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戦え、崩陣拳!  作者: 新免ムニムニ斎筆達
第三章 水行の侵食編
46/112

第一話 出会ってしまった人達

 そこは、薄暗い部屋だった。


 傷だらけのタイルカーペットが敷き詰められたその二十畳ほどの広間は元々バーであったらしく、部屋の片隅にはその名残として今でもカウンターが残っている。


 その部屋の中央には、披露宴などで用いられるような広い中華テーブルがあった。


 卓上の中央部にある円形のターンテーブルには三本のロウソクを立てたキャンドルスタンドが置かれており、それらに灯る三つの火がこの部屋にささやかながらの光を与えていた。


 中華テーブルの周囲には合計五つの椅子が寄せられている。それらのうち四つが何の変哲のない木の椅子で、残った一つは――よくなめされた革製のソファーチェアだった。


 そのソファーチェアには、一人の少年がどっしりと腰を落としていた。


 生え際まで白濁しきった髪の下にあるのは、端正と形容できる顔立ち。だがその目つきは柔和そうに見えてどこか鋭く、瞳の奥には非常に冷たい光が宿っている。

 体格は一見細身であるが、白い半袖の唐装から出ている両腕には程良く筋肉が付いており、研ぎ澄まされた刃を彷彿とさせる。


 その少年――「(つち)」はふう、と溜息をつく。それによってロウソクの火がほんの少し揺らぎ、部屋の明かりが動く。


 その溜息は、待つことの退屈さと――久々に起こった面倒事に対処しなければならないことへの億劫さから出たものだった。


 残った四つの椅子に座るであろう同志たちは、まだ来ない。


 今回は緊急集会という形で集まる予定だ。そのため、リーダーである自分は一番乗りでここに座した。


 「土」は退屈しのぎに、ロウソクの火へ視線を集中させた。


 無風の地下室であるこの場所では、ロウソクの火は動きに乏しい。だが全く動きがないわけではない。ほんの微かにだが揺らぎを見せているのだ。


 「土」はそうして、待ち人が来るまでの余暇を過ごし続ける。


 そして――やがて訪れた。


 出入り口のドアの向こう側から、バタバタと階段を降りてくる音。


 ドアが開き――四人の若者が入ってくる。


 「()」「()」「(きん)」「(みず)」――自分と同じ「五行」にちなんだ称号を持つ同志たちだ。


 四人はテーブルまで歩み寄ると、椅子を引っ張り出してそこへ座る。


 ――これで、全員集合だ。


「――緊急集会だって呼ばれたからこうして来たわけだけど、一体何があったのよ「土」? またウチらに楯突くボンクラグループでも出た?」


 「火」が蓮っ葉な口調で、早速そう問うてきた。


 「土」は少し考える間を置いてから答えた。


「……まあ、似たようなものだ。兎にも角にも、まずはこいつを見てもらわなきゃ始まらない」


 「土」はそこで区切ると、用意していた五枚の紙のうち四枚を彼らに回し配りさせた。


 全員に行き届いた事を確認すると、「土」は「それを見ろ」と視線で促した。


 四人は指示通り、配られたソレに視線を落とす。


 その紙は――ある新聞記事をプリントアウトしたものだ。


 『男子高校生、某企業の令嬢を誘拐から救う』――その見出しで書かれたその記事。


 そして、その記事にでかでかと貼り付けられた一枚の写真。


 前髪で目の隠れたロングヘアの少女、そしてそれと手を握り合っている一人の少年の図。


 その少年の顔は――血のように赤いマジックペンによる(まる)でマーキングされていた。


「……なんだこれは」


 「木」が訝しむように言う。


「ロマンス系の美談の感想でも聞かせるために呼んだのかしら? だったら失礼するわよ。アタシそういう話嫌いだから」

「そんな訳が無いことくらい分かっているだろう? 「火」」

「……まァね」


 「火」はそう一笑し、椅子にふんぞり返る。


「その写真の端にかいてある活字を読んでみるといい――この集会の趣旨が一発で解せるはずだ」


 「土」のその言葉とともに、四人は写真の端を注視する。


 そこには「(写真提供「歌川フォト」)」という活字とセットで――『某企業の御令嬢と仲睦まじく手を握り合う「工藤要」くん(15)』と書かれていた。


 「土」を除く全員が息を呑む声。


 四人の視線は「工藤要」という人名に集中しているはずだ。


「そう――ここ海線堺市で最近話題の工藤要だ」


 「土」はそう議論の口火を切り、続けた。


「ご存知の通り、奴は今年の四月から凄まじい勢いで名を上げている。鹿賀達彦を難なく下し、『紅臂会(レッド・アームズ)』のヘッドである竜胆正貴を撃破、さらには沼黒の連中数人を一人であしらったなんて武勇伝もある。まあそれくらいなら「所詮チーマー共の争いレベルだろう」という結論で議論を打ち切れただろうが――この記事に載ったことで、看過できないレベルのファクターへと昇華してしまった」


 ピクリ、と四人は反応する。


 「土」はさらに話を進める。


「この事件解決を境に、奴の名はヒーローネームとしてこの海線堺市に広まりつつある。誘拐事件を解決するなんて大それた真似をしたんだ、ある意味当然かもしれないな。最初に奴の通う潮騒高にそのニュースが舞い込み、そこの生徒が他の学校の友達に伝え広げ、そこからさらに拡散していった…………まるで波紋が広がるようにな。まあ、そこは別に構わないんだ。問題はそこじゃなく――最初に言った潮騒高だ」


 「火」が何を言わんやとばかりに肩をすくめ、


「潮騒の連中はどいつもこいつも腰抜け揃いでしょ? 何をそんなに気にする必要があるのよ」

「腰抜けだからこそ、だ。連中は少し脅しを入れればすぐに出すものを差し出してくるから、我々の下部グループ共による「集金活動」のいいカモとなっている。連中の集めた金は我々五人を経由し、「上部組織」の懐を潤す。それこそが我々の存在する真の目的だという事はもう承知しているだろう? 潮騒高のような金ヅルは「集金活動」を楽に、なおかつ確実にするために決して蔑ろにできない存在なんだ。だが……もしも潮騒が工藤要という名の「ヒーロー」を得てしまったらどうなると思う?」

「……そういうこと、か」


 自分の言わんとする事をいち早く理解したであろう「木」の呟きに軽く微笑んでから、「土」は再度口を動かした。


「たとえ「金をよこせ」と胸ぐらを掴んでも「ウチには工藤要がいるんだ! もし手を上げたら言いつけてやる!」というような反骨精神を持ってしまうこともないとは言えない。しかも下部グループは所詮バカな不良の寄せ集めに過ぎない。弱い奴には弁慶的な威勢の良さを通すが、強い奴にはとことん及び腰だ。そんな返し方をされたら怖気づくかもしれない。噂じゃ、工藤要は甘ちゃんらしいから、言いつけられたら本当に駆けつけて来そうだしな。とにかく、我々に必要な「集金活動」に支障が出る可能性は無視できない」


 「土」は「さらに」と一度言葉を区切ってから、


「我々やその下部グループがそれに屈して手を出さなくなったら、我々は「たった一人の強者の存在に怯えて手を出せない腑抜けの集まり」だと周囲に舐められかねない。そしてそういった心証が積み重なれば、周囲はいずれ我々を恐れなくなってしまうだろう。面子とはくだらないようで実はとても重要だ。憂いは小さなものでも潰しておいて決して損はない」


 「火」は片方の拳をパンッ、ともう片方の手のひらにぶつけ、好戦的に口端を歪めながら、


「なるほど。つまりそのゴキブリ潰しを、アタシらのうちの誰かに頼みたいってわけね」

「そういうことだ」


 そう肯定すると、「土」はテーブルに身を乗り出して告げた。


「このことは「あの方」にはすでに通達済みだ。返事はこうだ。「お前たちで考えて構わない。きちんと対処するなら手段は問わん」。誰か、我こそはと思う者は挙手してくれ」


 その声の後、すぐに二人の人間が手を挙げた。


 一人はやはりというべきか「火」。


 そしてもう一人は――


「はあっ? アンタもなの「水」!?」


 ――「水」だった。


「僕に是非やらせて欲しいですね。すでに素敵なプランも準備してあるから、きっと楽しいパーティになりますよ」


 「水」は楽しげにそう言った。


「アンタはすっこんでなさい。工藤要はアタシがブチ殺すのよ」

「そういう威勢のいいことは、髪の毛に付いたカラスの糞を落としてから言ったらどうです?」

「えっ、嘘!? マジ!?」

「嘘ですよ」

「ケンカ売ってんのアンタっ!? いいわよ買ってやるわよ表ぇ出ろっ!! 不能にしてやるわ!!」


 ドカッ、とテーブルに片足を乗せつつヒートアップする「火」。それを座って冷笑しながら見る「水」。


「――静まれ」


 だが「土」の静かな、しかしそれでいて重々しい指図を受けると、「火」は仕方なしとばかりに肩をすくめて席に座る。


「まあ俺としてはどっちを選んでも構わないのだがな……「水」、お前の言う「素敵なプラン」とやらに興味がある。説明しろ」


 「土」がそう問うと、「水」は席を立って鷹揚に答え始めた。


「概要は至ってシンプルですよ。この五人のうちの一人に名を連ねている以上、僕一人で潰しに行っても十分事足りるでしょうけど、一応念には念を入れる。そこで――新たな下部組織を作り上げるつもりです」

「……ほう?」


 「土」は興味ありげに声をもらした。


 それに気を良くしたのか、「水」は張り切った様子で説明を続けた。


「僕たち同様、工藤要の台頭を快く思っていない連中がひと組いましてね、そいつらに首輪を付けて飼い慣らせばいいんです。それでもって工藤要への制裁を手伝ってもらい、ついでに「集金活動」もやらせて「上部組織」への利益を増やす。どうです? リターンだらけな考えだと思いません?」

「なるほどな……よし「水」、お前にしよう」

「はい、「土」」

「ちょっとちょっと! アタシは無視なわけ!?」


 「火」がそう抗議の声を上げると、


「俺の決定に文句があるのなら――腕ずくで来い」


 「土」はそう言って、冷ややかな眼光を向けた。


「……冗談。いくらアタシでも、アンタと()ったら命がいくつあっても足りないわよ。エイプリルフールでも「アンタと戦いたい」なんてジョークは絶対言いたくないわ」


 すると「火」は諦めと脱力の表情を浮かべ、姿勢を崩した。


 それを確認すると、「土」は改めて「水」の顔を見て、 


「では「水」、やってくれるな?」

「聞かれるまでもなく最初から乗り気ですよ僕は。それにね――」


 「水」は手に持った新聞記事を卓上に放り出すと――それに向かってガッ、と片足を踏みおろした。


 正確に言うなら――写真に写った少年の顔に。


「――ムカつくんですよね僕。こういう「世の中には正義があるんだ」なんて思ってそうな顔した奴って。目を覚まさせてやりたくて今から早速ウズウズしてますよ」


 そう言って新聞記事を踏みにじる「水」の瞳は、侮蔑と嗜虐で濁っていた。どうやら言った通り、やる気は十分のようだった。


 そんな「水」を余所に、


「工藤要、か……」


 「土」は最後、四人に聞こえない声量でそう呟いた。









 ◆◆◆◆◆◆









 ある休日の昼下がり。


 降り注ぐ太陽の光は一日の最高潮へと達しており、易宝養生院の中庭を容赦なく熱していた。


 激しい日光を吸収した中庭の土からは、さらにもうもうとした熱気が湧き出しており、天地から挟み撃ちのように暑さが襲い来る。


 現在すでに六月上旬に入っており、外気温も上昇しつつある。虫の声もかすかに聞こえる。


「では――もう一度いくぞ、カナ坊」


 劉易宝はそう告げると、両手を頭頂部に振りかぶる。


 彼と一メートル弱の間隔を取って向かい合っている工藤要は、無いはずの唾をゴクリと飲み込んだ。


 振り上げられた易宝の両手を、恐る恐る見つめる。


 彼の両手には――一本の抜き身の刀がしっかりと握られていた。


 京都や浅草に売っているような模造刀ではない。本物の刀だ。


 その細長い刀身には模造刀のようなギラギラした安っぽい鍍金(メッキ)の輝きは全くない。輝きは控えめだが、鋼の冷たさと冷酷さを同時に感じさせる色合い。見るだけで言いようのないプレッシャーを否応なく植えつけられる。


 刀が熾烈な日光を反射し、要の目をチカチカと刺激する。


 神妙で重々しい空気が場を支配する。


 やがて、易宝の振りかぶる白刃が――縦一閃に振り下ろされた。


 冷たい一筋の光が、要の体表面と薄皮一枚の距離を保ったまま急降下。


「うわ!!」


 剣尖が下段でピタリと停止すると同時に、要はたまらず後退して尻餅を付いた。


 背筋に寒いものが残り、心臓が鼓動を早めている。練習の前まで暑い暑いとぼやいていた外気温の厳しさなどすっかり忘れ果てていた。


 目線が低くなったことで、下ろされた剣尖を真っ直ぐ見つめてしまい、思わずドキリとする。


 易宝はそんな自分を見下ろしつつ言った。


「ほらほら、早く立て。あと二七回残っとるぞ」


 ピュオンッ、と刀を上げて肩に置く易宝を見上げながら、要は弱々しい声色で、


「なあ師父(せんせい)…………なんで俺、こんないかれポンチなことやってるんだっけ……?」

「なんでって――刃物に慣れるためだろう?」


 易宝は呆れたようにそう口にする。


 ――そうなのである。


 例の「倉橋菊子誘拐事件」から、すでに一週間以上が経過していた。


 林越(リン・ユエ)との戦いで蹴りの修行の成果が出た事を易宝に告げると、その次の日から以前のように『三宝拳』の反復練習を中心とした修行に戻った。蹴りの修行は及第点と思ってくれたのだろう。


 それはそれで新たな一歩を踏み出せた気分で嬉しいのだが、要の中には一つだけ不安要素があった。


 ――刃物に対する恐怖心。


 犯人グループの一人にナイフを使う奴がいたが、そいつに刃を向けられた途端に内心すくみあがってしまったことは記憶に新しい。


 あの時はなんとかなったから良かったが、次にまた刃物持ちと出会ってしまったらと考えると、無視できない要素のように思えてきたのだ。

 

 本日、それを易宝に打ち明けたら、


『なら――刃物に慣れればいいではないか』


 とあっけらかんとした調子で言われ、この修行が始まった。


 斬れるか斬れないかという薄皮一枚の間隔を保ちながら移動する斬撃を、ただジッと立ったまま見つめ続ける。これを何度も繰り返すことで刃物が接近してくる感覚に慣れ、光り物に対する精神的余裕を育てていく。


 鳶職は高所を怖がらない。それは仕事を通じて高所に「慣れる」から。それと同じ事をしようとしているのだ。


 理屈の上では理解も納得も容易だ。だが実際にやるとなれば話は別だった。


 「薄皮一枚」という表現はあくまで誇張みたいなものだろうと油断していたのだが、易宝はおよそ数ミリ単位という、本当に薄皮一枚と呼べる隙間しか開けずに刀を振り下ろしてきた。そのため、最初の一回の後はしばしの間足がすくんで動かなかった。


 ほんの少し前に進めば体がパックリ、そんなデッドオアアライブな距離で何度も眼前を駆け巡る刃の光。要は正直生きた心地がしなかった。もう結構な回数をやったはずだが、ビビりすぎて正確な数は覚えていない。


 刀を使うのは「どうせならナイフよりも恐ろしい刃物で慣れた方がかなり余裕が持てるぞ」という易宝のマッチョなアイデアからだった。


 ちなみに易宝の持つ片刃の両手剣は「苗刀(びょうとう)」というらしい。細長い曲線を描いたようなフォルムは日本刀に酷似しているが、れっきとした中国の剣だ。(みん)の時代、中国大陸や朝鮮半島で活動していた海賊「倭寇(わこう)」が使っていた日本製の大太刀を元にして作られた、いわば「中国生まれの日本刀」。劈掛掌のしなやかでパワーのある身体操作法と組み合わせるとかなりの実戦性を発揮するという。


 易宝はそんな鋼の片刃を担ぐように肩へ乗せながら、

 

「武術の世界に「一胆二力三功夫」という言葉がある。何より大切なのは「(たん)」、つまり「勇気」であるという意味だ。強大な発力も精錬された技術も、使い手がチキンだと実戦でビクついて上手く出せずに腐ってしまう。おぬしは見かけによらず非常に肝の据わった小僧だが、やはり刃物は怖いのだろう? その柔らかい部分を補強するための修行だ。ちなみにこれは思いつきではないぞ? いつか相談に来るだろうと思い前々から考えていた訓練だ」

「そうだろうけどさ! もうちょっと刀と俺の幅広くしてくれてもいいんじゃないの!? こんなんじゃいつか間違って俺の体がチーズみたいに裂けちゃうよ!」


 そう泣き言のようにまくし立てる要。


 まさしく猫の手も借りたいという思いで、勝手口の傍らからこちらを見ている白猫――フェイフォンに視線で助けを求めるが、「うなーう」とひと鳴きしてから前足をペロペロと舐めるのみ。ひどいな、俺たち友達じゃねーかよ。


「案ずるなカナ坊。おぬしが酒のツマミのチーズのような姿になる事は絶対にない。安心して斬られろ」

「分かんないじゃん! 手元が狂うかもしれないじゃん! どうしてそう言い切れるよ?」

「ふんむ、それは――」


 そう言いかけた時だった。


 勝手口の奥から「ピンポーン」という呼び鈴の音が聞こえてきた。今日は易宝養生院の営業そのものは休みであるため、玄関は閉め切っている。そのため鳴らしたのだろう。


 だが今の要の耳には、その何の変哲のない電子音が救いの鐘音のようにも聞こえた。


「ほ、ほら師父! お客みたいだぞ!? 行かなくていいのかい?」


 要は必死で玄関に行くように勧める。


「うむ……仕方あるまい」


 易宝は渋々といった表情で、壁に立て掛けてあった鞘に刀を納める。


 そして、勝手口の奥に消えていった。


 要は「ふう……っ」と深い深い溜息をつく。行ってくれたみたいだ。


 別に修行をサボりたいわけではない。ただほんの少しだけ心の準備時間が欲しかったのだ。あのまま世間的に無茶と呼べる修行を連続で続けていたら、正気の糸が切れそうで怖い。


 元はといえば自分が言いだしっぺなのに、早速後悔気味だった。


 でも刃物に慣れることができれば、少しでも易宝のようになることができるかもしれない。


 しかし――霜月組の件を思い出す。


 易宝は刃物どころか、銃を向けられてもいつも通りの調子だった。


 刃物はまだ納得がいく。自分と同じような修行を、遥か昔にしたのかもしれない。


 だが、銃に対して慣れているという事実は未だに納得しきれない。


 これも修行して得た余裕なのか、それとも――慣れてしまうだけヤバい経験を積んできたためか。


 林の台詞を思い出す。


『奴は二十年前、巨大黒社会(マフィア)『三才門』の幹部の一人、戴英元(たい えいげん)を殺しかけている。ヤクザどもからは公安局以上に恐ろしい存在として扱われている、江湖(こうこ)きっての怪物だ』


 「殺しかけている」という修羅な表現に、要は緊張を禁じ得なかった。


 いつか話を聞いてみたいと思うのだが、人一人を半殺しにした感想など聞かれても嬉しくないだろうという気持ちもあるため、中々踏ん切りがつかない。


 易宝の下で修行し始めてから、もう二ヶ月ほどになる。


 その間に、彼の色々な面を知った。大食いな所、お茶が好きな所、例の虫が嫌いな所、そして――両親との理不尽な別離を強いられた過去を持つ所。


 しかし、その二十年前の事など、まだまだ知らない所もたくさんあるだろう。


 これから長く付き合いを続けるうち、もっと彼の事をよく知りたいと思った。


「おーい、カナ坊ー、ちょっと来ーい。おぬしに客だー」


 玄関の方から、そんな間延びした易宝の声が聞こえてきた。


 その声に従うまま、要は勝手口に入っていった。









「……こんにちは、カナちゃん」


 玄関の三和土(たたき)に立つ人物を見た瞬間、要は思わず目を丸くした。


「ええっ!? キクっ!?」


 そう、倉橋菊子だった。


 花柄のレースがかかった上品な白い長袖ワイシャツに丈長の赤スカート、そしてつば広のハットというシンプルで、かつ清楚な出で立ち。美しい黒髪と相まって、侵すべからざる気品のようなものさえ感じられた。


 普段お目にかかったことのない彼女の姿に、要は思わずドキリとする。


「ど、どうしたんだよ、こんなとこまで来て?」

「え、えっと、それは、その…………」


 どんどん声を小さくしながら、うなだれてもじもじと指を絡ませる菊子。


 その様子に要が首をかしげていると、リビングの方からペタペタという小さな足音が聞こえてきた。


 やがて、その足音の主である白い塊――フェイフォンが玄関までやってきた。


「あっ、フェイフォンっ。おいでおいでー?」


 すると菊子は突然表情を輝かせてしゃがみ込み、小走りしてくるフェイフォンを両手で受け止めて抱きかかえた。


「えへへー。相変わらずぬいぐるみみたいだねーおまえは。ふわふわー」


 菊子はそう言いながら、気持ちよさそうに頬ずりする。されている側のフェイフォンも薄目を開けながらゴロゴロ喉を鳴らしている。

 

 ああ、なるほど。フェイフォンに会いに来たのか。


 「フェイフォンを飼う」と宣言したあの日、菊子の帰り際に易宝は「こいつに会いたくなったらいつでも来て構わんぞ」と快く言っている。彼女もそれに対して嬉しそうに頷いた。今回そのお言葉に甘えたのだろう。


 今なおフェイフォンと戯れ続ける菊子に、要と易宝は微笑ましげな眼差しを向けていた。


 だが、その視線に気づいた菊子はサッと頬を朱に染め、


「あっ、すみません。わたしったらご挨拶も無しに、はしたない……」

「気にするな嬢ちゃん。好きなだけいちゃつけ」


 易宝はひらひら手を振りながら、苦笑を交えてそう告げた。


 だが一方、要はふとある懸念材料を見つけたため、


「ていうかキク、一人でここまで来たのか?」


 若干表情を引き締めつつ、そう尋ねた。


 一応、まだあの誘拐事件から日が浅い。なので彼女の身の回りの安全が心配だった。できればしばらく単独行動はあまりさせたくない。


 そんな自分の言いたいことを察したのか、菊子は小さく笑みを浮かべつつ、


「心配しなくても、臨玉さんと一緒だよ。本当は紅茶の葉を買いに行く予定なんだけど、臨玉さんに無理を言って途中で寄ってもらったの」

「……臨玉、だと?」


 易宝がピクリと眉を動かす。


 え? ということはまさか――




「やあ、好久不見(ハオジウブージエン)――――劉易宝」




 悠然と、それでいて静かな圧力を持って響いてきたその声。


 聞き覚えのある声だった。


 要は声の聞こえてきた方向――開かれた玄関の引き戸の向こう側へ恐る恐る目を向ける。


 そこには噂をすれば影とばかりに、予想通りの人物が仁王立ちしていた。


 シワやシミ一つ無い、おろしたてのように整然とした執事服と、それをパーフェクトなまでに着こなしている長身の美丈夫。


 倉橋家の執事――夏臨玉だ。


 かけている眼鏡の奥から覗く切れ長の瞳は、自分の隣の人物――易宝に真っ直ぐ冷ややかな視線を向けていた。


「っ! ……貴様は…………!?」


 それに対して易宝は、信じられないといった様子で目を剥いていた。


 そしてその表情は――すぐに苦虫を噛み潰したようなソレへと変わる。


 二人はそのまま微動だにせず、ただただ殺気を持った眼光をぶつけ合い始めた。


 ああ――とうとう出会ってしまった。


読んで下さった皆様、ありがとうございます!


始まりました第三章。

第二章終了からの二十日とちょっとの間、PC関係でいろいろゴタゴタが連続しましたが、なんとか投稿することはできそうです。

これから再び張り切っていきますので、どうかお付き合い頂ければ幸いです。

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