第十七話 見えてきたゴール、這い寄る悪意
さらに三日が経った。
その日数は短いように思えるが、一日の多くを修行につぎ込むことを考えると、必ずしも短いとはいえなかった。
その三日間、要は教わった技術をさらに深く吸収し、着実に功力をつけていった。
そう、修行は順調だったのだ。
しかし外の世界では、良くないことが起こっていた。
――今思えば、教室に満身創痍の姿で来た彼が皮切りだったのだ。
ヌマ高生からカツアゲ被害を受けたシオ高生の数が、この三日間で急増していた。
体のどこかに絆創膏をつけた男子が、自クラス、他クラス問わず増えているのだ。
その絆創膏男子たちは、友達とのおしゃべりの中で怪我について言及されたら、決まって「ヌマ高の奴にやられた」と言う。これは倉田と岡崎から聞いたことだ。あの二人は他クラスにも友達が多いので、そういう事情に詳しかった。
状況は、鴉間の思惑通りの方向に進行しつつあった。「シオ高生イコールヌマ高生のカモ」という定式が出来上がりつつある。
怪我をした生徒を見るたび、要はジリジリとした焦燥感に駆られた。
昔、自分は暴力を振るわれる側だった。だからこそ、ヌマ高の連中のやっている事には虫唾が走って仕方がない。しかし易宝との『散手』で合格をもらっていないため、まだ今は手を出すことはできなかった。
易宝にバレないよう、こっそり私闘を行うという手ももちろん考えた。しかしやらなかった。一度した約束を破るのは主義に反する。何より、易宝に見破られる可能性を憂慮したのだ。易宝はああ見えて鋭い。おまけに職業柄、人の体の具合を見抜くプロだ。こっそりケンカしても、高確率でバレかねない。
ならば、早く合格して、私闘を解禁させてやる。
そして、カツアゲされそうになってる奴を見たら、この手で助けてやろう。
うん。そうしよう。今の俺は、まず修行に専念するべきなんだ。
放課後の帰り道、要はそのように意思を固め、易宝養生院へ向かう足を元気にした。
夕方に差し掛かろうとしている時間帯だが、外気にはまだ少し汗ばむほどの熱気が残っていた。真夏へ着々と近づいていることを再認識する。
歩道を歩いている途中で、一匹の猫と鉢合わせした。
首輪が付いていないため野良猫だろうが、全身を包む灰色の毛並みにはバラつきが見られず、綺麗に整えられていた。野良とは思えない美人さんだ。要は思わず見とれてしまった。
猫は透き通ったエメラルドグリーンの瞳をこちらへ向けると、ビクンと背中を震わせた。人間を見た野良猫の反応そのままだった。
だが不意に、猫の後ろ足の像が――陽炎のような小さな揺らぎを見せた。
そして次の瞬間、猫は腰を落とし、後ろ足の優れた瞬発力で横へ飛び出した。
風のように突っ走り、建物同士の隙間の中へするりと入っていった。
要はその場でボーッと立ち止まっていた。
あの猫に逃げられたことがショックだったわけじゃない。野良猫なら逃げて当たり前だ。
呆然としているのには、他に理由があったのだ。
まただ。また――「初動」が見えた。
あの猫が逃げ出すタイミングを、後ろ足の微かな動きから予想できた。
要は最近、目に映る映像に異常を感じていた。
人間や動物といった「動くもの」を集中して見ると、動作の前に行う微細な動きから、対象が次に行う動きをある程度予測することができるようになっていた。
右足の動きを、右足全体に生じる一瞬の振動から先読みできる。
左手の動きを、左手と左肩に生じる一瞬の振動から先読みできる。
首の動きを、首周辺の筋肉の振動から先読みできる。
まるで腕や足という大まかなパーツに内包された、筋肉一つ一つの細やかな動きまで見えているみたいだった。
要は思わず目頭を揉んだ。修行のし過ぎによる疲れが、今更ながら現れ始めたのだろうか。
しかし要は、その可能性をすぐに否定した。
――動作を行う前に見せる「初動」から、次の動作を予測する。
これは、易宝との『散手』で実践していた能力と同じだった。
最初は易宝の動きばかりを見続けていたせいで、彼が動作前に行う癖のようなものが分かるようになったのだと思っていた。
しかし思い返すといい。
三日前、自分は掴みかかろうとしてきたクラスメイトの腕を、その「初動」を見た上で避けている。
関わりの薄い人の動きの中にも、「初動」を見てしまっているのだ。
相手の攻撃を即座に見抜き、躱すことに大変役立つ、この「「初動」を見る目」。
間違いない。
これは易宝との修行で得た能力だ。戦闘に有用なのがその証拠だ。
しかし、自分は「初動」を見るための修行をした覚えなどない。
この能力は、いったいどうやって――
「痛っ!」
前をよく見ずに歩いていたため、電柱におでこをぶつけてしまった。それによって思考が強制ストップする。
打った場所をさすりながら痛がる要。その様子を見ていた親子連れがクスクスと笑っているのに気がつき、羞恥で顔が赤くなった。
早歩きでその場を去ろうとしたが、もう易宝養生院は目の前だった。
玄関口を開けて、逃げるようにその中へ入る。
「ただいまー」
抑揚に乏しい遠慮な声色で挨拶をして、中へ入る。もはや自分の家と同じように感じていた。
リビングまで来ると、易宝が椅子に座りながらドラマの再放送を見ていた。
窓際部署の刑事コンビが活躍する長寿ドラマで、ちょうどラストシーンが終わったところだった。
「おー、カナ坊。おかえり」
要の進入を確認すると、そう言ってきた。
その気の抜けた口調から察するに、易宝も自分との同居生活に慣れた感じなのだろう。
易宝はテレビを消すと、席を立ち、要の前へ来た。
「わしは今日の仕事は終わったが、早速始めるか?」
主語を欠いていたが、「修行を」という意味であることは聞くまでもない。
「うん。今から着替えるから、ちょっと待っててよ」
分かった、と首肯する易宝。
「わしは一足先に中庭で待っているから、早く来るんだぞ」
要は頷いて了解する。
そして二階に行くため、要が踵を返そうした――時だった。
易宝の右腕と右肩に、ほんの小さな振動が見えた。
要はハッとする。それは紛れもなく、ここ最近よく見る「初動」だった。
おそらく、また腹を打つつもりだろう。最近よく受けるちょっかいだ。
以前はよけられなかったが、今は違う。
要は、両手を迅速に腹の前で構えた。
そして半秒と待たずに、構えられた腕に軽めの圧力がやってきた。その正体は案の定、易宝の右拳だった。
――受け止めることができた。
要はニヤリと笑みを見せ、
「どうだ? 今日は受け止めてみせたぞ」
そう得意げに言った。
易宝は少しだけ驚いた顔をしていたが、すぐに企むような微笑みを浮かべ、
「…………成ったようだな」
こちらに聞こえないほど小さな声で、何かを呟いた。
「え? 今なんて?」
「何でもないぞ。ほら、さっさと二階行って着替えてこいカナ坊」
しっしっ、と猫を払うような手振りでそう促す易宝。
要は少し納得いかない気持ちでそれに従った。もう少し驚いてくれてもいいのに。
しかしリビングのドアを出る直前、易宝は告げてきた。
「気合いを入れろよカナ坊。おそらく防御のみの『散手』は――今日で最後になるからのう」
何かを確信したような笑みを浮かべながら。
そして――同時刻。
放課後、鹿賀達彦はゆったりした足取りで潮騒町の歩道を歩いていた。
ちなみに、帰宅に電車は使わない。
自宅はシオ高からそれほど遠くない場所にあり、徒歩で事足りる距離だ。普通の道を進んでいれば、すぐに家に着くだろう。
だが達彦はすぐには戻らない。どこかしらに寄って、夜まで時間を潰してからゆっくり家に帰るのだ。
達彦は家が好きではなかった。
自分の家族は皆、自分に興味や関心を示さない。
達彦もそんな家族に対して心を開けるほど、懐が広くなかった。
だからこそ、家にいる時間を減らすのだ。
少し前までは、そのあたりを適当にぶらついて時間を潰していた。
本屋に行って雑誌や文庫本を立ち読みしたり、ゲーセンに行ってゲームに興じたり、そんな不規則で実りのない時を過ごしていた。
しかし最近は違う。今月の初旬から、達彦は放課後になると決まって淡水町へ足を運んでいた。そして、今もその予定通りに駅へ向かっている最中だ。
わざわざ淡水町まで行く理由は、シオ高では「ある一人」を除いて誰も知らない。
潮騒町駅に続く大通り。
達彦はその左側の歩道を真っ直ぐ進んでいた。
予想では、駅に到着するまであと五分といったところか。
すでに空は茜色だが、気温はまだ少し高めで、ちょっとだが汗も出る。本当に初夏なのかと文句を言いたい気分だ。
そんな気候であるため、飲み物が欲しくなった。
左へ伸びた脇道に差し掛かる。その道の少し先には「潮騒公園」の入口が見える。そして、そのすぐ横には自販機があった。
達彦はスマートフォンを取り出し、時刻を確認する。今寄り道しても、まだ「約束」には十分間に合う時間だった。
なので、達彦は左へ進んだ。
そして、すぐに潮騒公園の前に着く。
潮騒公園は少し範囲が広いことを除けば、特にこれといった特徴もない普通の公園である。
周囲をフェンスで囲まれた土地が長方形のように広がっており、七割を広場が占め、そして残り三割のスペースには遊具が集まっていた。
広場側、遊具側双方に入口がある。自分が今前にしているのは広場側の入口だった。ここから遠く向こう側には遊具の集まりが見え、その奥にもう一つの入口があった。
しかし、用があるのはあくまで自販機だ。
達彦は財布の入った方のポケットに手を突っ込みながら、自販機へと近づいた。
「――いい加減にしてくださいっ!!」
だが、その途中。そんなヒステリックな女声が耳を刺激した。
なんだようっせぇなと顔をしかめながら、達彦は音源である公園に目を向ける。
広場には男五人と、女一人が立っていた。
広場の端に伸びたイチョウの木に、まるで追い詰められたかのように背をもたれさせているその女子。着ている制服は、なんとシオ高の夏服だった。
そして、それを扇状に取り囲んでいる五人組の制服は、ヌマ高のもの。
シオ高の女子が、五人のヌマ高生に絡まれている――それが今、目の前に映る状況を端的にまとめた表現だ。
ヌマ高生の目的ははっきりしている。おおかた、今流行りのシオ高生狩りだろう。腕力を使って金をせびり取るつもりだ。女相手にも遠慮しないとは、つくづく見下げ果てた連中である。
「さっきから言ってるでしょ!? 私は大金なんて持ってませんし、持ってたとしてもあなた達にあげるつもりはありません! いい加減にしないと警察呼びますよ!」
おおっ、なかなか強情な女だ。達彦は心の中でそう感嘆した。
しかし、この場においては利口な選択ではない。
「呼びたきゃ呼べばぁ? いちいちぜろ、ってよぉ。サツなんか怖かねーんだよ」
「つーか、本当は持ってんだろ? 見ろ、俺の髪の毛が金の気配を感じ取って一本立ってやがるぜ」
「ハハハハ! バッカオメー、そりゃワックスのせいだろ! ギャハハハハハハ!!」
「つーかぁ? 金がないんならぁ、別のやり方で払ってくれてもいいんだぜぇ?」
「うっわ、お前サイテー!」
品性の欠片もない笑声を上げる五人。
さっきまで気丈だった女子の表情にも、危機感のようなものが浮かび始めた。
そんな様子を、達彦は遠くから傍観していた。
はっきり言おう。自分には関係ない。あの女とは知り合いでもなんでもないのだ。
おまけにこっちは一人で、相手は五人。しかも全員、あのハイパーバカの巣窟であるヌマ高の不良。脳タリンだが、一人一人は並の不良より強い。それが五人も集まっているのだ。いくら自分が中学時代に鳴らしたといっても、勝てる見込みは薄い。
突っ込むことは、リンチされに行く事と同義だ。知らん顔しても誰も責めないし、責める権利もない。
しかし、そう合理的な理屈を並べた上で思った。
こんな時――要ならどんな行動を取る?
そんなの言わずもがなだ。あの女子を助けるため、突っ込んでいくに決まっている。
そして自分も、奴のそういう一面によって救われたのだ。
ならば、助けられた人間の一人として、恥ずかしくない行動を取りたい。理屈は愚行と断じても、感情はそう強く訴えていた。
気がつくと、ヌマ高生たちに向かって歩いていた。
連中との距離はすぐに縮まる。
「んじゃボディーチェックしまーす。まずそのスカートの中を検査させていただきまギィぃ!?」
腐った目つきで女子のスカートに手を伸ばそうとした男を、横合いから思い切り蹴飛ばした。
「――こんな往来で盛ってんじゃねぇよ、この変態野郎が」
間抜けな格好で転がった男を侮蔑の眼差しで見下ろしながら、達彦は吐き捨てた。
突然の横槍に少しの間呆けた顔をしていた四人だが、すぐに怒気を露わにして食ってかかってきた。
「いきなりなんだぁ、テメーはよぉ!?」
「死にてーのか!」
「ハンティングの邪魔すんじゃねぇぞコラァ!」
「殺すぞボケ!」
四人の意識は女子から離れ、今はこっちに集中している。
それをチャンスと感じた達彦は、四人の後ろでぽかんとしている女子に向かって無言のサインを送った。鼻でクイッと遊具側の出口を示し「逃げろ」と目で訴える。
女子は少しためらった様子だったが、すぐにぺこりと一礼し、達彦の示した方向へ走り去った。
小さくなっていく彼女の背中を見て、達彦はひとまず安堵する。話の分かる女で助かったぜ。
「――おいテメー、人の話聞いてんのか!」
ずっと何事かまくし立てていた四人のうちの一人が、我慢ならないとばかりに胸ぐらを掴んできた。
しかし達彦はその腕を片手でひねり上げ、その男を地面に跪かせた。「いだだだだ!!」と苦痛を訴えてくる。
「このガキャー!!」
「離せボケ!!」
「シオ高風情がっ!!」
残り三人も拳を握り締め、殴りかかってきた。
達彦は驚いたが、すぐに覚悟を決めて対応した。
空いたもう片方の手で一人目の顔を殴り、片足で二人目の腹を蹴っ飛ばした。
三人目の放ってきたパンチを首の動きだけでギリギリ避けつつ、その顔面に頭突きをぶち当てた。額に鈍い痛みが走り、一瞬星が見える。
そして最後に、地面に膝をついている男から手を離し、その腹へ蹴りを叩き込んだ。男は「えうっ……!」という呻きを上げ、数度地面を後転する。
「っ痛っ……!」
痛む額を片手で押さえながら、達彦は前方を睨んだ。そして、舌打ちする。
「テメー……!」
「この野郎……」
「やりやがったな……!」
目の前には、殺気満々に眼光を飛ばしながら身構えている三人のヌマ高生。
四人同時に対処するというファインプレーをこなしたことは自分でも驚きだった。しかし苦し紛れであったためか、最後の一人を除いて当たりが浅かったようだ。
やはり腐ってもヌマ高。簡単に終わるほど甘くはない。
しかし、すでに二人は仕留めたため、決して悪くはない成果だ。
そして三対一なら、幾分か勝率が上がる。
「ん?」
だが達彦はふと、あるものに目がいく。
一番最初に蹴っ飛ばした男が地面にうずくまりながら、携帯に小声で何かを訴えていた。
――まさか!
達彦は激しい焦燥感に駆られ、入ってきた入口を振り返る。
そして、全身が凍りついた。
広場側の入口から――多くのヌマ高生がぞろぞろ入って来ていたのだ。
ざっと目算しただけでも、明らかに十人以上いた。
「くそったれが……!」
達彦は苦々しい顔でぼやく。間違いない、電話で仲間を呼びやがったんだ。
それからの達彦の行動は早かった。目の前の三人を突き飛ばし、遊具側の入口に向かって走り出した。
「テメー!」
「待てコラー!」
後ろからヌマ高生たちの怒号が聞こえて来る。しかし少しも速度を落とさず走り続ける。
今の自分にあの数を相手にできるだけの力は無い。トンズラこそが正解だ。
しかし、そんな達彦の希望を打ち砕くかのような光景が目に映った。
遊具側の入口の前に着いたのだが、そこからも――多数のヌマ高生が入って来ていた。
絶望的な気分になった。
二つの入口は敵に塞がれている。
周囲はフェンスで逃げ場がない。
まさに袋小路だった。
前方のヌマ高生たちが近づくたび、達彦はそれに押されるかのように、一歩、一歩、また一歩と後退していく。
やがて、公園の中心まで到達。
そこで反対側のヌマ高生集団とも合流。前後の人数で周囲を輪のように包囲された。
達彦はぐるりと見回す。
間違いない、余裕で二十人は超えている。
それを確認して、更なる絶望感に苛まれた。
見ると、集団の中にはさっき逃がしたはずの女子が含まれていた。男一人に拘束されている。
達彦は切羽詰ったような声で、
「ば、バカかあんた!? 何で逃げなかった!?」
「ごめんなさい……途中で捕まってしまったんです……」
そんな女子の哀切な訴えを聞き、達彦は悔しげに歯噛みした。
「――工藤要の他にもいたんですねぇ、身の程知らずが」
不意に、人の輪の向こうから声が聞こえた。
誰だ、と思った時にはすでに人の輪の一部が開き、そこから一人の男がゆっくりとこちらへ歩いてきていた。
襟足を二本の三つ編みにした茶髪。中肉中背の体格。浮ついた微笑を貼り付けた顔貌。
一見ひょろい優男に見えるが、いろんな不良を見てきた自分の目は誤魔化せない。
雰囲気で分かる。こいつは只者じゃないと。
何より、奴に道を開けたヌマ高生は、皆どこか怯えた顔をしていたのだ。
達彦は警戒心を強く抱き、その優男を睨みながら、
「誰だ、テメェは」
「人に名前を聞く時は、まず自分から先に名乗るのが礼儀でしょう?」
「……ふざけてんのか? 舐めてっと泣かすぞ」
「やれやれ、こんな最低限の礼儀もわきまえないなんて、どこの田舎から来たんですか? まあいいでしょう。特別サービスであなたの質問に答えましょう。僕は沼黒高校の現総番にして『五行社』の一人、鴉間匡。以後お見知りおきを」
瞠目し、目の前の優男を注視する。
この男が、最近のシオ高狩りの元凶。
そして、要を一対一の勝負で負かした男。
二重の衝撃を受けたが、達彦はすぐに思考を切り替えた。
ヌマ高の現総番――つまりこの男が、周囲にいる奴らのトップだということ。
ならば、そんな存在がすぐ目の前に来ている今こそ最大のチャンスだ。
集団を相手にする上で最善の方法、それはリーダーを潰すことだ。
大勢の兵隊を相手にしていたのではキリがない。消耗したところを一気に攻められて終わりだ。
しかし指示を送る司令塔さえ潰せば、兵隊の動きにも少しはムラやぎこちなさが生まれるはずだ。
その隙を見て女子をかっさらい、人の多い駅の中まで逃げ込む。達彦はそう作戦を立てた。
この手段は『紅臂会』との一件では失敗に終わっている。要がリーダーである竜胆正貴を倒した瞬間、他の団員が一斉に襲いかかってきたのだから。
しかし、それはリーダーとメンバーの繋がりが深かったからだ。
ヌマ高は完全な上下関係。命令する側、される側に分かれてこそいるが、そこに情はない。
ゆえに、周囲にいるこのヌマ高生たちは、トップという名のメインギアに動かされている小さな歯車のようなもの。
メインギアさえ壊れれば、連携や判断力がガタ落ちする可能性は十分にある。
ならば、それをどうやって達成する? 達彦は考えた。
自分は竜胆正貴相手にその手を使おうとして、一度失敗してしまっている。
ましてやこの優男――鴉間はあの悪名高い『五行社』に名を連ねている猛者だ。馬鹿正直に突っ込んだらきっと、いや、確実に同じ失敗を繰り返すハメになる。
「あれ」も、まだ実用に足る状態ではない。
なら、ちょっと卑怯だが――不意打ちで倒すしかない。
即興でネタを思いついた達彦は、鴉間の遠く後ろ側に目を向ける。
広場側の入口があり、そのさらに向こう側には横一直線に道路が伸びていた。自分が入って来た場所だ。
「おまわりさーーーん!! 助けてくださーーい!! これ現行犯っすよ!? パクれますよねぇ!?」
達彦はその道路を凝視しながら、ありったけの声量で叫んだ。手も上に伸ばし、ブンブンと振ってアピールする。
もちろん、警官なんていない。ハッタリだ。
しかし、鴉間がそれに反応して、後ろを向いてくれればそれでいい。
そして狙い通り、鴉間とその他大勢のヌマ高生が、一斉にその方向を振り向いた。
今だ!!
達彦は拳を握り締め、鴉間めがけて突っ込んだ。
距離を一気に詰め、その顔面を殴り付け――
「――なんてね♪」
――ようとした瞬間、鴉間が急激に向き直った。
しまった、と思うよりも先に、腹へ肘が入った。
「ぐあっ――!!」
達彦は歯をヒビが生えんばかりに食いしばる。これといって重くはない一撃。にもかかわらず、凄まじい激痛が襲ってきた。
衝撃と痛覚が噛み合っていない打撃を受けた達彦は、すぐに腹を押さえて跪いてしまった。
鴉間は俯瞰しながら、冷笑混じりに言った。
「舐めないでください。不意打ちは僕の専売特許なんですから」
達彦は額に脂汗をにじませながら、鴉間を見上げる。
くそっ、また失敗かよ……!
「ちなみに僕、あなたの名前を知ってます。鹿賀達彦、でしょう? ほら、工藤要ごときに遅れを取った負け犬の一人として有名ですし、ね」
「テメェ、この野ろ――ガッ!!」
鴉間の蹴りが脇腹に直撃。達彦は地面に倒される。
「テメー、ふざけんな!!」「サツなんかいねぇじゃねーか!!」「死ね、テメーは!!」「カスが舐めた真似しやがって!!」「地獄見せてやろうか!?」「ヌマ高舐めてっと死ぬぞ!!」「テメー風情が鴉間さんに勝とーなんざ千年早ぇんだよタコ!!」
そしてそれを皮切りに、次々とヌマ高生たちの足が放たれた。
横になった達彦の全身に、土砂降りのような勢いと数で痛みが走る。
全身を痛みで埋め尽くすように、痛みの上にさらに痛みを重ねるように、執拗に、執拗に蹴ってくる。
状況は文句なしに最悪だった。
女子を逃がす事は叶わず、自分は逃れようのないサッカーボール役を演じるハメになっている。
この状況を打破できる可能性のある奴を、打破してくれる奴を、達彦は切に求めていた。
そして、それができるかもしれない奴に、一人だけ心当たりがあった。
「――っ!!」
そいつの顔を思い浮かべるや、達彦は降り注ぐ痛みを堪えながら、ポケットにこっそり手を突っ込んだ。
そこに入っているスマートフォンのパワーボタンを触覚だけで探り当て、起動。
そのまま、ポケットの中で密かに操作する。画面は見れないため、記憶を頼りにアイコンなどの位置を探って、タップしていった。
もし正確に操作が出来ているなら、自分の指は電話のアイコンをタップし、着信履歴を開き、その一番上に名前のある「工藤要」という履歴を押しているはずだ。
そして――発信を開始していることだろう。
これは賭けだ。
スマートフォンを見れない今の状態では、ちゃんと発信できているのかも、できていたとしてもちゃんと電話に出てくれているのかも分からない。
それでも、それら全てがうまくいっていることを祈った上で叫ぶのだ。
何度も叫び、連呼し続けるのだ。
ヌマ高生に悟られないよう、自然な感じを装い――自分が今いる「この場所」の名前を。
達彦は腹に力を入れ、連中のダミ声をかき消すほどの大声で叫んだ。
「――テメェらっ! 「潮騒公園」なんて目立つ場所でこんな真似してていいのかよ!? オマワリにバレたら現行犯だぞ!!」
情けない、しかし決死の孤軍奮闘が始まった。
読んで下さった皆様、ありがとうございます!
もう少しコンパクトな文量にする予定だったのですが、予想に反して長くなってしまいました……
少ない文字数で全てを表現できるようになりたい( ̄ー ̄)
2016年もあと僅か!
すでに中華おせちの注文も終え、お正月への備えは万全!
来年もどうか崩陣拳をよろしくお願いします!