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戦え、崩陣拳!  作者: 新免ムニムニ斎筆達
第四章 金行の奸計編
71/112

第二話 予期せぬ勧誘

 ――数日後。


「…………何、これ」


 要は二階の廊下にある掲示板に貼り出された縦長の紙を、茫然自失の眼差しで眺めていた。


 周囲には、生徒たちががやがやと集まって人垣を作っていた。

 皆の視線は例外なく、自分が見ているのと同じもの、すなわち掲示板の紙に集まっていた。


 つい最近、期末テストが全て返却された。


 クーラー無しの猛暑の中で必死に勉強した要の苦労は報われたようで、文系科目では八〇点を下らなかった。厭わしくてたまらない理数系科目でもそれなりの点数を稼ぐことができ、赤点は免れた。

 全ての答案用紙が返された翌日、職員室近くの掲示板に、ベスト五〇の総合得点を誇る生徒の名前が記載された紙が貼り出されたのだ。

 朝のホールルーム前の時間、お祭り感覚で見に行きたがる達彦に引っ張られ、要と菊子も同行することになった。

 表面上「赤点にさえならなきゃいい」と口にしてこそしていたが、実を言うと、自分の頑張りがどれほどの結果を生み出したのか、ちょっとばかり気になっていた。

 もしかしたら五〇位の中に入ってるかも……と淡い期待も無くはなかった。


 そして二階に来て、職員室隣の掲示板に貼られた紙を見た。まあ、案の定というべきか、そこに自分の名前は載っていなかった。

 そりゃそうだ。こういう紙面に載るのは、理系文系問わず全教科八〇点を超えるような秀才の集まりなのだ。文系に得点が偏った自分では望むべくもない。

 然もあらばあれと、要は割り切ることができた。


 そう。別に五〇位圏内から外れていることがショックではない。


 にもかかわらず、こんなにも目に映る映像が信じがたい。


 まるで夢の中にいるかのごとき錯覚すら感じ、頭がクラクラした。


 要は再度、縦に並んで記入された五〇人の名前の一番上に目を向ける。






 そのベスト五〇の頂点には――「倉橋菊子」という名前がでかでかと印刷してあった。






 知っている名前。知っているどころか、一緒に危機をくぐり抜けたこともある人物の名前。

 見知った四文字。だが今回、その四文字が持つ破壊力は凄まじいものだった。

 全教科合計点数の上限は八〇〇点。この人物はその上限と同じ点数――すなわち全教科で満点をとっていたのだ。


 このとんでもない得点を叩き出した秀才中の秀才は、今、自分の右隣にいた。


「は、はわわわわわわわわ…………あ、あんなにおっきく書かなくてもぉ…………」


 その少女――倉橋菊子は顔を真っ赤にしながら、上ずった声でそうつぶやいている。


 他の生徒の半袖とは違って、長袖のワイシャツ。学校指定のスカートの丈も少し長めだ。黒いシルク繊維を束ねたような美しい黒髪がお尻の辺りまで伸びており、目元まで前髪ですっぽり覆われている。それらの身体的特徴から、一昔前の文学少女のように見えなくもない。


 菊子は縮こまって、ひたすらうんうん悩ましげに唸っている。大きく記入された自分の名前が恥ずかしいのだろう。引っ込み思案な彼女らしいっちゃらしい。

 このようなおっかなびっくりなリアクションばかりの少女が、学年トップの学力を持っているなど、いったい何人が信じるだろうか。

 自分も同じく予想外だった。時々勉強で分からない所を教えてもらっていたこともあったため、なんとなく「勉強できる方なんだなー」みたいには感じていた。しかし、まさかこれほどとは。


 でも、友達の朗報は素直に祝うべきだろう。


「……す、凄いじゃん、キク。満点なんて」


 要は笑顔で賞賛の言葉を送った。だが無理矢理作った表情であるため、表情筋が少しばかり引きつっているのを我ながら感じる。


 菊子は煙が出そうなほど顔を赤くしてうつむきながら、


「す……凄くなんかないよぉ……きっと勉強してた所がたまたまヒットしただけだよ……」

「……今のセリフで、俺を含む二位以下の生徒全員を敵に回したぞ」

「へぇっ!? ご、ごめんなさい! わたしったら、なんて思い上がったことを……!」

「あーいや嘘! 冗談だって! そんなマジに取んないでよっ」


 必死に菊子をなだめる要。前髪のせいで見えないが、きっと涙目になってると思ったからだ。


「菊子ちゃんすごーい!」

「可愛い上に頭もいいなんてサイコー!」

「しかも満点とか! 今度勉強教えて!」


 その時、近くにいた三人の女子生徒が菊子に抱きついた。菊子の友達だった。前に何度か菊子と話している所を見たことがある。

 三人がかりでもみくちゃにされ、菊子はその小さな肩をさらに小さくしながら「ふええええっ!」と情けない声をあげる。


 ……なんだろう。ちょっと可愛いと思ってしまった。


 だが、このままにしておくのもあれなので、一応言葉で割り込みをかけることにした。


「あ、あのー、キクが困ってるからほどほどにしてくれよ……?」

「あーによぉ工藤くん、菊子ちゃんは共有財産だぞー? 彼氏だからってでっかい顔するなー」

「彼……!? い、いや、俺たち別にそういうのじゃないし! 誤解すんなよな!」


 熱を持った顔で必死に訴える要。菊子の方も、もういい加減火がつくんじゃないかってくらい紅潮していた。


 そのまま三人は再びほっぺたをつついたり、綺麗な黒髪に頬ずりしたりして菊子をおもちゃにする。菊子は困った声を上げながらも、抵抗せずにそれらを甘んじて受けた。


「――いやー、まさか倉橋が一位(てっぺん)取っちまうとはな。マジすげぇ、尊敬しそうだぜ」


 要の左隣に立っていた達彦が、ニヤニヤ笑いながらそんな風に菊子を褒め上げた。


 お前だって十分凄いだろ――そんなツッコミをぐっと飲み込む。


 達彦はこの五〇人中、なんと一〇位にランクインしていた。トップの菊子に比べると劣るが、それでもかなりの点数だった。

 達彦がとある有名進学校の中等部出身であることは、前に本人から聞いた。つまり、勉強はもともとそれなりにできたのだ。

 本人は「んなもん過去の話だ。俺はその後ズルズルとドロップアウトしたから、もう学力なんてだいぶ落ちてっぜ」と言っていたが、この結果を見て「どこがだよ!」と言ってやりたい衝動に駆られた。


 要は改めて両隣の秀才へ目を向ける。


 どうしてだろう。高い順位を取ることが目的じゃなかったはずなのに、妙な疎外感と敗北感。


 次の期末テスト、もっと頑張ってみようか――そんな気分になってきた。


 ……まあもしかすると、こういう心理を煽るために、学校側はベスト五〇を公開したのかもしれないけどね。












 期末テストが終わって以来、学校が午前中で終わる日、いわゆる半ドンの日が増えた。


 今日も例によって半日で授業が終わったため、要は菊子、達彦と三人で校門までの道を歩いていた。


 真夏の太陽が容赦なく照りつけ、地面を覆うアスファルトにホットプレートにも劣らない熱を与えている。ジリジリと鳴くセミの声がBGMとなっていた。


「まさか、キクがあんなにデキる女だったとはなぁー」


 やはり、要が最初に出した話題はソレであった。


 菊子は頬をうっすら桜色に染めてうなだれる。なんだか可愛い。


「デ、デキる女だなんて……ただ、昔からプロの家庭教師の先生に教えてもらってたから……」

「……おいおい倉橋? そりゃいわゆる英才教育ってやつじゃねぇのか?」

「うーん、そうなのかなぁ?」

「そうだっての。ったく、さすがはお嬢っつぅか……」


 達彦は目頭を揉みながらため息のように呟く。


 金持ちの子供は幼少期から英才教育を受けているため学力は高い、なんて展開は漫画じゃよくある話だが、まさか現実でお目にかかれるとは思わなかった。なるほど、それならあの点数にも頷ける。


 だが、そんな菊子はともかく、まさか達彦まであんな高得点を取ってみせるとは思わなかった。


 学年全体で考えれば悪くはないはずなのだが、自分は勉強面ではこの三人の中で一番下だった。


 ……なんだかちょっと悔しくなってきた。


 なので、要は少しでも自分の教養アピールをしたいと思った。


 そこで、最近易宝から教わり始めた中国語に目がついた。


 要はあからさまな手前味噌にならないよう、さりげない口調で、


「……そういえば俺、最近師父(せんせい)から中国語習い始めたんだよなぁ」

「え? カナちゃんも中国語話せるんだ? 凄いねぇ」

「――は?」


 苦し紛れに駆け込んだたった一つの城砦(取り柄)に、大きな亀裂が走った。


 ……カナちゃん「も」?


 要は恐る恐る尋ねた。


「……あの、もしかしてキクも話せるの?」

会说一点儿中文(うん、ちょっとだけね)


 自分よりもはるかに美しく流暢な発音が、花のつぼみのような彼女の唇から紡がれた。


 途端、菊子は少し恥ずかしそうに口元を押さえながら、


「あ、あはは……外国語もお家で色々教わってたんだ……その中の一つだよ」

「色々…………キクさん、ちなみに何ヶ国語話せるのかな?」

「えっとね、英語、中国語、ロシア語、ドイツ語、韓国語、スペイン語――」

「あーオーケーオーケー。もういい、ストップ。これ以上聞いたら余計なダメージが増えそうだ」


 今まさに七本目の指を折ろうとしていた菊子は「うん?」と小首をかしげていた。


 ……さすがはお嬢様。そんじょそこらの高校生とはスペックが違うようだ。


 中国語話せる高校生なんてあんまりいないと思ってたのに。要は心の中で舌打ちした。


 あーそういえば、と達彦が思い出したように声を張り上げた。


「ちなみに俺も日常会話程度なら話せるぜ、中国語。英語のオマケみてぇなもんだけどな」

「あーヤダヤダ! 聞きたくない!」


 両耳を塞いでイヤイヤ首を振る要。


 なんかもう、かなりショックだった。二人とも、俺を差し置いて国際人かよ。


 へこみかける要の肩に、達彦はポンと手を置いた。


「つうかよ要、あんまり気にすんなよ。人と自分を比較したってロクなことがねぇ。これだけは保証する。良くも悪くも、自分は自分でしかねぇんだ。だから、お前はお前なりにやりゃいいんだよ」


 そう発言する達彦の口調は表情と同様、なんだか真剣味を帯びていた。まるで「自分が過去にした過ちを、お前は繰り返すなよ」と言われている気分だった。気のせいかもしれないが。


 でも、確かに達彦の言うとおりだ。


 自分は自分でしかない。自分なりにやるしかないし、そうした方がきっと楽なのだ。


「……そうだな。ありがと、達彦」

「ん」


 笑ってはいない、だが真摯な目でこちらを見ながらはっきりと頷いてくれた。


 彼に感謝の気持ちを抱くが、同時に達彦と話しているという今の状況から、達彦絡みで前々から気になっていた事を思い出した。


 要はそれを聞いてみることにした。


「そういえば達彦、話変わるけどさ」

「んだ?」

「お前さ――最近放課後何してるのさ?」


 ――ピタリ、と達彦の足が止まる。


 そのリアクションは何かがあるということを言外に、そして顕著に示していた。


 ――実は最近の放課後、達彦はやけに急いで教室を出る事が多かった。


 校門まで一緒に帰ろうと誘っても、たいていの場合「ごめん、俺用事あるんで」と言ってさっさと消えてしまうのだ。


 こんな事が続くようになったのは、六月に入って少しした辺りからだった気がする。


「……い、いやぁ? べ、別に何でもねぇぞ?」


 達彦はそう言うが、視線があちこちにキョロキョロ行ったり来たりしていて、なんだか怪しい。いかにも「何かあります」って仕草だ。


 見ると、菊子がなんだか居心地悪そうにそわそわしていた。


「……キク?」

「へっ……う、ううん! 何でも無い! わたしは何も知らないよ! 本当だよ………………あ」


 必死に弁解の言葉を並べる菊子は、最後に「しまった」と言いたげな顔をした。


 「わたしは何も知らないよ」――関わっていなければ、こんなセリフはそもそも出てこないはずだ。


 つまり菊子も、達彦の「用事」とやらに関わっているということになる。


 要はじとーーーっと、二人を睨めつける。


「……一体何隠してるワケ?」

「な、何も隠してねぇって。なぁ倉橋?」

「そ、そうだよ、ねぇ鹿賀くん?」


 互いに寄り合い、そしてわざとらしい苦笑を浮かべる達彦と菊子。


 ……どうしてだろう。心の中に一瞬、激しいざわめきが生まれたような気がした。


 だが、そのよく分からない感情はひとまず端っこに放っぽって、


「……まあいいけど」


 要は諦めたようにため息をついた。


「えっと……悪ぃな、要」


 もはや何かを隠していることを認めているかのような達彦の一言。


「いいよ。言いたくないんだろ? だったら俺もこれ以上突っ込まないよ」


 そう。追求して欲しくないことを、要はむやみやたらにほじくったりはしない。


 自分だって、母親に崩陣拳の事をずっと隠していたのだ。隠し事をしたい人の気持ちは分からないでもなかった。


 三人はそのまま無言で歩き、ようやく校門まで到着した。


 そこを出たら、自分たちは三者三様の方向へと帰る。それが普段通りの下校風景だ。


 しかし校門を出た瞬間、道路の右側から半銀半青の塊が高速で接近。そして、自分たちの目の前の道路でストップした。


 三人は思わず足を止める。


「――やあ、工藤くんじゃないか。今帰りかい?」


 ガードレール越しに目の前にあるその塊――いぶし銀のバイクにまたがる青ジャケットの男は、聞き覚えのある声を発した。

 男は顎辺りが露出したジェットヘルメットの黒バイザーを持ち上げる。そして、予想通りの顔をさらけ出した。ビジュアル系ロックバンドにでもいそうな、清涼感のある目鼻立ち。

 竜胆正貴(りんどう まさたか)。暴走族『紅臂会(レッド・アームズ)』の元リーダー。


 要は目を点に近い状態にしながら竜胆を見て、


「竜胆っ? あんたどうしてここに? 仕事はよ?」

「今日から明日までオフだよ。それで午前中の修行を終えてから、この海線境市を気ままにドライブってわけさ。その途中で君が見えたから、ちょこっと挨拶をと。あ、ちなみにここは停めても罰金取られないから大丈夫だよ」


 休みであることが嬉しいのか、やや上機嫌にそう語る竜胆。


「そうなんだ……大変だね、社会人って」


 要もそうしみじみ返す。


 ほんの数ヶ月前に死闘を繰り広げた相手と、今はこうして世間話のようなことを話せている。それがなんだか不思議な感じがした。


「あの、カナちゃん……その人は?」


 菊子がやや隠れ気味に要の後ろに立ちながら、ちまちま半袖ワイシャツの裾を引っ張ってくる。

 そういえばキクは面識が無かったなぁ。そう思った要は竜胆を手で示しながら、


「ああ。紹介するよ。この人は竜胆正貴。元暴走族のリーダーで、今は更生して中華街のレストランで働いてる。『六合刮脚』って拳法もやってるんだ」

「更生って言葉が若干引っかかるけど、工藤くんの紹介の通りだよ。よろしく、お嬢さん。君は見たところ……工藤くんの彼女かな?」


 竜胆はやや意地悪そうな笑みを浮かべ、菊子に下世話な事を訊いてくれやがった。

 菊子は「ふぇっ……」と小さく喉を鳴らすだけでそれ以上言い返さず、後はうつむきながら白い顔を赤く変色させていくのみとなった。

 要も夏のアスファルトに負けないくらいの熱を頬に持ちながら、


「なんでそうなるんだよ!? 違う! 違うっての!」

「あーはいはい。分かってるよー」


 要の抵抗を、竜胆は太極拳のようにさらりと受け流した。くそっ、絶対からかってるな。


 要をいじるのはこれにておしまい、とばかりに、竜胆は三人目――達彦に視線を移した。


「それでもって、そこの彼は……」


 だがその時、竜胆の表情に気遣うような、それでいて申し訳なさそうな色が宿った。


 達彦の方も、少し複雑そうな顔で別の方を向く。


 要はハッと気がついてしまった。

 そうだ。達彦は竜胆に一度やられている。この二人には過去のしこりが残っているのだ。あまり引き合わせていいメンツとはいえないかもしれない。


 さっきまでの慌ただしさが一転、沈黙と緊張が場を支配する。そうさせているのは他でもない達彦と竜胆だった。


 やがて、竜胆が口火を切った。気遣わしく、薄い笑みを浮かべながら。


「……その節は、済まなかったね」


 投げかけられる謝罪の言葉。その節とは問うまでもなく、春の日の事だろう。


 達彦はそれに対し、億劫げに頭を掻きながら静かな口調で返した。


「……いいよ、別に。気にしてねぇ。ぶっ飛ばされたのは事実だが、それ以上に良い事があったから、ぶっちゃけ腹はあんま立ってねぇよ」


 竜胆は軽く頭を下げ、


「済まない、鹿賀達彦くん。君には借りができたな」

「んなもん気にすんなよ」

「ああ。だが、もしも返せる機会を見つけたら、俺はそれを喜んで返そう」

「……へいへい、期待してんよ。半分くらい」


 そんな二人のやり取りを聞いて、要はホッと胸をなでおろした。


 達彦がケンカ腰になると思っていたが、そうはならずに済み、丸く収まったようだ。


 竜胆は気持ちを入れ替えたように表情を明るくすると、こう切り出してきた。


「よし、学生諸君に特別サービスだ。ヘルメットがもう一つあるんだが、この中で誰か一人を家の近くまで乗せていってあげようじゃないか。どうだい?」


 それに対し、まず要が「いいや。俺帰る所近いし」と遠慮の言葉を出す。

 「わ、わたしも車を待たせているので大丈夫です」と菊子。

 「俺も遠慮すんよ。半袖だし」と達彦。


「うーん、そうか、残念。それじゃあ、俺はこの辺をもうひとっ走りして来ようかな」


 そう言って、竜胆がバイクを再び走らせようとした時だった。




「――そこの人たち、取り込み中の所失礼するよ」




 出し抜けに、そのような声が真横からかかった。


 少年の声だった。だが女声に近いくらい高めのアルトで、耳によく響く。


 音源は、左に離れた所で立っていた少年だった。要と同じで、校門前に並行に伸びた歩道の上にいる。


 ボブカットにパーマがかかったような金色の短髪。大きな瞳の目立つ童顔は、少女と少年の中間のような中性的顔立ちだった。

 無数の鍵と錠前の絵で模様付けされた薄手の半袖ジャケットと、膝小僧を覆い隠す程度のハーフパンツ。一六二センチの要より少し高い程度の身長で、体型も華奢で線が細い。


 話した事どころか、見た事すらない顔だった。


 自分たちに声をかけたのではないのかもと最初は思ったが、その金髪の少年は明らかにこちらを――特に要の方を真っ直ぐ見ていた。その口端はうっすら斜め上へ吊り上がっている。


「あ、あの……どちらさまで……?」


 要はとりあえず、控えめな語り口でそう尋ねた。


 自分がターゲットでなかったならそれでいい。「いや、あなたに用は無いです」と言われて終わりなだけだ。


 しかしその少年は、要に用があることを肯定し、なおかつそれを覆い隠すほどの驚くべき一言を放った。


「はじめまして工藤要くん。ボクは三枝窮陰(さえぐさ きゅういん)――『五行社(エレメンツ)』の「金」の席に座る立場の者さ」


 要は脊髄反射に等しい速度で菊子を後ろに庇い、身構えた。


 達彦も同様の反応をした。竜胆もバイクにまたがった姿勢を変えないながら、いつでも蹴りを放つであろう気配を発している。


「……ひどいなぁ、いきなりその反応はないよねぇ」

「やかましい。『五行社』の奴が一体何の用だ? 鴉間の敵討ちにでも来たのか?」


 要は考えうる理由の一つを質問としてぶつけた。その少年――三枝窮陰をジッと睨み、その動きに気を配りながら。


 自分は『五行社』の一人をすでに倒してしまっている。面目を気にする『五行社』にとっては、是非とも潰しておきたい相手のはずだ。


 もし一戦交える展開になったら、まずは闘えないタイプの菊子を真っ先に学校の中へ逃がそう。職員室辺りに籠城させるのだ。いくら『五行社』でも、そんなところまで乗り込んでくることはないはず。


 だが三枝は、何を言わんやとばかりの話調で言った。


「敵討ちぃ? どうしてそんなしち面倒で勿体無いことしなくちゃいけないのさ? 違うよ。ボクが今日キミの前に来たのは、まったく別の理由さ」


 ――勿体無い?


 そんな三枝の表現を訝しむ要。


 そして次の瞬間、三枝は要の考えていた「理由」とはかすりもしない、予想外の「理由」を突きつけてきた。






「鴉間が除名になったことで、『五行社』の「水」が空席なんだ。良かったら、ボクらの仲間にならないかな?」






 予想外過ぎて、時間が止まったような錯覚に陥った。


 そして、数テンポ遅れでようやく喋る余裕ができた。かすかにだが。


「……今、何て言った?」

「ボクらの仲間になる気はないか、と聞いたんだよ。キミの力は素晴らしい。是非ともボクらの元へ来て、その力を存分に振るってみないかい? 優れた技能を持った人は、それ相応のステージがある。ボクがそのステージに連れて行ってあげるよ」


 陶酔したようにそう言うと、三枝は笑顔で手を差し伸べてきた。


 まるで、不幸な者を楽園へと誘う天使でも気取っているかのように。


 要は考える間も無く、結論を槍先のように突きつけた。


「――やなこった」


 三枝は口を笑みにしたまま、半眼になる。


「へぇ、きっぱり言い切るねぇ。そのこころは?」

「理由なんかいらねーよ。とにかくヤダって言ってんだ。用はそれだけか? なら帰れ」


 明確な拒絶の意思を示す要。


 三枝は少しの間表情を固めて黙り込むが、やがて嘆息するように口を開いた。


「……分かったよ。それじゃ、今日の所は引き下がることにするよ」

「ああ、そうしてくれ。んでもって、もう来んな」


 要の悪態に表情一つ変えず、三枝は背中を見せた。


 しかし最後に、


「――でも、ボクはそれでも賭けよう。キミは絶対にボクらの側につく。それも自発的にね」


 そう捨て台詞のように言い残し、去っていった。


 小さくなっていく三枝の後ろ姿を見ながら、要は心の中で思っていた。


 そんなことは絶対に有り得ない――と。











「――どうでしたか、三枝さん?」


 工藤要からある程度離れた場所にある交差点の曲がり角から、あらかじめ待たせておいた手下の男が出てきた。


 三枝窮陰は鼻白みながら、疲れたように報告する。


「あーダメダメ。失敗に終わったよ。主人公のテンプレみたいに「断る」と即答さ。あー暑苦しい」


 でも、と一度区切って、三枝は継続した。


「ここまでは予想通りさ。工藤要の性格からして、最初(ハナ)からスカウトが成功するなんて思っちゃいないよ。今回は単なる顔合わせのために来たのさ」

「どうしますか?」


 淡々と問うてくる男。


 三枝は男を指差し、これから行うイタズラを楽しみにする子供のような笑みを浮かべて命じた。


「――予定通りの手はずでお願いする。キミたち『軍隊蟻』の出番だ。好きな方法でちょっかいを出して構わないよ」

読んで下さった皆様、ありがとうございます!


再び二作同時に執筆し始めたせいか、作品が変わると、そのもう片方の作品のテンポを取り戻すのに少し時間がかかってしまいます(´Д` )

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