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戦え、崩陣拳!  作者: 新免ムニムニ斎筆達
第五章 北京編
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最終話 再见(さよなら)


 意識を引っ張られる感覚。


 暗い世界が白んでいき、自我がはっきりとしてくる。


「んんっ……」


 眠りから覚めた要は、重々しくまぶたを持ち上げた。


 体が重い。昨日の戦いでの疲れが、今なお残留しているからだ。


 自分の体を覆っている毛布に、窓から差す日光を浴びて日向を作っていた。


 暑いと思った要は、毛布をどけようとして、やめた。


 右手をしっかりと掴んで離さない、もう一人の存在に気がついたからだ。


「うゅぅ……」


 隣で、菊子が胎児にように丸まって眠っていた。


 なんで俺の横で寝てんだ!? と驚きそうになるが、すぐに全てを思い出して冷静さを取り戻す。


 ――昨日、要は菊子と想いを伝え合った。


 長いキスの後、要は他の部屋で就寝するべく東廂房(とうそうぼう)を去ろうとしたが、菊子に引き止められた。


 菊子は、すがりつくような目をこちらへ向けつつ、こう言った。「今夜は、一緒に寝てください」と。


 無論、同じベッドで就寝を共にするというそのままの意味で、深い意味ではない。


 それでも「いやいや流石に同衾(どうきん)はマズイでしょ」と思った要はやんわり断ったが、


『カナちゃんは、わたしと一緒に寝るの、嫌ですか……?』


 と、泣きそうな顔で言ってくるもんだからズルすぎる。


 断り切れず、一緒に寝ることとなった。


 それから一晩同じベッドで過ごし、現在に至る。


「俺……結構尻に敷かれる男になるかも」


 自分の未来を予想し、思わず苦笑がもれた。


 要は改めて、気持ち良さそうに寝息をたてる菊子の寝顔を見た。


 ――すごく可愛い。


 彼女は眠る様子も実に絵になっていた。体を丸め、長い黒髪を散らせ、まっさらな表情で眠りにつくその姿は実に儚げで、魔女の毒で眠らされた白雪姫を思わせた。


 毒、という単語で、昨日のことを思い出してしまう。


 すでに毒は癒えている。けれど、その儚げな寝姿を見ていると、なんだか不安な気持ちが湧いてくる。


 目を離すと消えてしまうんじゃないか――そんな非現実的な想像をしてしまう。


 左手で、菊子の頬を撫でる。びっくりするくらいに肌触りが良い。


「ううんっ」


 菊子がくすぐったそうに身をよじらせる。


 ゆっくりと、瞳を開いた。


「かな、ちゃん……?」

「あ、ごめん、起こしちゃったか」


 素直に謝る。


 菊子は空いた左手で目を擦りながら、寝ぼけた声で挨拶してきた。


「おはよぉ……かなちゃん」

「おはよう、キク。良く眠れたか?」

「うん。カナちゃんが、一晩中、手、握っててくれたから……」


 そう言いつつ、自身の右手で握った要の右手を、宝物のように頬に擦り付けた。くすぐったがるような笑みを見せ、


「ふふふ……カナちゃんの手、きもちいい」

「お、おい」


 要は思わず羞恥で頬を染めた。


 菊子はいたずらっぽい表情を浮かべ、長い前髪の隙間から上目遣いで見つめてきた。


「カナちゃん、顔真っ赤っかです。すごく可愛いです」

「う、うるさいなぁ」


 さらに恥ずかしさが増して、顔をさっと背けた。


 ああ、こういう時「お前の方が可愛いよ」とか余裕の表情で言えたら、かっこいいんだろうなぁ。


「本当に可愛いです。カナちゃんって、男の子にしてはとっても綺麗な顔ですし。そんなカナちゃんが照れたりなんかしたら、わたし、たまらなくなって、なんかしちゃいそうです」

「なんかって――」


 何だよ、と言いかけた要の唇に、菊子の唇がぶつかる。


「んむっ……!」


 突然の不意打ちに、要は目を大きく見開く。


 けれど、最愛の少女とのキスの心地よさに負け、すぐにされるがままとなる。


 菊子に覆いかぶさられる形で唇を触れ合わせ、しばらくして離れた。つぅっ、と唾液の糸が伸びる。


 その伸びた糸を吸い、ぺろりと舐めとった菊子は、蠱惑的な笑みを浮かべて要を見下ろした。


「ふふふふふ。これが「なんか」です」


 いつものおとなしい彼女とは思えないアグレッシブさに、要の心音が跳ね上がった。なんだかそわそわするものが全身に巣食う。


 もしかすると、これが菊子の「()」なのかもしれない。


 信じがたいが、彼女は昔、かなり活発な子だったらしい。引っ込み思案と化した今でも、その名残はあるのかも。


 なんだか菊子が自分より先に大人になったように見えた要は、唇を尖らせてそっぽを向いた。


「……卑怯だぞ、いきなり」

「いいじゃないですか。だって、わたし達、もう恋人同士なんだよ?」

「恋人、か……」


 意味はもちろん知っている。だが、その単語を自分の事として使うことになったのだと思うと、


「あんまり、実感が湧かないなぁ……」

「大丈夫です。すぐに湧きますから。そうなれるように、わたしの愛情を、これから徹底的にカナちゃんに注ぐから」

「ははは……甘すぎて胸やけしそうだな」

「胸やけじゃ済みませんよ。わたしがどれだけカナちゃんを好きなのか知ったら、胸やけどころか糖尿になっちゃうもん」

「それは大変だな」


 そう言いつつも、要の口元はほころんでいた。


 そんな口に、ふたたび菊子の唇が押し当てられる。


 長い間重なり合う両唇。唾液と一緒に互いの想いを交換し合っているような錯覚を覚える。すごく心地が良い。


 ――ああ、やっぱり俺は、この娘のことが好きなんだ。


 目を閉じつつそんな事を再確認していた、その時。


「お嬢様っ!! お目覚めですかっ!?」


 臨玉のそんな大声とともに、東廂房の扉が勢いよく開かれた。――っておい、ちょっと待て! 今来られるのはマズイだろ!!


「ああ、お嬢様!! お目覚めになられ――」


 そんな嬉しげな臨玉の声は、途中で固まった。


 そりゃ当然だろう。何せ目の前では――親愛なるお嬢様が、ベッドの上で男に覆いかぶさっているのだから。


 臨玉の表情も喜色満面のまま凍っていた。


 ……あ、俺、終わったわ。いろんな意味で。


 菊子も赤い顔で苦笑している。


 臨玉の後ろから湧いてきた三つの人影。易宝、深嵐、そして奐泉。


「カナ坊……おぬし……」

「うゎお♡」


 易宝は見てはいけないものを見たような顔をし、深嵐はお祭りの一大イベントを目にしたような笑みを浮かべた。


 次の瞬間、臨玉の体は風にあおられた看板よろしく仰向けに倒れた。


「り、臨玉さーん!?」


 菊子が慌ててベッドから降りて執事へ駆け寄るが、完全に白目を剥いて失神している様子。インパクトが強すぎたのかも。


 易宝がこちらから気まずそうに目をそらしながら、


「カナ坊、おぬし、意外と手が早いんだな……凄いな、最近の若い者は」

「いや、一緒に寝ただけだぞ? 別にそれ以上は何もないって」

「要ちゃーん、ちゃんと避妊したー?」

「し、してないですよ!」

「え? してないの? それってまさか…………いやーん! 要ちゃんったら覚悟決まり過ぎー!!」

「そういう意味じゃねーから! つーかいい加減にしろマジで!?」


 真っ赤になって抗議する要に、深嵐は転げ回らんばかりにゲラゲラ爆笑していた。くそっ、絶対楽しんでるなこの女。


 菊子もゆでだこみたいな赤面のまま押し黙っていて、弁解の役に立たない。


 ふてくされた表情でそっぽを向こうとする途中、奐泉の姿に目が留まった。


 その表情は一見すると微笑だが、よく目を凝らせば無理矢理作ったようなぎこちない笑みであることが一目瞭然である。


 納得したような、それでいて目の前の事実を受け入れにくそうに見つめる眼差し。


 顔の熱が引き、冷静さが戻った。


「……奐泉、ちょっといいか。話があるんだ」


 要はそう訊いた。


 菊子の事に気を取られていてすっかり忘れていた。今、自分が置かれている状況について。


 ずっと答えを出すのを渋っていたが、もう「答え」は出ているのだ。


 残酷かもしれないが、それを告げなければならない。


「……はい、カナ様」


 奐泉もこちらの意図を察したようで、強引に作ったような笑みを浮かべて頷いた。









 四合院の北側の壁面は、『高手』たちの戦闘の爪痕がハッキリと残っていた。それなりに頑丈そうな石壁が、レンコンみたいに穴だらけになっていたのだ。


 そんな壁面の前で、要、菊子、そして奐泉の三人は立っていた。


「すまない。俺は……お前の気持ちには答えられない。俺は、キクの事が好きなんだ」


 要は身を削るような気持ちで、「答え」を奐泉に告げた。


 自分はもう子供ではない。恋を知った男だ。


 恋する心地よさ、恋する苦しさも両方知っている。


 いつまでも一緒にいられるならば、それに勝る喜びはあるまい。


 だが、要は奐泉とずっと一緒にいてやることはできないのだ。


 今の「答え」をぶつけられた奐泉の苦しみがいかようなものであるのか、想像に難くない。


 それでもなお、奐泉は満面の笑顔を浮かべてみせた。


「……知っていました」


 そんな彼女を見て、要は心が痛んだ。


「カナ様、命がけの決闘だって分かっていたはずなのに、みじんも躊躇を見せませんでしたもの。あの時点でもう気づいてしまいましたわ。ああ、この人の眼には、キク様以外の人が全く映っていない、って……」

「奐泉……」


 作り笑いが痛々しかった。


 そんな顔するなよ、心から笑ってみせてくれよ――そう励ましてやれたらどれだけいいだろうか。


 けれど、彼女を袖にした男が言っていいセリフではない。あまりに無神経すぎる。


 自分にできるのは、奐泉を見ていることだけだ。


 菊子もまた申し訳なさそうに、


「ごめんなさい、奐泉ちゃん……わたし……」

「……キク様、謝らないでください。これは誰のせいでもないんです。カナ様が「選んだ」からこそ起こる当然の結果。それともキク様……わたくしへの同情心から、カナ様を諦めてくださりますか?」


 奐泉は責めるような眼差しを菊子へ送った。


 それを受けた菊子から、目が覚めたように弱々しさが消えた。


 代わりに、強い意思を感じさせる表情と佇まいで、次のように断言した。


「できません」

「ですわよね……それでいいんです。あなたのカナ様への想いが偽りであったなら、わたくしも納得できなかったでしょう。でも、あなたの気持ちは、命を捨ててカナ様を守ろうとするくらい強いものだと、わたくしは知っています。そんなあなたの事を、カナ様も好いてくれている……わたくしの入り込む余地なんて、ないじゃありませんか」


 その言葉の最後の方は、少しばかり声が歪んでいた。


 彼女が浮かべている笑顔も、造っているものであると誰が見ても一目瞭然なほど、薄弱なものになっていた。


 奐泉はおもむろに森の方を向いた。背中を見せたまま、ことさらに明るい声色で、


「……カナ様、わたくし、ちょっと緑の中を一人きりで散歩したいんですの。とても長い散歩になると思いますから…………お先に戻っていてくださいまし」

「奐……いや、分かった」


 ついて行ってやりたかったが、思いとどまった。


 今、自分は、彼女に近づいてはいけない。


 彼女の中にある想いには、彼女自身でケリをつけさせなければいけないのだ。


「気が済むまで歩いてこい。本当に困った時だけ呼びな」

「ありがとうございます……カナ様、こんな時でもお優しいですね」


 その言葉を聞くと、要は菊子の手を引き、その場を後にした。


 ……菊子と結ばれた事と同じく、今の事も生涯忘れないだろう。






 それからすぐに、森の奥から少女の慟哭(どうこく)が微かに聞こえてきた。











 あっという間に、中国での夏は過ぎていった。


 四合院への襲撃を迎え撃ち、毒に冒された菊子も救った。


 だがその後、転霖たちは綺麗さっぱり行方をくらましていた。


 今回の一件で、呂雲祥一派と『公会(ギルド)』との間に、明らかな敵対関係が生まれた。報復を恐れての行動だろう。


 臨玉に関してはその後も怒り心頭で、地球の隅々まで探し出してブチ殺してやるとでも言わんばかりの熱をしばらく放っていた。


 彼が炎上するたびになだめていた要も、心の中では同じ気持ちだった。ワザとではないとはいえ、菊子を死の淵まで追い込んだのだから。


 もし自分が『高手(ガオショウ)』になったら、雲祥の顔面を一発殴りにいってやろう。そう密かに心に決めた。


 菊子はこうして生きている、今はそれでいいじゃないか。そう思って、残りわずかの滞在期間を楽しんだ。


 一ヶ月以上にわたる滞在期間。その中で、恋も、修業も、戦いも、全力で取り組んだ。


 楽しい事もあったし、死ぬほど苦しい事もあった。


 けれども、どのような時間であれ、過ぎ去れば「思い出」になる。そこに辛苦の味の差はない。


 光陰矢のごとし。その言葉のごとく、要の夏は進んでいった。


 そしてとうとう、夏休みは終わりを目前に控え、この中国に別れを告げる時がやってきた。


「色々あったが、無事に拝師を終えられて良かった。これで私の役目はおしまいだね」


 楊氏が人好きする笑みを浮かべ、安心したような声で言った。


 大勢の人々が行き交うその広大な空間は、北京空港第二ターミナル。国際線もあるが、国内間の移動にもたびたび用いられるため、中国人の割合が多い。


 楊氏を始めとする『公会』の代表格の面々が、これから日本へ帰国する要、易宝、菊子、臨玉の四名を見送りに来ていた。


 易宝がねぎらうように小さく笑い、


「かもしれんな。だがやはり、おぬしは楊一族の者だからのう、せいぜい周囲には気をつけるんだな。あんまり羽目を外しすぎるなよ?」

「老けない君じゃああるまいし、そんな体力はないよ」


 可笑しげに笑い合う二人。


 この二人はきっと、何度も別れて会ってを繰り返してきたんだろう。だからこそ、こういう時でも軽い挨拶で済ませられる。


 だが、自分はどうだろう? 自分はまだ稼ぐ手段も無い子供だ。今回のようによほどの理由でも無ければ、この『公会』たちとしばらく会うことがないのだ。


 それを考えると、まるで今生の別れのように思えて、どういうわけか名残惜しくなってきた。


 関わったのはたった一か月少々に過ぎない。けれどもその中で、自分の中で彼ら『公会』が日常の一部になりかけていた。それがまた別の「日常」に置き換わる事に、要の心中は少しばかりモヤモヤしていた。


 そこへ不意に、無骨な拳がスッと真っ直ぐやってきた。要はとっさに身を横へ引きよせて躱す。


「な、何すんだいきなりっ?」


 要はその拳の持ち主である響豊を非難がましく見つめた。


 響豊はふん、と鼻を鳴らすと、


「中国に来て間もない頃の(うぬ)であれば、今のは避けられなんだ。今躱せたのは、間違いなくこの一ヶ月弱での経験のおかげだ。日本へ帰国しても平和に甘んずることなく、常に心を引き締めて日々を過ごせ」

「……あんたらしいな、響豊」

「ふん」

「色々ありがとう。感謝してる」

「礼などいらぬ。感謝の意があるならば、少しでも強くなってみせろ。途中でくたばる事は許さん」


 本当に、コイツは最後までコイツらしい。


 この愛想の無い態度に、もはや腹は立たなくなっていた。ただただ、微笑ましさが感じられた。


「今まで楽しかったわよ、要ちゃん」


 深嵐が片目を閉じて笑った。


 要も笑みを返し、


「俺も、色々と勉強させて頂きました。感謝してます」

「ふふふ、どういたしまして。それにしても、無事に「相手」を選べてよかったわぁ。要ちゃんのことだから、夏休みが終わるまで決められないでいるかと思ったもの」

「……俺もそう思ってました」


 要は苦笑を返す。


 初めての色恋沙汰なのだ。奐泉か菊子か決めあぐねたまま、ズルズルと三角関係を続けていくという予想が濃厚だった。


 だからこそ、こうして菊子をきちんと選べたことが奇跡的に思える。


 ――いや。「奇跡的に」ではない。「必然」だ。


 菊子への想いは、突発的に芽生えたものではない。ずっと前から彼女を我知らず想っていて、その事実をようやく「自覚した」のだ。


 けれど、その「自覚」は、一人を喜ばせると同時に、もう一人に悲しみを与えてしまった。


 深嵐の傍らに立つ、その「もう一人」――奐泉へ目を向けた。


 すっきりとした笑顔。


 ――振った後、もっと関係がぎくしゃくするかと思っていたが、すぐに奐泉は普段通りに戻っていた。


 彼女は、自分の気持ちと折り合いをつけられたのだろうか。それとも、悲しみを心の奥底へ押し込んで、無理矢理いつも通りに振る舞っているのだろうか。


 そんなこの子に、自分はどうやって接したら良いのだろうか。


 ……いや。そういう考えは良くない。


 きっと奐泉は、気まずい雰囲気を出すまいとして、いつもの奐泉に「戻った」のだ。


 だったら、その気遣いを無駄にしてはいけないと思う。


 要はあれこれ考えるのをやめ、普通な態度で呼びかけた。


「じゃあな、奐泉。またいつか会うまで、元気でやれよ」

「はい、カナ様もどうかご自愛ください。それでもって、いつかまた一緒に遊びましょう。できれば、キク様も合わせて三人で」


 要の隣にいた菊子が目を見開いた。すぐに、花が咲くような笑みを浮かべ、


「はいっ。いつになるか分からないけど、絶対、また会おうね。奐泉ちゃん」

「出来れば、カナ様が中国に行くたびに同伴した方がいいですわよ。わたくしとカナ様は立場上、再会する機会が少なからずあります。その時にキク様が付いていないと、カナ様、浮気するかもしれませんわよ」

「し、しないもん!」

「分かりませんわよー? わたくし、振られましたけど、女としては発展途上ですの。つまり、まだまだ伸び代があるんです。もっともっと魅力的になって、カナ様を奪い返す可能性も無きにしも非ず、ですわ」


 あからさまな煽りに踊らされた菊子は、要の腕に強く抱きついて、


「カナちゃん! 中国に行くときは必ず言ってください! わたしもついていくから!」

「お、落ち着けキク。煽られるなって」


 そんな自分たちのやり取りを見て、奐泉はクスクスと笑声をこぼす。


「楽しかったですわ。キク様、カナ様、どうか道中御無事で」


 奐泉はそう言って両手を差し出す。


 要は右手に、菊子は左手にそれぞれ握手する。


 やがて、要たちが乗る予定の便の出発が間近に迫った。


「……では、我々はそろそろ行くとしようか」


 易宝の言葉とともに、要の中にある名残惜しさが強まった。


 けれど、これは断じて今生の別れではないのだ。


 またいつか会える。


 それまでに、自分はもっと強くなろう。


 要は一歩前に歩み出て、声高に告げた。


「『公会』の皆さん、この一ヶ月少々の間、大変お世話になりました。俺は今よりもっと自分の功夫を高め、再びあなた達に会いに来ることを約束します――再见(ザイジェン)!」

「「「再见!!」」」


 『公会』の面々から、間髪入れずに挨拶が返ってきた。


 国籍や人種の違いを、武術という絆が繋いでいる。


 もう、自分と彼らは家里人(ジアリレン)――志という住み家を同じくする「家族」なのだ。


 会えぬ理由があるだろうか。


 易宝が背を見せて歩き出すのに合わせ、要もその後に続いた。


 ――さあ、日本へ帰ろう。





 ◆◆◆◆◆◆





 ――神奈川県、某所。


 そこは、円状の地下室だった。

 直径は二十メートル。天井までの高さはおよそ六メートル。床と同じく円形な天井では、スポットライトがほんのりした光を放っていた。

 周囲を円く囲う壁面には、等間隔で四角い穴がいくつも空いている。


 それらの穴に設置されているのは、装弾数十発弱の軍用自動拳銃。


 人の命をたやすく奪う弾を吐く鈍色(にびいろ)の銃口が、円の中心に佇む白髪の少年に向けられていた。


 薄手のトレーニングウェアに身を包む少年。

 神奈川北部の不良集団を一手にまとめ上げる五人の強者集団『五行社(エレメンツ)』。五行思想にちなんだ五つの称号の中で、最高位である「土」の称号を持つ者。名を、千堂翔(せんどう かける)


 千堂は、アイマスクを付けていた。何も見えない、真っ暗な視界。


 その状態のまま、天井に備え付けてある音声認識センサーへ命じた。


「『スタート』」


 途端、その声に呼応する形で、周囲の拳銃の遊底(スライド)がチャカリ、と引かれた。拳銃の台座に備え付けられたロボットアームが、千堂のボイスコマンドに従ったのだ。


 そのロボットアームは――引き金を引くことも可能。


 次の瞬間、拳銃の一丁が轟音とともに火を噴いた。直径9mmのパラべラム弾が音速で疾駆。


 しかし、千堂はすでに弾道の外へ身を逃がしていた。弾丸が空気を切り裂き、鋭いソニックブームを鳴らす。


 続いて、他の銃口が弾を発射。


 それも、千堂は回避する。


 今度は、2つの銃口から同時に銃口火(マズルフラッシュ)がほとばしり……2発とも狙いが外れた。


 蜂のように周囲を飛び交う音速の鉛玉。たとえ軍の精鋭部隊であっても、この中に入ればあっという間に蜂の巣と化すだろう。


 けれども、軍事訓練を欠片も受けた事がないはずの千堂翔という少年は――その無数の弾丸を全て避けていた。


 それだけでも人外の域にあるというのに、その上、アイマスクで視界を塞いでいた。


 その動きは、どう考えても齢一六の少年がしていいものではなかった。


 銃声から発射位置を特定し、そこからさらに弾道を予測して回避している? ――不可能だ。ヒトの筋反射の限界速度は0.2秒。それでは、毎秒340メートルで突き進む弾を避けるには遅すぎる。


 ならば、どうすれば良いか。


 決まっている。――弾丸が発射される前に弾道を読み、あらかじめその軌道から自分を逃がしておくのだ。


 プロのテニスプレーヤーは、相手が打ちだすボールの軌道を予測する能力に長けている。高速で飛んでくるボールを反射速度だけで返し切るのは不可能だからだ。


 けれど、それも「予測」や「ギャンブル」の域を超えるものではない。


 古くから伝わる武術には、その「予測」を『予知』に変えられる訓練が存在する。


 千堂は、度重なる修練の果てに、その『予知』を手に入れていた。


 銃弾発射の直前、千堂の脳裏には、その銃口から真っ直ぐ光の糸が伸び、自分の体と接しているような光景が思い浮かぶ。その糸の尖端から体を逃がせば、飛んでくる弾丸も回避可能というわけだ。


 その術理を活かした神業のごとき回避は、周囲の拳銃が前弾撃ち尽くすまで続いた。


 幾重も続いた炸裂音が途切れ、部屋が静寂に満ちる。


「『終了』」


 アイマスクを取り、再度音声コマンドを送る。それに従い、部屋に搭載された訓練装置が自ら電源を落とした。


 いつも通り、千堂の体にはかすり傷一つ付いていない――と思ったら、脇腹の辺りの布に焼けた擦過痕が見つかった。皮膚には届いていない。


 「雑念」があったからだろう。


「工藤……要……」


 それが、銃弾をかすらせた「雑念」の名だった。


 男のくせに女みたいな容姿をした、けれどその瞳に鼻っ柱の強さを感じさせる少年。


 彼の写真を見た時、千堂は少し驚いた。


 何もかもが変わり果ててしまった今の自分と違い、全く変わっていなかったからだ。


 面構えも、生き方も。


「俺とお前は戦うのか、それとも、戦わないのか……」


 すぐ傍に本人がいるかのように、虚空へ語りかける。


「もしも戦うことになったなら、それはかなり皮肉な巡り合わせと言えるだろうな――――カナ(・・)


読んでくださった皆様、ありがとうございます!


ようやく第五章完結です!やっとです!

随分と遅かったですが、どうにかここまで来れました……(◞‸◟)


この北京編は、「中国拳法モノなんだから、中国行かせなあかん!」という願望と、メインヒロインの菊子ちゃんを空気キャラにしてはならないという思いから生まれた話でした。

プロットの作りが甘かったせいで後付けが多々ありましたが、自分の書きたいシーンはいい感じで書けましたので、その点に関しては爽快感があります( ̄▽ ̄)


今回のテーマの一つである恋愛に関しては、人によっては意見があるかと思います。

けれど、恋愛のプロセスは必ずしも人類一律ではないので、ご意見には頷きつつ、「でも、やっぱりボクはこう思うんだよ!」と主張はしておきたいと考えております( ・∇・)


では、最後に第六章についてちょっと予告。

次章では、カナちゃんの過去について突っ込んだ話となる予定です。

そして、この作品の最終章になります。

今作を書き始めてもうすぐ四年になりますが、とうとうここまで来たかって感じが強いです。

けれど、やる事は一章の頃から変わりません。ただ「書く」ことあるのみ(`・∀・´)


ではでは、第六章でお会いしましょう〜。

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