第十四話 菊子の過去
「おーーい! 誰かーー! 助けてくれーーーー!!」
要はコンクリートの壁に寄りかかって体育座りをしながら、薄暗い廃工場の一角で力いっぱい叫んだ。
だがその声はコンクリートで覆われた空間に反響するだけで、その後の応答は一切なかった。
今隣で同じように座っている菊子から「誘拐された」という衝撃的な事実を伝えられた直後は、あまりに唐突で非日常的な展開に気が気ではなかったが、しばらくすると落ち着きが生まれ、今現在自分の置かれた状況を認められる程度の順応性が働いた。
しかし、だからといってこのまま大人しくしているのも嫌だったため、現在、なけなしの抵抗を試みている最中だった。
二十メートル以上も伸びた天井の近くの壁には、いくつかの割れかけた窓ガラスが張られている。その割れた箇所から、自分の助けを呼ぶ声を外の人間の耳に届けようとしていた。手足を縛られた今の自分たちには何もできないため、外部の人間の力を借りようと思ったからだ。
自分の声が誰かの耳に届けば、直接助けには行けなくても警察くらいは呼んでくれるかもしれない。
藁にもすがる思いだった。
だが、十分ほど前から何回も大きく連呼しているにもかかわらず、めぼしい返事は返って来ない。
「ふぅ……ふぅ……」
要はしきりに息継ぎをする。高く伸びた窓へ向けて声を届かせなければならないため、一声出すのにもかなりの肺活量を強いられるのだ。
「ふぅ……なあ、倉橋も叫んだら?」
そう言って、隣の菊子の方をチラリと見た。その声と眼差しには、自分と同じように抵抗しないことに対する若干の非難のニュアンスも含んでいた。
「…………」
だが、菊子は返事をしない。
猫背になって真下を向き、その長々とした黒髪を垂らしている。そのため、彼女の顔が全く見えない。
「誘拐された」という事実を自分に伝えてからというもの、ずっとこんな調子なのだ。
この黒いカーテンの向こう側で、彼女は一体どんな顔をしているのか。手足を縛られている以上、髪を無理矢理どけてソレを確かめる術はないが、たとえできたとしても、どういうわけか今の彼女にそんな事をしようとは思えなかった。
いや――思ってはいけない。そう考えさせる、奇妙な雰囲気すら感じられた。
要は仕方なしに菊子から目を外し、もう何度目かになる深呼吸を再開する。
助走を付けるように吸気と吐気を繰り返す。
そして、腹にありったけの力を込めて叫んだ。
「たーーーーすーーーーけーーーーてーーーーくーーーーれーーーーーーーー!!」
叫んだ後、横隔膜へすぐさま空気をチャージし、ダメ押しに再び声を張り上げた。
「だーーーーれーーーーかーーーーーーーー!!」
息を吸ってもう一回。
「いーーーーーーーーなーーーーーーーーいーーーーーーーーのーーーーーーーー!?」
今までで一番気合を入れたと思う。
だが返って来たのはやはり自分の出した声のエコーのみで、それ以外の人間のものは聞こえなかった。
「くっそー…………ホントは聞こえてるのにわざと無視してるんじゃないだろうな……?」
要は大きな溜息をつき、そんなことをぼやいた。
その時だった。今いる部屋に唯一備え付けられた煤けた扉がバァン、と乱暴に蹴破られた。
「っせぇぞガキャーーーー!! 静かにしろやコルァ!!」
そこから姿を現した一人の男が、自分へ向かって怒鳴りつけてきた。
知っている顔だった。あの河川敷で自分が最初に飛び蹴りを入れた奴だ。
「荷物は荷物らしく、黙って大人しくしてらんねぇんかオノレは!!」
男は要の前にドカドカ歩み寄り、手近な所に積まれたガラクタを蹴っ飛ばしてがなり立てた。
喋った拍子に飛んできた唾の飛沫に不快感を感じながらも、要は男をキッと睨み、
「うるさいバカ! 黙れバカ! さっさと縄を解けバカ! そして自首しろ大バカ!」
「殺されてぇのかテメーは!」
「ああいいともやれるもんならやってみろこのバカバカバーカ! どうせ俺が縛られてる時しかそんな強いセリフ言えないんだろ!? だったら縄ほどいてから正々堂々もう一回同じこと言ってみろこの野――うぐっ!」
腹部に男の靴の爪先が突き刺さり、要のまくし立てが強制ストップされた。
男はこちらを冷え切った目で見下ろしながら言った。
「口の利き方しらねぇなテメーは。今置かれた立場分かってんのか?」
要はケホケホと咳き込みながら、
「なんっ……だとっ?」
「今、テメーらの生殺与奪権は俺たちが握ってんだぞ? つまり生かすも殺すも俺たち次第ってわけだ」
男はサバイバルナイフを取り出し、要の首筋へ突き立てた。
先端が僅かに刺さるピリッとした痛み。そこから何かがツーッと細く流れ落ちる感触。
人を殺める力を持った金属の冷たさに、要は戦慄する。
「分かるか? 今血が流れてんのが。俺がその気なら、今頃テメーの首筋から裂けたホースみてーにドバッと吹き出してるところだぞ? それが嫌なら大人しくしてろ。無事にママの所に帰りたかったら俺をキレさせんじゃねぇぞ。わあったな?」
「ふざけんなこのタコ」と返したいところだったが、今のところ奴が圧倒的に有利な立場だ。ここで噛み付きに行くことを勇気とは呼ばないことくらい、要は知っていた。
血管が切れそうなほど屈辱だったが、素直に小さく首肯した。
「ようしいい子だ。分かったらそこのガールフレンドとお昼寝でもしてな。幼稚園の頃に戻ったみてーによ。ついでに言っとくと、このボロ工場は滅多に人の来ない場所に建ってるから、いくら叫んでも無駄だぜ? そのためにわざわざここを選んだんだからよ」
男はナイフを鞘に収めると、気を良くしたような足取りでその場から立ち去り、扉の向こう側へ消えた。
分厚い鉄の扉が、重鈍な金属音を立てて閉じられる。
「ちくしょ……どうすりゃいいんだ…………」
要は苛立たしげに壁へ乱暴に寄りかかる。
これで助けを呼ぶことはできなくなった。
能動的行動が何一つできない状態だ。
これでは、ただ静かに助けが来る事を待っていることしかできなくなってしまう。
しかも、それが現実になる可能性も低い。
八方塞がりもいいところだ。
せめて、この手足の縄さえなくなれば。
「…………うっ…………ぐすっ………………」
そんな風に一人考えていると、隣からしゃくりをあげる声が耳に届いた。
「ううっ…………ひぐっ………………ううう……っ…………」
声の主は菊子だった。
「ぐ……っ…………うっ……ううううっ…………ぐすっ…………ふええぇぇ…………っ」
黒髪がふすまのように遮っているせいで顔は見えないが、彼女の顔の真下にポロポロと輝く粒が幾つも落ち、コンクリートの上に雨が振ったような跡を作っている。
――泣いている。
「お、おいおいおい倉橋!? なに泣いてんだよ!? そりゃ、怖い気持ちは分かるけどさ、その……泣かないでくれよ…………」
菊子は激しく頭を左右に振る。
「違うんです、違うんです」と、涙声を発しながら何度もかぶりを振った。
「違う……?」
要は首をかしげる。
「ふぐっ、ひっ……ふぇぇぇえっ……ええぇぇぇっ…………!」
要の問いに答えず、菊子はひたすら嗚咽を大きくしていく。
彼女の真下に溜まる涙滴の数がさらに増えていく。
見ていて、とても心に突き刺さる泣き方だった。
彼女が何に対して涙を流しているのかは分からない。
でも、泣いている今のこの娘を見ているのは、とても嫌だった。
「泣くんじゃねーよ」と一方的に言い放つのはとても簡単だ。でも、それじゃダメだ。それだと本当に傷ついて泣いている奴には届かない。
だから――
「――話してくれよ」
「え……?」
菊子がゆっくりとこちらを振り向く。その白い頬は涙の跡でいっぱいだった。
「俺の師匠が前言ってたんだ。「悩み事は話すだけで楽になることもある」ってさ。んでもって、あの人は俺が悩んだら嫌な顔一つ見せずにそれを聞いてくれたよ。だからさ――お前も話して欲しいんだ」
「話す……?」
「うん。今、お前が泣いてる理由。俺でよかったら聞くよ? 話すだけで、ちょっとばかり気分が楽になれるかもしれないじゃん。だから……さ? 無理にとは言わないけど」
「…………工藤くん」
菊子はほんの少しだけ落ち着きを取り戻し、まだ涙混じりながらも言った。
「……ありがとうございます。それじゃ…………お言葉に甘えてもいいですか?」
「どうぞ?」
泣く勢いが少しだけ収まった菊子を見て、要は小さく微笑んだ。
しかし次の瞬間――それが驚愕に歪められることとなった。
「わたし…………誘拐されるの、今日が初めてじゃないんだ」
話は――五年前にさかのぼる。
菊子は小学五年生だった。
当時の彼女は、今の引っ込み思案な性格とは一八〇度違っていて、とても明るい少女だった。
いつもクラスの喧騒の中心に立っていて、人の輪の中へ入ればあっという間にコーヒーに入れたガムシロップのごとく溶け込める。人との関わり方がとても上手で、友達もクラスの垣根を超えて多かった。
運動はその頃からあまり得意ではなかったが、勉強に関しては家庭教師による英才教育のおかげで学年成績トップだった。そのため、勉強の分からないクラスメイトによく優しく丁寧に教えていた。今思えば、それもみんなから好かれていた一因だったのかもしれない。
そして、そんな今とは正反対の存在であった当時の菊子には――一人の親友がいた。
伽耶という名前だったその女の子の事を、菊子は「カヤちゃん」と呼び、とても慕った。
対してカヤちゃんも菊子の事を「キクちゃん」と呼び返し、そして慕い返してくれた。
二人はいつも一緒だった。
社会科見学などでは常に同じ班。遊ぶ時でもいつもカヤちゃんの笑顔が隣にあった。
カヤちゃんの家に行って遊ぶ時が特に楽しかった。いつも大きな屋敷の中にいる菊子の目には、普通の一軒家というものがとても新鮮に映ったのだ。
あまりに仲が良すぎたため、男子から「カップルカップル! れずカップルー! 二人でオランダ行けー!」とからかわれたが、それで気まずくなって友達関係にヒビが生えることはなかった。
カヤちゃんと過ごす時間は、いつも菊子の中では特別事項だった。
二人の友情は大人になってもずっと続くものであると、当時の菊子は信じて疑わなかった。
だがそんなある日――事件が起こった。
謎の集団が突然ワゴン車に乗って現れ、菊子を無理矢理連れ去り、両親に多額の身代金を要求したのだ。
悪いことに、誘拐されたのは菊子一人だけではなく、その時一緒に遊んでいたカヤちゃんもだった。犯人グループ曰く「自分たちの顔や、車のナンバープレートを見られた可能性がある以上、捨て置けない」とのこと。完全にとばっちりだった。
だが警察の活躍で、身代金を払わされる事なく犯人グループは全員逮捕。菊子とカヤちゃんもなんとか無傷で助けられ、事件は解決した。
しかし、それで「めでたしめでたし」とは終わらなかった。
二人の関係性に訪れたのは、残酷なバッドエンドだった。
自分よりも倍以上大きな大人の男に力ずくで連れ去られ、そして紐で縛られた上で長時間監禁される。齢わずか十一歳の少女にとって、それらはあまりに重すぎる体験だったのかもしれない。
カヤちゃんは――強いショックで塞ぎ込んでしまったのだ。
家から一歩たりとも出ずに引きこもり、学校を何日も何日も欠席した。
菊子は心配になって、カヤちゃんの家に何度も電話をかけたが、電話越しに名前を名乗った瞬間、通話は決まってそこで途切れた。
なので、菊子は直接カヤちゃんの家に会いに行った。
片手にはカヤちゃんの好きだったモンブランがたくさん入ったケーキ箱。臨玉と一緒に選んで買った高級品だった。
喜んでくれると思った。
また前みたいに、一緒に楽しく遊べると思った。
だが、そんな子供特有の甘い期待は見事に裏切られた。
インターホンを押し、玄関から現れたのはカヤちゃんのお母さん。
そのお母さんに「カヤちゃんのお見舞いに来ました。これ、モンブランです。カヤちゃんが喜ぶと思って」と、笑顔でモンブランを差し出した。
だが次の瞬間、カヤちゃんのお母さんは――差し出された箱を暴力的に払い除けた。
箱が真横へ吹っ飛び、カヤちゃん宅の外壁に激突。中のモンブランが玄関のタイルにぶちまけられる。
あまりの出来事に、認識が追いつかなかった。
しばしの硬直の後、菊子はゆっくりとカヤちゃんのお母さんの顔を見上げた。
――地獄の鬼のような顔だった。
そして、その顔のまま言い放った。
あんなに「菊子ちゃん、いらっしゃい。ゆっくりしていってね」と優しく笑いかけてきてくれていたカヤちゃんのお母さんが、まるで身内を殺したバケモノでも見るかのような眼差しをこちらへ向け、怨念に満ちた金切り声でこう叫んだのだ。
『あんたのせいで伽耶がおかしくなったのよっ!! もう二度と伽耶に近づかないで!! この――疫病神っ!!!』
「その後……カヤちゃんはわたしや学校のみんなに顔を一度も見せる事なく、すぐに転校しちゃったんです」
そこで菊子の話は終わった。
「…………っ」
要は唇を噛み締めて、静かに憤った。
十一歳の子供になんてことを言いやがるんだ。気持ちは分からないでもないけど、せめて言葉を選べよ。「疫病神」は言い過ぎだ。
「それ以来……わたしは人と関わるのに消極的になっちゃったの。もしも仲良くなったら、またカヤちゃんの時みたいに怖い目に合わせて、そしてお別れしちゃうかもしれないと思うと、怖くて…………そうして時間が経つにつれてクラスのみんなと話す機会も減って、どんどん疎遠になっていって…………最後には一人ぼっちになっちゃったの。そして気がつくと、人と関わるのがあんなに得意だったはずなのに、いつの間にか人とうまく目も合わせられないほど苦手になってたんです」
そこからさらに時間が経ち、今の彼女が形成されていったのだろう。
もしかするとあの長い前髪は、人と目を合わせるのを避けたいという気持ちの現れなのかもしれない。
「だけどやっぱりわたしは、心のどこかでは誰かと繋がりたいって思ってるんです。でも今のわたしには、昔みたいに人の輪の中に入り込める勇気がない。いつの間にか人と関わる事そのものに怖さを感じるようになっていたんです。そんなある日に工藤くん――あなたに出会ったの」
「……俺?」
コクン、と菊子が頷く。
「最初は怖かったけど、工藤くんがわたしを笑わせようとしてくれたおかげで、こうして気構えずに話せてます。面白かったですし、工藤くんが一生懸命なのが分かって嬉しかったから。それからも工藤くんは積極的にわたしに関わってくれて…………」
「倉橋……」
「だからわたし、心の中で期待してた。工藤くんとならもっと長い間仲良くいられるかもって。工藤くんとなら、カヤちゃんと同じ結末を迎えないで済むかもって――それなのに」
菊子の声が徐々に涙混じりとなっていき、
「また…………繰り返しちゃったよぉぉ…………!!」
決壊した。
「あれから五年も経って、わたし、完全に油断してたんですっ…………! あの頃の怖さを忘れかけてたんです……! もっとあの頃の怖さをちゃんと覚えていれば、工藤くんを、こんな目に遭わせずに済んだのに…………「誰かと繋がりたい」なんて、夢を見ずに済んだのにっ…………!」
先ほど以上の悲痛な嗚咽と涙の勢い。
そんな菊子の泣き顔を目の当たりにして身を裂かれるような気持ちを抱きながらも、要は彼女が何に対して涙していたのか合点がいった。
彼女は、今の自分と昔の友達を重ね合わているのだ。皮肉にも、全く同じ状況下に置かれているから。
そして――これから訪れるであろう別離に対して、深い悲しみと恐怖を抱いている。
「やっぱりわたしは疫病神ですっ…………工藤くんは、こんなわたしが嫌いですよね……? ごめんなさい、巻き込んで本当にごめんなさい…………無事に帰れたら、もうあなたには近づきません、話しかけません、視界にも移しません、声も聞きません、猫ちゃんの飼い主探しも一人で頑張ります。もう今みたいなとばっちりを受けさせないように、徹底的にあなたとの関わりを断ちますっ…………ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなひゃいぃぃ…………っ!!」
本格的に慟哭し、平謝りしてくる菊子。
これから切り捨てられる前に、自分から身を引こうというのだろう。
それに気づいた要は、
非常に腹が立った。
俺が――――そんな薄情者だと思ってるのか。
「――この、バカ野郎!」
気がつくと、そう叫んでいた。
息を飲み、泣き喚くのをピタリと止めてこちらを振り返る菊子。
そんな彼女の顔を真っ直ぐ見据え、自分の思っている事をひたすらまくし立てる。
「あんまり人をバカにすんなよ! 嫌い? んなわけあるか! いいか!? 今お前の目の前にいる工藤要さんはな! 一回二回誘拐されたくらいで音を上げるような軟弱ヤローじゃないんだ! 分かる!?」
「え…………」
「いいか! 俺は強いんだ! 超強い! 怪物みたいな師匠に毎日しごかれまくってるから相当なもんさ! だから俺は無事に帰った後も、お前の昔の友達みたいに引きこもって別れたりなんか絶対しない! 疫病神だなんて死んでも言うもんか! よって俺たちの関係はこれで終わらない。未来永劫続くんだ!!」
菊子の表情に、徐々に明るさが戻ってくる。まるで雨が上がり、雲の隙間から日光が差し始めるように。
要はさらに吐露する。
「いいか倉橋菊子! 俺の前じゃ、もう二度とそんな理由で泣くんじゃねーぞ!? もし泣きやがったら――」
だがそこで、要の言葉は途切れてしまう。
本当は「もし泣きやがったら、ぶっ飛ばすぞ!」と続けたかったのだが、女の子相手に「ぶっ飛ばす」と言うのはいかがなものかと思ったのだ。
「泣きやがったら…………えーっと、その……なんだろう…………」
うんうん悩み続ける要。
目の前の菊子が小さく首をかしげる。
そんな菊子にバツの悪さを感じながらも、必死で頭を回転させ、
「…………く…………くすぐるからなっ!!」
考え抜いたワードの中から最もベターだと思えるものを、偉そうに言い放ってみせた。
だが菊子はポカンとしたまま、黙りこくっている。
自分も何を言ったらいいのか分からず、あっという間に二人の間に沈黙が生まれてしまった。
ヤバい、呆れられたか……?
気まずい気持ちを抱く要。
だが、菊子は突然吹き出したかと思うと、クスクスと可笑しそうに笑い始めた。
「くすっ……ふふふっ……! 工藤くんって、本当に面白いね……ふふふふ……!」
「……う、うるさいなっ」
要はぷいっと菊子から目を逸らす。元々は真剣な話のつもりだったのに、笑いのネタにされたことが恥ずかしかったのだ。
ちくしょう、マジで格好がつかない。
「工藤くん」
「なにっ」
再び名前を呼ばれ、要は投げやりに返事をしながら彼女の方へ向くと、
「――――ありがとう」
そこには、こちらを真っ直ぐ向き、口元をほころばせている菊子の姿。
そこで、割れた窓ガラスから、すぅっと微風が入り込んできた。
それによって彼女のカーテンのような前髪が横に取り払われ、その顔の全てが露わとなる。
――とても美しい少女がそこにはいた。
未踏の雪原を思わせる、色白できめ細かい肌。薄い桜色の唇。そして、濁りのない大きな漆黒の眼。
涙がまだ残っているためか、その瞳の表面は水面のように揺らめき、キラキラと輝きを見せていた。
そして、その中にしっかりと映し出されているのは――自分の顔。
目の前の美しい少女は、その真っ白な頬を唇と同じ桜色に染め、真っ直ぐ自分を見つめて奥ゆかしく微笑んでいる。
要の鼓動がとんでもない勢いで跳ね上がった。
どういうわけか顔がどんどん熱くなっていき、有酸素運動をしているわけでもないのに心拍数が急激に上がる。
それに、なんだか体中がそわそわして落ち着かない。縛られていなかったら、そこら中を走り回りたい気分だ。
要は菊子を見た。
「……ん? どうしたの?」
小さく笑いながらそう訊いてきた。
「――っ。い、いや、なんでもない」
そんな彼女を見ているのがなんだが恥ずかしくなってきて、要は慌てて顔を背けた。
なんでだろう。ついさっきまで顔を合わせることに抵抗なんかなかったはずなのに。今はなぜか恥ずかしくてマトモに見れない。
おまけに、なんか体の調子も変だし。病気かなんかか?
「そ、それよりさ! この縄ホント勘弁して欲しいよな! なんとかならないかなー!?」
原因不明の気恥ずかしさを誤魔化すため、要は思わずそう口走った。
「うん……そうだね」
そんな苦し紛れの言葉に、菊子も乗ってくれた。
だがそれによって、思考の矛先が現実に返された。
そうなのだ。今、自分たちは誘拐されている最中なのだ。
相手は大人数人。こちらは高校生二人。自分たちにできることは決して多くはないだろう。
だが、大なり小なり何かしらのアクションを起こすには、まずはこの縄を解かなければ始まらない。
しかし、どうやって…………?
そう考えている時だった。
「……ん?」
要の前方一メートルほど先のコンクリートの床に――あるモノが落ちていた。
「あれは……」
読んで下さった皆様、ありがとうございます!
暖かくなってまいりました( *`ω´)




