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戦え、崩陣拳!  作者: 新免ムニムニ斎筆達
第三章 水行の侵食編
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第十六話 『纏渦』


「――なるほど。やはり工藤要は逃げ回っていますか」


 鴉間匡はソファーチェアの上でふんぞり返りながら、さもありなんといった口調で言った。そして膝の上に置いてある菓子箱からチョコレートを一粒つまみ、口に放り込む。


「――ヘイ。ヌマ高(ウチ)のモンを見るなり、そりゃあもう脱兎のごとくって感じらしくて…………とにかく鴉間さんに負けて以来、工藤がウチにちょっかいをかけたという知らせは全くありやせん。以上っス」 


 腰を九十度ほど曲げてお辞儀した姿勢の岩国毅は、そこで報告を止めた。


 そこはヌマ高の空き教室だった。

 学校運営側からすれば、ただの「空き教室」という認識だろう。しかしヌマ高生たちにとってそこは「玉座の間」だった。

 玉座であるソファーチェアに座る存在が鴉間にすげ変わってから、まだ日は浅い。しかし鴉間は早くも、揺るぎないトップの風格を持ちつつあった。

 ちなみに散乱していたゴミや埃はすでに無く、床は綺麗な状態となっていた。「こんな汚らしいボスの部屋がありますか。ゴキブリじゃないんだから。とっとと掃除してくださいよ」という鴉間の文句を聞き、ヌマ高生たちが片付けたのだ。


 岩国は、この新たなリーダーの補佐役としてすっかり定着しつつあった。


 今も、仲間から聞いた多くの情報を総まとめにし、こうして鴉間に聞かせたところだ。


 岩国が午前中、しかも授業が行われている時間帯を潰して報告したのは――最近の工藤要の動向だった。


 工藤要が鴉間に敗れた日から、すでに二週間。


 それからの奴の行動は、逃げの一手のみ。


 相手が大勢だろうと少数だろうと、対応は同じ。殴るどころか指一本すら触れようとせず、ただただ逃げるだけ。


 つまりこれは、ヌマ高との敵対行動を嫌がっているということ。


 工藤要は、ヌマ高に屈したのだ。


 結局、この手で復讐するという行為は、いきなりしゃしゃり出てきた竜胆正貴の手――というか足――によって未遂に終わった。それは非常に残念に思う。


 しかし結果的に、工藤要はヌマ高に手を出さなくなった。


 それは、鴉間から強いられる金集めを円滑に進める上で嬉しい話だった。ターゲットがシオ高生である以上、工藤要と間接的に関わることになる。もし奴がヌマ高に逆らう気概を持ったままだったら、ターゲットにされたシオ高生を助けるためにすっ飛んで来る可能性が十分にあったからだ。


 鴉間はそれみたことかとばかりにうそぶいた。


「ほらね。僕の見立て通りになったでしょう? 成り上がりなんてそんなものです。打たれ弱く、そして脆い。どんなに最初が破竹の勢いでも、ひとたび障害が生まれれば容易くその勢いはなくなる。しかし僕は違う。中学時代にクソッタレな部活動から足を洗って以来、「組織」の構成員の一人から数年間厳しい手ほどきを受け、今の力を手に入れた。僕を含む『五行社(エレメンツ)』の面々はそういった叩き上げの集団だ。ポッと出の成り上がり風情が勝る道理なんて無いんですよ」


 鴉間の口調に含まれた皮肉は、いつにも増して尖っている気がした。


「あなた達だって嬉しいでしょう? 工藤要の重たいパンチを食らう心配はもう無いんだ。僕なら容易く避けられますけど、あなた達じゃあそれは酷ですからね」


 そう。最大の邪魔者が消えたのは喜ばしいことだ。


 しかし――


「それにしても、なんかあっけなくねぇっスか?」


 岩国は頭を上げ、捨てきれなかった考えをそのまま口に出した。


 そう。あっけないのだ。


 工藤要は華奢な少女のような見かけによらず、負けん気が強いタイプだ。なので、こんなにあっさり退くという行為が、岩国には少し奇異に思えたのだ。


 もしかしたら、密かに力をつけているのかもしれない。鴉間を倒すために。


 しかし、そんな心配がこもった岩国の一言を、鴉間はせせら笑った。まるで詮無いことのように。


「もしまた彼が向かって来るようなことがあったら、その時はまた僕が地面を舐めさせてあげますよ。だからあなた達雑兵は余計な事を気にせず、僕らへの上納金集めに精を出していればいいんです。報告ご苦労様。もう帰って結構です。あんまり授業サボるとダブりますよ」


 流石は『五行社』に名を連ねるほどの男。なんとも頼もしい言葉だった。


 だが、一つ気になることがあった。


「あの……鴉間さん」

「なんです?」

「そんなに金集めて、『五行社』の皆さんは何をするつもりなんスか?」

「……好奇心は猫をも殺す、って言葉を覚えた方がいいかもしれませんね。あなたは」


 不快そうに睨めつけ、言外に「聞くな」と告げてくる鴉間。


「す、すんませんッ」


 岩国は怯えた様子で、再度深く頭を下げた。


 伏せて隠した両目で、鴉間の足元を密かに睥睨した。


 ――せいぜい、そんな風に偉ぶってるがいいさ。









 ◆◆◆◆◆◆ 









 易宝の元へ住み込んでから、二週間が経過していた。


 朝四時に叩き起されて修行。学校から帰って来て修行してから食事をし、また修行。そんな激変したライフスタイルに最初は戸惑っていたが、今では少しづつ慣れつつあった。


 初日と比べて、四時起きに対する苦痛をあまり感じなくなった。帰る時に足先が駅へ向くという癖も、今はなくなっている。環境に順応しやすいのが、数少ない自分の長所だと思えた。


 週末の二連休には自宅にきちんと帰っている。それが住み込んで修行するために交わした亜麻音との約束なのだから。

 金曜日の夕方に自宅へ帰って一泊し、土曜日に一泊、そして日曜日の夕方に易宝養生院へ戻るというのが主な流れだ。

 しかし、帰ってきたら十年来の再会のように感極まり、出て行く時は息子を戦地へ送り出す母親よろしく悲しがるという、亜麻音の両極端な反応がいささか困りものだった。


 ――そして今日の放課後も、要は自身を高めるために必死になっていた。


「そら! ここで『開拳』だっ!」


 高い密度を誇る砲丸のような易宝の拳が、一直線に打ち出された。


「うおっとぉ!?」


 要は手前に伸びてきた易宝の腕の外側に、自身の前腕部を慌てて擦りつけた。摩擦力で正拳突きの軌道を反らして受け流しつつ、足を進める。そのまま易宝の側面を通り過ぎようとした。


 しかし、易宝の全身が不意にギュルン、と回転。『開拳』によって踏み出した足を軸にして、コンパスのような円弧軌道のローキックが足元にやってくる。


 ヒヤッとした要は、とっさの判断で大きくジャンプし、退いた。さっきまで足を置いていた位置を蹴りが通過する。なんとか重心を刈り取られずに済み、一時の安堵を得る。


 しかし、すぐに判断を誤った事を悟る。虚空を舞ったこの状態では動けない。つまり最大の攻めどころというわけだ。


 そこを見逃すはずもなく、易宝は後足を蹴って『撞拳』で突きかかってきた。重さと疾さを兼ねた拳が要に迫る。


 マズイ。このままじゃ大人しく攻撃を食らってゲームオーバーだ。どうすればいい? 


 手は使えない。必要以上に高く跳び過ぎてしまったため、今、手は易宝の拳よりも高い位置にある。重力に引かれて両者の手が同じ高さになるよりも、易宝の一撃が当たる方が早い。


 そうだ。なら――足を使おう。


 要は素早く片膝を立てる。そして、やってきた重々しい拳打を間一髪――下腿に滑らせた。


 度重なる『鑽林手』の訓練によって、手だけではなく全身のあらゆる部位に「点・線・面」の感覚が染み付きつつある。下腿による「線」を用い、圧倒的威力の塊と化した易宝を真後ろへ流したのだ。


「おわっ!?」


 しかし、彼の勢いがあまりに強かったため、要の体も横へ押し退けられてしまった。


 二の腕から着地し、ゴロゴロと数回横に転がってから立ち上がる。周囲には砂煙がもうもうと舞っていた。


 易宝は、すでにこちらへ向き直っていた。その顔からは驚いたような感心したような感情が読める。さっきの、足を使った防御に対してのものだろう。


 程なくして、遠くに見える易宝の足が、微かに揺れ動くのが見えた。そして次の瞬間、一気に眼前へ押し迫った。高速移動の歩法『箭歩』だ。


 しかし、要には足の「初動」が見えていた。なので、易宝が踏みとどまると同時に『撞拳』を放った時には、すでに真横へダイビングよろしく飛び込んでいた。


 再び地面を転がり、起立し、構える。


 判断の早さは流石というべきか、易宝はすでに距離を詰めていた。そこから独楽のように旋転し、左回し蹴りを振り出してきた。


 両者の間隔的に、避けるのは間に合わないと瞬時に悟る。なので要は腕を右へ構え、蹴りを受け止めようとした。


 しかし、弧を描いてやって来た左足の膝が、ガードに当たる寸前で折りたたまれた。その蹴りは、構えられた腕に当たることなく眼前を通過した。

 

 そして、易宝は振り向きざま、右肘を突き刺すように顔面へ振り出して来た。先ほどの回し蹴りは、このためのフェイントだったのだ。


「おっと!」


 だが要は、肘鉄を難なくキャッチ。


 しかしそれも、受け止められることを見越した囮であった。その事を、要は攻撃を食らうまで読みきれなかった。


 肘を受け止められた姿勢を取る易宝の五体が、よじられた輪ゴムのように急旋回。右肘を引き、要のがら空きな腹部めがけて左拳をねじ込んだ。『旋拳』だ。


「うあっ――!?」


 しまった、と思った時にはすでに遅し。バットの先をねじ込まれるような痛みを腹に受けた要は、その衝撃に大きく押し流された。背中で地面を盛大に滑る。


 濃い砂煙がもうもうと舞う。それを突き破り、ストップウォッチを片手に持った易宝が駆け寄ってきた。


「――四十二秒! やったなカナ坊、また記録更新だ」


 易宝は嬉々としてそう言い、手を差し出してきた。要はそれを掴み、ゆっくりと立ち上がった。


 背中の砂埃を払いながら、易宝のストップウォッチを覗き込む。7セグメント表示の数字は、本当に四十二のまま固定されていた。


 要はそれを確認した瞬間、両手を握りながら小躍りし、


「やった! 昨日より三秒伸びたぞ!」

「ああ。よくやったぞカナ坊。あともう一息だ」


 こちらの頭に手を置き、ぐしぐしかき回してくる易宝。


 ――そう。ここ最近では『散手』の継続時間も順調に伸びつつあった。


 始めた当初は、十秒にも満たないほど短い記録だった。その時は前途多難と思って気が滅入ったが、千里の道も一歩からとはよく言ったものだ。何度も『散手』を行っているうちに、クリーンヒットを防ぎ続けられる時間も伸びていった。


 短期間でここまでの記録を叩き出せた理由は、おそらく三つだ。

 一つ目は、何度も易宝の攻撃を見たことで、そのスピードに目が慣れてしまったから。

 二つ目は、『鑽林手』を嫌というほど行ったおかげで、「点・線・面」の理論を用いた対処法が濃く体に染み付いたから。それによって、形式にとらわれないあらゆる防御ができるようになったから。


 そして三つ目は――易宝の「初動」が時々見えるようになったから。


 易宝がアクション直前に見せる、ほんの微かな動き。これから動かす部位が、ほんの一瞬だけ陽炎のように揺れ動く様子。要はそんな「初動」を時々見ることができるようになっていた。

 拳で突く直前には、両足と突き手の像が微細にうごめく。左足で蹴りを放つ直前には、左大腿部が小さな振動を見せる。

 そういった「初動」を見つけることで次の攻撃を事前に察知し、適切な対応を取る。時折、そんな高度に思える防御法を行えるようになっていた。


 例えば、さっきの『箭歩』の時だ。

 互いの距離が離れたら、易宝は『箭歩』を使って一気に間合いを詰めるという手段をよく使う。そして、少し前まではその『箭歩』使用のタイミングが読めずにいた。一瞬で近づかれ、それに対する反応が遅れて一撃を許してしまっていたのだ。 

 しかし、さっきは違った。『箭歩』を行う前、易宝の足は微かに揺れ動いていた。それが見えたからこそ、『箭歩』の来るタイミングを直前で看破することができ、そして躱せた。


 この能力は、易宝のスピードに慣れたことによる副産物のようなものなのだろうか。ここしばらくの間、自分は易宝の動きにのみ触れてきた。ゆえに、易宝の何気ない動作の癖やパターンにも慣れてしまっているのかもしれない。ならば、動作の直前に見せるあの「初動」は、易宝の癖ということなのか。それとも――


 考えすぎたせいか、頭が重く感じてきた。


「どうしたカナ坊? そんなに頭抱えて」

「いや。別に……」


 要は一度思考停止させた。考えてもはっきりした答えが出ないのなら、無駄な時間だ。


「まだ合格点にこそ達していないが、この短期間で四十秒切るとは大したものだ。わしの予想ではもう少しかかると思っていたからのう。その褒美といってはなんだが、これから一つ面白い技を教えてやろう」

「ホントに!?」


 うむ、と首肯する易宝。そして、


「崩陣拳実戦技法の中で、特に強力な威力と速度を誇る技の一つだ。名を――『纏渦(てんか)』という」

「てんか?」

「「渦を纏う」と書く。まぁ、詳しい理屈をこねるのは実践してからだ」


 言うと、易宝は腰を小さく落とし、右足を半歩前へ添え置いた。真っ直ぐ前に向いた右拳を、右膝と垂直の関係になる位置で構える。

 真正面に向いたその構えのまま、しばらく凍ったように動かなくなる易宝。


 だが刹那、易宝は前向きの体を左へ鋭くねじり込み、展開。同時に、あらかじめ向けていた方向へ右拳を突き出した。易宝の周囲に立ち込めていた薄い砂煙がブワッ、と四方八方へ払われ、こちらの顔面にふりかかった。

 モーションは比較的小さめだったが、その動きから発せられた拳は極めて鋭敏だった。にもかかわらず風切り音はせず、無音。空気抵抗すら突き破る鋭さだとよく分かった。


 突き終えた後のその姿は、腰を落としながら弓を引いているような姿勢だった。


 易宝はそのポーズを解くと、要の方を振り返り、


「これが『纏渦』だ。足底の捻りと『通背』による腰の捻りを同方向に行って全身を真横へ開き、その力で拳を突き出す。さらにその突き手全体にねじりを加えることで、「旋」特有の優れた貫通力をより極大化させ、敵を打ち貫く。寸勁の一種だ」

「寸勁ってことは、至近距離からでも使えるってこと?」

「うむ。むしろこの技は密着してこそ真の威力を発揮するといっていい。ちょっと試してみようかの」


 そこで一度言葉を止めると、易宝は母屋に近づき、勝手口から中へ入った。


 しばらく待つと、開け放たれたドアの向こうから再び戻って来た。何に使うのか、その片腕には巨大なサンドバッグが抱えられていた。スタンドの付いた、吊るすタイプのものだ。


 手伝おうか、と言おうとしてやめた。『頂天式』の修行によって高性能の筋繊維を持つ易宝にとって、サンドバッグなどダンボールの空き箱と同じくらい軽いだろう。


 易宝はガチャン、とスタンドを立てると、小さく揺れながらぶら下がっているサンドバッグを軽く叩いて、


「触ってみろ、カナ坊」

「え? うん……」


 要は言われるがままサンドバッグの表面を叩き、そして驚きで目を見開いた。


 中に入っているのは、砂だ。


 しかし決して柔らかくはない。粒子の細かい大量の砂が、頑丈な袋の中にみっちり詰まっているのだ。密度が高い分、石に匹敵する硬さだった。


 こんなものを殴ったら、絶対に拳を痛めるだろう。


 だが易宝は先ほど見せた『纏渦』の準備姿勢となり、これから突き手として使う拳をサンドバッグの表面にくっつけていた。


「ではカナ坊、今から見せてやろう。『纏渦』の威力を―――なっ!」


 次の瞬間、易宝の全身が激しく横にブレた。同時にボスンッ!! という破裂音が耳をついた。


 見ると、彼はすでに『纏渦』の終了姿勢となっていた。腰を落として弓を引いたような姿勢。速すぎて、過程が全然見えなかった。


 そして、真っ直ぐ突き出されたその拳は――サンドバッグを見事に貫いていた。


 サンドバッグの逆側に生えた易宝の拳を見ながら、要はただただ唖然としていた。


 このサンドバッグは非常に硬い。だから壊せなくとも、大きく前へ押せれば御の字だろうと思っていた。


 しかし、易宝は突き破ってみせたのだ。


 この威力は易宝ならではだろう。石同然な砂の塊をぶち抜くパワーにももちろん驚いたが、もう一つ驚いた点がある。


 それは、突き手がサンドバッグとゼロ距離だったことだ。

 どんなに威力が高かろうと、パンチというのは基本、助走距離が必要だ。目標物と拳の間隔をある程度取らないと、十分な力を発揮できないものである。そのはずなのだ。

 しかし、今の『纏渦』はどうだろうか。拳は、目標物であるサンドバッグと間隔が短いどころか、密着していた。にもかかわらず、あのバカバカしいパワーと貫通力。


 易宝が今まで見せてきたどの技よりも強力で、そして凶悪な一撃だった。

 

 易宝は拳を引っこ抜いた。腕という栓を失ったサンドバッグの二穴から、ドザーッと大量の砂が滝のように流れ落ちる。


「こんな感じだ。全身の旋転を利用してゼロ距離から凄まじいエネルギーを発し、対象に甚大なダメージを与える。それが『纏渦』の真価だ。おまけに「旋」の発力を応用したこの技は、力の伝達スピードが非常に速い。全身を旋回し始めた時から、すでに発力が始まっているわけだからのう。ゆえに拳を密着させた時点で、相手はもうほとんど逃げられん。そんな位置関係となってしまえば、例え走雷拳のスピードといえど逃れるのは至難の業だ」


 臨玉に有効な点を論じているためか、易宝はご機嫌だった。きっと若い頃、これを夏さんに打ちまくってたんだろうなぁ……。


「さらに、この技にはもう一つ使い方が存在する。カナ坊、わしを後ろから羽交い締めにしてみろ」

「なんで?」

「これから分かる。やってみろ。フルパワーで締め付けて構わんからのう」


 とりあえず、要は指示通りに易宝を羽交い締めにしようとするが、


「師父、俺の身長じゃ、あんたを羽交い締めにするのは無理みたい」

「ふんむ。じゃあ、腰の辺りを抱きしめて締め付ければいい」


 要は易宝のウエスト辺りを後ろから抱きしめ、全力で締め付けた。


 『頂天式』で筋繊維を強化してあるため、要の腕力は華奢な見かけによらず強い。簡単には抜け出せなくする自信があった。


 だが転瞬、易宝の腰部がブルンッ! と凄まじい勢いで振動した。それによって、全力を用いた要の拘束はいとも簡単に振りほどかれ、大きく吹っ飛ばされた。


 地面に尻餅を付いた状態で、すっかり遠く離れた易宝を見る。腰を沈めて弓を張るような『纏渦』の終了姿勢のまま停止していた。


 易宝はそのポーズをやめて要の元に歩み寄り、助け起こしてから、


「どうだ、盛大に吹っ飛んだだろう? 『纏渦』はさっきのように、相手の拘束から脱する方法として用いることも可能なのだ。足、腰、腕――『纏渦』ではこれらを同時に、そして同ベクトルへ旋回させることで、バラバラの部位で作った複数の螺旋力を一つに合成させ、強大な螺旋力を作り出し、それを打撃に用いる。そしてその強大な螺旋力は、五体全てへ行き届く。ゆえに回転する独楽の反発のように、掴んできた相手を強引に外側へ吹っ飛ばすことも可能というわけだ。攻撃にも防御にも高い効果を発揮する。まさに「渦を纏う」という名に相応しい技だな」

「す、すげーなぁ……」

「気に入ったか?」


 もちろん、と要はガッツポーズをした。


 易宝はよし、と納得したように頷いてから、


「それじゃあ、散々くっちゃべったことで休憩も済んだだろう? じゃあ早速『纏渦』の訓練といこうじゃないか」

「よっしゃ!」


 要は気合いを入れた。


 夕空の下、放課後の修行はまだ始まったばかりだった。









 ◆◆◆◆◆◆









 翌朝。


 ホームルームが始まる前の教室。騒がしかったクラスメイトたちが、突然水を打ったように静まり返った。


 机の上に上半身を伏せて休んでいた要も、それに気がつき、顔をむくりと起こす。


 衆人の視線をなぞるようにして、後方のドアへ目を向ける。そして、要はゾッとした。


 開け放たれた引き戸から――満身創痍の男子生徒が入ってきたのだ。


 何度か話した事のある奴だった。決して知らない顔ではない。しかし視線の先にある人物の姿は、そんな見知った顔だと判別するのに一秒も要するほど酷い有り様だった。

 制服は綺麗だが、肌の露出する箇所の多くが、絆創膏や包帯の白で塗りつぶされていた。顔に数箇所貼られた大きな絆創膏の下には、リンゴのように赤い腫れがいくつも見える。右手は無傷だが、左手は包帯で真っ白だ。


 自然にできた傷じゃない。明らかに人為的に付けられた傷だった。


 そんな彼を、クラスの誰もが遠巻きから見ていた。なんでそんな怪我をしたのか気になるけど、聞くのはためらわれる。皆そんな感じの顔だった。


 要も最初は訊くのを自粛しようと思った。しかし彼の怪我の原因は、もしかしたら、自分が予想している通りのものかもしれない。そう考えると、訊かずにはいられなかった。


「おい、それ、どうしたんだよ!?」


 気がつくと、要は彼の元へ駆け寄り、そう尋ねていた。


 彼は絆創膏の下に力無い笑みを形作りながら、


「工藤か……おはよう……」

「あ、ああ。うん、おはよう……じゃなくて! その怪我! どうしたってんだよ!?」


 彼は表情を暗くし、か細い声で言った。


「……ヌマ高の連中に、やられた」


 予想が見事に的中。しかし微塵も嬉しくなかった。


「昨日の帰り道……突然ヌマ高の奴らが通せんぼしてきて、金を寄越せって言ってきたんだ。でも俺それが嫌で、元来た方向に走って逃げた。でもその方向からもぞろぞろヌマ高生が出てきて、囲まれて、それで…………」


 その先は続かなかった。彼もできれば思い出したくないのだろう。


 要は静かに憤り、唇の裏側で切歯した。あいつら、調子に乗りやがって…………!


「それで……金を渡したのか?」

「ああ……でも工藤、仕方ないだろ? こんだけボコられた後でも屈しない奴なんて、そうそういないよ」

「仕方ないって……それじゃあますます連中の思うツボだろ!? そんな事したら奴らますます調子づいて、どんどんシオ高の奴襲うぞ!?」

「――うるせぇんだよ!!」


 彼は突然怒号を張り上げた。同時にその右手がピクリ、と刹那の「初動」を見せた。


 易宝との『散手』の癖か、要は思わずそれに反応してしまう。気がつくと、彼の左肩近くへ移動していた。


 それから半秒と待たずに彼の右手が伸ばされ、そして見事に空を掴んでいた。さっきまで要の胸元があった位置に、右手はあった。胸ぐらを掴むつもりだったのだろう。


 彼はいち早く左隣に移動していた要に気づくと、驚くような目を向けてくる。だがその眼差しはすぐに憤怒のソレへと変わった。


「何でお前にそんな事言われなきゃいけないんだ!? 知ってるぞ工藤! お前だってヌマ高の制服見るなり逃げ出してるんだろ!? 強いって噂のお前がトンズラこくような連中に、俺みたいなのがどうやって根性出せばいいんだ!? ふざけんなよ、偉そうに!!」


 苛立たしげな怒声を叩きつけられた要は、心に突き刺さるほどのショックを受けた。理不尽な物言いかもしれないが、彼の言っていることは正論だった。


 正しさを剣尖のように突きつけられた要は、若干弱腰になりながら、


「じゃ、じゃあ警察に届ければ……」

「無駄だよ。どういうわけか、警察は『五行社』関係のトラブルに対して、積極的に取り合ってくれないんだ。「犯人の顔の正確な特徴は?」「沼黒高校の制服着てた、って情報だけじゃ不十分だよ」とか言って終わりだよ、きっと」


 今度は別の意味で驚いた。


 カツアゲという時点ですでに事案だろう。なのに頼みの綱の警察が動かないというのはどういう了見か。


 こんな異常な状況を生み出しているものの正体は分からない。しかし、今回の騒動は『五行社』の他に、もっと大きな悪意が絡んでいるような気がした。


「……わかっただろ、工藤? お前にできることなんて、何もないんだよ。もちろん俺にもね」


 そう諭すように言い、彼は自分の席についた。


 要はしばらくの間、その場に立ち尽くしていたのだった。











 その日の夜。


 夕食を食べ、しばらく腹を慣らしてから、要は修行に入った。


 ランプを消し、窓とドアとカーテンも閉じきった自分の部屋。外から風も光も入らない密室を照らすのは、ちゃぶ台の上に置かれたロウソクの小さな火のみ。


 要は畳の床に腰を下ろし、そのちっぽけな光源を見つめ続けていた。


 毎夜恒例のロウソク修行。


 ここ二週間、フルスピードのスポーツカーにしがみつくような心境で厳しい修行をこなしてきた。その甲斐あって、最初は下手だった技も今ではだいぶマシになった。しかしこの修行だけは、未だに目的が分からないのだ。


 しかし、やれと言われた以上、やる。易宝が強いるからには、何か意味があるに違いないのだ。


 小さな火を注視しながら、要は今朝の事を考えた。


『何でお前にそんな事言われなきゃいけないんだ!? 知ってるぞ工藤! お前だってヌマ高の制服見るなり逃げ出してるんだろ!? 強いって噂のお前がトンズラこくような連中に、俺みたいなのがどうやって根性出せばいいんだ!? ふざけんなよ、偉そうに!!』


 彼の口から放たれたその言葉は、今も心の中でエコーしていた。


 否定できなかった。


 理由があるとはいえ、自分がこの二週間、ヌマ高生から逃げまくっているのは本当の事なのだ。


 最近のヌマ高生は、自分を見ると、途端に追いかけて来るのだ。そんな風に何度も追いかけ回されたため、まるで賞金首にでもなった気分だった。おそらく『五行社』という強大な後ろ盾を得たことで、調子づいているのだろう。


 易宝からは「『散手』で合格するまで、私闘は禁止」と約束しているため、要はやむなく逃げている。


 仕方なくの行動だが、それでも逃げている事には変わりない。ゆえに、彼の言葉に対して言い返すことが出来なかった。そして、それが少し悔しい。


 ――本当に「仕方なく」なのか?


 突然、心の中にいるもう一人の自分がささやいてくる。とても、意地悪な自分が。


 ――本当は違うんじゃないか?

 ――鴉間の影を恐れて、手を出せないだけなんじゃないのか? そんなチキンさを「師父との約束」という隠れ蓑で覆い隠しているだけなんじゃないのか?

 ――本当は「また負けるかも」って、ビクついてるんじゃないのか?


「やめろやめろっ。考えるな」


 要は慌ててかぶりを振り、そんなマイナス思考をとっぱらう。


 そんな事を考えてウジウジするくらいなら、まず行動しろ。俺はそういうタイプじゃないか。


 要は途切れかけていた集中力を整え、ロウソクの火に濃い視線を注いだ。






 小さな灯火は部屋の酸素を糧に、控えめに顕在し続けている。無風であるため、その雫状の形は全く崩れない。

 しかし時折、ほんの微かな揺らぎを見せていた。 



読んで下さった皆様、ありがとうございます!


最近、ハリーポッターシリーズの映画を一から観始めました。

あかん、超面白い……どうしてもっと早く観なかった? 過去の自分の脛を思い切り蹴ってやりたい。

ずる休みスナック欲しい(゜ω゜)


修行パートは、あと一〜二話ほどで終わる予定です。

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