に脂汗をにじませながら、要は三枝を睨む。蹴られた左足は未だに笑っていた。


「――すごいなぁ。大抵の奴はローキック一発足に食らったら、その場で崩れ落ちちゃうんだけど。さすがに良く鍛えられてるね。ますますキミが欲しくなっちゃったよ。敵になって本当に残念だ」


 余裕綽々な笑みで、こちらを称賛する三枝。


 しかし要は全く喜べなかった。この三枝という男の放つ技の数々に舌を巻くのに精一杯だった。


 ――非常にやりにくい。


 鋭く巧妙な蹴りを用いた、強力な攻撃。

 しかしそれでいて攻撃一辺倒ではなく、手堅い防御も兼備している。

 頑強なシェルターに隠れたまま、高威力の重火器をぶっぱなすかのごとき戦法。

 まさしく攻防一体の体現がそこにあった。


 その時、離れた位置で見ていた竜胆が固さを帯びた声で口をはさんだ。


「まさかそれは――『刮地脚(かっちきゃく)』かい?」


 その問いに三枝は満足げに微笑み、うそぶいた。


「さすが六合刮脚、分かっちゃったかぁ。正解だよ。ボクの使う門派は刮地脚。竜胆くん、キミの六合刮脚とは――同じ腹から生まれた兄弟みたいな関係の拳法だ」


 その言葉に、要はあまり驚かなかった。

 使う蹴り技が、六合刮脚ととてもよく似ていると思っていたからだ。

 地面との摩擦を利用した蹴りしかり。足を後ろへ跳ね上げる蹴り技しかり。『蹶子脚』という技の名前しかり。


 強いて違いを挙げるなら、それは――蹴る高さ。


「巧妙な蹴り技を得意とする中国拳法、戳脚(たくきゃく)には二つの種類が存在する。一つは大きく力強い蹴り技を主体とする『武趟子(ぶとうし)』。そしてもう一つは低く鋭い蹴り技を主体とする『文趟子(ぶんとうし)』。そのうち前者からは、ダイナミックで破壊力の大きな蹴りを多用する六合刮脚が生まれた。そして後者からは――刮地脚が生まれた」


 三枝は口端を歪めて続けた。


「ボクの刮地脚は『文趟子(ぶんとうし)』特有の鋭いローキックをベースに、あらゆる北派拳術の低い脚法を取り入れて作り出された拳法。おまけに八卦掌特有の細密かつ手堅い防御手法も取り入れることで、上半身に鉄壁の守りを敷きながら、積極的に低い蹴りを繰り出すことができる。まさしく安全圏に隠れたまま、質の高い攻撃を存分に仕掛けられる拳法なのさ!」

「……なるほど。だから八卦掌の一手である『托天掌』が使えたのか」


 竜胆が緊張した面持ちで呟く。


 三枝は準備体操のように足首をぶらつかせる。


「さて――おしゃべりはここまでにしようか!」


 そして、三枝は奇妙な動きで近づいて来た。正拳と低い前蹴りを同時に出し、それを左右交互に繰り返しながら直進するという不思議な歩き方。

 両者の差はすぐに詰まる。

 要は同じタイミングでやって来た拳脚には取り合わず、斜め前に移動して避けることでやり過ごした。

 が、三枝は反撃を許さないと言わんばかりに、すぐにそれへ対応。バレエよろしく回転しながら近づいてきた。軽やかながら吸い付くような重心の安定を誇る歩法によって、つむじ風のごとく鋭い回転と敵への接近を同時に行う。


 やがて両者の間隔が、手足が容易に届くほどにまでなった瞬間。


「『反背捶(はんぱいすい)』!」


 三枝は腰を落としつつ、遠心力がこもった裏拳を要の脇腹めがけて振り切った。

 要は土壇場で反応が間に合い、その裏拳を両手で受け止めることに成功。衝撃はそれなりに重いが、蹴りほどではなかった。


「うっ……!?」


 しかし、突如左足の大腿部の力がかくんと抜け、よろけてしまう。

 先ほど食らった凄まじいローキックのダメージが、未だに尾を引いていたのだ。


 その反応を見た三枝は口端を歪め、棍棒のひと振りのごときローキックをこちらの左大腿部へ当てにかかった。

 要は慌てて右足の蹴り出しを駆使して後ろへ飛び退く。

 蹴りがふくらはぎの表面に擦過。あとゼロコンマ数秒でも反応が遅れていたら直撃していた。それくらいギリギリのタイミングだった。


 再度生まれる距離。

 要は『百戦不殆式』の構えをとって出方を伺いつつ、これからの行動を考える。


 まず一つ言えるのは――三枝の蹴りは強力であるため、極力食らうべきではないこと。

 パワーがあるだけじゃない。非常に避けにくく、捕まえにくい。


 ――低い蹴りほど、厄介なものはない。

 高い蹴りは打撃力こそ高いが、そのために大きく足を振る必要がある。

 そしてアクションがはっきりしている分、蹴り足を手で捕まえやすい。捕まえた後はこっちのもの。それが高い蹴りの弱点だ。

 しかし、低い蹴りにはそういった弱点が無い。常に腰より低い位置を蹴ってくる上に、足のモーションもコンパクトであるため、捕まえられない。

 おまけに威力もそこそこ高く、地味にきつい痛みを与えてくる。


 何より、低い蹴りが主に狙うのは――足。


 足は全ての武術の命。そこを攻撃されればされるほどその者の動きも鈍り、技の質も低下する。

 まさに武術家泣かせの技。

 それを主体とし、徹底的に鍛え抜く刮地脚という拳法を作った人物は、間違いなく超実利主義で、そして陰険な性格だったに違いない。


「ほらほら、どんどん行くよ!」


 三枝は再び、意気揚々と距離を詰めてくる。


 心を沈めて、高鳴る鼓動を無理矢理落ち着けた。

 冷静になれ。ここは欲張らず、堅実にいこう。

 回避と防御に徹しつつ、その中で付け入る隙を見つけるんだ。常に隙の無い人間なんていない。探せばきっと突破口があるはず。

 心に落ち着きを取り戻した要は、髪の毛一本の細かい動きすら捉える気持ちで、視界の中で大きくなっていく三枝の五体を注視する。

 要は相手に意識と視線を集中させることで、人間が動作の直前に無意識に見せる微小な動作「初動」を視認することができる。地味で苦しい修練の末に身につけた高等技術だ。


 要の立ち位置が、三枝の足の間合いに食われる。


 転瞬、三枝の右足に陽炎のような「初動」を見た。


「ふっ!」


 放たれるより先に、サイドステップで間を開けた。

 そして半秒にも満たない時間差で、三枝の右足が弧を描いて疾る。しかし蹴れたのは空気の壁だけだった。


「何っ?」


 予想外そうな声をもらす三枝。

 しかしそこで攻撃は終わらなかった。

 また互いの間を潰し、足という凶器を振り回した。

 三枝の両足は、円運動と直進運動のどちらか一方の動きで次々と襲いかかる。その蹴りと蹴りの間には全く隙が無い。むやみに入ったら渦に飲み込まれたイカダのようにメタメタにされるだろう。

 しかし要は、一発一発が必倒の重さを秘めるそれらの蹴りの数々を先読みした上で、機先を制して回避していった。

 たとえ左足をあまり使えなくても、相手の動きがあらかじめ分かってさえいればハンデにはならない。


「……まさか、ボクの動きを先読みして動いてるのか?」


 そう口にする三枝の表情は、少し固さをもっていた。少なからず驚いているようだった。


 その反応を見て、要は少し希望が見えた気がした。

 他の『五行社』から聞いていないのか、三枝は要の先読みの技能を今初めて知ったようだった。

 それはつまり、先読みに対する策を何も持っていない事の裏付けに他ならない。


 勝機が見えた気がした。

 このまま堅実に回避を繰り返していれば、そのうち三枝は疲労を起こし、動きにも冴えがなくなってくるはず。そこを一気に突けばきっと勝てる。

 そして、その考え通りに要は攻撃を避け続ける。

 手技三割、足技七割の割合で次々と舞い込んでくるが、そのいずれもが空を切った。


 三枝の顔からもだんだん余裕が消えていく。


「くそっ、ちょこまかと! 『磨脚』っ!」


 三枝はやや苛立った様子で、爪先を地面に引っ掛け「タメ」を作る。


 無駄だ。これも「初動」を見た上で、やって来る前に逃げてやる。


 要は「タメ」を作った三枝の片足へ目を凝らす。


 そして、


「あがっ――!?」


 ――強烈な衝撃に腹を殴られ、息が止まりかけた。


 見ると、三枝の爪先が上腹にめり込んでいた。


「げほっ! げほげほっ……!!」


 不意打ち気味に叩き込まれた衝撃に、要はよろよろと数歩退く。目元に涙を溜め、激しく咳き込んだ。


 だが、痛みよりも混乱の方が強かった。


 ――「初動」が、見えなかった。


 気のせいではない。本当に何の前触れもなく、三枝の蹴り足は走り出したのだ。


 そんな馬鹿な。どうして――


 しかし考えている暇はなかった。三枝が一歩で間合いを食い尽くしたのだ。

 爪先と地面で「タメ」を作る。

 そして、開放――衝撃。

 今度はなんとかガードが間に合ったためクリーンヒットは免れた。しかしやはり「初動」は見えなかった。

 おまけに蹴りの速度も尋常じゃなく速い。地面から解き放たれたと思った時には、すでに薄皮一枚分もの距離まで肉薄しているのだ。


 そこで要は思い出す。

 この神社に来たばっかりの時、自分は三枝へと突っ込んで行った。そんな自分を三枝はこの『磨脚』で返り討ちにしたが、その時にも「初動」が見えなかった。

 要は混乱した頭を落ち着けて、その理由を考える。

 「初動」は身体操作の制御が神業的に上手くなければ隠す事は出来ないはず。それこそ、易宝のような『高手(ガオショウ)』でもなければ。

 だとすると、やはり鴉間と同じように、一つの技のコントロールに非常に長けているのだろうか。それとも、他に別の要因が絡んでいるのか。


 ――別の要因。


 その何気なく思い浮かべた単語が、要を一気に正解へと近づけた。

 『磨脚』は、地面と爪先に「タメ」を作り、それを開放する力で蹴る技だ。

 「タメ」を作るには、爪先を常に地面に擦らせ続けなければならない。

 そしてやがて爪先は開放され、とんでもない速度で飛んでいく。


 開放? 何から? 決まっている。地面との摩擦から……。


 ――そうか。


 「初動」が見えない理由が分かった。

 爪先の「タメ」の開放は――人間の足によるものではなく、「摩擦抵抗」によるものだからだ。

 『磨脚』はデコピンと同じ原理を使った蹴り。

 そしてデコピンは、二本の指の接点の摩擦力がなくなった瞬間、開放される。

 つまり『磨脚』の「タメ」の開放も、爪先と地面との摩擦力の減退、もしくは消失とともに起こる。人間の随意で起こすものではないのだ。

 摩擦抵抗は物理現象。そして物理現象である以上、人間の動きである「初動」が見えるわけがなかったのだ。


 全くもって盲点だった。まさか『磨脚』にそんな強みがあったなんて。


 そして、三枝も察したように口端を歪めた。


「……なーるほど。理由は分からないけど、キミはこの『磨脚』を先読み出来ないみたいだね」


 ――くそっ、もう気づかれた。無駄に察しのいい奴め。


 やはりというべきか、三枝はまたしても爪先を地面に引っ掛けた。

 要が慌てて後ろへ退く。

 それからほんの僅かな時間差で、足が弾け、爪先が要のシャツの表面を鋭くかすった。

 三枝はまたしても距離を潰し、そして『磨脚』によって爪先を矢のごとく撃ち出した。今度は左脇腹に強く擦過。クリーンヒットではないにしても、着々とそれへと近づきつつある。


 以降も、『磨脚』を何度も繰り返し蹴り出してくる三枝。

 体のあちこちに向けて、足という名の槍が何度も刺しにかかる。

 要は懸命に避けの一手を決め込もうとするが、「初動」が見えないせいで蹴りが跳ぶタイミングがつかめないため、回避しきれずに何度も全身を激しくこすられた。クリーンヒットが無いだけでも御の字という状況である。


「はははは! どうしたのさ!? またさっきみたいな華麗な避けテク見せておくれよ!」


 三枝は楽しげに笑声を上げながら、ひたすら『磨脚』を連発してくる。


 『磨脚』が有効であることは、全くの偶然だった。そしてその偶然が三枝に味方した。


 接近。『磨脚』。接近。『磨脚』。接近。『磨脚』。何度もねちっこく繰り返される。


 蹴りを捕まえようとも思ったが、足の引っ込みが恐ろしく速いため、それは出来なかった。さすがは蹴り使い。その点に抜かりはないようだ。


 このままだとマズイ。この防戦一方な状況を変えなければ。


 そしてそう思考した瞬間、状況は変わった――より悪い方向に。

 後ろへスライド移動させた足のかかとが、後退途中で硬い段差に引っかかってしまった。 

 闘いに夢中で全然気がつかなかったが、自分は今まで土の地面に足を付いていたらしい。今自分の足が引っ掛かっているのは、段差をつける形で敷かれている石敷の端だった。


「うわ……!」


 思わずのけ反ったが、反射的にもう片足を退いて石敷の上へ置いたため、なんとか倒れずに済んだ。


 ――しかし、それは結果的に大きな隙となった。


「『磨脚』っ!!」


 鋭敏さと重圧を兼ね備えた三枝の爪先が、要の腹に炸裂した。


「うぐっ――!」


 襲い来る強い痛みと気持ち悪さ。その蹴りは深く食い込んでなおその奥へと突き進まんとするしつこい推進力を発揮し、要の体をほんの少しだけ浮き上がらせた。


 地に足をついた要は、よたよたとおぼつかない足取りで三歩下がる。

 三枝は背を向けたまま一気に懐まで迫る。

 自身の左足を小さく跳ね上げるや、


「『打樁脚(だとうきゃく)』!」


 腰を深く落としつつ、要の左足甲めがけて母趾球を力強く叩き下ろした。

 まるで杭を打ち込まれたかのごとき激痛が、左足に響き渡った。


「…………!!」


 あまりの痛さに、声すら上げられなくなる。


 何かしなければと思っても、体が硬直して動いてくれない。


 無慈悲にも、そこで三枝の片足が閃いた。


「そら! 『磨脚』だっ!!」


 先ほど蹴られた腹部に、二度目の衝撃がぶち当たる。

 要は今度こそ、紙箱のような軽さで吹っ飛んだ。

 石敷から飛び出し、土の地面の上を無様に転がり、そして仰向けで止まる。


 転がった『軍隊蟻』の数々。要はその仲間入りをした。


「どうしたんだい? もう終わりかい? 噂ほどでもないじゃないか」


 三枝は爪先で地面を叩いて靴を整えながら、冷ややかな笑みを浮かべて言い放ってくる。


「「木」はキミを随分高く評価していたけど、結局は過大評価だったみたいだね。ボクじゃ勝てないって言ってたくせに、このザマだもん。あいつの目は節穴だ」


 言いたい放題言ってくれる。

 しかし、三枝は硬い防御で守りながら鋭い蹴りを放つという、堅実な戦い方をする。

 おまけに「初動」の読めない攻撃まで持っている始末。

 どこに付け入る隙を見いだせばいいのか、見当がつかない。


 要は全身に力を込め、ゆっくりと起き上がったが、


「痛っ……!?」


 地面を踏みしめた瞬間に左足甲がズキリと痛み、足元が崩れかけた。

 三枝から食らった『打樁脚』によって、左足甲がまだ鋭く痛む。もしかすると、足甲の骨にヒビが入っているかもしれない。

 おまけにローキックによるダメージも大腿部に残留しているため、要の左足は二重苦を強いられている状態だ。

 まさしく刮地脚という拳法の描いたシナリオ通りの展開になりつつあった。


 左足を恐る恐る地に付けて立つ。右足に重心を偏らせれば、歩く分には問題無いだろう。しかし、強く地を踏むと痛い。


 左足を庇う要を見て、三枝は微笑した。何か企むような酷薄な微笑を。




 ――その顔を見た瞬間、ある考えが脊髄を駆け巡って頭頂部まで達した。




 それは隙の見えない三枝の技をかいくぐり、直接大きな一撃を叩き込めるかもしれない、一発逆転の作戦だった。

 それを実行すべきか迷ったのは刹那の間だけだった。もう他に手段がない。なら、これにすがるしかないだろう。


 要はその乾坤一擲の賭けを行うべく、三枝へ向かって歩き出した。


 左足でびっこを引いた情けない歩き方で近づく。


 そして互いの間合いが重なるまであと一メートルという位置で立ち止まり、『百戦不殆式』を構えた。

 まだ続ける、という意思の表れである。


「……見かけによらずしぶといね。いいよ。続けるのならいくらでも相手になってあげるよ。だって――キミが一方的にやられる展開しか思い浮かばないからねっ!!」


 三枝は爪先を地面に引っ掛けた。


 ――来る。『磨脚』が。


 要は早速アクションを起こした。

 「初動」が見えない以上、自分の計算で、やって来るタイミングを計るしかない。

 撃ち出された『磨脚』の速度はかなり速い。「タメ」が開放されてから動いたんじゃ間に合わない。


 だからこそ、「タメ」を行っている今のうちに回避を始める必要がある。


 だがその回避も、三枝がどこを狙って蹴ってくるのかが分かっていないと意味がない。

 しかし要には、狙われる場所がどこであるのか把握できていた。

 それは予想だが、限りなく未来予知に近い予想だった。


 だからこそ要は反時計回りに全身を捻り――左足を引っ込めた。


 次の瞬間、直前まで左足のあった位置を、三枝の『磨脚』が稲妻のように通過した。

 空振りを確認した瞬間、要は両腕を顔の前でクロスさせてから、痛みをこらえて左足で地を蹴った。


 三枝の間合いの中心へと一気に掘り進む。


 ……賭けに勝った。


 要の口元に思わず笑みが生まれる。


 ――三枝は、人の弱点や弱み、柔らかい部分を積極的に突きたがる性格だ。


 要は今まで散々襲撃を受けてきた経験則、今回の企み、そして先読みの出来ない『磨脚』をあからさまに連発してきた点から、そう確信した。

 相手の弱点を突くことは、実戦では卑怯ではない。むしろ自分だってそういう勝ち方を何度もしてきた。


 しかし裏を返せば――弱点ばかりを執拗に狙う戦い方ほど、分かりやすいものはない。


 相手が自分の苦手な攻撃のみを行ってくる。これは逆に考えれば――これからの攻撃方法が明白であるということ。

 ある意味、これ以上ないほどのテレフォンパンチだ。

 それが分かれば、弱みはそのまま強みと化す。


 そう。要は予想、いや、もはや”予知”したのだ。三枝は次に――必ず痛めた左足を『磨脚』で狙ってくることを。


 瞬発力の続くまま、三枝の懐まで到達。

 三枝はそこでようやく自分の接近を認識したようだ。余裕だった表情が一変、青ざめる。


 しかし、もう遅い。


 要は右足で踏みとどまり、急停止。


 その急ブレーキで生じた慣性力によって、両腕をクロスさせて作っていた「タメ」が力強く弾け、正拳が鋭く疾駆。


 三枝の腹部に接触、食い込んだ瞬間――要はその拳を一気に”開花”させた。


 衝撃が爆裂する。


「――――っ!!!」


 声にならない呻きとともに、三枝の五体が跳んだ。


 崩陣拳実戦技法『開花一倒』。「撞」の発力のパワーを両拳の「タメ」によって増幅させ、さらに拳がめり込んだ瞬間に一気に手を開いて、威力をもう一段階アップさせる。その威力はサンドバッグも軽々と吹っ飛ばすほどであり、まさに「開花とともに一人倒れる」技。


 三枝は放物線を描きながら、はるか遠くの着地点に向かって虚空を舞う。


 そして、どしゃっと仰向けに着地した。


 要は呼吸を整え、三枝を見た。


「あ……が…………っ!?」


 打たれた所を強く押さえながら、見ていて痛々しいくらいにのたうちまわっていた。

 演技には見えない。効いているのは、疑うまでもなく明らかだった。

 要は左足を引きずりながら、三枝に近づく。


「ひっ……!!」


 すると、おぞましいものを見るような表情で後ずさりした。


 今まで見たことのないその反応に拍子抜けしつつも、なお歩みを続ける。


 次の瞬間、


「う――うわああああああああ!!」


 三枝は叫喚を上げて立ち上がり、逃げ出した。


「えっ? お、おい!? 待て!?」


 要の呼び止めにも耳を貸さず、神社の石段目指してみっともなく走る。


 達彦と竜胆の横を弾丸のような速さで通り過ぎ、石段を下りる。

 

 あっという間にその場からいなくなってしまった。


「……なんだありゃ? だっせぇ」


 呆れたような達彦の一言を合図にしたように、三人はしばし沈黙したのだった。









 三枝窮陰は、鬼の棲家から逃れるような心境で必死に走っていた。


 慌てた歩調を刻む足が、歩道に溜まった雨水を何度も踏みつける。


「冗談じゃない! 冗談じゃない! 冗談じゃない! 何だよあの化け物は!?」


 そう毒づく三枝の心は、嵐の海のように恐慌していた。


 その原因はひとえに、工藤要が自分に当てた突きの威力だ。


 異常だと思った。

 あんなとんでもない打撃力を浴びたのは初めてだ。今でもその余韻が濃く腹に残っている。

 思い出すだけで、身震いを禁じ得なかった。

 さっきの戦い、明らかに自分が優勢だった。

 しかし工藤要は戦いの流れを、たった一撃のもとにひっくり返したのだ。どう考えたって普通じゃない。

 単純に恐ろしかった。

 もうあんなとんでもない一撃は二度と食らいたくない。

 ほんの数分前、工藤要に勝てると本気で思っていた自分自身を殴り倒しにいきたい気分だ。

 あんなのに勝てるはずがない。

 自分は虎の尾を踏んだのだ。


 三枝は行き先を決めず、無我夢中で走った。とにかく少しでも、あの怪物から遠ざかりたかった。


 気がつくと、自分は薄暗い路地裏の一角に立っていた。横幅約五メートルの一本道が、より暗い奥の空間へと通じている。まるで深淵のようであった。


 ここはどこだっただろうか。道を確認する余裕なんてなかったため、よく分からない。


 薄気味悪いので引き返そうか、それとも工藤要から少しでも離れるために奥へ進むか、考えていた時だった。




「――無様だな。「金」」




 冷罵するような声が、奥の深淵から響き渡った。


 ゾクリ、と背筋が粟立つのを感じた。


 この声、まさか――


 三枝はゆっくりと振り返る。


 そこには、予想通りの人物が立っていた。


 生え際から毛先まで漂白しきった白髪。それと同色の白い半袖の唐装。穏やかそうに見えて、どこか無機物のような冷たさ、感情の希薄さを感じる眼差し。


「キ、キミは……!?」


 そう、その男こそ、自分たち『五行社』のリーダーにして最強の存在。


 万物の母たる元素「土」の称号を賜りし人物。


 ――千堂翔(せんどう かける)。それがこの男の名前である。


「ど、どうしてここに……!?」


 三枝は未だかつてない危機感に苛まれていた。

 自分は今、工藤要との戦いに怯えて逃げてきた最中なのだ。敵前逃亡は最高の面汚し。バレたら即追放ものだ。

 それだけではない。自分は以前からずっと爆弾を抱えながら『五行社』をやってきた。「下克上を画策している」という爆弾を。

 その事がバレないように、これまで細心の注意を払ってきた。そもそも『軍隊蟻』に報酬を与えているのは、その事実を口止めするためなのだ。

 この男――千堂はこの潮騒町にはほとんど足を運ばない。なので、この場で出会う事自体、非常に不自然なことに感じた。


 嫌な予感がする。


 そして、その予感は見事に的中した。


「どうしてここに、だと? ははは、決まってるじゃないか「金」。――我々『五行社』の中にいる裏切り者を粛清しに来たんだ。ここまで言えば、小賢しいお前なら察しがつくだろう?」


 肝が氷点下にまで冷え込んだ気分になった。


 しかし、三枝は往生際悪くとぼけようとした。


「い、一体何の――」






「とぼけるな」






 真剣のひと振りのごとく鋭い一言。


 たったそれだけで、三枝は否応なく押し黙ってしまった。まるで喉にフタをされたような気分である。


 千堂はさらに続けた。


「お前の子飼いの『軍隊蟻』の何人かを絞り上げて、すべて聞いた。お前が「下克上」などという大それた事を考えている事実をな」

「な……何をバカな!? あいつらが吐くわけないじゃないか! 一体いくら渡したと思ってるんだ!?」

「すでに語るに落ちてるな。その事もすでに知ってるぞ。どうりでお前の集金額だけ不自然に少なかったわけだ。それにしても詰めが甘い。吐かせる手段など、考えればいくらでも思いつく。腕ずくで吐かせるか、もしくは――お前の与えている(エサ)より多い額を渡して懐柔させるか。どちらの手を使ったのかは想像に任せるとしようかな」


 どちらも大いに当てはまる。不良というのは基本、即物的な性格だ。その場の良し悪しで簡単に主義主張を捻じ曲げるきらいがある。


 しかし、今はそんなことはどうでもいい。


 バレてしまった。一番バレてはいけないことが。


「五行思想において、「金」とは「変化」を表す要素だ。金属は熱で融解させればどんな形にも変えられる。なるほど、変化とは。昔の中国人はうまいことを言う。『五行社』に反旗を翻し、新しい王者になろうなどと本気で考えたお前にぴったりの要素だ。だが……」


 千堂は目を細め、射抜くように視線を向けてきた。


 氷河のように冷たく、刃のように鋭利な視線にさらされ、三枝は体の芯から凍りついた。


「――俺は「土」だ。土、すなわち大地は万物の創造主。万物は土から生まれ、土へ帰る。そんな五行の長である存在の俺は、お前たちをあらゆる面で凌駕している。お前の猿知恵も暴けないほど、能無しじゃないんだよ。身の程を知れ、有象無象」


 足が地面とくっついたかのように動かない。


「極めつけは、さっきの工藤要との一戦だ。なんだ、あの体たらくは? たった一撃食らっただけで尻尾を巻いて逃げるとはな。負けたとはいえ、最後まで噛み付きに行った鴉間の方がよほど美しかったぞ。これでお前は二重で『五行社』を侮った。『五行社』を裏切ろうとした事、そして『五行社』の面子を潰すような醜態を晒した事。これらは『五行社』にとって大変な損害だ。よって――トップである俺直々に、貴様を粛清する」


 瞬間、圧縮していたものが爆発したかのように、とてつもない殺気が襲ってきた。


 震えが止まらない。


 この男と敵対すると思っただけで、背筋に絶対零度の悪寒が走る。


 「土」の称号は、『五行社』の上部組織である『D房間(ディーファンジェン)』が、一番信頼に足り、かつ裏切る心配が無いと判断した人物にのみ与えられる称号。

 ゆえに千堂は、『D房間』のアジトの場所を唯一教えられており、さらにそこへ出入りすることも許されている。奴が『五行社』の集めた金を受け渡す役目であるのはそれが理由だ。

 そして何より、千堂はその『D房間』の首領である男から、武術の英才教育を受けている。自分たちのような下っ端では教われない「秘伝」に位置する技術の数々を学べる立場にあるのだ。

 だからであろう。千堂は非常識なほどの強さを持っている。それこそ、他メンバー四人をたった一人で、しかも無傷であしらうほどの実力を。


 四人でかかってもダメなのだ。自分一人で向かっていったところで、結果は知れているだろう。


 しかし、この男が実戦から離れて、結構な時間が経っている。

 『五行社』創設初期には第一線で戦っていたが、今ではソファの上でふんぞり返っているだけ。集金はすべて他のメンバーに任せっきりである。

 その間に、自分たち残りの『五行社』は、外で実戦をいくつも経験していた。

 実力差は歴然。しかし、実戦を離れているブランクは短くはない。


 もしかすれば、自分でも勝てる確率がわずかながらあるかもしれない。


 どうせ逃げようとしても、すぐに捕まる。


 なら、そのわずかな勝率にすがるしかない。


 三枝は若干どもりながら、吠えてみせた。


「や…………や、やってみろよ!! お山の大将がっ!!」


 自ら敵に向かって突っ込んでいく。


 間合いの尖端に千堂の立ち位置を重ねると、三枝は相手の目元めがけて手刀で突きかかった。

 しかし突き刺さる僅差、三枝は手刀の進行をピタリと止め、右足によるローキックへと迅速につなげた。指先が手前に迫ると、人間はそれに恐怖を感じて顔を引っ込める本能のような癖がある。そうやって指先に気を取られている間、足元に対する注意が散漫になる。そこに刮地脚十八番(おはこ)のローキックを叩き込めば、どれほど安定した重心を持っていても簡単に足元が崩れる。そして倒れた所を押さえ込めば自分の勝ちは約束される。


 だが、自分の放った渾身のローキックは、千堂の左足裏で見事に受け止められた。


 目論みが失敗した。だが相手は千堂。こんなものは想定の範囲内。三枝は休みなく次の手に出た。


 蹴り足を引っ込める。そしてあらゆる方向からの低い蹴りを、千堂の両足へ何発も打ち込んだ。

 上半身には鉄壁の守りがある。攻撃してきても細密な手法で流してしまえる。それをいいことに三枝はひたすら低い蹴りを連発する。

 千堂は殺到する蹴りを一発残さず足で受け止めていく。その場から一歩も動かずに。


 だが三枝は執拗に何度も繰り返す。

 何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。

 そして、その攻防が惰性になりかけた時、三枝は蹴りをやめて急旋回。

 回転しながら千堂の横合いを通り、そして背後へ回り込んだ。そこまでに掛かった時間はじつに一秒足らず。

 しめた、と三枝は思った。攻防がパターン化している時、いきなり違う行動をされると相手は反応しにくくなる。千堂は未だに背を向けたまま。反応が遅れた証拠だ。


 三枝は爪先をコンクリートの地面に引っ掛けて「タメ」を作り、それを開放。『磨脚』による爪先蹴りが、獲物に食らいつく蛇のごとき速度を持って千堂の背中へ疾走する。


 しかしその時すでに、千堂は全身を反時計回りに旋回させていた。

 その回転によって、『磨脚』がヒットする予定だった位置がズレる。代わりに空気を蹴った。


 遠心力に導かれるまま、千堂はこちらを振り向いた。


「なっ――!!」


 千堂の顔を見て、三枝は総毛立った。




 なんと――目をつぶっていたのだ。




 そんな馬鹿な。今まで目を閉じたまま、あの怒涛の蹴りの数々をすべて受け止めていたというのか。


 怪物。

 そんな言葉が脳裏をよぎる。

 先ほどまで感じていた工藤要への恐怖は、今、この男への恐怖心で塗りつぶされてしまった。


 千堂は、開眼。

 たったそれだけで、三枝は居竦んでしまう。

 千堂は突風のような踏み込みでこちらの懐へ入る。

 そして、拳を腹に添えられる。


 瞬間、






「『纏渦』」






 添えられた拳が、ゼロ距離から凄まじい速度で爆進した。


「――――」


 筆舌に尽くしがたい衝撃。痛覚。不快感。

 工藤要の一撃と同等、ヘタをするとその上を行くであろうインパクト。

 僅かな呻きさえ許されなかった。


 三枝はものすごい勢いで後ろへ吹っ飛んだ。深淵の奥へと吸い寄せられ、その果てにあった壁に背中から激突。

 余った勢いで一秒弱の間壁に貼り付き、やがてシールが剥がれるように離れ、うつ伏せに倒れた。


「あ……」


 ようやく声を出せた三枝。

 しかし、体が重くて動かない。体が動くことを億劫がっている。


 千堂は冷淡に言った。


「今日限りでお前は「金」ではなく、ただの三枝窮陰だ。『軍隊蟻』とやらも、『五行社』の傘下として取り込ませてもらう。お前が育てたグループ、俺たちが有効活用してやる。お前よりもずっと上手にな」


 三枝はギリリと悔しげに切歯し、


「……一つ、聞かせろ」

「なんだ」

「今回の作戦にゴーサインを出す前から……お前はボクを疑っていたのか?」

「お前には集金額が少ない他に、不審な点が多々あったからな。泳がせておいた上でこっそり探りを入れていたのさ」

「は、ははは……最初から信用なんてされてなかったってことか……」


 自嘲する三枝。


「勘違いするな三枝。俺が信用していないのは、お前”だけ”じゃない」


 一度区切ると、千堂は睥睨してきた。


 氷のような冷たさの中に、強い憎しみの光を宿したような眼差しで。






「俺が信用していないのは――貴様ら日本人全員だ」






読んで下さった皆様、ありがとうございます!


おそらく、次の話が今章ラストになります。

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