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戦え、崩陣拳!  作者: 新免ムニムニ斎筆達
第二章 ボーイミーツガール編
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第十三話 とらわれの身


「……くん…………どうくん…………――――工藤くんっ、起きて下さいっ」


 ボリュームアップされたその声に、要は眠りから覚めた。


 まぶたという暗幕が徐々に上がり、光に満ちた世界が眼前に現れる、はずだった。


 ところが、まず視界いっぱいを陣取っていたのは自分の部屋の天井ではなく、一人の女の子の顔。


 長々と伸びた黒髪がそよ風によって柔らかく靡く。光を反射するほどの艶と、一本のバラけもないまとまりを持った彼女の髪は、まるで漆黒のヴェールのようだ。




 そしてその漆黒のヴェールを優しく被っているのは――とてつもない美少女だった。




 黒く大きな瞳は淀み一つなく澄み切っており、カッティングを施されたオブシディアンを彷彿とさせる。小ぶりだがしっかりと通った鼻梁。薄い桜色の唇。それら全てが芸術的配列で真っ白な顔の上に並んでいた。

 

 髪と同じ色のその漆黒の瞳には、自分の顔がしっかりと映っていた。


 そして鼻腔をくすぐるいい匂い。 


 柄にもなく、要は見とれてしまっていた。


「……君は?」


 内心ドギマギしながらも、なんとか誰何だけはできた。

 

 少女は苦笑いを浮かべ、戸惑うような口調で返してきた。苦笑ですら、非常に優美に映る。


「え? わ、わたし、菊子だけど…………」


 寝起きだった要は、まだ回りきっていない頭で彼女の名を反芻する。


 キクコ――きくこ――菊子――――倉橋菊子。


 目の前の女の子は、ここ最近一緒にいる機会が多かった同級生、倉橋菊子だという。


 そうか、そういえば京子さん「菊子は髪を上げるとものすごく可愛らしいんですよ」って言ってたっけ。


 そして自分は、そんな彼女の素顔を目の当たりにしている。


 確かに、とても綺麗だと思った。むやみやたらに修飾語を付けるのが申し訳なく感じ、「綺麗」という一辺倒なボキャブラリーでしか言い表せなくなるほど。「ものすごく可愛らしい」という京子の評価が身内贔屓でないことがよく分かる。


 ――って、ちょっと待て。


「う、うわ! 倉橋!? どうして!?」


 自分の寝室に同級生の女の子がいる。


 その事実に要は驚愕し、一気に脳が覚醒した。


 そして、ベッドの上を慌ててあとじさろうとした――時だった。


「――――んっ!?」


 体が動かなかった。


 いや、正確に言うと手足が動かない。


 何度動かそうと試みても、手首と足首に何かが食い込むような痛みを感じるだけで、全く微動だにしてくれない。


 踏ん張っても踏ん張っても踏ん張っても、手足は同じ場所から動こうとしなかった。ただ手首足首が痛いだけだ。


 要は自分の体に目を落とす。




 自分の両手首と両足首が――――ロープで拘束されていた。




 両足首は背中側に回された上できつく結ばれており、両足首はぐるぐる巻きの状態で固定されている。


「なっ――なんだこりゃ!!」


 要は思わず我が目を疑う。


 それに今寝転がっている場所は、なんだが冷たくて硬い。俺のベッドってこんなに硬かったか?


 要は目を下へ向けると、そこは自分が毎日背中を預けている柔らかなベッドではなく、非常に硬質的で冷たさを感じる灰色のコンクリートだった。


 あまりに衝撃的なことが一気に押し寄せて気が動転しながらも、要は身のよじりだけで周囲を見回す。


 そこは朝日溢れる自分の部屋などではなく、薄暗く、陰鬱とした謎の空間だった。


 分厚いコンクリートで四角形に覆われたその広い建物の中には、用途不明なすすけた鉄の資材があちこちに積み置かれている。  

 自分たちのいる床の辺りには沈殿したように薄暗い影ができており、唯一の光源は、高く伸びた天井近くの壁にいくつか張られている割れかけの窓ガラスだけだった。そこから風が入って来ているようだ。少し肌寒いのはそのせいだろう。


 ――ここは?


「ここ……どこかの廃工場みたい。少し前にわたしたちが連れ去られてからここに来るまでに掛かった時間を考えると、多分、今はお昼過ぎくらいだと思う」


 自分が知りたかったことを、枕元にちょこんと膝を付いて座っている菊子が代わりに答えてくれた。彼女の服装はやはりというべきか、丈の余るハイネックセーターとジーンズという露出に乏しいものだった。


 見ると、菊子まで自分と同じように手足を縛られていた。


 それにも十分驚きだが、要はそれ以上に聞き捨てならない言葉があった。


「おい、ちょっと待て――「連れ去られてから」?」


 不穏当な響きを持ったその言葉。


「あの、工藤くん…………落ち着いて聞いてくれますか?」


 菊子は済まなそうな顔をしながら、衝撃的な次の言葉を発した。








「わたしたち――――誘拐されちゃったみたい」









 ◆◆◆◆◆◆









 同時刻――倉橋亭。


 広さ約一五メートルのその四角い空間は、天井が高く伸びた長方形状の形をとっていた。

 天井にぶら下がる、周回して並べたロウソクを形どったシャンデリアは、今はその輝きを消している。代わりに壁にある大きな西洋窓から昼の陽光が差し込み、平行に並んだ横長のソファーと、それらの前方にしつらえられた大型液晶テレビの姿をはっきり顕在化させていた。


 そこは、倉橋亭一階にあるリビングだった。


「今――――何と言った?」

 

 その部屋の隅に備え付けられた固定電話の受話器に耳を傾ける倉橋菊之丞は、聞こえてきた言葉に耳を疑い、再度電話相手に尋ねた。




『――耳ガ遠クナルニハマダ早インジャナイカ倉橋菊之丞? オマエノ娘ヲ預カッタト言ッテイルンダ』




 耳に入ってきたのは、ボイスチェンジャーで不気味に変換された声。


「……イタズラ電話なら応じんぞ」


 毅然とした態度で通話に応じる菊之丞。


 だが心の中では「イタズラであって欲しい」という気持ちを密かに抱えていた。いつも冷静沈着でいるよう自分を戒めてはいるが、大好きな娘の事となれば話は別だった。


 そして、電話相手はその希望的観測を嘲笑うようにぶち壊してみせた。


『めーるあどれすヲ教エロ。ソウシタラ、手足ヲフン縛ラレタオマエノ娘――倉橋菊子ノ写真ヲめーるニ添付シテ送ッテヤルゾ? 一匹余計ナノモ混ジッテイルガナ』


 最後の方だけよく聞こえなかった。頭の中が途中から真っ白になっていたからだ。


 受話器が手からすり抜け、床にガツンと落ちた。


 菊子が――誘拐された?


 五年前と同じように?


「あなた……どうしたの?」


 自分の様子に何かを感じたのか、妻の京子がこわばった顔で歩み寄ってきた。その隣に立つ執事の夏臨玉も同様の表情だ。


 菊之丞はそちらを振り返り、魂が抜けたような声色でぽそりと告げた。


「…………菊子が、誘拐された」


 京子と臨玉は同じタイミングで驚愕の表情を浮かべ、息を飲む。


 二人よりも早く現実を受け止めた菊之丞は、弾かれたように受話器を広い、それを耳元へ持って来た。未だ通話は続いている。


 スピーカーモードのボタンを押し、電話機から相手の声が聞こえるようにしておく。教えてしまった以上、二人を蚊帳の外へは置けないと思ったのだ。


『オカエリ。作戦たいむハ終ワッタカナ?』

「ふざけるなっ!! 何のつもりだ!? 菊子を返せっ!!!」

『オマエ馬鹿ダロウ? 本当ニ一企業ノとっぷカ? 「返セ」ト言ワレテオトナシク返ス誘拐犯ガドコノ世界ニイルトイウ? 倉橋菊子ハ「人質」ダ。人質トイッタラ、返還ニハ交換条件ガせおりーダロウ』

「……金と交換、とでも言いたいのか」

『ソノトオリ。分カッテルジャナイカ』


 今目の前に相手がいたら、殴り殺してやりたいと思った。


 菊之丞は菊子を攫われたことに対する燃え上がるような怒りと、菊子の身を案じることによって生じた強い不安感の両方に圧され、受話器を潰さんばかりに握り締める。


「……そんな条件が飲めると思うか?」

『飲メル飲メナイデハナイ。オマエハ「飲ム」。調ベハツイテイルゾォ? オマエハ倉橋菊子ヲ尼ニデモセンバカリニ大事ニ大事ニ思ッテイルトイウコトヲ。ソンナオマエガ、娘ノタメニ出ス金ヲけちルワケガナイ』


 それは事実だが、こんな卑劣漢――男かどうかは分からないが――に言われると(はらわた)が煮えくり返りそうだ。


「払う払わないは別にして……貴様は幾らがお望みだ?」

『最低デモ一億ハイタダク』

「なっ…………!!」


 とことんこちらを舐めきったセリフに、菊之丞は憤怒任せに「バンッ!!」と壁を殴り、


「ふざけるのも大概にしろ貴様ぁ!!」

『フザケテナドイナイ。失敗スレバコチラガ鉄格子ノ中ニ入ルコトニナルンダ。半端ハアリエン。ヤルカラニハ全力ダ。コチラガ目的ヲ果タシ、オマケニ大金ヲ財布ニ納メラレルナラ、ソレデコトモナシ。ソウイウワケデ一億ダ。用意デキナイトハ言ワセンゾ? 倉橋いんだすとりーノ社長サン』

「くっ……!!」


 ヒビが生えんばかりに歯を食いしばる菊之丞。


 だが、一つだけ引っかかる言葉があった。


 ――目的を果たす?


 まるで、金を受け取るのが「ついで」であるような言い方。


 電話相手はもうすでにこちらが取引に応じることを前提にしているのか、さらに薄汚い弁舌を続けた。


『現金ノ受ケ渡シ場所ハ追ッテ伝エル。警察ハ絶対ニ呼ブナ。モシ呼ベバソノ時点デ倉橋菊子ヲ殺ス。我々ハ日本ノ腰抜ケ共トハ違ッテ殺ルト決メタラ殺ル。信ジラレンノナラ、今カラアノ娘ノ細イ指ノ一本デモ切リ落トシテ、ソノ写真ヲめーるデ送ッテヤッテモイインダガ?』


 自分が「ふざけるな」と怒号を発しようとした瞬間、地響きのような激しい振動が階層全体に響き渡った。


 それは、臨玉が片足で床を踏み抜いたことによるものだった。あの細い足のどこにそんな力があるのだろうか、その足は絨毯越しに床へ深くめり込んでいた。


 臨玉は固く握り締めた拳をワナワナと震わせ、自分たちにも滅多に見せない憤怒の形相で怒鳴った。


「おのれっ!! どこの誰だか知らないが巫山戯た真似を!! この夏臨玉が全力をもって探し出して――」

『オオットソウダ、モウ一ツ』


 だが電話相手は、そんな怒りにとらわれた臨玉を軽く捻るかのように次のセリフを発した。


『今ソコニイルオマエ達ノ使用人――夏臨玉ハ絶対ニ屋敷ノ外ヘ出スナ。モシ出セバ同ジク娘ノ命ハナイ』


 今まさにリビングの出口のドアノブを握ろうとしていた臨玉の手が、ピタリと止まる。


「なぜ……僕の事を知っている?」


 臨玉はそう呟き、吃驚と殺意の眼差しで電話機を見た。


 電話相手は、そんな臨玉の眼差しに気づいているかのような調子で続けた。


『ククク、自分ガ有名人デアルコトを自覚スルベキデハナイノカ「眼鏡王蛇(キングコブラ)」? オマエニ出テ来ラレタラ色々ト面倒ダカラナ。今回ハ籠城ヲ決メ込ンデモラオウカ。オマエモオ嬢様大好キくらぶノ一人ナラ、当然守レルダロウ?』

「貴様……!」

『マァ、ソウイウワケダ。愛シノ愛シノ倉橋菊子ノ命ガ惜シイナラ、警察モ呼バズ、夏臨玉モ外ヘ出スナ。黙ッテ言ウトオリニ金ヲ渡セ――イヤ、言イ方ガ適切デハナカッタナ。コウ言イ換エヨウカ』


 電話相手は急に改まった口調で区切ると、


『夏臨玉ヲ外ヘ出シテモ構ワナイ。警察モ呼ンデイイ。ダガソノ場合、倉橋菊子ノ命ノ保証ハシカネル。我々ハドコニ隠レテイテ、ソシテドコデオマエ達ヲ見テイルカ分カラナイ。少数犯ダト思ワネェ方ガ懸命ダゼェ? ――ヒッヒッヒッヒッヒッヒッヒッヒッヒッ!!』


 機械的に変質されたせせら笑いは、この世の何よりもおぞましいものに聞こえた。


『十分後ニマタカケ直ス。ソレマデニイイ返事ヲ考エテオクコトダナ』 


 ブツッ、という音とともに、悪魔の声はなりを潜めた。


 そしてしばしの間、リビングに重苦しい沈黙が漂う。


「……くそっ!!」


 臨玉が心底悔しげに吐き捨てて壁を一殴りしたことで、それは破られた。


 菊之丞もそうしたい衝動に駆られるが、そんなことをしても菊子は帰って来ない。


 心底嫌らしい相手だ。


 こちら側の弱みを知った上で、それを最大限に生かして不安を仰ぎ、自分達の有利な方向へ持っていこうとするやり方。


 おまけに、相手のあの言葉。



『夏臨玉ヲ外ヘ出シテモ構ワナイ。警察モ呼ンデイイ。ダガソノ場合、倉橋菊子ノ命ノ保証ハシカネル。我々ハドコニ隠レテイテ、ソシテドコデオマエ達ヲ見テイルカ分カラナイ。少数犯ダト思ワネェ方ガ懸命ダゼェ? ――ヒッヒッヒッヒッヒッヒッヒッヒッヒッ!!』



 まるで――こちらがもがき苦しむ様子に愉悦を感じているかのようだった。


「あなた……」


 京子が不安げに肩口にそっと触れてくる。見かけによらず自分よりもはるかに気丈な彼女にしては珍しい表情だ。


 菊之丞はそんな京子から目を逸らす。

  

 あんな卑劣極まる者の言うとおりに動くのは、とても屈辱的だ。


 だがそれでも――菊子が大事なのは偽りようのない事実だった。


 菊之丞は消え入りそうな声で言った。


「――あの子には代えられない。今すぐ金を用意する」


読んで下さった皆様、ありがとうございます!


現実世界だと、身代金誘拐は非常にリスキーで成功率が低い上、捕まったら結構長くぶち込まれる罪なんだそうです。

ですが、自分の大好きな刑事ドラマだとやる犯人が絶えません。きっと彼らは切腹を命じられた武士並みの覚悟でやってるんだろうなぁ……

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