第十四話 ロウソク
それからさらに一日が過ぎた。
当然ながら、今朝も昨日と同じく午前四時に叩き起こされ、修行に勤しんだ。未だこんな朝早くの起床には慣れない。だが、毎日四時起きを繰り返せばいずれ慣れるだろう。今はそう信じることで自分を元気づけた。
それから学校に行って、放課後になったらすぐに帰ってまた修行。この時間帯で昨日同様、防御のみの『散手』をやった。しかし結果は、昨日より二秒伸びただけの四秒で決着。流石に少し凹んだが「二秒増えたんだぞ。少なくとも成長していないわけじゃあないんだ」と易宝が励ましてくれた。
それが終わったら入浴。出たらすぐに易宝の作った夕食を食べながら談笑。易宝は意外と料理が上手で、今晩の料理も文句なしに美味しかった。だが油をふんだんに使った料理が多く、胃もたれしかけた。
食事と後片付けが終わり、満腹だった腹も慣れた頃、夜間の修行を開始した。
要は現在、自分の部屋として使わせてもらっている小さな寝室で一人座っていた。その姿はパジャマ。生地が薄い長袖長ズボンの上下セットだ。
夜であるにもかかわらず、部屋のランプは消えたままだ。ドアも窓もしっかりと閉じ、遮光カーテンで月光をシャットアウトしている。外からは光どころか、隙間風一つ通らない密室状態だった。
しかし、真っ暗闇ではなかった。
部屋の中央にあるちゃぶ台の上には一本のロウソクが立てられており、その頂点に灯る小さな火が部屋を控えめに照らしていた。
要は畳の床に座りながら、その小さな火をジッと注視している。
そう。これこそが修行。
拳を打つでもない。蹴りを出すでもない。動き回るでもない。座りながら、ただロウソクの火を見つめ続けるだけ。
部屋の外にいる易宝が許可するまで、愚直に火へ視線を注ぎ続ける。
――それだけだった。
昨晩にもこれは行ったが、要には未だコレをやる意味が分かっていなかった。
それはそうだ。教えられていないのだから。
易宝は「これをやる理由は自分で見つけるんだ。人に教わった事を墨守することばかりが修行ではない。自分で気がつくことで初めて成果を為す修行もある」と言うだけで、この修行の意味を全く教えてくれないのだ。
そのもったいぶった言い方を思い出して少しイライラしてきたが、深呼吸して気持ちを落ち着けた。吐気が当たり、ロウソクの火が少し大きくゆらめく。
確かに、こんなことをやらせる理由は理解できない。だが、あの易宝が無意味な事をさせるとは思えない。きっと何か大きな意味があるんだ。
要はそう思う事にした。でなければ、こんな退屈な事やってられない。
視線を、ロウソクの火一点に絞り込む。
部屋は完全に閉めきって無風状態であるため、その火はゆらめきによる型崩れをほとんど見せていない。
火を凝視した状態を崩さず保つ。
音も風も一切無い。沈黙が空間を支配していた。
そんな場所で集中していたからだろうか。いつの間にか時間の感覚も薄れていた。コレをやり始めて何分経っただろう。
それに、なんだか目がしょぼしょぼしてきた。長時間パソコンをやった後と似ている。目が疲れているのか。
目頭を揉みつつ、我慢して修行を続ける要。
そして、また一層目の疲れが増す。今度は眠気も催してきた。
このままゴロンと横になってしまいたい。でもそういうわけにはいかず、なおも火の凝視を続行する。
易宝は具体的な継続時間を決めていない。そのため、いつ終わるのか分からない。
確かに、これも立派な修行だと思った。肉体的ではなく、精神的に疲労する類の。
早く終わってくれ――そう考えた瞬間、まるで天の助けのようにドアが開いた。
「よし。そこまで」
ドアの隙間から顔を覗かせた易宝が、開口一番真顔でそう言った。
それを聞いた瞬間、要はまるで久しぶりにシャバの空気を吸った囚人のように晴れやかな表情をしながら、立ち上がった。
大きく背伸びをする。背骨がパキパキと子気味良く鳴った。
「あーー、つっかれたぁー!」
「おう、おつかれさん。これで今日の修行はここまでだ。また明日の朝に四時起きで修行をするから、それまできちんと寝ておけよ」
「へーい……」
要は億劫げな声で返事をした。億劫なのは修行ではなく、四時起きの方だ。
ロウソクの火を吹き消し、部屋のランプをつける。火とは大違いな高い明度を持つ白光が、部屋を明るく照らしだした。
目覚まし時計を見ると、すでに時刻は午後十時となっていた。
四時起きであることを考えれば、今すぐに寝ておいた方がいいだろう。
寝る前に喉を潤したいと思い、要は一階の冷蔵庫へ向かうべく部屋を出ようとした。
だが次の瞬間、部屋の内側のドア近くに立っていた易宝が、腹を拳で打ってきた。
「あいたっ……」
要はうめいて二歩退く。あまり痛くはなかったが、いきなりぶたれた上、その拳が目で追えない速度だったため、びっくりしてしまった。
「い、いきなり何すんだよ?」
「いや、お休みの挨拶的なものとでも思っとくれ」
どんな挨拶だよ、と愚痴ってから、要は易宝の横を通り過ぎて部屋を出たのだった。
◆◆◆◆◆◆
翌日の昼休み。
要はある異変に気がついた。
「なあ、岡崎……」
要は椅子に座って弁当をつついている岡崎に、慎重な声で尋ねた。
現在、要は倉田と岡崎と三人で一つの机を囲い、昼食をとっていた。
ちなみに達彦はなにかの用事で教室を出て行ったため同席できず。菊子も要より先にクラスの女子から昼食に誘われてしまっているため、ご一緒できないとのこと。
岡崎は口の中の物をごくん、と飲み込んでから、
「なんだよ?」
「いや、なんていうか……今日うちのクラス――怪我人多くないか?」
要が気になっていた点はそこだった。
今日のクラスメイトたちの中には、顔や腕に絆創膏などを貼った生徒が多かったのだ。
怪我人が一人ずつ増えていったのなら、まだ偶然だと切り捨てられるかもしれない。だが、ほとんどの生徒が昨日まで無傷だった者なのだ。一日でこんなに多く怪我人が増えるなんて、ちょっとおかしい気がする。
そして岡崎は、そんな自分の考えが気のせいでないことを証明してくれた。
「――『五行社』だよ」
要はギョッと目を丸くした。
その先の説明を、倉田が引き継いだ。
「あいつらみんな『五行社』の下部グループにタカリかけられたんだ。それに逆らってやられちゃったわけ」
それを聞いて、要は目を見張った。
気がつくと、倉田に尋ねていた。
「……やっぱり、それってヌマ高の連中の仕業か?」
「そうさ。あいつらは全員ヌマ高生に金をふんだくられたんだ。あいつらだけじゃない。他のクラスにも同んなじように被害受けた奴が結構いるんだよ。ここ最近、ヌマ高生からのカツアゲ被害者がうなぎ登りさ。この原因は言うまでもなく『五行社』の「水」がトップの座を奪い取ったからだろうなぁ。学校全体が『五行社』の下部組織入りしたと言っても過言じゃないしね」
要の予想が的中した。
閉じた唇の下で密かに歯噛みする。
間違いない。とうとう鴉間が本格的に動き出したのだ。要を倒したことで自分たちの優位を知らしめて以来、まるで水を得た魚のような勢いで「集金」し始めたのだ。
「そういや、うちのガッコで被害者が増えたのって、工藤が「水」にやられた次の日、つまり昨日からのような……」
振り返るような仕草でそう言う倉田の脇腹を、隣の岡崎がつついてたしなめた。
「おいっ。本人の前でそんな話をするなっての……」
「……あ! す、すまん工藤。悪気はなかったんだ。許してくれ」
倉田は失言だったとばかりに謝ってきた。
そんなクラスメイトに要は苦笑を作りながら、
「いいって。悪気がなかったのは言わなくても分かってるから」
「その、工藤、あんまり気にすんなよ? もしかするとマグレかもしれないじゃん。「水」ってのに負けたのは」
「気にしてないって、倉田」
要は表面上明るい態度を崩さなかったが、内心では少しショックだった。
負けた、という話を出されたからではない。「マグレで負けたかもしれない」と気を使われたからだった。
鴉間との戦い、あれは断じてマグレ負けではなかった。鴉間の方が、自分より明らかに上手だった。
ショックではあった。
だがすぐにその気持ちは、もっと強くなりたいと思える起爆剤となった。
まだ修行は始まったばかりだ。これから強くなってやる。
そして、放課後。
夏が近づいて陽が沈むのが遅くなってきたのだろうか、時間的に夕方であるにもかかわらず、陽光の勢いはまだ強い。
そんな日光に色白な頬を照らされながら、要は校門から一般道の歩道に出た。
今日は、足が無意識に駅へ向かう癖はなくなっていた。爪先は迷う事なく易宝養生院へ続く道を向いており、踏み出す一歩一歩には力強さがこもっていた。
修行をしようという意思が強い証拠だった。
昼休みにした話が、そんな気力を引き出すガソリンとなったのだ。
早く鴉間に及ぶほど強くならないといけない。
このままじゃ、自分の周囲の人がさらに『五行社』の被害を受けるハメになる。
そしていずれ、達彦や菊子といった親しい仲間にも食指が動いてしまうかもしれない。
そうなる前に、一刻も早く鴉間をぶちのめす必要がある。
あいつが今シオ高に横暴を働いていられるのはおそらく、要に勝ったという事を広く言いふらしたことで、自分や『五行社』、そしてヌマ高の優位性をアピールできたからだろう。
なら話は簡単だ――優位性を逆転させてしまえばいい。
自分が強くなり、そして鴉間を楽々と倒してしまえば「『五行社』の一人を倒した工藤要がいる学校」という泊がシオ高につき、ヌマ高もその他のグループもむやみやたらに手を出して来なくなるかもしれない。
幸い、自分は未熟者だが、師は一級品の実力を持つ達人だ。その指導を受け、言われた通りに技を磨けば、すぐにでも強くなれるはずだ。そして、向こうもそうさせようと考えてくれている。
そう思うと、足取りにさらに力が入った。
しかし、自分の希望を邪魔する存在とたびたび遭遇するのが、往々の人生である。
横断歩道を渡るため、歩行者信号が青になるのを待っていた時だった。
「ヘロー、負け犬の工藤要ちゃん。元気してるぅ?」
要が元来た道とは逆の方向から、知らない男たちがぞろぞろ近づいてきた。
人数は十人。全員自分よりもずっと背が高く、体格も良い。着ているものはワイシャツにスラックスという学生の夏服。その胸ポケットには――ヌマ高の校章が刺繍されていた。
ヌマ高生の集団だった。
笑顔こそ浮かべているものの、そのまなじりの下がった細い目の奥には敵意のような濁りが浮かんでいる。
要は警戒心をフルに抱く。
「俺らさぁ、最近バイクの違反切符切られちゃってぇ、ストレス溜まってんだよねぇ。良かったらさぁ、サンドバッグとして俺らのストレス発散に貢献してくれよぉ。ついでに金も置いてってさぁ」
応戦しようと一瞬思ったが、慌ててその考えを振り払った。
『散手』で合格をもらうまで、易宝からは「私闘は禁止」と言いつけられている。
つまり、自分がこの連中にできるのは――逃げることのみ。
歩行者信号は未だ赤。おまけに車がビュンビュン左右を行き来しているため、信号無視もできない。
なので、元来た道を全速力で逆走した。
突発的な疾走に男たちは一瞬ぽかんとしていたが、
「テメー!」「待てコラー!」「止まれボケー!」「止まんねーと殺すぞ!」「止まっても殺すけどね!」「「「「「グハハハハハハ!!」」」」」
すぐに逆上したような顔で、どよもしながら追いかけてきた。
数こそ多い。だが連中の反応が遅れたせいか、初っぱなから結構な間隔ができていた。ラッキーだ。これだけ開けば追いつかれない自信がある。
だがやはり、逃げるしかないという事実が情けなく思えた。
ちくしょう、今に見てろ。いつか絶対見返してやるからな。
向かい側から歩いてくるシオ高生数人を突風のように横切り、要は密かに涙を飲んだのだった。
読んで下さった皆様、ありがとうございます!
今回の話はもう少し長くなる予定だったのですが、話のテンポを考えて一度ここで区切り、残りの分は次回へ持ち越すことにさせていただきました( ´△`)




