第3章 崩壊
憂汰はシアンの恋情には答えない。彼の本音は誰に届いて誰が理解するのだろうか。そして始まる逃げる亡霊、略して逃亡。
※人死に注意
第3章 崩壊
この章を始める前に、申し訳ないという謝罪の言を述べさせていただきたい。誰に対しての謝罪か。ここから先気を悪くなさる読者様への謝罪である。この作品の発表媒体に対してのものでもある。そして――この謝罪は、キャラクターに対してのものでもある。
本来ならば、作者自らこうしてキャラクターに謝罪をすることはないだろう。作品内ならなおさらだ。作者にとってキャラクターとは、ある種の操り人形であり、それをどうしようと作者の勝手だ。……というのはさすがに身勝手すぎるか。しかし、ここではそういうことでもある。
要するに、今から、人が死ぬということだ。
もちろん、この作品内の人物だが。
しかし、現実ではないからといってその殺人を肯定していいものだろうか?
……また、生き返らせればいいという考え方もあるだろう。そりゃそうだ。何しろこの話は死んだはずの肉体が、魔法の力によって生き延びるというものでもあるのだから。魔法というものに関しては本編で散々語ったので割愛するが。そんな世界観で今更人の生き死にについて騒ぐ必要はない。そう考えるのももっともだ。
ただ、現実において死というものが取り返しのつかない大事であることを踏まえると――現実に近づけることを目的としたファンタジーであることを考えると、死を軽率に扱ってはいけない。ということになる。
キャラクターの感情の話ではない。
その人物に対する名誉の話だ。
その死に意味はあるか。その死に悲しみはあるか。
――名誉の無い死だって散々ある。もしそれが許されず、英雄死以外の死を許されなかったら、それではミステリーはどうなるのか。ただのセッティングとしての死に、キャスティングとしての死に、そこまで求めるのか。
別にそこまでは求めない。
しかし、今回の死は――どうしようもなく、胸糞悪いものとなる。
そんな役割をキャラクターに押し付けることに、申し訳なさを感じているのだ。
彼の死は名誉なんてものではない。
不名誉だ。
それも、単なる悪人というわけではない。
ただ無機質に死ぬのでもない。
最低で、最悪で――そして、一番ひどい死に方をする。
ひどく胸糞悪い話になる。そのことと、あともう一つ。
彼のその不名誉極まりない死がなければ物語は始まらなかったということも――お詫び申し上げたい。
設定をはっきりさせよう。
『虚魔法戦線』。第一話から第四話まで、そして番外編と、最終話。これらすべては一つの世界線で、そして最初話第4章の一部もその世界線内部の話だ。この第零話も例外ではない。『ACE』が『A』となった後の世界線だ。時系列は『A』と『CPS』の両者がニュートンの家に引き取られる、その前のことである。溌剌としていた『CPS』が引きこもるようになるほどの事件を、これから書こう。
もちろんそれは――『魔法行』から逃亡する理由にもなる。
これは虚魔法戦線の――基盤。始まりの、お話だ。
恋心というものは、押さないながらには分からないが、周囲にどうしてか悟らせてしまうもので、『CPS』がゆーたに恋心を抱いているということは、彼女が退院するその日に判明していた。
彼女の両親は別段何も言わなかった。そんなピュアな恋を邪魔してはいけない。そのくらいのことはわきまえていた。
だから、『CPS』が急に、病院にいきたいと言い出したとき、その理由をすべて分かっていた。
ゆーたの退院日だ。
恩人ゆーたの退院日。それを祝おうと『CPS』は両親に提案した。両親は反対しなかった――というよりも、反対どころか、自らお礼しなければならないというわけで、家族そろって病院へと行ったわけだ。
駐車場で車を停めた瞬間のことだ。
ド ガ ァ ァ ン。
「――――」
目の前が、潰れた。そう認識した。
いや、待って。
どういうこと?
「ひぃィっ……!?」
扉が開かない。魔法で力を増幅させて、扉を開ける。そして走る。
「一体、何が、っ……?」
本当に、一体何が起こっているのだろうか。
車はどうやら――壊れてしまったらしい。具体的には、運転席と助手席を、車の上から潰したようだ。上から何らかの、強い力がかかったようだ。圧死、圧殺。
殺人。
「い、あ、あああ……!?」
お父さん。
お母さん。
たまたま後部座席に座っていたから助かった、というのか。なんだそれは。ギリギリで生き残った。そして、お父さんとお母さんは死んだ。
死んだんだ。
死。
ばらばら。
交通事故。
「ゆー……た、さん」
何が起こっている?
この恐ろしい現象は、何を意味する?
そして、その病院内では……?
病院というのは、人の傷を癒す場所だ。
少なくとも、人を傷つける場所ではない。
しかし、今この場所は違っていた。
「は、あ、あ……」
シアンは目を見開き、驚嘆する。
どうして、こんなことが。そんな事を考えてしまう。
いや、考えなどしていない。そんな高度なこと、今はできない。できることはただ、目の前をじっと見つめること。
それは――
血の海だった。
病院のスタッフ。待合の人。病人。それら全員が、何かに潰されたかのように死んでいた。
殺されていた。
床が真っ赤な液体で濡れ、壁もそれが塗られ、あたりには――強烈な。
異臭。
「お、う、うぇぇ……」
吐いてしまうのも無理は無い。
口の中が酸っぱくなる。
気持ち悪い。
どうして、どうして、どうして。
前はあんなに綺麗だったのに。
どうしてこんなに汚くなってしまった?
どうしてこんなにひどい場所になってしまった?
「う、うっ、うっ。うぇっ、う、う……」
泣きと吐き。どうしようもないものだった。
ゆーたは。
今日退院するというゆーたは、一体どこにいるのか。
無事なのか。
冷静な思考力を失ってしまったシアンに代わって、わたし達の思考によってこの惨劇の原因を考えてみよう。
まずは科学的観点から考えてみよう。
もちろんそれが不可能に近いことは分かるだろう。空中から鉄骨を降らせればうまくいくか。毒ガスでも使えば病院内の人間を残さず殺せるか。どんな組織というのか。そう、科学的に力を使うのだとしたら、それは集団の力でしかない。人間は集団でないと、無力なものなのだ。だからこそ、ここで組織的なものが絡んできていない以上、科学による犯行ではないのだ。
では次に魔法を考えよう。というよりこちらの発想が先に来る。科学を先に考察したのは、魔法での考察を十全に行うためだ。
まず考えられるのは、単純な魔力の放出という線だ。魔法第一法則に従い、単純に魔力を力学的な力として利用する。車のピンポイントな破壊には説明がつく。
しかしスタッフ全滅は?
これは難しい。病院も組織である以上、個々人では生み出せないような力を集団として生み出せる。ほかの組織との連携も可能だ。警察、または『戦う部隊』への連絡もできる。そうした場合も、やはり個人の犯行とは思えない。集団や組織というものではなければ、大きな力は生まれない。
しかしこの惨劇には組織の存在は感じられない。というよりも――そんな事をする必要はない。『魔法行』がそこまでして――『A』がそこまでして、『CPS』に危害が加わるようなことをするものか。この病院に何があるのか。そこまでして破壊を行う必要はない。
だから――やはり個人の力なのだ。
個人が力を手に入れるとき、そこには必ず、あることが必要になる。
そう。
彼は。
「はぁーっ、はぁーっ……」
息を整えるシアン。この状況が少しずつではあるが飲み込めてきた。異常なことが起きていると、ここはあの病院ではもはや無いということを。ゆーたとの楽しい時間を過ごした、あの場所ではないということを。前を見る。
血の海が広がっているのはさっきとは全く変わっていない。しかし見慣れるというのは少し恐ろしいことであった。しかしそんな事を気にしていられない。
「ゆーた、さん……」
どこだろう。
立ち上がる。
歩く、そして駆ける。ぴちゃぴちゃと音を立てるものが何なのかは気にしない。靴が今何色になっているかも気にしない。とにかく今は恩人を探すことに集中しよう。
2階をとばす階段から3階へ向かう。私がいた病室は7階だ。ひょっとしたらそこにいるかもしれない。そう思って、その部屋を目指す。
ただの勘だ。
しかしこんなものにでも頼らなければシアンの足は動かない。彼女の心は、ここで止まってしまう。
好きだといった彼に無事でいてほしい。そん名純粋なこころを、止められるものなどいるはずもなかった。
もう、彼女の家族もいないし――……。
4階に上がったところで、足音が聞こえた。
「!?」
どこからだ?
今、ここに人がいて、それがゆーたさんならばいいのだが、しかしそうではなかったら? この惨劇を作り上げた黒幕であるかも知れない。そこまで考えられたわけではないが、直感的にシアンは警戒心を強める。
どうやらそれは上のほうから聞こえてくるようだった。階段を上る音だ。負傷しているようには思えなかった。
上、上……上を見る。人影が、見えた。
男性のようだったが、すぐに消えてよく見えなかった。
とにかくまずは7階に上がる。そしてゆーたさんの病室を確認しよう。
「はぁ、はぁ……」
下の階を見る。疲れがたまった。息も荒い。少しばかり休憩しなくては。いくらなんでも7階までノンストップで走りきれるわけが無い。
――と、そこで自分の足跡が階段についているのがわかる。
赤い。
「……っ!」
もちろんそれは血だ。今までたくさんの人が流した血を踏み、そしてこのようにスタンプをつけてきた。5階、廊下を見る。
――死死累々。地獄の有様だ。とてもじゃないが耐えられるものではない。シアンはその場にしゃがみこみそうになる。
でも、立ち止まっては何も進めない。
優等生である彼女は、それを良く知っている――
「……行こう」
上を見る。前を見る。そして駆け出す。ゆーたさん。無事でいてほしい――
7階に着く。病室までの道のりは、覚えている。記憶のとおりに進む。
「う、うっ……」
死体。また圧殺されているようだ。頭が潰されている。
どうして、どうやってこんなことができるのかはわからない。けれど、こんなことをしてしまった人がいる。ということにシアンは戦慄せざるを得なかった。
歩くスピードが、少し落ちる。
「うっ……くっ……!」
涙が頬を伝う。見ず知らずの他人だが、その死をこうもまざまざと見せ付けられて、悲しくないわけがなかった。
病室の前に着く。扉を開ける――果たして。
そこに、彼はいなかった。
死体さえも。
「はっ、はっ、はぁっ……!」
止めなきゃ。止めなきゃ。
どうして、どうしてあんなことを。どうしてあんな計画を建てていたのか。あんな計画――最悪だ。
ゆーたさんを止めなきゃ。
8階。屋上まではまだ階がある。ゆーたさんに追いつけるか。
そうだ、さっきの人影はやっぱりゆーたさんでよかったんだ。そして同時に、犯人かもしれないという想像も当たってたんだ。
伝令系――外部と連絡をつける部分をあんなに綿密に調べて、どのように破壊すれば――どのような人を殺せばよいかをあんなに詳細に。
殺害方法はまだ不明だが、ゆーたさんの計画はしっかり、"正しく"実行されたのだろう。失敗しなかったのだろう。
誰も望まない成功。
いや、ゆーたさんは望んでいたのか。
「死ねなくなった……って言ってたのに!」
自殺という手段を。
死というものを。
ゆーたさんは望んでいたのか。
サイドテーブルにあったあの紙の束は、つまりそういうことだ。今までも、さまざまな場所で自殺を試みたのだろう。さまざまな病院の地図もそこにはプロットされていた。
彼が住んでいたであろう児童養護施設『ニュートンの家』の間取りもあった。
彼は、ゆーたさんは。
自殺狂だったとでもいうのか。
「何よ……それ……」
生命を手放す? そんな事をして何が、どうなるのか。
私がわからないだけなの? 幼いから、まだ知らないだけなの?
分からない。
ゆーたさんの気持ちが、分からない。
「ゆーたさん!」
屋上の扉も破壊されていた。晴れた空。青と白のコントラストが浮かんでいる。その大地は白いコンクリート。貯水タンク。縁には照明がある。
そして、そこには。
『34z』――憂汰がいた。
血まみれだ。
そして顔は――死んだような顔だ。
死体のような顔。
あるいは既に死んでいながら、体だけ生存しているようなもの。
「……なんだ、あんたか」
暗く、生命感のない声。人間味なんてものはもちろん無い。見せてくれた優しさだって、ない。
憂鬱で。
ただ淘汰されるのを待つ、終わりを知った何かであるように。
「だ……駄目です! お願いです、やめてください!」
必死で叫んだ。
涙なんか知ったことか。
どんな顔をしてるのかなんて気にしていられない。
いまはただ、目の前のことに必死だった。
駆け出す。
「……少し、黙ってろよ」
そのとき、何か白いものに、阻まれる。
しりもちをつく。
見れば、それは見知った魔法人だった。
中心には歯車のようなもの。その歯車の中心にも魔法暗号が書かれている。
そう、防御のための魔方陣――『S1』だった。
魔方陣の――壁。
シアンはそれを良く知っていた。
「お願いです! やめてください! やめてぇっ!」
ドンドンと、『S1』を叩く。しかしそんなの効くはずも無い。『S1』はすべてを防御する魔法だ――どうやっても、それを破ることなんてできない。ましてや、小学生の細腕では。
「……なあ、あんた」
憂汰が口を開く。
「大好きです、って……ありゃどういう意味だ?」
恨みがこもった声。シアンは何か大きな落とし穴に落ちてしまったかのような感覚を味わう。精神的な、何かに。
「だから自分は死ぬべきだなんて言わないで、って……なんだそれ。そんなのが……自殺をしてはいけない理由になるのかよ」
「あ……あ……」
なる。
はずだ。
なるに決まっている。屁理屈だ。
「そんなもんで自殺を妨げることができるんなら……『外』であんなに自殺するやつがいるわけがねぇんだよ。愛してくれる人がいる。だから自殺しない……そこに因果関係はねぇ。間接的過ぎる」
遠いんだよ、と言った。
「はぁ……いっつもそうだ。いっつもそうなんだよ。俺がどれだけこの世界に絶望して、自殺を図ろうとしても……必ず邪魔が入る。今回だってそうだ。あんたを助けることで――俺が死のうとした。実際、あれはかなりうまくやったと……思っていた」
車というのは、構造上、人を下敷きにすることは難しい。一般的な乗用車は、人を撥ねることはあっても――下に、轢くということはあまりない。正面は低く設計されており、そこに人間がはいることは、すこし難しい。
だが。
それが意図的なものだったとしたら。
『S1』で車体を浮かし、そして自らの体を――踏ませたとしたら。
それは救助という形をとってはいるものの、明らかな自殺――。
「『魔法行』……ああ、俺は、『魔法行』が大嫌いだ。というよりも……魔法なんて、大嫌いだ。この俺に、自殺さえさせてくれないなんて……」
「駄目です……そんなの……!」
「駄目? 駄目なのは分かってんだよ!」
叫んで、憂汰はシアンに向かう。
「駄目な人間だよこの俺は! 何もできない、何もできない! できないってどういうことか分かるか? マイナスって意味だよ! 人間はプラスで考えられる。その点で行くと、ゼロってもんはマイナスだ! 集団に迷惑しかかけねぇ! 周りの人間がドンドン不幸になっていくだけだ! お前には分かるかよ、そういうのを経験してきた俺の気持ちが、分かるかよッ!」
『S1』の壁を蹴る憂汰。シアンはその恐ろしいほどの豹変ぶりに、ただ動物のように恐れおののくしかなかった。
「今までいろんな人間にかかわってきた。ありとあらゆる人間を不幸にさせてきた! どうしようもない傷を負わせ、それでも俺はのうのうと生きていられる! 生かされている! 強制的に、この地獄に等しい、クソッタレな現実に生きることを強いられている! なあ、俺はこの世界が嫌いだ、何でか分かるか。それは、ルールが存在しないからだ。魔法なんてルールが無いものが存在しているうえに、人の心は摩訶不思議で、偶然は呪いの火種にしかならない! 幸せなんて一部の人間にしか廻らない! ルールがないってことはさらに、終わりが無いってことだ。人の人生の終わりってどこだ? 俺は死だと思っていた。だけど違うんだよ! 人は、死ねないんだよ!」
『魔法行』の魔法力を持ってすれば。
死体を、また生体にすることができる。
「殺しても死なない、死んでも死なない。そんな中でどうやっていけばいいんだよ、ええ? 俺の罪は、どこで祓われるんだよ! そりゃあ一つしかないだろ、地獄で祓うしかねぇんだよ! 無間地獄に落ちて、輪廻転生もすることなく! ただ死に絶えるしか道はねえんだよ! なのに! 俺は、死ねていない!」
罪。
赦し。
それはどこで行われる?
「自業自得だ。どうしようもないほどの自業自得だ……世の中には、理不尽ってもんがあるが……まだぬるい! まだ甘い! 自業自得の辛さ苦しさに比べれば、まだそんなのは子供のお菓子だ! 甘ったるくて仕方ねえ! こっちは酸っぱいぞ。どうしようもないほど自分ってもんを恨んで、嫌って、袋小路に追い詰められるんだからなぁ!?」
シアンの涙は、止まらない。
憂汰の涙は、枯れているのだろう。
「もし魔法なんてなかったら。もし『魔法行』なんてなかったら。そう考えない日が一日でもあったと思うか? ねえんだよ! 俺にはその支配から抗う力がなかった。無力だった……! だから、死のうと決意した! この世界のルールが大嫌いだと言う為に! そのためなら社会のみならず、世界からのドロップアウトだって覚悟してんだよ! 覚悟なしに自殺ができると思ったら大間違いだ! 俺は自殺をすると決意し、覚悟を固めている……お前の妄言で揺らぐようなもんじゃねえんだよ!」
――シアンは、目の前の彼が、ひどくかわいそうに見えた。涙の流れる理由はそれだ。彼が、こんなに苦しんでいるのを――
どうにもできない。
その自分の弱さに、ひどく悲しんでいる。
でも、何かしたい。
何かができれば! そう思う……。
「ゆー……た、さ、ん。うっ……く」
嗚咽を漏らしながらシアンは言う。一生懸命。
もう彼の決意はどうにもならない。ならば……。
「そんなこと……ないです」
否定する。
「『魔法行』や……世界に、抗う方法はいくらでもあります……うっ。……く」
憂汰は、死んだ目つきで――シアンを見る。
「へぇ……じゃあ、やってみせてよ」
「ええ、かならず……必ず! やってみせます……!」
「……そうかい」
憂汰はシアンに背を向ける。
「きみにそれができるのなら、やるといいよ。『魔法行』からの脱走。そして、世界からの……脱出」
「それができるとしたら……こんなこと、やめてください」
懇願する。
「いやだ」
もう、どうにもならなかった。
「がんばってくれ。俺は……僕は。先に行ってる」
「……? どこへ……?」
「世界の……外側へ」
憂汰は飛び降りた。
『S1』は無慈悲にも、その防御力を失わなかった。
だから理解できた。
その『S1』がふっと消えたとき。
実った果実は地に落ちて。
シアンは泣き出した。
喉が枯れ、自分をすべて破壊しつくせんとばかりに……泣いた。
『S1』による圧殺。
固定という概念が慣性系によるものである以上、その『S1』は動かすことができる。壁などではさめば圧殺できるというわけだ。
憂汰の完全なる死亡。
『魔法行』内の精鋭の外科医が当時病院に集まっており、彼らもまた憂汰に殺されていたため、憂汰を生き返らせることは不可能であった。
また、その外科医には、『A』の両親が含まれていた。
これより先、彼女は暗い性格になる。『魔法行』を脱走するために、彼女は持てる人生の活力すべてをつぎ込んで、自身の魔法力を高めていった。
外の世界で、彼女は憂汰を心で感じるだろう。少しはマシな性格に戻っているはずだ。
ただしそれも一時的なこととなる。
それはまた、別のお話。
虚魔法戦線は、こうして……始まった。
一人の自殺と、一人の決意によって。
第3章・終
第零話・完
虚魔法戦線・終焉
あとがき
この作品で重要視されている行動、それは『飛び降り』、そして『自殺』です。メインキャラクターである彼女に関することでこのことを語らないことはできません。そしてそれをある種のテーマとして扱っている作品である以上、語らなければならないことがあります。
それは、殺人の否定、自殺の否定です。
……しかし、それを語るためにこのような物語を作ったのではありません。そのためならばこのような作品になろうはずもありません。だからこそ、ここで私は『自殺の否定』の否定をしたいと思います。決して肯定ではありません。私も、自殺に限らず殺人、何か誰かを傷つけることはいけないことと信じています。
そして、だからこそ自殺の否定を否定したいのです。
そう思うのは、あまりにも救いがないからです。自殺をすると決意した人は、ある種の絶望とともに、自殺という救いを求めていたはずです。そして自殺を果たした人は……死後の世界で、少しは救われているのではないでしょうか? その救いを得た魂を――こんな言葉で、傷つけてはいませんか?
『生きていればそれだけで価値があったのに』
そんな、自殺という選択を完全に、真っ向から否定する。そんなことをして、彼らの慰みになるでしょうか。その選択をしなければならないまで追い詰められ、さらにその上でそれを否定する。同情も、哀れみもなく。残酷すぎやしないかと思います。
つまり、私たちがしなければならないことは、彼らの置かれた境遇を想像し、それを解決していくことではないのでしょうか。しかし、自業自得はどうすれば解決できるのか……。開き直り方というものは、幼少期から大事になってくるということでしょうか。
さて、あとがきがやけに長くなりましたが、これにて『虚魔法戦線』閉幕です。『ハルミトン』先輩をはじめ周囲の方々、またネット上で拡散してくださった方々、この作品を掲載させていただいた『小説家になろう』様。そしてここまで読んでくださった読者の皆様、本当にありがとうございました。乱文失礼しました。