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戦え、崩陣拳!  作者: 新免ムニムニ斎筆達
第四章 金行の奸計編
75/112

第六話 工藤要は仲間を信用していない。


 また一つ夜が明け、そしてまた新しい朝が訪れる。


 日曜日は終わり、月曜日がやって来た。


 早朝の修行を終えた後、学校へ行く準備を整えた要はすぐに易宝養生院を出た。

 空は相変わらず、うざったいくらいの快晴。しかし今日は厳しい熱気に加え、蒸し蒸しとした不快感までセットになっていた。夜中に降った大雨が原因である。

 舗装された歩道のあちこちにできた水たまりを避けながら、要は学校までの道を歩く。


 気分は最悪だった。

 いつも以上に高い不快指数のせいでもある。

 だがそれ以上に、最近周囲で起こった数々の騒動によって心身ともに疲弊しつつあったのだ。

 今朝の修行もそのせいで身が入らず、疲労だけを稼ぐ結果となった。


 貧血のように重い頭の中で考えているのは、昨日のこと。


『し、指示を出したのは『五行社(エレメンツ)』の「金」、三枝窮陰だ』


 ……薄々、そうなんじゃないかとは思っていた。

 黒幕は三枝窮陰。

 そして、今まで自分を襲撃してきたのは、その直属のグループ。


 そこまではいい。

 だが、昨日の男はこうも言っていた。三枝はまだ自分を仲間にする事を諦めていない、と。

 仲間にしたいのなら、その対象の好感度を上げるか、あるいは利害の一致をアピールしてスカウトに徹するのが普通のはず。

 しかし、三枝は自分をひたすら手下に襲わせている。これではこちら側の悪印象が濃くなるばっかりで、全く実利が無いように思える。


 希望と行動がちぐはぐなのだ。


 その意味を、要は昨夕からずっと考えていた。が、未だにそれらしい理屈が思い浮かばない。


「はぁ……」


 深いため息が勝手にもれる。


 それにしても、体がいつも以上に重い。それに少しだるい。

 どんなに修行がきつくとも、いつもなら終わった後に爽快感があった。

 しかし、今はそれが無い。ただくたびれ儲けのみをしたような気分だった。


 いつだったか、易宝は言っていた。

 東洋医学的な健康観は、人体の陰陽のバランスであると。

 陰陽は、静と動にも置き換えられる。

 静は、比較的動きに乏しい控えめな活動。

 動は、運動量が多く激しい活動。

 その静と動の対比がどちらか一方に偏った時、人体は何らかの形で不調を示すのだそうだ。

 思えば自分の最近の日常は、次々と襲い来る『軍隊蟻』のせいで「動」に偏りがちであった。この手足に見えない(おもり)をくくりつけられたかのような重苦しさは、そのせいかもしれない。


「うわっ……!」


 そこで、要はつまずいて転んでしまった。

 うつ伏せに倒れると同時に、体の前面が生ぬるい何かで浸される感触。

 見ると、自分は水たまりの中に見事に浸かっていた。


「っ……最悪っ」


 起き上がりながら、思わずそう毒づく。

 真っ白なワイシャツは、見事に泥水で濡れ汚れていた。

 非常に気が滅入る。間違いない。今日は近年稀に見る最悪の一日だ。


 自分の足を引っ掛けた石ころの姿を拝んでやろうと振り返る。自分は蹴りの練習を死ぬほど繰り返したおかげで、ちょっとやそっとじゃ転ばなくなった。それをつまづかせたということは、きっと川岸に転がってるような大きめの石なのだろう。ていうか誰だ、そんなもん歩道に捨てたのは。


 しかし、振り返った先にあったのは、要が予想していた大きな石ではなかった。

 人間の片足。

 そして、その片足の主である一人の男。そいつは明らかに悪意を秘めた目でこちらを見ながら、あくどく口端を歪めていた。

 自分は、そいつに足をかけられて転んだのだと確信する。

 さらにその後方には、悪そうな四人の男が立っている。そいつらも同様に、こちらを見ていた。


「工藤要クン、だよねぇ? 突然で悪ぃんだけどぉ、俺らのストレス発散にちょっと付き合ってくんねぇ?」


 ――またか。ちくしょう。






 ――同時刻。


「いい加減、教えてくれませんかね? 三枝さん」


 となりに立つ男が、藪から棒にそう訊いてきた。


 三枝窮陰はそんな男に一瞥くれると、缶の中に残っていたオレンジジュースをすべて飲み干した。


 二人は現在、潮騒町にあるコンビニの前で立っていた。

 三枝が飲み物を買うためにそのコンビニへ入った時、偶然『軍隊蟻』のメンバーの一人とばったり鉢合わせした。

 こちらがオレンジジュースを手に取ると、その男も全く同じものを取り、レジで購入。そして現在、こうして二人並んでコンビニの前でくつろぐ場面に到る。


 三枝は空き缶から手を離し、自由落下させる。足元まで到達した瞬間、缶底に向かって爪先蹴りを鋭く入れた。途端、缶は弾丸のような速度で直進。やがてその延長線上にあった空き缶用ゴミ箱の丸い口の中へすっぽりと入った。


「教えてって、何をかな?」

「すっとぼけないでくださいよ。工藤要への対応です。三枝さんはあいつを仲間にしたいんでしょ? ならどうして執拗に追い詰めたりするんすか。そんなことしたら、かえって工藤要は傘下に入るのを嫌がると思うんすけどねぇ」

「……そうだなぁ、キミたちには何も具体的な理由は言わずに、ただ「工藤要、もしくはその関係者を襲いまくって追い詰めろ」としか命じてなかったね」

「ええ。まあ情けねぇ事に、ことごとくしてやられてますけど。全部うまいこと逃げられちまいまして。中にはガラス代弁償させられた奴もいる始末です」

「いいんだよ、それで」


 間伐入れず失態を許されたことがそんなに意外だったのか、男はこちらに向いた目を見開いた。


「はっきり言うと今回の君たちへの命令は、工藤要をぶちのめすのが目的じゃないんだ。ボクの目的は、その命令内容を遂行した結果じゃない。命令内容”そのまま”さ」

「工藤要を、追い詰める……?」

「そ。ボクの目的は、工藤要を追い詰める事そのものだったのさ」

「……なぜですか?」


 三枝は一息ついてから、口を開いた。


「――仲間にならざるを得ない状態を作り出すためさ」

「ならざるを得ない?」

「そうさ。人間が一番判断力を失うのはどんな時だと思う? 疲弊した、もしくは心身ともに追い詰められた時さ。世の中の人々は、過労が原因で自殺した人に対し、決まってこう言う。「死にたくなるほど辛い仕事なら、辞めてしまえばよかったのに。そうすれば楽だろ? 死ぬこともなかったわけだし」。なるほど、シンプルイズベスト。まったくもって正論だ。でもね、心身ともに追い込まれた当事者は、「仕事から逃げる」というシンプルな判断すら満足にできない状態だったのさ。よって、その自殺はほとんど衝動的なものだ。「とにかくこの苦しみから逃れたい」という強い願望ゆえのね」

「つまり……どういうことっすか?」

「今回キミたちに工藤要やその周囲の人を何度も襲わせたのは、工藤要の生活を荒事まみれにして、彼を心身ともに疲弊させるためだったのさ。敵がいつどこで襲ってくるか分からない、これは想像以上にストレスの溜まる状況だ。そうすることで、以前まで当たり前にあった平和な日常を恋しくさせる。そして再び彼の前に現れてこう言ってやるのさ。「もし仲間になるのなら、もう手下には何もさせない。平和な学園生活を送れるようにしてやる」ってね」


 男はおとがいに手を当て、難しい顔をして言う。


「そんな都合良くいくもんなんですかね? 工藤要には結構腕の立つ知り合いがいるみたいっすよ。もし工藤要がそいつらを頼ったりしたら、俺らが返り討ちにされるんじゃ……」

「それはないよ。その理由は二つある。一つは、仲間にならないと自分の近しい人にまでしわ寄せがいくことになるから。工藤要は優しくて責任感が強い子だからね、周囲の人を盾に取られたら、なおさら従わずにはいられないだろう。工藤要だけじゃなく、その周囲の人も襲わせたのはそのためさ。さすがに窓ガラスを割れとまでは命じてないけど、これも一つの強力な脅しになったかもしれないね。グッジョブだ」

「……もう一つは?」


 恐る恐るな顔で問うてきた男に対し、三枝は確信めいた口調で告げた。


「――工藤要は、周りの人間を信用してないからさ」






 やっとの思いで男たちをあしらった要は、逃げるように学校の敷地内へと駆け込んだ。


 重苦しさがさっきの反撃と逃走でさらにひどいものに感じる。だが要は我慢し、足腰を奮い立たせた。


 昇降口で上履きに履き替え、教室までの階段を上る。

 その途中、周りの生徒が奇異の眼差しを向けてきているのに気づく。それによって、自分の半袖ワイシャツが泥水まみれになっていたことをようやく思い出した。


 トイレの個室に入り、ジャージに着替えてから、再び教室へ向かう足を進めた。

 その足取りはいつもより鈍重だった。まるで石のブロックを背負って坂を登る昔の労働者の気分だ。


 なんとか教室まで到着。戸を開いた。


 入るなり、達彦が陽気に声をかけてきた。


「よう要、おは……って、何でお前ジャージなのよ?」

「……ちょっと転んで、水たまりに突っ込んじゃったんだよ」


 うわー悲惨だなー、と賑やかに言う達彦とは対照的に、要はダウナーな気分だった。


 達彦には申し訳ないけど、今は一人でジッとしていたい気分だ。なので黙って達彦の横を通り過ぎ、自分の席へと向かう。


「カナちゃーん」


 だがそこへ、またも自分を呼ぶ声が聞こえてきた。


 教室に、菊子がふわっとした笑みを浮かべながら入って来ていた。


「おはようカナちゃ……あれ? どうしてジャージなんですか?」


 さっきの達彦と似たような文脈で訊いてくる菊子。


 達彦は笑いを噛み殺したような声で、


「すっ転んで水たまりに入っちまったんだとよ」

「あらまあ。大変だったんですね……」


 そんな達彦と菊子の話し声が、まるでノイズのようにやかましく感じてしまう。


 要は自分の席に座り、机の上に突っ伏した。


「あの……カナちゃん? もしかして、具合が悪いの?」

「いや。別に平気だよ」


 言いながら、腕の影から覗き込むようにして菊子の顔を見る。心配そうな顔だった。


「なら、何か悩み事? だったら、その、わたしで良ければ相談に乗るけど」

「大丈夫だから」


 自分の意思とは関係なく、冷たい物言いになってしまった。

 だけど、実際「大丈夫」としか言えない。荒事慣れしていない菊子に『軍隊蟻』の事を相談したって仕方がない。むしろここは、首を突っ込ませないように黙っておくべき所だろう。


「でも、何かあるようにしか見えねぇんだが?」


 達彦もそう遠回しに「話してみろ」と追求してくる。


「だから、大丈夫だって」


 またしても、愛想に欠ける言い方をしてしまう。

 しかしこう言ってはなんだが、達彦の実力では『軍隊蟻』の相手は厳しいかもしれない。一対一ならなんとかなるだろうが、連中は一度に多人数でかかってくる。そうなるとどうしようもなくなる。なので、達彦を巻き込むわけにはいかない。すべてにケリがついたら存分に話すとしよう。


「おーい、工藤!」


 三度目の呼び声が飛び込んでくる。


 教室の戸を一瞥すると、そこには何やら深刻そうに表情を固めた倉田と岡崎が入室してきていた。


 二人は急くような早歩きで要の席まで来る。


「お前、今朝変な連中に追われて逃げてただろ? 俺、途中で見かけたんだ」


 倉田が開口一番そう口にする。


 それを聞いた達彦と菊子が、驚いたように目を丸くした。


 ――余計な事を。


 続いて、岡崎が発言。


「俺も昨日彼女と出かけてる時、横断歩道の前で青信号を待ってるお前を見たよ。お前その時、後ろから誰かに押されて道路に突っ込んで、バスに轢かれそうになってたよな」


 菊子がショッキングに息を呑む。


 自分の周囲を取り囲む空気は、すでに来たばかりの時のような柔らかいものではなくなっていた。


「なあ工藤、お前はいったい何とやり合ってるんだ? 道路に押すなんて、やってることが普通じゃないよ。なんかあるなら言えよ、できる限り力になるからさ」


 倉田の力強い発言に、岡崎も同意するように頷いた。

 力になるとは言うが、倉田も岡崎も揃って戦えるタイプじゃない。頼んだところで痛い目にあわせるだけだ。


「……大丈夫だよ。俺一人で余裕だから」


 なので、やはり要はそう返す。我ながら、病人のように低い声だった。


 すると、達彦が少し苛立った口調で言った。


「……お前さっきから「大丈夫」ばっかだな。ホントに大丈夫だっつーならもう少し剽軽(ひょうきん)に振舞え。そんな「構ってちょうだい」みてぇな態度取ってんじゃねぇよ」


 その言葉にカチンと来た要は勢いよく席を立つ。


 達彦を睨み、吐いて捨てるように発した。


「そんな態度取ってねーよ。お前の勝手な判断基準で人を見るな。うざったいんだよ」

「――んだと?」


 ガッ、とジャージの胸ぐらを掴み上げてくる達彦。その顔は静かな怒りに満ちていた。


 要が腕を振りほどこうと手を伸ばした時、


「二人ともやめてっ!」


 菊子が声を悲痛に張り上げた。

 鼓膜だけでなく、心も直接揺さぶるようなその声色に、要の手が思わず止まる。

 その手をおずおず引っ込めた。


「……ちっ」


 達彦も舌打ちし、放り投げるように手を離す。


 要の席を中心に、重々しい空気が満ちていた。

 その空気は教室中に波及し、周りのクラスメイト達もこわばった顔と眼差しでこちらを見つめている。


 この状況は、間違いなく自分が作り出したものだった。


 そう思うと、罪悪感と羞恥心が生まれた。


「……ごめん」


 要はそう静かに一言告げ、教室を出て行った。


 気分は、文句なしに最悪だった。

 こんな気分になったのも、教室の空気が悪くなったのも、すべて自分のせいだ。

 でも、要は何も間違った主張をしたとは思っていなかった。

 三枝や『軍隊蟻』の蛮行だって、元を正せば自分に原因があるのだ。

 なら、自分でなんとかするのが筋ってもんだろう。


 自分は、自分に降りかかる火の粉を、どんな時でも一人で振り払ってきたのだ。


 小畑たちの時は偶然易宝に助けられたが、その時は自分が弱かったからだ。


 もう自分はあの頃の自分じゃない。もう弱くないのだ。


 だから、今回だって一人でなんとかする。


 いや――してみせる。






「信用してないって……どういうことっすか?」


 男があっけにとられた顔で訊いてくる。


 三枝は青空の端に出てきた入道雲をコンビニの(ひさし)の影から眺めつつ、記憶を振り返るように語り始めた。


「ボクは今回の作戦を始める以前に、工藤要の過去を事前に調べていたんだよ。敵を知り己を知ればナンチャラ、って感じでね。鴉間も同じ事をしてたみたいだ。あんな根暗と思考がかぶってると思うと癪だったけど、おかげで一つ面白いことが分かった」

「面白いこと?」

「うん。それは、工藤要が――ずっと一人だったことさ」


 三枝はタイル貼りの壁にもたれかかり、語り口を続ける。


「彼は小五の時に「浅野晴臣(あさの はるおみ)」とかいう親友が転校して以来、ずっと一人だった。それなりに仲良くしていた相手はいたみたいだけど、どれも転校した親友より親しい関係性ではなかった。だからだろうね――彼がいじめや嫌がらせを受けても、それを助けたり、止めたりしてくれる友達は皆無だった」

先公(センコー)は、助けなかったんすか?」

「ははは、助けるわけないじゃないか。青春ドラマとリアルを混同しちゃダメだよ。昨今の教師はもはや「聖職」と呼ばれるに足る体をなしていない、ただの「教育サービス」さ。サービスである以上、保護者(お客様)の顔色を伺わないわけにはいかないだろう? だから教師によるいじめからの救済なんか望むべくもない。いや、むしろ「チクった」という事実が知れたらいじめが苛烈になる分、教師に相談しない方が利口だ。そして、そんな腑抜けた状況が工藤要をさらに追い詰めた。でもここで泣き寝入りせず、工藤要は一人でいじめや嫌がらせに立ち向かった。この辺りは、ボクは彼に尊敬の念すら抱いているよ。でもだからこそ――そこが付け入る隙となる」


 短パンのポケットから携帯を取り出し、真っ暗なディスプレイを見つめる。当然ながら、そこには三枝の顔しか映っていない。


「彼は今まで一人で頑張ってきた分――独力で解決しようという「癖」がついてしまってるんだ。もう一度言うが、立派なスタンスだと思うよ。でも、それが時に足かせとなる。所詮独力には、どんなに高めたところで限界があるんだ」


 男は納得したように手を叩き合わせた。


「なるほど。だから工藤要が仲間に頼ったりすることが無いってことっすね?」

「そういうこと。それが彼の弱点。彼は今まで周囲を頼れなかった分、助力を求める事を知らない。友情は感じてるけど、その力には期待も信用もしていない。ある意味、赤の他人の関係よりも残酷なのさ」


 三枝はストラップの先端を持ち、それと繋がった携帯を宙ぶらりんにする。


「今の彼とボクらは、この携帯とストラップの関係に同じだ。ストラップ(ボクら)の紐は、携帯(工藤要)に固く結びついている。彼はもう逃れられない。ボクらの傘下に加わるのも時間の問題さ」


 吊り下がった携帯は、横風に押されて小さく揺れる。


 ぶらり、ぶらり、と――


読んで下さった皆様、ありがとうございます!


気まぐれで別作品を進めていたせいで、だいぶ次話投稿が遅れてしまいました。面目無いです(・_・;

これから四章終わりまで全力疾走します。

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