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戦え、崩陣拳!  作者: 新免ムニムニ斎筆達
第三章 水行の侵食編
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第十八話 一歩の先へ


 夕日の下。

 要と易宝は向かい合って立ち、互いを見ていた。


 中庭に漂う空気は、いつにも増して緊迫していた。いつも修行している場所なのに、まるで別の場所に来ているみたいに感じた。

 いや、目の前の易宝は普段通り飄々とした佇まいだ。緊張しているのは要だけ。

 そしてその原因はひとえに、ここに来る前、易宝が発したある一言だ。


「――「今日で『散手』は終わる」って、どういうことだ?」


 要は改めて、目の前の発言者にそう問うた。

 防御のみの『散手』における現在の最高記録は四十五秒。合格までまだ先はあった。

 だというのに、なぜ「今日終わる」と断言したのか。

 「見込みが無い」と見限られたのか? それとも――


「言葉通りの意味だ。おぬしは今から行う『散手』を――必ず一分間耐え抜けるはずだ」


 易宝のその言葉からは、濁りも迷いも感じられなかった。


 見限られたのではないと安心すると同時に、要は混乱した。


「どうしてそう断言できるのさ?」

「何でもかんでも人に聞くでない。それにどのみち、これからやる『散手』の中で分かることだ」


 言うや、易宝は一歩退き、半身の体勢となった。

 ただ立ち方を変えただけなのに、自分が構えた時以上の隙の無さを感じた。

 おまけに足底が地に吸い付くような安定感が見られ、思い切り突進しても一ミリも動かなそうだ。


「さあ、始めようカナ坊――最後の『散手』を」


 神妙に告げてくる易宝。

 要は仕方なしに身構えた。こうなったら言われたとおり『散手』の最中に答えを探るしかない。


 易宝の全身に深く注意を向ける。四肢の動きを観察する。


 やがて、易宝の後ろ足と右手が――小さく揺れて見えた。

 要はカッと目を見開く。間違いない。それは最近よく見る「初動」だ。

 後ろ足と右手に「初動」が見られた。その意味はなんとなく見当がつく。おそらく、右拳を用いた『開拳』や『撞拳』のどちらかだろう。これら二つは使用時に後足を蹴るからだ。


 瞬時の思考でそう結論付けるや、要は横へ大きく飛び込んだ。


 そして、瞬刻前まで要の姿があった空間を、易宝の『撞拳』が貫いた。要は地面に転がりながらそれを目にする。

 素早く立ち上がり、数メートル離れた位置に立つ易宝を見る。彼はすでにこちらを向いていた。


 要は再度、その姿を注視。動き出すタイミングを見逃すまいと、個々の筋肉の動きをも捉えるつもりで注意を向けた。

 易宝の前足が揺らぐ。陽炎を彷彿とさせるその「初動」は、手前へブレを傾かせていた。それは高確率で、真っ直ぐ突っ込んで来るというサイン。

 要は素早く全身をよじって体軸をずらす。

 程なくして、目の前を“黒い風”が通過した。前髪が殴られたように横へ煽られる。

 易宝の『箭歩』を、どうにか回避できた。


 しかし、易宝の攻撃は終わらない。そして、『散手』もまだ始まったばかりだ。

 『箭歩』を躱された事を全く気にもせず、再び急接近してきた。

 揺るがないそのスタンスに若干気圧されるが、要はそれを振り払い、冷静さを自分に課す。余計な感情に気を取られるな。注意を向けるのは相手の動きに対してだけだ。

 

 易宝の大腿部に、下へ膨らむような「初動」が発生。その下向きの揺らぎは尾てい骨を通って波打つように背部を伝い、最終的に頭部へ到達して見えた。

 体の後ろ側が波のように蠕動するこの技の正体は、悩むまでもなかった。


「ふんっ!!」


 刹那、易宝は磁石が貼り付くような踏み込みとともに、頭頂部を鋭く突き出してきた。前方へアーチ状に働く『浪形把』の勁力を乗せた頭突きだ。

 しかし、頭突きを出しきった頃には、すでに要は易宝の左肩辺りへと移動していた。

 そして、それに対する易宝の反応も迅速だった。


 両足と胴体に、渦巻くような「初動」を視認。足底と腰を同方向へ螺旋回転させようとしている証拠だった。

 それを見て、次は『旋拳』が来ると判断。

 渦巻く「初動」のベクトルは反時計回り。ということは、これから突き出して来るのは右拳だ。

 要は胸前で、両腕をクロスして構えた。


 そして読み通り、易宝は右拳を突き放ってきた。

 矢のような疾さの中に確かな圧力を秘めた一拳を、要は構えておいた両腕へと接触させる。クロスした両腕を一つの「面」として扱い、その摩擦力で強引に拳の軌道をずらそうという算段だ。

 しかし、両腕にやって来た拳圧は想像以上のもので、逆に要の方が押し退けられてしまいそうだった。


「こんっ……のぉっ!!」


 それでも要はひるまず、足腰に力を入れて両腕を押し返す。そして両者の力が拮抗したところで、両腕を横へ傾けた。

 結果、易宝の拳は、クロスした両腕の上を滑るようにしてあさっての方向へ直進した。


 拳を受け流した後でも一切気を抜かず、そのまま背後へ移動する要。

 易宝の骨盤辺りに「初動」が発生する。

 振り向きざまに放たれた外払い蹴り『擺脚』を、要はあらかじめ垂直に立てていた両前腕部で受け止めた。

 手根に響く熾烈な衝撃。しかし要はそれを我慢し、易宝の一挙手一投足に意識を集中させた。


 それからも、休みなく猛攻が続いた。

 そして要はそのことごとくを躱し、防ぎ、受け流した。 

 自分でも驚くほど、円滑な防御を行えている。

 「初動」を捉え、そこから相手の攻撃をワンテンポ早い時間から予測。そして回避、ガードへと転ずる。

 今の自分の動きからは、以前までのぎこちなさがほとんど見られなかった。


 攻防の中で、要は改めて考えた。

 どうして自分は「初動」などというものが見れるようになったのだろう、と。

 この能力を得たのは絶対に偶然ではない。易宝の思惑通りに、得るべくして得たのだ。攻撃禁止のこの『散手』は、防御と回避のスキルを養うためのもの。その防御や回避にこんなに役立っているのだから。


 思い返すといい。

 自分がここに来て以来、易宝は何も言わず突然腹を殴るという迷惑なちょっかいを繰り返してきた。

 易宝が「今日で『散手』は終わる」と言ったのも、そのパンチを初めて受け止めることができた後だった。

 あの腹パンチはちょっかいなどではなく、もしかしたら――「初動」を見る能力を測るためのものだったのかもしれない。


 そう考えれば腑に落ちる。

 以前までは時々にしか見れなかったが、今では集中すれば必ず「初動」を捉えられるようになっている。自分でコントロールできているのだ。易宝はあの腹パンチで、それを見抜いたのかもしれない。

 そして、それこそ「合格は絶対」と断言する根拠なのだろう。


 しかし、どのような修行で得たものなのか。

 要はそれを深く考える時間が欲しかった。しかし、目の前の敵から意識を逸らすわけにはいかない。それは自殺行為だ。


 だから、後で考えよう。


 そう思った時だった。




 体のあちこちから何度も「初動」を発する易宝の姿が――どこかで見た別の映像と酷似しているように感じたのだ。




 それは、デジャヴだった。


 要は驚き、さらに集中して易宝を見た。

 注視すればするほど、その既視感はさらに深まっていく。

 やがて既視感は、その原因となっている「過去の映像」を連鎖的に思い起こさせた。




 それは――小さな火だった。




 ロウソクの頂点にポツンと灯った、ちっぽけな火。

 灯りのついていない真っ暗な部屋を照らしていた、たった一つの光源。

 風の通らない部屋の中で、雫形の像を小刻みに揺らめかせながら燃えていた、朱色の火。






 微かな「初動」を見せる易宝の姿は――その小さな火にそっくりだった。






 要はようやく理解した。

 そうだ。「あの火」に似ているからだ。

 易宝養生院(ここ)に来て以来、自分がずっと部屋で眺め続けていた――あのロウソクの火に。

 

 あれが――「初動」を見る力を養う訓練だったのだ。

 部屋が無風状態であるためほとんど形を変えないが、あの火は時々、ほんの少しだけ「揺らめき」を見せていた。

 そして、その「揺らめき」は本当に微かな動きだった。それこそ、集中力をフルにして見ないと捉えられないほどに。

 その「揺らめき」こそが、「初動」だったのだ。

 ロウソクの火に起きる微細な「揺らめき」を何度も観察することで、人や動物の肉体に現れる微細な「初動」を見る眼力をつけていたのだ。


 要はようやっとスッキリした。苦戦していた知恵の輪をようやく解いたような気分だった。

 疑問がすべて消えたことで思考もクリーンになる。より一層手合わせに集中できるようになった。

 攻撃をいなす自身の動きから硬さの一切が消え、柔らかさと軽やかさだけが残った。


 疑いようもなく、今の自分は今までで一番のコンディションだった。


「ふっ!!」


 爆風のような勢いで放たれた『開拳』を、体のねじりだけで回避。

 そのまま背後へ移動するべく側面に入った瞬間、易宝の全身がこちら側へ小さく揺れ動いて見えた。その「初動」から体当たりを予測する。

 約半秒後に見せた易宝の攻撃は予測通り、肩を前に突き出しながらの体当たり。

 要は突進してきた易宝の肩口を自分の背中の表面に滑らせ、背後を素通りさせた。背中を「面」として扱い、肩という「点」の攻撃を受け流したのだ。


 そして要は後退して距離を取る――のではなく、再び易宝の至近距離へ接近した。


 無謀ではない。むしろ相手と離れるより、密着した状態の方が防御しやすい。易宝のように、リーチで自分に勝る者を相手する場合はなおさらだ。

 積極的にリーチ内へ入り、蛇が絡みつくように攻撃をかいくぐる。

 それこそが体の小さい自分にとってベストな防御法であると、要は今この瞬間なんとなく理解できた。


 それに今の要には、易宝の動きが手に取るように分かる。

 「初動」から次の一手をいち早く予測し、それに対して防御を行うもよし、回避しつつ死角へ逃げるもよし。これが実戦ならば、そこからさらに攻撃へと繋げればいい。

 「点・線・面」の理論を身につけたことによって、今の自分は体のあらゆる部位で防御を行い、そのまま流れるように反撃することができるようになっている。

 どこから攻撃が来ようとも、事前に来ることさえ分かっていれば、それだけで十分。「点・線・面」の理論にパターンは存在しない。その場面で一番速く使えそうな体の部位を最大限に活用し、できる限りの最良の防御を成功させることができる。

 手だけでなく、体全体を用いた防御が可能な今の自分は、まさしく小さいながらも堅牢な要塞だった。


 振り向きざま鞭のように振り出された易宝の片腕を、要は両手で受け止める。だがその衝撃は軽い。ゆえに次の攻撃のための布石であると即座に判断。両手は上に挙げられているため、今は腹がガラ空きだ。そこを狙って来るはず。

 体幹全体に「初動」を発生させ、易宝は『旋拳』を腹めがけて一閃。案の定のパターンだった。

 しかしそれを前もって読んでいた要は、高速で突き出された易宝の腕を自身の片腕に擦過させ、真後ろへ流す。そうしたことで、要は易宝の胸の中にすっぽり収まる位置に来た。


 安心するのはまだ早い。攻撃の失敗にいちいち一喜一憂せず、攻める手を休めないのが真の手練というもの。そして、易宝はその中にカテゴライズされる人間だ。


 易宝の腰が波のように激しく浮沈。前足の踏み込みと同時に、彼の胴体が壁のように押し迫ってきた。『浪形把』の勁力を用いた、胸による体当たりだ。

 だが、それさえも要はお見通しだった。要はすでに自分の胸を隠すように片腕を構えながら、横へ足を進めていた。

 易宝の重々しい胸打が、構えられた腕に激しく摩擦。その強い力に押し流されそうになるが、要はなんとか受け流す事に成功した。


「ほう! 今のを躱すか!? 面白い! もうすぐ一分だ、最後は少しピッチを上げようかのう!!」


 易宝は喜ばしさと興奮の入り混じった声で言うと、向き直り、距離を詰めてきた。

 そして、再び怒涛のラッシュを繰り出してきた。言っていた通り、その動きは今までのソレより一段階激しさを増していた。


 要はそれらをギリギリで無効化しながらも、今までにないその勢いに気圧されかけていた。

 しかし、慌てて自身を律する。

 冷静さを失ったら負けだ。

 こんなに焦っているのは、打たれることを恐れてるからだ。でも、その気持ちだとかえって打たれる確率を上げてしまう。


 打たれないために、打たれることを覚悟するのだ。

 矛盾して聞こえるかもしれない。だが打たれることを覚悟すれば、飛んでくる打撃に対する恐怖心が大なり小なり和らぐ。そうなることで初めて、相手の攻撃を受け流しつつ懐に入るという「点・線・面」の理論が活きるのだ。相手に突き進むことができなければ、成功しない技術なのだから。

 そして、突き進んだその先こそが――相手のリーチ内(てんごく)なのだから。


 迫り来る猛攻を次々とさばいていく。

 要の心身はまさに陰陽を表現していた。体は縦横無尽に躍動しているが、心は細波のようにひたすら神妙だ。

 易宝の攻撃は、一発一発が自分にとっての一打必倒となり得る圧力を内包していた。

 しかしそれらを柔らかくも的確な動作で防ぎ、受け流し、回避していった。

 「初動」を見て次の動きを予測し、それに最も合った方法で対応する――それらの工程を、慣れ親しんだ流れ作業のような自然さで行っていた。


 易宝が回転しながら急激に腰を落とす。片足を軸にして円弧軌道で放たれた払い蹴りが、要の足を刈り取ろうと近づいてきた。『前掃腿』という蹴り技だ。

 要は足元を取られる前に、勢いよくバックステップして真後ろへ逃れた。ジャンプしてはいけないことはもう学習済みだ。足は地から絶対に離さない。


 だが、易宝はあっという間に腰を上げ、こちらを向く。そして前膝と片腕に「初動」を見せた。

 その「初動」の揺れのパターン、そして自分と易宝の距離が十メートル近く離れていた点を見て、次に来るのは『箭歩』であると判断。あと一秒と待たぬ間に、易宝は自分の目の前へと肉薄するだろう。


 普通ならすぐに横へ飛び込めば躱せるが、それは出来なかった。

 さっきのバックステップのせいで、真後ろに勢いが集中してしまっている。これでは避けたくてもすぐには避けられない。今から踏みとどまって軌道修正しようとしても、きっと間に合わない。


 なら、話は簡単だ――勢いのある方向に倒れてやればいい。

 それを思いついた時には、要はすでに地面へバタン、と背中を付けていた。


 程なくして、一気に距離を縮めてきた易宝。足がめり込まんばかりに踏みとどまると同時に『撞拳』で突いてきた。

 しかし、その拳が当たることはなかった。なぜなら要は――その突き伸ばした腕の真下で寝転がっていたのだから。


 易宝は仰向けになった要にすぐ気がつき、引き手として腰へ引っ込めていたもう片方の手に「初動」を見せた。間違いない、下へ打ってくる気だ。

 考えるよりも先に、要は片足を上へ伸ばし、その靴底を突き出した。

 そしてその靴底で、振り下ろされた拳をガードした瞬間、




 ――ピピピピッ! ピピピピッ! ピピピピッ…………!




 易宝のポケットから、電子音が鳴った。


「え……?」


 要はぽかんとした。

 その電子音が鳴り始めた直後に、易宝の動きがピタリと停止したのだ。全身からも「初動」は一切見られない。

 さっきまでの戦闘の熱が嘘のように冷め、要はどうしていいか分からず硬直し続けた。


 だが、やがて易宝が腰を上げて真っ直ぐ立ち、電子音の聞こえたポケットからストップウォッチを取り出した。なるほど、音源はアレだったのか。

 そして、そのストップウォッチを見せられた。7セグメント表示の大数字は「01:00」で止まっていた。一分ジャストを表している。

 この時計は一分になると、アラームが鳴るようにセットされていたのだ。さっきの電子音はそのアラーム音というわけだ。


 ――ということは。


 見ると、易宝はにっこり微笑んでいた。

 そして、祝福するように一言。




「よく一分間耐えたな。合格だ」




 それを聞いた途端、歓喜の気持ちが間欠泉のような勢いで湧き上がってきた。


「ぃやったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」


 起き上がり、その場で高々と跳ねて、この上ない喜びと達成感と開放感を全身で表現した。

 やった、やったぞ! やっと合格がもらえた!

 攻撃できないイライラにも負けずに挑み続けて、ようやく太鼓判を押してもらえた!

 俺はやり遂げたんだ!


 大喜びする要を、易宝は微笑ましげに見つめながら尋ねてきた。


「どうだカナ坊、理解できたか? ――あのロウソクの意味を」


 要は興奮気味な態度を崩さないまま、まくし立てた。


「うんっ! 俺、「初動」――動く直前に見せる小さい動きを見て、あんたや他の人の次の動きが漠然とだけど分かるようになったんだ。これって、ロウソクの火を眺めたから身に付いた目でしょ? あ、ちなみに「初動」っていうのは俺の命名な。なんて呼んでいいか分からなかったから、とりあえず付けてみたんだ」


 易宝は納得したように頷くと、


「別に呼び方は何でもいい。「初動」で構わんよ。そして――正解だカナ坊。あの修行は無風の空間でほんの微かに揺らめくロウソクの火を観察し続けることで、人間が動作の直前に無意識に行う微小な動き「初動」を見つける眼力を養い、「先発制人(せんはつせいじん)」を容易に行えるようにするための修行だったのだよ」

「なにそれ?」

「「先発制人」とは、日本武道で言う「先の先」。相手が行動を起こす直前に動き、出鼻をくじく戦法のことだ。動作の直前に見える「初動」から、攻撃に使う部位、そして攻撃のやって来るタイミングを予測し、そしてワンテンポ速く動いて対処する。おぬしの体には、すでにそういった高度な戦法が染み付いておる」

「……! そ、それじゃあさっ!」


 ふと、あることに気づいた要は、瞳を輝かせながら易宝に詰め寄り、希望に満ちた口調で訊いた。


「今の俺なら、師父(せんせい)とやりあっても勝てるってことだよな!? だって次の攻撃が前もって分かるんだから! それって最強じゃない!?」


 易宝はしばし唖然としていたが、やがて心底可笑しそうに笑い飛ばした。


「生意気を吐かしおるわい。最初の『散手』の時に言っただろう? 「少し本気」だと。我々『高手(ガオショウ)』は武術家の究極体。肉体の操作を極めし我々にとって「初動」を隠したり誤魔化したりすることなど、カップラーメンに湯を注ぐよりも簡単なことだ。おぬしがいかに動きを読もうとしても、間違った「初動」を見せてミスリードし、それに引っかかってあたふたしてる所をぶっ叩いてくれよう」

「…………じゃあ、何か? 今までの『散手』ではワザと「初動」を見せてたってこと?」


 当然だろう、と真顔で首肯する易宝。


 途端、要はしょぼんと気を落として、


「なんか、さっきまでの喜びが一気に萎んだ気分……」

「こらこら、それはいささか良くない考え方だぞカナ坊。たかだか一ヶ月足らずの日数で『高手』レベルの実力なんかつくわけがなかろう? 今はかつての自分より成長できたことを喜ぶべきだ」

「うん……」


 要がおとなしい態度で肯定する。


「……んっ?」


 だが不意に、易宝の眉が少し潜められた。まるで何かに気がついたように。


「カナ坊、何か聞こえんか?」

「何が?」

「勝手口の奥から何か聞こえる。なんか、音楽のようなものが。テレビは消したはずだが……」


 要は一旦静かにし、耳をそばだてる。

 すると易宝の言うとおり、音量は乏しいが、何か電子音っぽい音楽が聞こえてきた。

 どこかで聞き覚えのある音楽だった。少し考えると、すぐに答えは出た。


「……俺の携帯の着メロだ。電話の方の」

「そうか。なら早く出てこい」


 言われるまま、要は勝手口へと入っていった。


 ドアを抜けると着信音は途端に大きくなり、耳を刺激した。少し音量を上げすぎたみたいだ。後で少しボリュームを落とそう。


 携帯は、リビングのテーブル上に置いてある。それを手にとってディスプレイを見ると、着信相手は「鹿賀達彦」。


 何の用だろうと思いながら、通話ボタンを押し、受話口に耳を当てた。



『――――…………っ! この……が……! ざけん………ラァ……ッ!――――』




 だが、達彦の声は聞こえてこない。

 代わりに聞こえてくるのは雑踏音と、たくさん重なりすぎて言葉の体をなしていない胴間声の数々。


「なんなんだ、一体……?」


 この電話の意図が分からない。


 しかしなぜだか、胸騒ぎのようなものがした。その直感が、通話を切ることを拒ませた。


 要は耳元に意識を集中させる。

 雑音をかき分けるようにして聞き、そして、ようやくまともな言葉になっている声をキャッチした。




『――ホント、バカかよ……テメェらっ……!? 潮騒公園なんて、目立つ場所で……俺をボコろうなんてよ……! サツに見つかっても知らねぇぞ、俺ぁ……!!』




 嵐のような雑音の奥から聞こえてきたその声。

 苦しくて仕方ないが、それでも自分に課せられた使命を果たさんと戦い続けている。そんなニュアンスを感じさせる声。

 非常に聞き覚えがあるものだった。


 そう、これは紛れもなく――達彦の声だ。


 そして、その声で発せられた台詞から、達彦が今置かれた状況を分析する。

 それを端的に表すと、こうだ。


 ――達彦は、今、潮騒公園で、誰かから暴行を受けている。

 

 要は目を見張った。

 暴行? 

 なんで達彦が? 

 いや、それよりも、一体誰に?


 その答えは、次に聞こえてきた達彦の声に含まれていた。




『――もし、この潮騒公園でサツに見つかったとしたら……「じゃれあってただけだ」とか、テメェらヌマ高のバカ共は必死こいて言い訳、すんだろうなぁ……でも、そうはいかねぇ……』




 再び驚いた。


「ヌマ高の奴らだって!?」

 

 要はあらゆる意味でショックを受けた。

 ヌマ高の手が、とうとうよく知った友達にも伸びたこと。「達彦はそこそこ戦えるタイプだから、一人二人に絡まれても大丈夫」という予想が見事に裏切られたこと。それら二重のショックを。


 呆然としている間に、三度目の台詞が耳に届いた。




『――全力で証言してやる……「この潮騒公園で、こいつらに絡まれてた女を助けようとしたら、逆にボコられました」ってな……!』




「……あれ?」


 ここでようやく、要はある点に気がついた。




『――そしたら、テメェら終わりだろうなぁ……!? この潮騒公園で俺なんかをボコったせいで、ただでさえ前途多難な将来を、さらに絶望的にしちまうわけ、だからなぁ……つーわけだから、俺なんか捨て置いて、さっさとこの潮騒公園から消えちまえ……今ならまだ間に合うぞ……お前らに潮騒公園でボコられたこと、心の中にしまっておいてやるから、よ…………』




 ――やっぱりそうだ。

 達彦は、「潮騒公園」という現在地を何度も口にしている。

 少し不自然に思えるくらい頻繁に、「潮騒公園」という固有名詞を言葉の端々に差し挟んでいた。


 要は我知らず、携帯を握る手に力を込めていた。


 もしかすると――この電話はSOSのサインなのかもしれない。

 こっそり電話をかけ、こちらがそれに出てくれることを信じて、自分の居場所を密かに教えているのかもしれない。

 それによって、「助けてくれ」と遠回しに言っているのかもしれない。


 ならば、それに応えないわけにはいかない。この電話に込められた決死のSOSを、無駄にはできない。


 ――いや、それ以前の話か。


 達彦が今、暴行を受けている――それだけでも、行く理由としては十分だ。


 通話を切り、携帯をポケットへしまう。


 幸運だったのは、ちょうどさっき『散手』で合格をもらったことだ。

 合格ということは、もう手を出しても構わないということ。

 つまり、何の後ろめたさも感じることなく、達彦を助けてやれる。


「師父っ! 俺、急用ができた! 中断していいかな!?」


 勝手口を勢いよく開け放ち、その向こう側で立っていた易宝にそう尋ねる。


 易宝も最初は困惑の表情だった。だが要の顔を見ると、すぐに何かを察したように、


「構わん。行ってこい。無茶はするなよ」


 軽く笑い、そう了承した。


 その言葉を聞くと同時に、要は弾丸よろしく走りだした。











 潮騒公園は、シオ高や易宝養生院からそう遠くはない。全力で走ったこともあり、すぐに到着することができた。

 フェンスに囲われたその公園の中を、入口から覗く。

 何もない殺風景な広場に、制服を着た男たちの人だかりがあった。

 半袖ワイシャツに紺色のスラックス。その制服は疑うまでもなく、ヌマ高のソレだった。


「……っ!」


 その人だかりには一箇所、小さな隙間があった。そこから中の様子をちらっと目にした要は、思わずもがり笛のように喉を鳴らした。


 人だかりの中に見えたのは、見るも無残な姿となった達彦だった。

 服は当然ボロボロ。顔面には殴られたような腫れ跡がいくつもある。露出した腕には擦り傷が多々見られ、赤い血が滲んでいた。

 そんな酷い姿で、達彦はうずくまっていた。


 要の頭の中が、憤激で一気に沸騰した。


 気がつくと公園に入り、人だかりめがけて突っ走っていた。


「どけよっっ!!!」


 壁のように立つヌマ高生たちを乱暴に押し退け、人だかりの中央に分け入る。 


「おいっ!! 達彦!! 大丈夫かお前!?」


 うずくまった達彦の傍らにしゃがみ込み、切羽詰った声と表情で呼びかける。その怪我は近くから見るとさらに酷い有り様だった。


「は、ははは…………来るのが遅ぇよ、アホ……くそっ、叫びすぎてノド痛ぇ…………カラオケ帰りかっての……」


 達彦は枯れた声でそう返し、力なく笑って見せる。

 その姿が、余計痛々しく見えた。


 そして達彦に対する憐憫は、そのまま周囲の連中に対する強い怒りへと転化した。


「テメーらっ……!!」


 周囲に立つヌマ高生たちを見渡すように睨み、低く凄みのある声色でそう口にした。

 拳を握る力が我ながら凄まじい。石ころ程度なら握りつぶせるかもしれない。

 力強く切歯した歯には、ヒビが生えそうだった。


 そんな自分の表情を見た周囲のヌマ高生が、こわばった顔で一歩退いた。人の輪が少しだけ広がりを見せる。

 連中の一人が、シオ高の制服を着た女子生徒の手首を捕まえているのが見えた。おそらくあの女子が、達彦の言う「絡まれてた女」なのだろう。


 だが、そんな事は今はどうでもいい。

 達彦をこんな目にあわせたこいつらを、絶対に許してはおけなかった。

 そして、何もせずに黙っているわけにはいかなかった。


 要はゆっくりと立ち上がる。頭は沸点を余裕でぶっちぎっているにもかかわらず、動きは静かだった。それが、我ながら不気味に感じた。

 そして進もうとした瞬間、声がかかった。




「――誰かと思ったら、あなたですか。一度の惨敗以降ずっと逃げ続けている負け犬、工藤要さん?」




 その声が耳に入った瞬間、マグマのように煮えたぎっていた感情は絶対零度まで急降下した。しかし、冷静になったのではない。冷たい怒りに転じたのだ。

 この皮肉に満ちた、浮薄な口調と声色。

 誰のものであるのかは、すぐに分かった。


「久しぶりですね、工藤要」


 予想通りの人物――鴉間匡が、人の輪の一部に開かれたスペースで悠然と立っていた。

 久々に見る、人を食ったような微笑と眼差し。

 要は鋭い眼光で鴉間を捉えながら、


「……達彦は、お前がやったのか」

「そうとも言えるし、そうでないとも言えますね」

「どういう意味だ?」

「確かに僕も手は出しました。でも、それは最初の一回だけ。その後に、そんな汚らしい姿になるまでいたぶったのはここにいる皆ですよ」


 今すぐに飛びかかりたいと思ったが、必死に心を落ち着ける。むやみに突っ込んだらあいつの技にハマる。


「それにしても、よくノコノコと姿を現してくれたものです。正直、再会は無いと思ってましたよ。あの敗北以降、僕らの影に怯えながら根暗な学園生活を送るものだと予想してましたからねぇ」


 鴉間の発言に、周囲のヌマ高生たちもゲラゲラと笑う。

 しかし、微塵も屈辱は感じなかった。達彦をやられた怒りの方がはるかに強かったからだ。


 鴉間はこちらの姿を一通り眺めると、


「ところで、何ですか? その服装は。見たところ、それはカンフーズボンですね。もしかして、特訓の最中だったんですか?」

「……だったらなんだ」

「ご苦労様、って感じですね。貴重な青春時代の一部を平気でドブにぶちまけるようなその度胸は大したものです。無駄を恐れぬその姿勢、感服しますよ」


 遠回しに「お前は僕に勝てない」と言っているのだということを、要はすぐに理解できた。


「無駄って決め付けるな。無駄かどうか、そんなのやってみないと分からないだろうが」


 そして、迷わずそう断じた。

 確かに、自分は平凡な子供かもしれない。でも、自分の師匠は一級品の実力者だ。

 自分は、そんな人の熱心な指導で鍛えられたのだ。通用しない訳が無い。要はそう信じていた。


「…………これだから正直者は嫌いなんだ」


 ふと、鴉間が小さく何かを呟いた。その顔からは軽薄な笑みが消えていた。代わりに浮かんでいたのは、静かに苛立ったような表情。

 だがその刹那の表情は、すぐに嘲笑によって塗りつぶされた。


「じゃあ証明してくださいよ。「一生懸命頑張ったから無駄じゃない」なんて神話を、今、僕の目の前で見せてくださいよ」


 鴉間は人の輪の外へ下がり、さらに続けた。


「総勢二七人――この人数をあなた一人で相手にし、そして総崩れにしてください。そうしたら、僕は闘いの舞台に降りましょう」

「……そんな遊びに乗ってやれると思うのか?」

「どのみちあなたはやるしかありませんよ工藤要。甘ちゃんなあなたのことだ、逃げる場合、必ず鹿賀達彦とその女の子を連れて行きたがるでしょう? でも、この人数相手でそれは不可能だ。自分から闘う意思を見せるか、無理矢理闘わされるか、残されているのはその二択だけなんですよ」


 要は切歯する。なにもかも鴉間の言うとおりだった。

 自分一人だけ逃げるわけにはいかない。でもだからといって、達彦たちを見捨てるわけにもいかない。

 つまり自分は、是が非でも目の前の集団を相手にしないといけないのだ。


「……わかった。乗ってやる。でもその前に、達彦とそこの女子を公園の端っこに逃がせ」

「構いません。彼らは邪魔ですからね。あ、でも、少しでも逃げようとする素振りを見せたら、ここにいる彼ら全員が黙ってませんので、注意してください」


 鴉間の注意喚起に言葉を返さず、要はボロボロになった達彦の腕を担ぎ、人の輪を出る。

 そして、公園の広場の端にあるフェンス近くに達彦を座らせた。

 捕まっていた女子も開放されたようで、達彦の隣にやって来た。 


「あの……ごめんなさい…………私のせいで……」

「いいって、気にしなくても」


 済まなそうに言ってきた女子に、要は軽くそう返した。


 二人の元を離れ、ヌマ高生の集団と対峙した。

 立ちはだかる大勢の男たち。その奥で、鴉間は腕を組みながら佇んでいる。

 二七対一。

 戦力差は、物分りの悪い奴でも容易に理解できるほど歴然だ。

 しかし、やるのだ。やらないといけないんだ。


 覚悟を決め、一歩を踏み出そうとした、時だった。

 ヌマ高生たちの向こう側で立つ、鴉間の皮肉っぽい笑みが目についた。

 そして、その笑みはあの日に――自分が敗北した日に見せた笑みとダブって見えた。




 途端――踏み出そうとしていた前足が引っ込んだ。




 心臓が激しくビートを刻む。

 手と唇が震え、足も笑い出す。止まれと命じても止まらない。

 広がっていた視野が狭くなり、目の前の集団との距離がさっきより遠くなって見える。一歩も下がっていないはずなのに。


 一瞬の間に、あらゆる負の感情が押し寄せてきたのだ。

 自分の力に対する不信感。

 この無謀な勝負に対する不安感。

 負けて屈辱を味わうことへの恐怖感。

 あらゆるネガティブな思考が、頭の中で暴れまわっていた。


 易宝の教えは、もちろん信じている。

 でも、万が一、それが通用しなかったら?

 俺は負ける。前みたいに、また。

 あれだけ頑張って修行したのに、それが徒労で終わってしまう。

 また前みたいに地面に寝かされて、腕を折られそうになってしまうかもしれない。


 襲い来る負の感情を必死に振り払うが、霧のようにその場にとどまり続ける。


 ――間違いない。

 竜胆と一戦やりあったことで吹っ切れたと思っていたが、まだだったんだ。

 自分は未だに――あの時の敗北を引きずっているんだ。


 マズイ。

 これじゃ、勝てない。

 俺は負ける。

 リンチされに行くようなもの――――











「――しっかりしねぇか!! この大バカ野郎ッ!!!」











 その時、そんな一喝が耳を打った。


 それは、達彦のものだった。


自分(テメェ)を見失ってんじゃねぇぞタコ!! いいか!? お前の名前は工藤要!! そのバカ共を軽々とぶちのめして、大笑いして帰ってくる野郎の名前だっ!!」


 聞こえて来る。


「俺の目は節穴じゃあねぇぞ!! 知ってんだよ俺ぁ!! お前はそんな連中相手にイモ引くような奴じゃねぇって!!」


 ただひたすら、怒鳴り声のみが。


「劉センセーんトコで特訓して来たんだろ!? 今がその成果の見せ所じゃねぇか!! だったらお前のやることは簡単だ!! 高めた自分の力を、連中に思う存分ぶちかましてやるんだ!!」


 だが達彦が一喝するたび、一発殴られているような気分になった――目を覚ませこのバカ、と。


 そして、達彦は一度間を置き、今までで一番の声量で告げてきた。




「お前ならやれる!! 俺がこう言ってんだから間違いねぇ!! 疑う理由も余地もねぇ!! 何せ俺は――お前の凄さを誰よりも多く見てきたんだからよ!!!」




 心の中で、何かが爆ぜた気がした。


 頭の中に巣食っていた霧が、嘘のように消え去った。


 思考が明瞭になる。視野の広さが戻る。


 さっきまでの自分の馬鹿さ加減に、自己嫌悪する。

 そうだ。一体何を考えていたんだ。

 達彦の言うとおりだ。

 あんな風に弱気になるなんて、まったくもって俺らしくなかった。

 始まってから考える――俺はいつだってそうだったじゃないか。


 呪いが解けたような、晴れやかな気分だった。


 今度こそ、覚悟を決めた。

 もう迷わない。

 ただ、信じよう。自分を。

 ただ、振り絞ろう。ありったけを。

 ただ、ぶつかろう。全力で。


 ここしばらくの間に溜めてきた功力を、こいつらにぶつけるんだ。

 そう、それだけ。簡単だ。難しいことなんて何もない。

 結果がどうのなんて、後から考えればいい。


 勝利も敗北も、この一歩の先にしか、存在しないのだから――!


「……ありがとう、達彦」


 振り向かぬまま、小さくそう感謝を呟く。


 要は、さっき引っ込めた足を――踏み出した。


 そして、その先へと歩き出す。

読んで下さった皆様、ありがとうございます!


今年の更新はこれで最後となります。

来年も頑張って書いていきますので、どうかよろしくお願いします(╹◡╹)


では、良いお年を!

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