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戦え、崩陣拳!  作者: 新免ムニムニ斎筆達
第一章 入門編
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第十話 黒衣の魔人①

「霜月組」組長、紀藤(きとう)太蔵(たいぞう)は、物言わぬまま黒い人工皮革の肘掛け椅子に座っていた。


 光り輝かんばかりの禿頭(とくとう)に、額と眉間にできた深い皺。岩のようにゴツゴツした顔貌の片頬には、弧を描くような醜い傷跡がある。四十を過ぎた今よりもまだ若い頃、斬り合いでできた傷だ。数針縫う大ケガだったことを覚えている。

 上等なスーツに包まれた恰幅のいい体型は、脂肪だけでできたものではない。見掛け倒しではない腕力があると自負している。


 紀藤は「霜月組」事務所の二階、組長室の奥の席に座っていた。

 社長の席を彷彿とさせる黒檀机の前方には十畳ほどの空間が広がっており、壁にはヒグマの毛皮などが広げて掛けられている。


「……なんだか下が騒がしいな」

 

 紀藤はそう呟く。


 言及したのは、下の階から聞こえてくる部下たちの騒ぎ声についてだ。

 連中がゲラゲラと騒ぐのは珍しいことではない。むしろ日常茶飯事だ。なにせ、学の無さに反比例して声のでかい連中ばかりなのだから。おおかた、いつもの賭け麻雀にでも興じているのだろう。

 だがあえてそんな呟きをもらしたのは、その騒がしさが笑い声ではなく、怒声や驚声のみで作られたもののように聞こえたからだ。


「――イツモヤッテル、オ金賭ケル麻雀ノセイ、チガイマスカ?」 

 

 カタコトで返してきたのは、自分の傍らに立つ(りょう)という男だ。

 白いポロシャツとゆったりとしたジーンズを身に付け、背中に棒でも入っているかのように背筋の伸びた長身の男で、顔は自分たちと同じアジア人だが、目の細さから中国人であることがなんとなく分かる。密入国がバレて警察に追われていたところを匿ってやって以来、自分の用心棒として働いている。


 粱の同意見を得たことで、紀藤は騒ぎ声について考えるのをやめる。


 そして――もう片側に立つ二人の男に尋ねた。

  

「おう勝己(かつみ)。あのボロ定食屋の方はどうなってんだ」


 二人のうち、坊主頭の男――勝己が冷笑を浮かべて、


「もうひと押しだと思うッスね。娘ン住所ちらつかせてタイムリミット付けてやった上に、あのオッサン自身も参ってきてる。詰将棋でもしてる気分ッスよ。ほんっと、ああいうマジメくんタイプが相手だと仕事がやりやすいぜ」


 もう一人の、金髪の男――吉田(よしだ)もほくそ笑んで、


「ククッ……富井のジジイ、殴られて超ヘコんでたのに、マヨチュッチュしたらいきなりハッスルして向かって来るんですから、見てて飽きませんよ。あいつ定食屋よか芸人の方が向いてんじゃないですかね」

「お前ら清々しいくらいにクズだなぁ。ま、そう教育した俺が言えることじゃねぇな」


 クハハ、と紀藤は愉快そうに笑った。


「いいかお前ら、こっからがラストスパートだ。土地を買い取って、建モン建てた暁にゃ、依頼主からたんまり頂く話になってんだ。手段は問わねぇ、使えるだけの手は全部使って金に変えろ。なんなら勝己、お前の突きつけたタイムリミットなんぞ無視して、今すぐ娘さんの膨れた腹拝みに行っても構わねぇぜ?」

「アンタも大概じゃないスか、オヤジ」

「ハハハ! そうだな勝己、ちげぇねぇ!」


 ドッと笑いに包まれる組長室。


 だがそんな四人の空気をぶち壊すように――ドアが勢い良く開け放たれた。


「オ、オヤジ! たたた、大変です!」


 下にいるはずの部下の一人が、ドアノブを押さえたまま血相を抱えて言ってきた。


 紀藤はめんどくささを隠す事なく、


「なんだ一体?」

「えっ、そ、そ、その、あの…………」


 必死に言葉を組み立てようと難儀する部下。

 だが部下が言う前に、血相を抱えてここまでやって来た『原因』が、ドアの奥からこの部屋へ姿を現した。



 会った事のない顔だった。

 カンフー映画で達人が着るような、中華系の黒い民族衣装を身に付けた細身の男に、少女のような整った顔立ちの小柄な少年。その手には木刀。



「し……侵入者、です…………」













 男に案内されて要と易宝がやって来た場所は、いかにも偉い人の部屋といった感じの一室だった。

 開けた空間の奥にある大きな黒檀机には、恰幅のいい禿頭の男がふんぞり返って座っている。


 見たところ、あれがここのボスだろう。なんだか人を刺したことがありそうでおっかない顔だ。

 

「――よしよし、道案内ご苦労さん。もう行っていいぞ」


 易宝は無理矢理案内役に選んだ男ににっこりとそう告げる。その瞬間、


「う――うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 男は弾かれたように易宝の傍から駆け出し、足元をよたつかせながらも懸命に禿頭の男の影に隠れる。


 禿頭の男は怪訝そうな顔で、


「おい、何だあの連中は」

「き、気を付けて下さい紀藤さん! チビた方は知らないですけど、あの黒服の中国人はバケモンです! 一階にいる奴、みんなアイツにやられました!」


 禿頭の男――紀藤というらしい――は少しだけ目を丸くする。


 さらに紀藤の横には――昨日「道道軒」で会った、金髪と坊主頭の男が立っていた。


「テ、テメェは昨日の医者!?」


 金髪の男が信じがたいといった目で易宝を見る。


「やぁ、昨日は慰謝料取れなくて残念だったのう」


 易宝は爽やかな笑みで皮肉を告げる。


 紀藤は金髪の男に目を向け、


「知り合いか」

「い、いえ……昨日「道道軒」に来てた客です」

「「道道軒」? ほう……」


 紀藤は目を細め、こちらを見つめてくる。

 その目を見て、要は少しだけ怯えが走った。


「もしかしてあれか? あのボロ定食屋のためにカチ込みにでも来たか? いや~泣かせるねぇ、時代遅れなほどに義理と人情わきまえとる」


 褒めているようで馬鹿にしたニュアンスを持つ紀藤の言葉に、易宝は何を言わんやとばかりに肩をすくめ、


「カチ込みぃ? バカを言わないで頂きたい。元々わしは話し合いに来ただけ。躾の悪いおたくのワン公が噛み付いて来たから泣く泣く手を出したに過ぎんよ。正当防衛だ」

「そんな言い訳は通用しねぇぞ。俺の城に土足で踏み込んだ上に部下に手ェだすたぁ、トンチキな事したな。完全に霜月組を敵に回したぜ。アンタ、もうこの街じゃ平和に暮らせないよ」


 紀藤は静かな怒りを纏い、易宝を射殺さんばかりに睨めつける。

 要はそんな紀藤を見て、息がしづらくなりそうなほどのプレッシャーを感じた。本能のようなもので分かる。あの男はヤバいと。

 だが易宝はそんな威圧感を受けても平然としており、そのまま紀藤の言ったことを一笑に付した。


「はてさて――これを見ても、そんな与太が吐かせるかな?」


 その言葉とともに、易宝が自身のポケットから取り出したのは――――ビデオカメラレコーダー。

 ボタンを操作し、畳まれていた液晶画面を開いて紀藤たちに見せびらかす。


 ――見せるのか、「アレ」を。


「んじゃ――再生」


 易宝の一言に合わせるかのように液晶画面がパッと明るく光り、映像と音声を再生し始める。








 ――映し出されたのは、飯を食うタイプの店の中だった。


 手前には厨房とカウンター、そしてその向こう側には狭く、古いながらも歴史を感じさせる店内が広がっていた

 既視感のある空間――「道道軒」の中だ。

 誰もいない店内では、白い厨房着と和帽子を身につけた店主――富井が、カウンターに肘を乗せて寄りかかりながら一人寂しくテレビを見ていた。

 客0人、店員一人の静まり返った店内に、テレビの流す野球中継の音だけが染み渡る。


 だが、開く事のなかった店の引き戸が――突然ガララッと開かれた。

 客が来たのかと思ったが、開いた扉の方を向いた富井の青ざめた顔を目にしたことで、その考えは消え失せる。


 入って来たのは、現在進行形で対している二人――金髪と坊主頭の男の地上げ屋コンビだった。


 それからは二人のやりたい放題だった。

 椅子やテーブルを片っ端から蹴り倒し、箸や調味料を床にぶちまけ、店内はあっという間に泥棒が入った跡のような有様と化した。

 

『ハッ、何度見ても汚ぇ店だなぁオイ!』


 映像の中にいる金髪の男が、愉快そうにまた一つテーブルを蹴り飛ばした。


『や、やめてくれ! 窓が割れたらどうするんだ!』

『っせぇジジィ!!』


 抵抗してきた富井の顔面を裏拳で打つ金髪の男。


 それからも二人の横暴は続き、最終的に、


『昨日の物好きな二人もとうとう来てくれなくなっちまったか。かわいそうに、この店ももう終わりだな。あと五日。それまでにいい返事を期待してんぜ』


 坊主頭の男のその言葉を捨て台詞に、二人は店から去っていった。









「――こんなもんでよかろう」


 易宝はそう言ってレコーダーの電源を切り、ポケットにしまう。


「どうだ? おぬしらが「道道軒」に来る前に、あらかじめ店内にカメラを仕掛けておいた。これぞ王道テクってやつだ。フルHD画質だから映像も綺麗だろう? 科○研の女で出てくるような映像鮮明化技術を使わずとも犯人の顔が丸わかりだ」


 易宝が言葉を紡いでいくたびに、写っていた本人たる二人の顔は青さを増していく。


「動かぬ証拠、というわけだ。コイツを突きつければ、オマワリが動く余地は十二分にある。威力業務妨害罪、傷害罪、さらに掘り下げれば脅迫罪も取れそうだのう」

「…………それで? オメェは一体、何が、言いてぇんだ?」

 

 紀藤は抑揚のない低い声で訊いてくる。一見平静に見えるが、手元が小刻みにワナワナと動いていた。

 

「簡単だ。この映像をマッポ所にプレゼントされたくなければ、「道道軒」やそれに関係する一切から手を引き、二度と関わらないこと。当然だが、娘さんに手を出すことも許さん。そうすれば、この映像には永遠に日の目を見せんし、金銭目的の脅迫に使わないことも約束しよう。どうだ? 悪い話ではあるまい。今の時代、ヤー公とてマエ(・・)有りはノーサンキューだろう?」


 易宝は両掌を左右に開いて揚々と告げる。

 要は易宝と紀藤たちを交互に見て、木刀を握る手を汗で湿らせる。もしかして今自分は、思っていた以上にとんでもない現場に居合わせているのではないか。


 紀藤はしばらく黙っていたかと思うと、小さく首をかしげ、金髪と坊主頭の男にアイコンタクト。

 それを受けた二人はすぐさま易宝へ険しい目を向け、動き出した。


「――そのカメラを渡しやがれ!!」


 最初に向かってきたのは、坊主頭の男だった。

 右手に短刀を握り締めながら、そのでかい体で易宝に向けて猛牛のように突っ込んで来る。


 要はその迫力に圧されて思わず身構えようとするが、それよりも早く左隣の易宝が肩で軽く体当たりしてきた。


「うわ!」


 決して強く押されたわけではないはずなのに、要の体はまるで風に吹かれた羽根のように飛んでいき、右の壁にぶつかった。


「壁に寄りかかっていろ。万が一後ろを取られんようにするんだ」


 易宝は目だけをこちらへ巡らせてそう告げる。

 要はすぐさま壁に背を預け、木刀を大事に握って身構える。


 そうしている間に、坊主頭の男は易宝のすぐ目の前まで接近していた。

 右手には白鞘の短刀、そして左手はスラックスのポケットに突っ込まれていた。


 やがて坊主頭の男は短刀の剣尖を、易宝の土手っ腹へ推し進めようと――した瞬間、その手を素早く引っ込める。

 代わりにポケットから左手を俊敏に開放したかと思うと、その手の中に握られていたもの――砂を易宝に向かってばら撒いた。


 短刀で突くと見せかけて砂で目を潰し、動けなくなったところへ一刺し。ただ突っ込むだけの安直な攻撃でも、相手の対応を妨害する手段と併用すれば、その命中率はグンと上がる。急がば回れ、を地で行く剥き出しのケンカ術。

 普通の人間なら、目を潰されてグッサリとやられたかもしれない。


 だが易宝は普通ではなかった。


 砂を撒かれた時には――易宝はすでに身を翻して背を向けていたのだ。

 

 坊主頭の男は目を見開く。砂は易宝の黒い背中に大量に付着し、残りはあさっての方向へパラパラと飛んでいく。

 易宝は素早く全身を旋回させて前へ向き直ると同時に――左足の踵を坊主頭の男の側頭部へ叩き込んだ。


「ガッ!!」


 遠心力を込めた易宝の回し蹴りは、坊主頭の男のがっちりとした巨体を病葉同然に左側へ吹っ飛ばし、壁にしたたかに激突させて意識を刈り取るに至った。


「なかなか合理的な手だが、もう少し前兆を隠しておくべきだったのう」


 易宝は背中に付いた砂をパッパッと払いながらそう言う。


「テメェ!! よくもアニキを!!」


 金髪の男は黒檀机の近くに置いてあったフロアライトを持ち出し、それを両手で振りかぶったまま易宝めがけて駆け出して来るが、


「遅い」


 易宝の体が黒い残像を残しながら金髪の男の懐まで刹那の時間で近づき、「ドンッ」と踏みとどまると同時に右肩で衝突。

 ほんの一瞬部屋の空気が揺れた瞬間、金髪の男の五体はフロアライトもろとも勢い良くゴロゴロと転がっていき、黒檀机を通り過ぎて一番奥の壁に背中から叩きつけられてぐったりと気絶する。


「……で? まだやるか? 組長さんよ」


 易宝は真顔で尋ねる。

 だが紀藤の顔に動揺の色はない。

 もうあっちに人数は残っていない。紀藤と、その傍らに立つポロシャツ男と、そして未だ紀藤の後ろに隠れるように座っている案内役の男だ。

 三人だが、案内役の男は易宝の恫喝にビビっていた所を見る限り、戦力としては度外視していいだろう。つまり実質残り二人。いずれにせよ、大した数ではない。

 なのに向こうには焦りが見えない。

 ハッタリなのか。それともまだ隠し玉があるのか。


 すると紀藤は声高に言った。


「おい、粱――オメェの出番だ」

「分カッタデスヨ」


 粱と呼ばれてカタコトの日本語で返したのは、紀藤の傍らのポロシャツ男だった。

 腕が少し長く、ほっそりとした長身の体型。だが白いポロシャツから浮かび上がる筋肉の細かい隆起からは、マッチョではないが凝縮感のある引き締まった肉体だということが示唆できる。


 そんなポロシャツ男――粱は足音一つ立てる事なく易宝と向かい合う位置までやって来る。


「ほう……おぬし――ヤる(・・)な?」 


 易宝は粱を見て口の端を歪めた。

 

「今のおぬしの歩き方、移動の最中も体の中心に棒か何かが入っているかのように軸のブレがなかった。おまけに頭の高さが全く変わらず、足音のしない幽霊じみた足運び。わしは知っているぞ。今までそういう歩き方をする者を何人も見てきたからのう。それはまさしく――生きた武術の歩き方」


 えっ――?


 粱は不敵な笑みを浮かべて易宝を睥睨し、背にしている紀藤にたどたどしさを残すカタコトで訊いた。


「紀藤サン、コノ人強イ。全部殺ス、シナイト勝ツ無理ヨ」

「オメェの好きにするがいいさ。後片付けは俺がしてやる」

「――紀藤サン、「フトマキ」ネ」

「それを言うなら「太っ腹」だろうが。さっさとやっちまえ」


 命令を受けた粱は左肩を内側に巻き込み、やや背中を見せた状態となる。前の左腕を紐のように垂らし、もう一方の右掌で鼻と口を隠す。


 要はゴクリと喉を鳴らす。

 変わった構えだ。

 しかし、ただ妙ちくりんなだけの構えではない。きちんと正中線が隠されている。

 達彦とのケンカのように愚直に突っ込んだりしたら確実に挽肉にされる。格闘技の世界に入ってまだ日の浅い要でも、そう思わせる毒々しいプレッシャーを感じることができた。


 易宝は両手を下げたまま、半身になってそれに対する。

 要はそれに対しても驚きを見せた。

 今まで一度も構える事のなかった易宝が、ここに来て体だけでだが構える姿勢を見せたのだ。

 油断をすれば、足元をすくわれる。そんな相手なのかも知れない。


「一応、門派と名を言った方がいいかのう?」

不要(ブーヤオ)。コレ試合違ウ、殺シ合イデス。コレカラ死ヌ人ノ名前聞く、無駄」

「わしがくたばる事前提で話を進めるなっつーの」

「オシャベリノ時間、オ開キヨ――――(ハー)!!」


 粱は放つ眼光を一際鋭くした瞬間、後ろ足で床を踏み蹴り、易宝との間隔をほぼ一瞬といってもいいスピードで詰めた――速い!

 いつの間にか翼を開くように伸ばし切っていた両腕を、粱はプロペラのように高速で縦回転させ、


(ピー)――!!」


 身を一気に縮こませると同時に、そのうちの片方――右腕を易宝の頭頂部めがけて打ち下ろしてきた。

 「ピュオン」と風切り音が出るほどの手刀。

 易宝はそれが縦に一閃される前に、その射程圏外まで素早く足を退ける事で直撃を免れた。


 なんて攻撃だ。振り下ろしの始めから終わりまでの過程が目で追えなかった。腕が完全に鞭と化している。

 まともに食らっていたら、易宝の頭蓋骨は粉砕されていたかもしれない。


 だが粱の攻撃は、これで終わるほど優しいものではなかった。


「――(グァ)!!」


 その場から足を鋭く進めて再び易宝に近づき、踏み込みと同時に縮こませていた背中を急激に伸ばし、先ほど振り下ろした右腕を一気に跳ね上げた。

 顎を狙った手刀の斬り上げを、易宝は体を軽く後傾させることで回避。手刀は易宝の前髪を風圧で揺らすだけに終わった。


 しかしそれは本命ではなかった。

 避けたのも束の間、易宝の真横からもう片方の左腕による手刀が、鋭く弧を描くように迫ってきていた。

 

 あれはマズイ。目標はおそらく首だ。しかも易宝の体はすっぽりと射程圏内に収まっている。

 ヒットすれば確実に決め手と化し、易宝の首の骨を打ち砕き絶命させる。殺意を含有した一撃だ。


 危ない師父(せんせい)――そう叫ぼうとした。


 だがそれは無用だった。

 易宝はサッと横に両腕を揃えて立て、振り出された鞭のごとき粱の左腕を受け止め、事なきを得た。

 要はそれを見て、ホッと胸を撫で下ろす。

 

 粱は左腕を引っ込め、易宝から早々に距離を取った。二人の間には再び数メートルの間隔ができる。


 易宝は体操のように両手をプラプラさせながら粱に言った。


「今のはちょっと痛かった。なかなかの功夫(クンフー)だぞ――おぬしの()()(しょう)


 粱は唇をいびつに歪める。


「師父、なんだそれ?」

「中国、河北省を起源とする名拳の一つだ。腰の捻り、そして体幹の開閉によって生み出した遠心力で両腕を鞭のように振り回し、相手を叩き殺す強力な拳法」


 粱は驕ったような表情で自身の両手を見せつけ、


「ワタシ、地元ジャ喧嘩、負ケ知ラズダッタヨ。ダケド喧嘩シマクッテルウチ、人殺シテ、中国イラレナクナテ、ココ来タネ。デモ拳法アルオカゲデ、紀藤サンノヨージンボ、ヤレテ、オ腹一杯幸セ。ダッテ邪魔者ヤッツケルダケデ、オコズカイ貰エル」


 そう言って粱は半身になり、両手を前後に広げて構えた。


「オマエモ例外違ウデス。腕折ッテ、足折ッテ、ソシテ首折ル。スゴク痛イ。ソレデアーメンヨ」


 好戦的な笑みを浮かべる粱に対し、易宝もまた同じような笑いを返して告げた。


「言っておくが、わしはおそらく、おぬしが戦ってきた相手の中の誰よりも強いぞ?」

「ハッタリネ。オマエガ泣キ叫ブ姿シカ想像デキナイデス」

「本当だとも。だからここから先――わしは二回しか手を出さん。その二回だけでおぬしを床に伏せさせて見せようか?」


 粱の表情がガラリと変わった――憤怒だ。舐められたと思ったのだろう。


「甘ク見ル、ソレダメヨ――!!」


 粱は再び後ろ足で瞬発――最初に見せた以上の速さで易宝との距離を急激に縮めた。

 床を破壊せんばかりの右足の踏み込みとともに、剛鞭と化した右腕を縦に放ってくる。


 易宝はそれが振り下ろされる前に、自然なフットワークで粱の右肩の辺りへ足を進めて回避。右手刀は虚空を斬る。


 ――あれは『閃身法』の一つ、攻撃をかわしつつ相手の真横を取る動きか。

 

 だがしかし、その後の粱の対応は迅速だった。

 身をかき抱くように両腕を閉じ、そしてそれを一気に左右へ開放。

 それによって上半身のバネの力を受け、獲物に喰らいつきにいく蛇のような俊敏さを得た粱の右掌が易宝を襲うが、


「うおっとっ」


 素早く後方へ飛び退くことで、易宝はそれを避ける。


「逃ゲ足ダケハ速イ――ナラ、コレハドウカ!?」


 言うやいなや――粱は全身を時計回りに旋回させる。

 弧の軌道を描きながら左足を易宝に向かって滑らせ、それと一緒に左手刀を薙いで来た。

 狙いは――やはり首だ。

 

 易宝は手刀が到達する前に、下半身と背中を一気に沈める事でそれを回避した。

 粱の手刀は易宝の頭頂部と並行にすれ違い、その髪を風圧でバラけさせる。


 だが避けられたというのに――粱の唇の端は歪みを見せていた。

 

「――再见(ザイジエン)


 呟くと、粱はそのまま時計回りを続行。

 一瞬だけ背中を見せ、すぐさま身を翻すと同時に――さっきとは逆に右の手刀を振るってきた。

 

 ――二段構え!?

 

 残像がほとんど残らないほどの速さを誇る粱の手刀は、易宝の頸椎を打ち砕いてなお余力を残しそうな禍々しい力を感じさせた。

 まるで処刑人と、斬首を待つ罪人の図だ。


 手刀と易宝の首の距離は、あっという間に小さくなった。


 ダメだ、やられる――要は残酷な光景を見まいと目を閉じた。

 

  



 ――黒一色の視界に、「コキュッ」という子気味良い音が響き渡った。





 何の音だろうか。


 易宝の首が折れた音だろうか。

 

 確かめるのが怖い。


 だが、見なければいけない。人間、目をつぶったままじゃ生きていけないんだ。


 要は勇気を振り絞り、いつもより重いまぶたを開いた。





 粱の右腕が――垂直に跳ね上がっていた。





 その腕を見ると、前腕部がくの字に曲がっていた。

 曲がっている場所は当然、関節ではない――折れていた。


 そして、その跳ね上がった腕の真下では――直立した易宝の右拳が、上を向いて立てられていた。


 その状況から推察するに、易宝は粱の腕を下から打ち上げたのだろう。それで粱の腕は折れている。

 だが、答えなどどうでもよかった。

 易宝の首は変な曲がり方をしていない。顔にも生気がある。その事実だけで十分だった。


 やがて、


「ギャァァァァァァァァァァァァ!!」


 粱は数テンポ遅れて絶叫。恐怖と苦痛に満ちた表情で自身の右腕を押さえ、不気味な折れ方をした箇所を凝視する。

 そして慌てて距離を取ってから、憎悪に燃える目で易宝を睨めつけた。


「これで一回目――次の一回でゲームセットだ」


 易宝は涼しげな表情で右拳を見せつける。


「――――(ツァオ)!!」


 粱は痛みに負けんとばかりに歯を食いしばり、駆け出しながら、まだ健在の左腕を横薙ぎに振り出そうとしてきたが――それよりも早く、易宝が瞬間移動に等しいスピードで粱の懐へ侵入する。

 そして、粱の左の二の腕を右手で押さえ、その振り出しを止めた。


「おぬしの劈掛掌は確かに恐ろしい。だがどんなに疾く鋭い鞭でも、内側に近づけば近づくほど、そのスピードも威力も弱まるもの。そこで押さえれば止めるのは容易い――終わりだ」


 易宝は右拳を体の中心へ構え、腰を落とし、背中を丸めた。


 粱は切羽詰った声で、


(ドゥン)! 等候(ドゥンホウ)――――」

「――『展拳(てんけん)』」


 易宝は全身を縮こませた状態から一気に立ち上がらせると同時に、右拳で粱の土手っ腹を抉るように突き上げた。

 

 易宝の拳が粱の腹に炸裂した場面を見れたのは、ほんのちょっとの間だけだった。

 その突きを食らった瞬間、粱の体はまるでロケットのように勢いよく真上へすっ飛び、下に破砕音と粉塵をばら撒いて天井に突き刺さった。


 要は降り注ぐ粉塵を腕で遮り、収まってから粱の飛んでいった場所を見上げた。


 ――うわぁ。


 そこには上半身全てが天井にめり込み、足だけがプラプラと下へ垂れている、粱のなんとも憐れな姿があった。


「……すまん。「床」じゃなくて「天井」だった」


 易宝は頭を掻きながら、ばつが悪そうに呟いた。


読んで下さった皆様、ありがとうございます!


そして……マジですんませんっっ!!!

次話でこの話は終わりと言っておきながら、文字の都合上、また次話に見送ってしまうハメになってしまいました!


でもでも、次回で今度こそ終わるので、何卒、信じてお待ち下さいませ!

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