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戦え、崩陣拳!  作者: 新免ムニムニ斎筆達
第五章 北京編
103/112

第二十三話 高手と高手①

明日は、夜の9時に更新します。

 『高手(ガオショウ)』という、人間凶器たちの戦いが始まった。




 敵味方問わぬ全員が「ここだ」という開始タイミングを一致させた。次の瞬間には、全員が直前までいた立ち位置が噴煙を巻き起こして爆ぜ、技と技がぶつかり合った。


 幾度も交差される技法の応酬。それは下手な銃撃戦よりもよほど凄まじいやり取りで、並の人間がその渦中に入ったら最後、一瞬で五体がバラバラにはじけ飛ぶであろうほどだった。


 四対四。数の上では互角の戦い。


 計八人とも全員『高手』であるが、彼らの間には世代差があった。易宝、臨玉、深嵐を除く全ての人間は、日中戦争を戦った「生ける伝説」とも呼ぶべき達人たちだった。易宝たちもかなり名の知れた存在だが、『高手』の中では比較的若年層。武術家としての実力や経験にわずかながら「開き」があることは否めなかった。


 しかし、戦いというのは必ずしも一人で行うものではない。いかに相手側との実力に差があろうとも、仲間との連携次第で結果はいかようにもなる。


 易宝の側の『高手』達は、『公会(ギルド)』という共通のコミュニティーに属し、価値観と絆を共有している同志だった。臨玉は会員ではないが、そんな三人と深くなくとも決して浅からぬ付き合いを持っている。そんな繋がりが、戦闘時のコンビネーションを助長させる良い材料となり得た。

 反面、雲祥の側は強者ぞろいではあるものの、全員とも普段からあまり会わないメンツのようだった。その分信頼関係は濃いとはいえず、それに比例して連携もお粗末の一言に尽きるものだった。


 後者が前者に圧倒されるのは、言わずもがなの必然であった。


 だからこそ、敵側は易宝たちを分断させるために動いた。


 人数の比率は拮抗している。二人一組になる形で四人を散り散りにしてしまえば、ご自慢の連携は体をなさなくなるだろう。


 雲祥はそのように、こちらの四人を分断した。


 臨玉は『長短双皇』秦と、深嵐は『吉祥蛇』久と、易宝は『自在囚』釈と、響豊は雲祥と二人一組の状態に別れ、それぞれ違った場所で戦い始めていた。





 ――四合院北側の壁の前に広がる、森を背景にした更地にて。


「くたばれ、夏臨玉っ!!」


 雄叫びのような激しい一言とともに、大地が一瞬だけ激しく上下した。大地を揺るがすほどの踏み込みに伴った肘打ちが、臨玉めがけて真っ直ぐ打ち放たれた。


 臨玉は少し横へずれて身をかわしつつ、『長短双皇』秦の横合いを神速で通過。離れて後ろを取ってから、再び目にもとまらぬ速力で引き返す。


 近づきながら、片方の拳を伸ばしていく。弾丸にも比肩するスピードから導き出される正拳突きには、それこそ弾丸と同じだけのエネルギーと鋭さが宿っていた。


 普通の人間ならば避けられない。拳で胸を打ち抜かれて初めて突きの存在に気付くだろう。


 ――しかしながら、相手は「普通」ではない。


 やってきた拳という名の弾丸を、秦は側面から片手で払った。前の腕が横へどけられたことで臨玉の胸部が露わとなり、その小柄な体が懐中へと滑り寄って来た。


 腰を勢いよく沈下させるのに合わせて伸ばされる掌打。


 ソレがシャツの薄皮一枚の間隔まで迫った瞬間、臨玉は膝を持ち上げた。膝先で掌打を真下から蹴り上げ、攻撃が無力化された。そのままその膝を胸まで抱え込むように持ち上げ、秦の腹へスタンプを押すように靴裏で蹴りつけた。『蹬脚(とうきゃく)』だ。


「うっ」


 かすかな苦痛の声を上げ、刹那の間隔の後に真後ろへ吹っ飛んだ。しかし地面を両足でしっかりと掴んで立ち続け、倒れないように踏んばった。靴が滑った軌跡からもくもくと濃い砂煙が巻き起こる。


 蹴りの慣性が消失するや、秦は呼吸を整えてから、猛禽のような瞳に好奇心の光を宿らせた。


「やるじゃないか、若造。この俺とここまで渡り合うとは。『眼鏡王蛇(キングコブラ)』という通り名も、あながち大げさではないと見える」

「おや、嬉しい限りだね。あの『長短双皇』にお褒めを頂くとは」

「ああ、たいしたものだ。だが……この辺りが貴様の限界だ小僧。俺は貴様が生まれるよりずっと前から、銃や大砲を持った軍隊を相手にゲリラ戦を繰り広げてきた。同じ『高手』であっても、武人としてのキャリアの差は歴然だ。平和な時代でぬくぬく育った貴様ごときが敵うと思うんじゃないぞ」

「言う、言う。懐古主義の老人ほど、昔を美化したがるものさ。あなたの主張は「最近の若者は」っていう年寄りの口癖と同レベルだ。勝敗を決する根拠に足るものではないよ」


 わざとらしく煽るような言い方をする臨玉。『高手』同士の戦いでは、心の有り様も勝敗を大きく左右する。秦は常に怒っているような見た目通り激しやすい性質のようなので、我を忘れる方向へ精神を誘導すれば攻撃の軌道が分かりやすくなる。


 けれど同時に、そんなに甘い相手ではないことも織り込み済みだった。『長短双皇』は眉間に深い皺を増やしたが、それは一瞬だけ。すぐに冷静さを取り戻し、戦意に燃えながらも冷たさを奥底に保った眼光を向けた。


「よかろう……ならば口ではなく――体で教えてくれるわッ!!」


 秦は大地を蹴って加速。臨玉の間合いを電撃的に侵犯し、大砲の激発にも等しい震脚で踏み込んだ。


 やってきた正拳突きを、臨玉は紙一重で回避。そのまま流れるように横合いを取り、神速の穿掌(ぬきて)を走らせた。歩法の速さと同様に動作過程が全く見えないソレは、厚さ数ミリの鉄板程度なら容易く貫くほどの貫通力を秘めていた。


 秦はその穿掌がやってくる前に、すでに身を回転させていた。踊るように穿掌の延長上からズレつつ再び懐へ入り、深く腰を沈下させながらの肘打ちを仕掛けてきた。


 臨玉は立ち位置を少し右へ動かす。鋭く、かつ重厚に迫ってきた肘先の到達予定点から逃れながら身をひねり、左回し蹴りを刀のように振り抜いた。走雷拳に伝わる体術で極限まで速度を高められたその蹴りにまともに当たれば、人間の頭など簡単に吹っ飛ぶ。


 蹴りは空気を裂きこそしたものの、標的にはかすりもしなかった。その「標的」は、右足でしゃがんで蹴り足の下をくぐっていたのだ。秦は臨玉よりも頭二つ分ほども小柄な体格なので、こういった避け方が比較的簡単にできたのだろう。こちらが有利と思われた体格差が悪い方向に作用したようだ。


 秦は左足を臨玉の立ち位置へと伸ばす。軸足である右足底で地を蹴り込み、伸ばした左足へ勢いよく重心を譲渡した。その勢いに掌の動きを合わせ、蹴り足を振り抜いた臨玉の背中めがけて一撃お見舞いしようとした。

 が、臨玉は右側へ振った蹴り足の軌道を急速に引き返させた。今まさに接触しようとしていた掌打へ靴裏が横合いから音速で直撃、弾き飛ばす。ソレによって秦は大きく腕を開かされ、胴体を露わにした。蹴り足を再び引き戻し、そのがら空きの急所を貫こうと爪先を疾らせた。


()ッッ!!!」


 爪先が接触した瞬間、決して厚いとはいえない秦の胸板が一瞬だけ「膨張」した。内側から膨れ上がるような呼吸の爆発は爪先から足の骨を介して胴体まで伝播し、足の主である臨玉の体を鞠のように弾き飛ばした。発勁で用いる爆発呼吸だ。


 空中で体を縦に一回転させて足裏と地面を平行にし、着地する。秦との距離が十数メートルほど開いているのが見えた。




 ここまでかかった時間――わずか三秒。




 しかも、これまで行ってきた技のやり取りは、まるで事前に内容を打ち合わせしてきたかのように美しく、整然としていた。


 二人の立ち合いは、演武のようだった。


 演武は、互いが相手の繰り出す次の技を事前に認識した上で、それに上手く対応した技を繰り出しシミュレーション的なカウンターを行うことを何度も繰り返す。約束組手と違い、ショー的な側面が強い。


「次に相手はここを打ってくる。だからソレを避けつつ、がら空きとなった場所へ強打を叩き込む」――両者ともにそんなことを行っていれば、演武のようなやり取りになるのは言わずもがなだろう。


 けれども、臨玉と秦は別に深い友人というわけでもないし、そもそも門派自体が違う。演武を即興で組み上げて実行できるだけの武術的共通認識は皆無に等しい。


 なら、なぜこのような演武じみたやり取りが成り立っているのか? 並の演武よりも美しいやり取りが、だ。




 決まっている――両者ともに『高手』だからだ。




『高手』は例外なく、非常に優れた攻撃予測能力を持っている。


 数々の修羅場をくぐり抜けた彼らの脳や神経系は、身の危険に対して非常に敏感だ。それこそ、超能力と区別がつかないくらいに。


 その敏感さこそが、攻撃予測能力。


 相手の一手先の手段を先読みできる。


 その攻撃がやってくるという事実、その攻撃がやってくるタイミング、その攻撃の種類、その攻撃の刻むであろう軌道……それらの情報を一瞬で読み取り、ワンテンポ速いタイミングでその未来に対処できるのだ。この能力を使えば、銃弾の回避は言うに及ばず、ロケット弾を掴み取ることさえできる。


「これこれこういうふうに分かる」という理屈は存在しない。ただ「分かる」だけだ。


 合気道の開祖である植芝盛平も、銃弾が撃ち出される前にその軌道を光の線として予測し、その線の延長上からあらかじめ外れることで弾丸の回避が出来たという。武術の種類が違えど、彼もまた『高手』の領域に至っていたといえよう。


 そんな能力を持った『高手』同士が戦えば、演武のように綺麗で見栄えの良いものになるのは言わずもがなだろう。なにせ、互いに相手の次の手が読めるのだ。自分が敵の次の技に対応する技を使い、敵もまたそれに対応する技を使い、自分は敵が次に使おうとしている技を読んで対応し、敵もまたそれに対して適当な対応をし、さらに………………


 そんな延々とした「いたちごっこ」が続くというわけだ。


 けれど、どれほど強い武術家といえど、戦いが続けば必ず「隙」を見せる。むしろ、「隙」を終始見せないような人間は人間ではないと言って良い。「いたちごっこ」の中から「隙」という小さな穴を見つけ、そこを刺す。それこそが『高手』同士の戦いなのだ。


 ――以上の事実は、『高手』になって長い臨玉にとっては常識なので、思考の外へ置く。


 深く腰を落としながら打ち出す強大な発勁。

 至近距離で、肘と拳を主に用いる戦闘スタイル。

 爆ぜるような爆発呼吸。


 これらの特徴を持つ拳法の名を、臨玉はすでに頭の中で定義していた。


「八極拳、か」


『長短双皇』とあだ名される凄腕の剛拳使いは、怒れる猛禽のごとき面構えをニィッと破顔させた。


「そうだ。言わずと知れた河北の名拳。この俺が最強無比と信じて疑わぬ拳法よ」

「やはりね。しかし、あなたの八極からは、劈掛(ひか)の動きが全く見られない。もしかして、八極しかやっていないのか?」


「劈掛」とは、八極拳と同じく河北の名門派である『劈掛掌(ひかしょう)』を指す。腕を鞭のように操り、敵を叩き潰す豪快な拳法だ。


『八極に劈掛が加われば鬼神も(おそ)れる』という、武術界で有名な言葉がある。

 八極拳はたしかに強力な威力を持つが、近い間合いでなければ上手く実力を発揮できない。八極門の拳士はその欠点を補うために、遠い間合いを攻撃できる劈掛掌を併せて学ぶ。それが一般的だ。


 けれど、目の前の八極拳士は、臨玉のその指摘に対して「反吐が出る」とばかりに吐き返した。


「よく八極拳と劈掛掌の相性の良さを表す『八極に劈掛が加われば鬼神も畏れる』という言葉があるだろう? 俺はあの言葉が死ぬほど嫌いなのだ。まるで八極だけでは戦えないと遠回しに馬鹿にされているように聞こえる。八極にだって、相手の間合いへ近づくための歩法や身法がたくさんある。その気になれば八極だけでも最強になれるのだ。俺はそれを信じ、八極拳だけを鍛え続けた」


 くっくっ、と、不意に秦は微かな笑声をこぼす。


「その上で、俺は考えた。劈掛に頼らずとも、遠い間合いを打つにはどうすれば良いのか。その答えが――『これ』だッ!!!」


 臨玉は一直線に迫る攻撃の気配を察知し、稲妻のような速度で身を脱した。




 刹那、先ほどまで立っていた位置の延長線上に広がる森の一部が――ごっそりと抉り取られた。




 比喩にあらず。

 立ち並ぶ木々や草の茂みの一部が、綺麗な円形の型抜きでくり抜いたように削れたのだ。茂みの奥からはメキメキ…………ドシィン、と樹が傾き倒れる音が三本分くらい聞こえた。


 さらに驚くべきは、秦が全く立ち位置を変えていなかった事……つまり、突き出した拳のはるか先へ衝撃を放ったという事だ。


 射程距離のある打撃。


 常識の範疇で考えれば異常だが、臨玉はその「異常」を実現させる方法に一つだけ心当たりがあった。


「まさか……少林寺七十二芸の一つ『井拳功(しょうけんこう)』か?」

「ご明察だ。発勁に”射程”を生み出す功法。俺はこの「発射する打撃」を手に入れるまで、井戸の深い奥底に溜まった水めがけて何度も何度も拳を打った。最初は少しも揺らぐことは無かったが、三年続けると微かに波紋が生まれ、さらに三年経つとその波紋が大きくなり、そのまた三年後には水しぶきを起こせるようになった。おかげで今じゃ俺の撃ち出す勁は銃弾並みだ」

「矛盾しているんじゃないかな? 八極だけで最強になると言っておきながら、舌の根も乾かぬうちに余所の技を使っているじゃないか」

「借りたのは練功法だけだ。俺の技は他門の動きが一切入っていない、純粋なる八極。ようは考え方だよ。お前も年寄りを腐す割に凝り固まった考えをするじゃあないか」


 そこで言葉を止めると、秦は再び構えを見せた。後足を溜めるように沈め、上目でこちらを睨むそのさまは、まるで飛び掛かる前に屈して力を溜める猛虎の如しであった。


「そういうわけで、俺は近距離でも遠距離でも問題なく戦える。ゆえに『長短双皇』。貴様にはもはや逃げ場はない。穴だらけになってくたばるか、直接殴られてくたばるか、その二択のみ」

「あと一つ残っているよ。「あなたが負ける」って選択肢がね」

「吐かしおるわっ!!」


 そう気炎を吐出した瞬間、さっそく臨玉の危機察知能力が一瞬先の未来を演算した――こちらの顔面から鳩尾へかけて計三発の攻撃がやってくる。


 臨玉が素早く身を横へ滑らせる。

 一瞬経つと、さきほどまで立っていた位置を鋭い圧力が三つ通過。あさっての方向にある四合院の壁面を綺麗に穿った。


 さらにもう一度体を横へ移動させ、再びやってきた圧力を躱す。


 秦が正拳を虚空に放ち、拳から勁の弾丸が飛び、臨玉がそれを避ける――そんな一方通行のやり取りが何度も何度も繰り返された。


 大口径の機関砲もかくやという不可視の弾丸の嵐。臨玉の背にしていた壁があっという間に蜂の巣ように穴だらけとなった。


「クカハハハハハ!! どうしたどうしたどうしたぁ!? 避けてばかりかぁ!? 走雷拳とは逃げ腰の拳かぁ若造ッ!?」


 その猛禽みたいな顔を狂ったように笑わせながら、秦は拳を連打、連打、連打、連打し続ける。


 心の奥底に仕舞い込んでいた感情に、火が付くのを感じた。


「…………舐めるな、この死にぞこないの老頭児(ロートル)風情がっ!!」


 臨玉は普段冷静な物腰を取ってこそいるが、内面には激しい情緒を秘めている。文革で父を亡くした心的外傷に端を発したと思われるその激情は、臨玉を強くもしたし不幸にもしてきた。

 今でこそその感情を封じ込めているが、稀に表層化してしまう時がある――今のように。


 次々と脳裏に浮かびあがる攻撃軌道の予測図。

 その軌道と軌道の間隙に、臨玉は自分の体を挿し入れた。ビルとビルの隙間ほどの狭いデッドスペースを、身体の面積を縮めて進む。

 胸と背中を、圧力が暴力的に通過。肉体に損傷はないが、かすったシャツの部位が裂ける。


 弾幕の壁をすり抜けた臨玉は、風のように秦の間合いへ侵攻。


 臨玉の二手が手刀を作り、幾筋もの閃光と化した。

 一発一発が決め手になり得る手刀のシャワーを、秦は器用に払い、時に避けていく。

 しかし懲りずに何度も繰り返す。繰り返す。繰り返す。


 ……走雷拳の体術は、速度の数値を固定した「等速」で行われる。その「等速」の固定値を徐々に、徐々に高めていく方向で修業し、やがて眼で追えぬほどの『神速』へと至る。それが修業の目標だ。


 しかし「等速」はあくまで、『神速』を手に入れるための最低限の条件に過ぎない。


 ――その「等速」を使い、『近道』を歩くのだ。


 例えば、A点とB点があるとする。

 そのA点とB点の間を移動するための一番の『近道』は?


「直進」することだ。


 どんなに学の無い人間でも、必ずそう答えるだろう。それ以外の移動軌道は、どうしたって「遠回り」になってしまうからだ。それが「当たり前」なのだ。


 しかし、その「当たり前」と現実が必ずしも噛みあうとは限らない。


 A点とB点の間を移動する時、人間含むすべての生物は「直進」ではなく、「遠回り」してしまっている。


 筋肉の瞬発力を使って移動しているからだ。

 瞬発力を使うと、その運動エネルギーの軌道はどうしても「放物線」となってしまうからだ。

「放物線」とは、「遠回り」の軌道だからだ。


 ゆえに、どの生物も「直進」という名の『近道』を歩けない。『神速』たり得ない。


 ――だが、走雷拳は「等速」である。


 走雷拳の基本歩法『游身(ゆうしん)』は、瞬発力を一切使わず、「等速」で歩く歩法。


 すなわち「直進」。

 すなわち『近道』。

 すなわち『神速』。


 その『神速』の手刀が何度も何度も何度もやってくれば、いかに『高手』といえど――ほんの一瞬ながら「隙」を作ってしまうのは自明の理と言えよう。


 臨玉はその「隙」を穴埋めする形で、手刀を進めた。


「くっ……!」


 その一撃は浅かった。脇腹をかすめ、ほんのかすかに血を出させた程度だ。


 しかし、これが最初の一歩だ。これから小さなダメージを徐々に蓄積させていけば、動きに現れる”ムラ”がもっとはっきりしてくるはず。


 臨玉は突き伸ばした腕を曲げ、その肘を伸ばしながら重心を進めた。


 が、秦は劣った身長差を活かして肘鉄の下をくぐりつつ、臨玉の懐中へ潜り、腰を落としながら肘を張り出した。『頂心肘(ちょうしんちゅう)』と呼ばれる、八極拳の代表的な肘打ちだ。


「おっと!」


 殺人的威力の肘が薄皮一枚の間隔まで達した瞬間、臨玉は一瞬で五メートルほど退歩した。


 避けることが出来た、と思った次の瞬間——震脚と同時に張り詰めた秦の肘の先端から、「鋭い勢い」が発射された。


「何っ!?」


 臨玉は驚きつつも間一髪のところで横へ移動し、放たれた勁の弾丸から逃れた。後ろにあった壁に新しい穴が空く。


 意表を突かれた。臨玉の精神が描いていた攻撃予測は「直線」だった。しかし、それが遠くへ飛ぶタイプの技であったことは、後ろへ退がって避けてから始めて気づいた。あと少し反応が遅れたら危なかった。


 さらに勁の弾丸がやってくるが、それも回避。


 見ると、秦はその射撃をやりながらこちらへ近づいてきていた。一歩踏み出すたびに一発()っている。「歩けば即武道」と日本のとある柔術名人が言ったが、それは中国でも変わらない。一歩踏み出せば、それは技となり打撃となる。上半身は足で生んだ力を増幅、収束して叩き込む役割を持つ。


 ひっきりなしに飛んでくる不可視の弾から、あらゆる方向へ逃れる臨玉。


 やがて両者の距離が近づき、間合いがぶつかる。拳法が全てを制する距離だ。


 こちらが連撃を繰り出そうとする前に、秦が最初に攻め手を繰り出してきた。


「憤っ!!」


 猛火のような気迫。正拳が空気の幕を破る。


 臨玉がそれを防ぐと、今度はもう片方の拳で真っ直ぐ突いてくる。それも横へ弾く。


 しかし秦は手と足を休めない。

 左足の進歩に合わせて、外側から円弧軌道で左拳を振る圏捶(けんすい)。臨玉はやってきた拳から一歩退いて逃げる。

 今度は左拳を内から外へ放り投げるように放つ摔捶(しゅっすい)。臨玉はあえて退かず、弧を描いて振られた腕の根本付近を右手で押さえて打撃力を無効化する。


 そのまま左手で殴りつけてやろうと考えたその刹那、秦は取られた左手を翻して臨玉の右手首を掴み取った。


 マズイ、と思った。掴み取られたらこちらの自由が制限される。まして相手は至近距離戦を独壇場とする八極拳なのだ。


 臨玉は秦を近くの樹の幹まで神速で叩きつけてやろうと思い、歩法を刻んだ。


 けれど、微動だにしない。すでに秦は腰を低くして、金字塔(ピラミッド)のように盤石な重心を作り上げていた。


 秦は右正拳を放つ。臨玉はそれを下から掬うようにして防ぐ。


 持ち上げられた敵の片腕の肘が曲がり、鋭角を作る。臨玉が持ち上げた腕から「するり」と滑り落ち、


「憤っ!!」


 激烈な震脚とともに、右肘による頂肘を打ち込んできた。


「かはっ……!?」


 ――『猛虎硬爬山(もうここうはざん)』。牽制の一撃目で相手に隙を生み出し、必殺の二撃目をそこへ叩き込む連続技。八極拳の中興の祖、李書文が得意とした技法に他ならない。


 五臓六腑がまとめてひっくり返りそうなほどのインパクトを実感しながら、臨玉は冗談のような速度で後ろへ飛ぶ。背中から木の幹へ当たり、ようやく止まった。


「くふっ……がはっ、ごほっ……!」


 喘息のように咳き込む。


 普通の人間ならば即死している。そうなっていないのは、臨玉が気功術の訓練で身体内部を強靭に鍛え上げた『高手』だからだ。


 とはいえ、それでも手痛い一撃であったことには変わらない。


 臨玉は(ほぞ)を噛んだ。

 これは完全に、自分の激情による攻撃性が招いたミスだ。あの時、左手で殴りつけようなんて思わず、素直に後退していればよかったというのに。相手の拳法が八極拳であると分かった以上、至近距離戦に持ち込んではいけないはずだというのに。


 ――昔もそうだった。


 父を強制労働による過労死で失い、母もその後を追う形で命を断ち、天涯孤独の身となった臨玉は荒れに荒れていた。ちょっとした事ですぐ怒り狂う易怒性がたたって、人を遠ざけ、孤独となっていた。

 毎日、喧嘩と酒に耽溺(たんでき)する日々が続いた。

 そんな毒々しい毎日から抜け出したいとはもちろん思った。けれど、どう抜け出せば良いのか皆目見当がつかず、ずるずると続いた。


 自分も、日本軍への憎悪に溺れて早死にした霍殿閣(かく でんかく)のような末路をたどるのだろう。よくそう考えた。


 あの憎たらしい男——劉易宝と出会うまでは。


 会って早々血を流すほどの喧嘩となった最悪の出会い。

 彼と張り合う日々は何度も続いた。たとえ自分が勝利しても、次に戦う時に易宝は必ず数段強くなって負かしてくる。その結果に我慢ならなかった自分もまた功夫をつけ、再戦で勝利する……その繰り返しだった。


 最初はあのいけ好かない奴を叩きのめしてやろうという感情しかなかった。けれど競争を続けるうちに、酒や喧嘩の頻度が下がっていることに気がついた。易宝とのぶつかり合いが、臨玉にとって良い薬となっていたのだ。


 さらに易宝の事を知るにつれて……悔しいが尊敬の意を持ってしまった。

 易宝も自分と同じような境遇だった。文革という権力者の愚行で家族を失い、孤独の身となったのだ。しかし彼は自分のように腐ることはなく、周りと融和し、己の幸福のために努力していた。

 そんな易宝が傍にいたから、自分はまともな人間に戻れたのかもしれない。その事については、自分は彼に深く感謝していた。……もっとも、そんな事は死んでも口に出してはやらないが。


 臨玉は拳を握り、それを自らの顔面に叩きつけた。


 鈍い痛み。口に広がる血の味。


 しかし、不思議と気分は爽快だった。


 心を焼いていた激情の炎は鎮火し、クリアーな精神状態を取り戻す。


 先ほどの打撃で体は痛むが、我慢して構えを取った。


「若造とはいえ、さすがは『高手』……一撃だけでは足りぬか。なら、これから死ぬほど貴様に叩き込んでケリをつけてくれる。さっきの一撃で動きにいい感じでムラが出ているようだしな」


 秦は言うと、腰を落として構えを見せた。左足を前にした半身の立ち方で、左拳を前に出し、その肘の真下に右拳を置く。八極拳でよく用いられる『万将無敵式(ばんしょうむてきしき)』の構え。全力で攻める意思表示だ。


 両者の動きが止まる。緊迫した静けさが場を包む。


 だが、やがてそれも裂帛の気合いとともに破られた。


「憤っ!!」


 暴風のごとく一瞬で近寄り、震脚と正拳を一致させる。


 臨玉は軽く身を引いて、拳を紙一重で躱す。そのままその正拳の外側を沿って背後へ回り込み、背中同士を接触させる。より正確には、互いの衣服同士を。


 そこから、臨玉は出せる限りの速度で大きく後ろへ退がった。互いの衣服の接触面が神速で擦れ合い、馬鹿馬鹿しいほどの摩擦抵抗に晒さられた。煙が立ち、小さく火が付き、それがあっという間に燃え広がり、




 炎上した。




「うおおおああああああああああ!!?」


 まばゆい炎に包まれた秦は、驚愕とも苦痛ともつかない叫びを上げる。

 ——『星火燎原(せいかりょうげん)』という、走雷拳の技法の一つだ。神速の歩法を生かして相手の衣服へ凄まじい摩擦を起こし、それによって炎を巻き起こして火ダルマにする技。


「このっ…………火計ごときで俺が果てるかぁっっ!!!」


 しかし秦は片足で震脚し、その足底をひねり込んだ。大地を踏みしめて生み出した激甚な反作用が台風のごとき螺旋状となって全身を駆け上り、その勢いで炎を吹き飛ばした。


 焼けてはいるものの、ほんの少しだけだった。戦闘に支障が出るほどの負傷ではないだろう。


 ——が、それで十分。


 今の『星火燎原』は、攻撃のためのものではない。

 ほんの一瞬でも、こちらへ注意を向ける余裕をなくすための「(おとり)」。


 それに気づいた時にはもう手遅れ。


 自分の拳が秦の肉体を突き抜け、地平線の果てを超え、雲を裂き、成層圏、中間圏、熱圏さえも通過して外宇宙まで伸びきる意念(イメージ)を強く思い浮かべ、拳を放った。


「が………っ!?」


 臨玉の拳が刺さるのと、秦がこちらの狙いに気づいたような驚き様を見せたのは、同時だった。


 ぶつかるように打ったはずなのに、秦の小柄な体躯はほとんど動かない。拳に宿った鋭利な勁力が、体内へ余すところなく浸透しきったからだ。


「……『黒虎偸心(こっことうしん)』」


 臨玉が祝詞(のりと)のようにその技の名を告げた途端、秦は魂が抜けたように崩れ落ち、倒れ伏した。


 死んではいない。だがしばらく起き上がることは無いだろう。


 周りに敵がいないことを確認すると、臨玉は全身の気力を抜き去った。


「僕も……まだまだ子供だな」


 肉体に残存する鈍痛を実感しながら、自戒するように呟いた。


令和初更新ッッッ!!!


待たせて申し訳ありません!!

これから崩陣拳第五章、クライマックスを投稿していきます!

令和の時代も、どうか崩陣拳とカナちゃんをよろしくお願いしますッッッ!!!

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