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戦え、崩陣拳!  作者: 新免ムニムニ斎筆達
第三章 水行の侵食編
53/112

第八話 正々堂々たる不意打ち


 一人の青年が、淡水町の道路でオートバイを走らせていた。


 フルフェイスヘルメットの下から伸びた、男にしては少し長めの後ろ髪は馬の尻尾のように束ねられており、愛機の疾駆による風圧でダイナミックにたなびいていた。


 シルバーカラーで彩られた大型二輪。だが長年乗り続けたその愛機は、時の経過によってその総身を日本刀のようないぶし銀にくすませている。


 エンジンの小刻みな振動がシートに乗った臀部から脊椎を通り、ハンドルを握る両手へと伝わる。


 二ヶ月ほど前までけたたましい爆音を上げていたマフラーはすでに消音器が付け直されているため、今ではすれ違う歩道の親子連れも不快げな顔をしない。


 正直言うと、自分もあのマフラー音はやかましくてあまり好きではなかった。だが少し前まで、自分はバイク乗りで構成された愚連隊の長としてこの辺りを爆走していた。そういった組織である以上、ナメられぬように多少のハッタリはきかせる必要があったのだ。


 とはいえ、今となってはそのような活動もしていない。ゆえにパーツを標準に戻した。


 自分は現在、中華街の飯店で仕事をしつつ、鍛錬に没頭していた。


 今日は店から休みをもらった。今日の分の修行が終わった後にバイクを走らせ、この海線堺市までドライブにやってきた。


 ここ二ヶ月ほどの間、仕事と修行に明け暮れて中華街にこもりきりだった。なのでこの町に(わだち)を刻んだ瞬間、ひどく懐かしい気分にさせられた。


 自分はもう家族からは見捨てられている。自分も幼少期からずっと辛くあたってきたその家族に対して、深い情など抱けなかった。


 だが、この街は別だった。


 家の事に関しては嫌なことだらけだったが、この海線堺市全体には、自分が精一杯生きた思い出がそこかしこに残っている。嫌なこともあったが、楽しいことも比例してあった。


 幼少期、家族から強いられた理不尽に泣いていた時、ある中国人と出会って武術を授かったこと。

 家庭環境をネタに自分をいじめていた学校の奴らを、その武術で叩きのめしたこと。

 年齢を偽ってアルバイトをし、それで貯めた金でこのバイクを買ったこと。

 自分と同じバイク乗りの仲間を集め、この辺りを共に駆け抜け始めたこと。

 グループの規模をどんどん大きくしていき、やがて暴走族として活動するようになったこと。

 パトカーに追いかけられ、逃げ切ったこと。


 ――二ヶ月前、初めてケンカで敗れたこと。


 最初はそれをひどく屈辱を感じたが、今となっては思い出すだけで微かな笑みがこぼれてくる。


 そんなふうに昔を懐かしみながら走行している時だった。


 視界の左端に、白装束の集団が映った。


 一瞬何かの宗教団体かと思ったが、よく見るとその服は学生の夏服だった。


 白いワイシャツに紺色のスラックスを着たその集団は、円陣のように輪を作りながら脇道へと入っていく。あそこは確か廃工場を横切る道だったはず。


 そして、その制服集団の輪の中には、私服姿の少年が歩いていた。


 一六〇センチ弱の華奢な背丈。意志の強そうな紅顔可憐な顔立ち。


 ――その少年の顔には大いに見覚えがあった。


 連中の入った脇道を通り過ぎる。


 だが青年はブレーキをかけてバイクを翻し、反対方向へホイールを向けたのだった。











「この辺りでいいでしょう」


 先頭にいる鴉間のそんな声とともに、要を取り囲みながら歩いていたヌマ高生たちの足が止まった。


 「関係者以外立ち入り禁止」という札付きのトラロープを平然と除けた鴉間に連れてこられた場所は、廃墟と呼ぶにふさわしい廃工場だった。老朽化が進んで色のくすんだ建物がいくつか建っており、土地のあちこちからは背の高い雑草がコンクリートを突き破って伸びている。


 どう考えても普通の用事で呼び出すような場所ではない。


「こんなところに呼び出して何の用だよ。俺これから水飲もうと思ってたところなんだけど?」


 要は警戒心を抱きながら先頭の鴉間に問うた。いざとなったら無理矢理にでも逃げるつもりだ。周囲を囲まれてはいるが、一箇所だけ囲みが甘く、広めな隙間が見られる。そこを体当たりで強引にこじ開ければいい。


 だが鴉間がそこを塞ぐように立つと、隙間を縫うように視線を送って言ってきた。


「大丈夫ですよ。用が済んだらお帰しします。その後に水でもなんでも飲んでください」

「俺は今帰りたいんだけど」

「それは無理な相談ですね。あなたは僕ら『五行社(エレメンツ)』にとって邪魔な存在となっただけに飽き足らず、その傘下の者にも手を加えた。とっくに黙認できるレベルを超えています。死ねとは言いませんけど、それなりに痛い目にはあって頂きますよ」

「随分勝手な事を言うのな。お前らの仲間に手出したからってのはまだ分かるけど、俺がいつお前らの邪魔になるような事をしたよ?」

「あの新聞記事ですよ」


 鴉間は呆れたように肩をすくめてそう口にした。そのリアクションがどうにも癇に障る。


 新聞記事というはっきりしない単語を出されて一瞬戸惑ったが、ここ最近で自分が関わる新聞記事といったら一つしか思い浮かばない。


 そんな感情が顔に出ていたのか、鴉間はこちらの顔を見るや正解だとばかりに両手を広げ、


「そう。あなたが関わり、そして解決したという誘拐事件の記事です。僕らの手下はよく潮騒高の生徒を相手にカツアゲをしているらしいんですが、その学校にあなたというヒーローが生まれると少し面倒くさいんですよ。シオ高生があなたの存在を精神の柱にして強気になることで、カツアゲに屈しなくなったりする可能性とかがありますし。だから工藤要さん、あなたにはこの辺で潰されて大人しくなってもらいたいんですよ」

「やっぱり、ここ最近増えてるっていうカツアゲの主犯はお前ら『五行社』か」


 義憤を覚え、鴉間を睥睨する。


「主犯? それはちょっと違いますよ。僕らはただ下の連中に「金を集めろ」と命じただけ。その具体的な手段について指示した覚えはありませんよ。全ては彼らが勝手にやったこと。僕らが全面的に糾弾されるのはお門違いだ」

「……俺最近現国で習ったんだけど、そういうのを詭弁っていうらしいぞ」

「あなたの主張こそ真の詭弁ですよ。その程度の論理などこの世の中では頻繁に使われている。それを考える頭を持たない方が悪いんです。連中が警察のお世話になったとしても僕らは助けませんよ? 悪いのは向こうなんですから。まさしく「馬鹿につける薬はない」というものですね」


 もうこれ以上話したくなかった。出会ってまだ数分だが、要はこの鴉間匡という男がどういう人間なのかを悟り、そして嫌悪感を抱いた。


「まあともかく、あなたには痛い目を見てもらいたいわけですよ。だから、大人しくボロボロにされてくれませんかね」


 要は身構えながら尋ねた。


「ここにいる奴ら使って袋叩きにでもするつもりか?」

「その通り、と言いたいところですが、それは後回しにしましょう。僕はまずあなたの実力が見てみたい。二ヶ月という短期間で一気に名を上げた工藤要の実力に、僕は大いに興味がある。というわけでまずは――僕と一対一(サシ)で勝負といきましょう」


 鴉間を睨む目をさらに強める。


「ふざけんなよ。なんでそんなことしなきゃなんねーんだ。とっとと帰せ」

「やはり応じてくれませんか……争い嫌いの甘ちゃんだという噂は本当だったようですね。なら、そんなあなたにメリットのある条件を一つ追加してあげましょう。もしこの勝負で僕に勝つことができたなら――シオ高生に対する金品の強奪は金輪際止めさせるよう、手の者に命じてあげますよ。もちろん、あなたにもこれ以上は何もせずにお家に帰してあげます。どうです? 悪い話じゃないでしょう?」


 鴉間は薄く笑いながらそう主張した。


 ――正直言って、あまり信用できない。


 この浮薄という言葉を体現したような男の言う事を簡単に信用する者は、よほどの世間知らずか善人くらいだろう。自分はどちらにも当てはまらない。


 だが、仮にこいつの言う事を信じたとしよう。こいつに勝つことができれば、もうシオ高のみんなが泣きを見ることがなくなるかもしれない。


 信ぴょう性は薄い。だが、可能性があるなら挑んでみようという結論に、最後には至った。


 要は猜疑の目で鴉間を直視しつつ、


「……本当だろうな」

「男と男の約束です」

「守れよ」


 もちろんです、と鴉間は頷くと、周囲のヌマ高生たちに目を向けつつ言い放った。


「みなさん、端に散ってください。巻き込まれても知りませんよ」


 その言葉を聞くや、要の周囲にいたヌマ高生たちは一斉に四方八方へ散り散りになっていった。


 要は鴉間を少し驚いた目で見る。


 こいつの命令一つで、バカなヤンキーの集まりであるはずのヌマ高生が脊髄反射を起こしたように動き出した。それは暗に、この鴉間匡という男がそれほどの影響力を持っていることを示唆している。


 自分はヌマ高のトップに会った事がある。だからこいつがトップでないことはすでに分かっていた。


 ならばこいつは、どういう立場の人間なんだ?


「――ちょっ、ちょっと待ってくっさいよ!」


 その時、野太い男の声が響き渡った。


 鴉間のものではない。


 見ると、遠巻きに立った他のヌマ高生とは別に、一人だけ鴉間の傍にすがるように立っていた。


 見覚えのある顔。それどころかついさっきまで頭に浮かべていた人物だった。


 背が高いだけでなく、肩幅も広く胸板も分厚い、重戦車のような体格。黒髪のオールバックに岩のような厳つい面構え。


 覚えている。こいつこそヌマ高のトップに立つ岩国という男だ。


「――何ですか岩国さん。邪魔ですよ」

「か、鴉間さん、全員でぶっ飛ばしちまわないんスか?」

「だからそれは一時保留と言ったはずでしょう。耳ついてないんですか?」

「そ、そりゃないッスよ! 俺、このチビをぶん殴るのが楽しみでついて来たってのに……」

「――僕に意見する気ですか? ならばそれ相応の対応をしなければなりませんが」

「ひっ……い、いや、やっぱりいいッス」


 ――だというのに、岩国の鴉間への対応はとことん弱腰だった。


 いや、弱腰どころか、おもねっている感じすらした。


 そして極めつけに、


「テメー、なにしゃしゃり出てんだオラァ!」

「立場わきまえんかいハゲ!」

「死なすぞコラ!」


 遠巻きにいたヌマ高生たちの中から三人が岩国の方へ歩み寄り、髪と服を掴んで乱暴に引きずって戻ってしまった。


 少し前までヤクザの子分よろしく岩国に忠実だったヌマ高生が、トップに敬意を払わないどころか、非常に粗末な扱いをしている。岩国自身も、そんな仕打ちを甘んじて受けていた。


 要は少し気になって、鴉間に訊いた。


「おい、あいつヌマ高の頭なんだろ? あんな扱いされてていいのか?」

「それは昔の話ですよ。岩国さんはもう頭ではありません、今は地を這う一介のヌマ高生です。これからは僕が新しいヌマ高のトップ。この辺の人たちの大多数はもうその事を知っているのに、どうやらあなたはご存知ないようだ」

「……興味無いし、そもそも嫌いだからな」

「そうですか」


 鴉間は感情のこもっていなそうな相槌を打つと、右足を半歩退き、右半身に身構えた。


「邪魔者もいなくなったことですし、そろそろ始めましょうか、工藤要さん――『五行社』の一角、この「水」の鴉間の『奇影拳(きえいけん)』を見せてあげますよ」


 要は思わず警戒心を高め、『百戦不殆式』の構えを反射的に取った――こいつ、やっぱり拳法を。


 転瞬、鴉間が地を蹴り疾駆してきた。


 瞬発力は要とタメを張るレベル。なるほど、これではたとえ逃げたとしても振り切るのに苦労しそうだ。


 鴉間はそのまま一気に距離を詰めると、勢いよく掬うような前蹴りを放ってきた。


 要は下から来るその蹴りを受け止めようと両手を重ね合わせ、迅速に下腹部の辺りへ構えた。受け止めたらその蹴り足が引き戻される前に裾を掴み、そのまま引き倒してやる。そこをうつ伏せに押さえ込んで抵抗できなくしてやるんだ。マウントポジションを取って殴りつける趣味はない。


 鴉間の蹴り足が、予定調和に自分の手元に急迫してくる――いいぞ、そのまま来い。


 だが、手に衝撃はやって来なかった。 


 蹴りが要の手に直撃する刹那、鴉間が急激に蹴り足の膝を曲げ、自分の胸に引き寄せたのだ。


 要がキャッチする予定だったのは、正確には蹴り足の向こう脛。つまり鴉間が膝を曲げたことでその向こう脛は畳まれて――要の構えた手にはやって来なくなった。手持ち無沙汰となったのである。


 そして、鴉間はそのままペダルを漕ぐように蹴り足を操作し、突き刺すような爪先蹴りをがら空きの喉元へ一閃してきた。


「おわっ!」


 要はほぼ反射的に全身をよじり、その針のごとき一蹴を紙一重で躱した。そのままの流れで鴉間の真横を取る。


 本来ならここは攻めどころだが、『奇影拳』というものの全体像がまだはっきりしていない以上、迂闊に突っ込むのは躊躇われた。猪突猛進に向かっていくことが地雷を踏みやすい行為であることはこれまで散々学習済みだ。なので要は念のため数歩退いて距離を作った。


 鴉間は蹴り足を着地させると、くるりとこちら側を向いて薄笑いを浮かべた。


「なるほど、今のを避けるとは流石ですねぇ。なら、これはどうですか?」


 そう言うや再度ダッシュし、開いたはずの間隔をあっという間に狭めてきた。


 要はそんな鴉間をじっと観察する。相手の攻撃をいなしてから反撃するのが、リーチの短い自分にとってのベストな戦い方だ。なので冷静に出方を待つ。


 鴉間の顔が相変わらずの薄い笑みを見せながら接近してくる。そんな顔をしてられるのも今のうちだ。


 しかし、その鴉間の顔が突然引っ込んだ。


 思わず瞠目し、その現象を理解しようと一秒もない時間の中で必死に考えを巡らせる。


 引っ込んだ、という以上、鴉間の頭は下へ行ったことになる。つまり――下からの攻撃。


 その正体を確かめる暇がなかったため、要は当てずっぽうで後ろへ跳んで退いた。


 そして見る。先ほどまで自分が足を付いていた位置を、腰を落としながらの鴉間の払い蹴りが薙いでいた。深々としゃがんだ片足を軸にしてコンパスのように周囲を蹴り払うあれは『掃腿』という足技だ。自分も一応使える。


 だが、これで終わらなかった。


 鴉間はちょうどこちら側へ伸びていた蹴り足に重心を移したかと思うと、もう片方の足で再び円弧を描くような『掃腿』を繰り出してきた。


 要はなんとか後ろへステップしてそれを回避する。


 しかし、それに安堵する暇も与えぬとばかりに素早くその蹴り足へ踏み換え、三度目の『掃腿』を当てようとしてきた。要はそれも後退して回避できたが、今度は右爪先が蹴りと少しだけ擦ってしまった。


 それからも、鴉間は何度も『掃腿』を繰り返しながら要を追いかけ続けた。回転しながら地を這うその様子はまるでつむじ風のようだ。


 要は懸命にバックステップで回避し続ける。走って逃げれば簡単に引き離せるだろうが、真後ろへ方向転換している間に足を払われるかもしれない。それを考えたら後退に徹するしかなかった。


 だが、それでも鴉間の連続払い蹴りは、着々と要の足との距離を縮めてくる。


「ほらほらどうしましたか? 防戦一方ですね!?」


 地をスピンしながら、鴉間が意気揚々と言い放ってきた。


 『掃腿』は腰を深々と落として行うため、一回でも割としんどいはずだ。だというのに鴉間はそれを幾度も連発し、なおかつ息切れ一つしていない。並外れた基礎体力の高さが伺える。


 悔しいが奴の言うとおり、このままじゃキリがない。何か、展開に変化を起こす方法を見つけないと。


 そう考えた時だった。


 『掃腿』を繰り返す鴉間の回転速度が、突如急激に速まった。


 要は吃驚する。まだ本気じゃなかったのか。


 足に注意を向けつつさらにバックするスピードを速めようと思った瞬間、鴉間に更なる変化が起こった。


 床屋のサインポールよろしく回転運動を保ちながら一気に腰を高くし、そのまま要の懐へ肉薄。


「『献酒腕打(けんしゅわんだ)』!」


 そして、鴉間は遠心力を込めた右鶴頭を、裏拳の要領で要の右肩へ叩き込んだ。


「うぐっ――!!」


 ――その一撃を受けて、要はようやく鴉間が懐に来たことに気がついた。


 飛び上がるほどの激痛を受け、要は後ろへ数回たたらを踏むが、足元がおぼつかなくなって尻餅を付いてしまう。


 二メートル先の位置にいる鴉間(てき)の姿を見て、要は素早く立ち上がろうと気を引き締めた。


 両膝に力を入れ、そこから体全体を起こそうとした時だった。




 突然――その両足から力が抜けた。




 まるで地に付いていた杖を横からひったくられたかのようにバランスを失い、要の体が前のめりに倒れる。


 要はコンクリートの熱を我慢しながら四つん這いになり、両腕の間から自分の足を覗いた。


 微かに震えていた。


 ――なんだこれは。


 要は困惑を禁じ得なかった。


 先ほどの技、威力はそれほど強いわけではなかった。むしろ自分は、これよりも強力な攻撃を今までたくさん受けてきた。


 だというのに、どうしてあれほどまでの激痛を感じ、そして膝が震えるほどのダメージとなるのだろう?


 打たれた右肩には、まだ痛みがジンジンと音叉のように残っている。


 もう少し考える時間が欲しかったが、それは側頭部めがけて振り出されてきた鴉間の右足が許さなかった。


 要は間一髪で腕を構えてそれを防御する。両前腕部に重々しい衝撃を受け、その勢いで横倒しのままコンクリート上をスライドさせられた。鴉間との間に再びわずかながらの間隔が生まれた。


 雑草が伸びた亀裂の間に片手を置き、震える下半身を踏ん張って再度立ち上がろうと試みる。


 しかしその途中で、鴉間がまた勢いづけて接近して来た。


 マズイ。このままじゃずっと立たせてもらえない。延々と蹴られ続けるだけだ。


 要は手元にあった雑草を根ごと素早く引き抜き、鴉間に投げつけた。


「うっ……!?」


 雑草自体に進行を阻む効力はなかったが、根っこに付いていた土が目に入ったようで、鴉間はまぶたを強く閉じていた。


 ――ここだ!


 要はボルテージを高めて猛然と腰を上げ、片足を『震脚』で踏み鳴らしてから地を蹴る。大地からの反発力を上乗せした瞬発力は、目をこすっている鴉間の姿をくわっと視界に大きく映した。


 前足をコンクリートにねじ込むような力強さで踏みとどまり、右拳による『撞拳』を突き出した瞬間――二つのショックが要を襲った。


 一つは――鴉間の姿が右側にずれたことで、拳が空振っていたこと。

 そしてもう一つは――下腹部の辺りに身悶えしたくなるような激痛を感じたこと。


 その痛みで硬直する全身の中で、目だけをかろうじて動かして腹部を見ると、そこには鴉間の膝蹴りが突き刺さっていた。


 突き刺さっていた、とはいっても、それほど深くは入っていない。だがその蹴りは、そんな映像とは不釣合いな激痛を要の全身に巡らせていた。


「っはっ……!」


 要は絞り出すように息を吐き、崩れ落ちた。コンクリートに両手と両膝を付く。


 すでに見慣れた足がこちらへ歩み寄って来て、すぐ左でピタリと止まった。


「――いやはや、一時は焦りましたけど、予想通りの動きを見せてくれたおかげで助かりました。あなたの性格上、最大の隙と呼べるあの場は一直線の攻撃を出してくれると咄嗟に予測したので、試しにそれを踏まえて動いてみたのですが……くくくっ……まさか本当に思った通りの動きをしてくれるなんて…………! マジで傑作でしたよ。単純バカに育ってくれてどうもありがとうございました」


 ほくそ笑むような鴉間の声が、頭上から振ってくる。


 それによって要の中の負けん気が助長される。一発でも入れてやらなきゃ気が収まらない。


 しかし、体がガタガタと震え、起き上がるのも億劫である。


 要はこれまでにない混乱に陥っていた。


 痛みで体の動きが鉛のように鈍る経験は、これまで何度もあった。だがそれはいずれも散々攻撃を受けてボロボロになった頃だった。


 だが今回は違う。たった二回の攻撃で、満身創痍の一歩手前ほどの痛みを蓄積させられている。それも、対して重くない打撃に。


 一体、どうなってるんだ。


「痛いでしょう? きっと今、あなたはこう思っているはずだ。「それほど強い力で打たれたわけでもないのに、どうしてこんなに痛いんだ?」とね」

「っ!」


 図星だった。


 鴉間はクックッと喉を鳴らしながら、


「あなたは嘘のつけない人のようだ。そう、それが僕の『奇影拳』の能力です。河北の名拳が一つ「燕青拳(えんせいけん)」の不規則で複雑怪奇な移動パターンに、「酔八仙拳(すいはっせんけん)」や「狗拳(ぐけん)」で用いられるアクロバティックな身体操作を取り入れた複合武術。多種多様なフェイントを用いて相手の体に「(きょ)」を作り出し、そこを突くことで、その打撃が本来持つ威力以上のダメージを与える事ができるんです」

「「虚」を、突く……?」


 聞き慣れぬ表現に、要はかすれた声で疑問を呈した。


「分かりませんか? 仕方ありませんね、ならレクチャーといきましょうか。「虚」とは――その人間の意識外に置かれた身体部位のことです。例えば、腹を殴られるとしましょう。その場合、事前に殴られることを知っていて殴られるのと、何の前触れもなく突然殴られるのとでは、一体どちらが痛いと思いますか? 言うまでもなく後者でしょう。このように人間の体は、受ける衝撃は同じでも「これから殴られる」という意識の有無でその痛みが大分違ってきます。まるで外気温と体感温度が一致しないようにね。「虚」を突く、というのはそういうことなんですよ。あなたはこれを受けて、たった二発でグロッキー同然となった」


 鴉間に背中をガッと踏みつけられ、無理矢理うつ伏せにさせられた。要は小さく呻く。コンクリートが熱い。箸でホットプレートに押し付けられたカルビの心境だった。


「一回目――僕が『掃腿』を連続で放っていた時、あなたはそれに払われまいと足元へ意識が偏っていて、上半身からは意識が抜けていた。僕はそこを『献酒腕打』で突いたんだ。結果、あなたは足に来るほどの激痛を受けた」


 背中に乗せられた足が一瞬浮き、そしてまた踏み下ろされた。


「二回目――あなたはさっきの攻撃の時、意識が完全に拳へ向いていた。まあ攻撃なのでそれは当然なんでしょうが、その時、腹に対する意識がすっかりおざなりだった。だから僕は突きを躱しつつ、そこに膝を入れたわけです。そして結果は今の通り」


 背中から足が再度離れる。また踏まれるのかと思ったら、脇腹をしたたかに蹴りつけられた。痛みで歯を食いしばりながら要は数度横に転がった。


 鴉間の声が遠ざかって聞こえてくる。


「「虚」は、相手の意識をフェイントなどで誘導することで、体のどの箇所にも作ることができる。いわば「移動する急所」。その「虚」を意図した場所に作り出し、そして突くことを主眼とした『奇影拳』はいうなれば――「正々堂々と不意打ちができる拳」でしょうかね」


 ゴホゴホと咳き込みながら、要は耳を傾けていた。


 話の大筋は理解できた。つまり自分は、奴の言う「虚」――意識外の部位を打たれたからこそ、これほどのダメージを蓄積させているのだ。


 一撃目は下半身に気を取られ、二擊目は拳に意識を総動員させていた。鴉間はそれらの意識が注がれた部位以外を狙って打った。


 ならば――と、要は軋む体に鞭を打ち、ゆっくりと立ち上がった。


 足踏みをして気力を無理矢理高揚させ、構えは取らず、ただ半身になって立つ。


 そして、全身くまなく意識を集中させた。


 頭部、首、両肩、両腕、胸周り、胴周り、腰周り、股関節、両足。


 鴉間が意識外の部位を打って来るのなら、体全てに意識を集中させることで、その「虚」を塗りつぶしてしまえばいい。


 だが次の瞬間、鴉間は哄笑しながら言った。


「……あっははははははっ! あなたの考え、また読めちゃいましたよ! 「全身に意識を集中させれば「虚」を塗りつぶせる」といった感じじゃないですかぁ?」

「!」


 二度目の図星に、要は息を呑んだ。


「はははは……本当に分かりやすい人だなぁ。まぁ確かにそう考えるのがごくごく自然かもしれませんけど――それは徒労ですよ」


 言うと、鴉間はずんずんと迷いのない足取りで歩んできた。


 要は警戒し、半歩退く。


 だが途端、鴉間は急激に歩調を速めて急迫してきた。


 思わず驚いて身構えるが、すぐにそれが悪手であると悟った。


 しかし、悟るには遅すぎた。気がつくと要の左肩に、鞭のような鴉間の回し蹴りが叩き込まれていた。


「があぁっ……!!」


 強烈な痛覚が稲妻のように総身を貫き、要は苦悶した。脂汗が流れる。


 打たれた左肩を右手で押さえながら、要は薄目で鴉間を睨む。薄ら笑いを浮かべていた。


「言ったでしょう? 「虚」とは意識外の部位だと。あなたが僕という敵に注意を向けてしまっている以上、全身くまなく意識を注ぐなんて不可能なんですよ」


 鴉間はそこで笑みを引っ込め、ひどく退屈そうに頭を掻き始めた。


「いやはや、あなたも所詮この程度ですか……少しは期待していたんですが、会ったことのない人物を過剰に買いかぶるものではありませんねぇ。これが噂先行というやつですか。改めて学びましたよ。あなたと「土」では月とスッポンもいいところだ」

「――くそっ!!」


 要は憤激で我が身を奮い立たせ、『震脚』で地を踏み鳴らしてから瞬発。一気に鴉間との距離を縮めて『撞拳』を放った。


 だが、そんな激情任せの一撃が当たるほど甘い敵ではなかった。


 鴉間の姿が、拳の延長上から消えた。


 拳が空を突いた後、要は迅速に頭を振って探す。だが下にも、前後左右にもいなかった。 


 その時、大きな「何か」が日光を遮った。


 その「何か」は――頭上を滞空する鴉間だった。


 体の前面を地と並行にして宙を舞う鴉間は、放物線を描く形で要の背後に落ち始めるやいなや、全身を一気に横回転させ、


「――地べたを舐めろ工藤要! 『騰空戳穿(とうくうたくせん)』ッ!!」


 その回転エネルギーを直線エネルギーに変える要領で、投げ槍のごとき爪先蹴りを要の背中へ叩き込んだ。


「っかはっ――!?」


 想像を絶する痛みが強い衝撃とともに押し寄せ、一瞬、呼吸が止まった。衝撃からして、この技は普通に使っても十分威力のある技だ。そんな強力な技で「虚」を突いたのならば、その痛みのレベルは――推して知るべしだった。


 要は後ろから強風に煽られたように前へと押し流され、顔面からコンクリートへうつ伏せに倒れた。


 立ち上がろうとするが、四肢が携帯のバイブレーションよろしく笑っていて、上手く力が入らない。


 足音が近づいて来て、自分の耳元で止まった。


「勝負ありですね。あなたの負けですよ」


 冷徹に言い下ろしてくる鴉間の声。


 要はギリッと歯を噛み締めながら、


「ふざけんな……まだ……終わって……」

「いいえ終わりです。そんなガタガタな状態からの逆転劇が演じられるほど、僕ら『五行社』は甘くない。もう一度いいます――あなたは負けたんだ」


 ガシッ、と背中に楕円形の重みがかかる。踏まれているのだろう。


 ――ちくしょう。


 要は地を引っかきながら両手に拳を作り、そしてそれを腕が壊れんばかりに握り締めた。


『あなたは負けたんだ』


 先ほどの鴉間の台詞が、再度思い起こされる。


 その言葉の中で、自分に向けて突きつけられた「負け」という単語のみが脳裏を去来する。


「これで潮騒高に手を出させない約束はなしになりましたね――と言いたいところですが、一つ訂正があります。ああ、ちなみに「負けたけど、同級生のために一生懸命闘うお前の姿に心を打たれたから、特別に潮騒高に手を出すのはやめてやる」みたいな人情味あふれる話ではありませんので、甘い期待はしないように」


 長い付け加えを終えると、鴉間は笑いを必死に噛み殺した声で言った。


「くくくくっ…………! 決着がついた今だから言いますが――実は僕、あなたが勝負に勝っても、潮騒高へのカツアゲをやめさせないつもりだったんですよ……くくっ……!!」

「なっ……!!」


 絶句する。


 鴉間はとうとう堪えきれないとばかりにバカ笑いしだした。


「あっはははははははは!! いやぁ、やっぱり騙された人の表情って面白いなぁ!! いい顔してますよ今のあなた! 呆けた表情に悔しさが加わって、悲壮感が半端じゃないです! 鏡があったら見せてあげたいよ! あははははははっ!!」


 要は射殺さんばかりに鴉間を睥睨しながら、呪うような低い声で呟いた。


「この……卑怯者が……!!」

「何とでもおっしゃってください。負けて賊軍となったあなたの発言には、もう何の説得力も威厳もないんですから」


 そう告げて嘲笑すると、鴉間はさらにその先を続けた。


「言っておきますけど、あなたへの「処置」はまだ終わっていませんよ? これからもっと素敵な目に遭っていただきますからね」


 その顔はやはり笑みだが、今までで見たどの表情よりも(いびつ)だった。


読んで下さった皆様、ありがとうございます!


最近知ったけど、パーマンの時速って90Kmくらいだったのネ。

てっきりマッハいくと思ってたので意外(´・_・`)

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