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第零話『魔法使いの心中』  作者: 由条仁史
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第2章 恋情

シアンは事故の情景を思い出す。そして初めて恋を知る。それはいかにして快楽となるのか。

 第2章 恋情



 夜中、シアンの目が覚めたのは昨晩と違い、『なんとなく』ではなかった。夕方に寝たわけではなく、夜が更けるくらいまではゆーたと話していた。思案の話を本当に興味深そうに聞く彼は、シアンの話したい気持ちをとても刺激してくれた。トランプゲームもした。二人でできるゲームなどたかが知れているが、若干シアンの勝率のほうが高かっただろうか。ゲーム中は二人とも真剣で、プレイしていて、外から見ればたかがゲーム程度でこんなに必死になるなんて、という言葉を受けそうなほどだった。ゲームの後も、語らいは続いていた。学校のこと、友達のこと、家族のこと――魔法のこと。その夜は、話す内容が尽きることはなかった。

 とても楽しんだ後に眠りにつくのは快感だ。人間の三大欲求である睡眠欲を最も充足させてくれる眠りだっただろう。シアンが眠りについて――3時間ほど経ったころ。


 シアンはこんな夢を見た。


 地面に倒れる自分。すりむけて痛い足。

 じりじりとアスファルトを焦がす太陽光線、熱線。

 後ろから突き飛ばされたことを認知していた自分は倒れている体を何とか痛みをこらえながらひざ立ちまで持ってくる。

 結果として頭が揺さぶられたので、傾向感覚が一時的に麻痺しているのだ。あまりはっきりとした意識ではない中で――シアンは振り向いた。

 まず目に飛び込んできたのは、血。

 おそらく――撥ねられずに、そのまま車の下敷きとなるような感じだったのだろう。車の重さをご存知だろうか? 知ったならば驚くだろう。そんな思い物体が、いつもあんなに速く動いているのか、と。その圧倒的重量によって人間という血液水風船がはじけるのだ。

 そこには並々ならない血だまりができるだろう。

 そして、シアンはその血だまりを発見した。大きな、大きなその赤い場は爆心地だけではなく、シアンの体にも付着していた。

 朦朧とした意識の中で、それを汚いな、と思った彼女は、残酷な人間というわけではない。

 思考が、感覚に追いつかなかっただけであるからだ。

彼女は、そのぼんやりした意識の中で、赤い場の中央に目線を動かす。

 そのときの彼女のぼんやりとした意識が覚醒した――というわけではない。

 ぼんやりとした意識の中でも、暴力的に感覚を暴走させる――そんな光景だったからだ。

 まず四肢はすべてもげていた。いったいどこまで飛んだのだろうか。

 次に車にふめれたであろうところはひしゃげていた。肉がぐにゃぐにゃになって、それをあらわにしていた。

 腹を轢かれてしまったのだろう。腹の中には内臓がある。内臓がない人間なんて存在しない。独我論による他者ロボット説を否定する材料の一つだ。

 一番醜い形で、それを思い知らされる。

 胃が、腸が、すい臓が、肝臓が、どれほどの臓器であったのかなど、医学の知識がないシアンには全く分からない――


 これが、胃かな。


 分からないが、見当をつけることはできてしまった。ぐちゃぐちゃになって、ミンチになっているので、それ以外の判別はできなかった。できないのではなく、したくない? いいやちがう。まだ意識がはっきりしていないのだ。ひょっとしたら、その程度の認識だ。そして、それ以上を判別することは、シアンにはできなかった。

 そういえば、と『CPS』は緩やかに目を動かす。あれはどこ? 人間ならば。必ずあるはずだ――ああ。


 あった、頭。


 そして、シアンは自分の手を見た。それは臓器の一部なのだろうか? ぐちゃりとしたもの、生温かく、赤々と、黒々としていて……。

 ……。そして。

 その強烈な臭いに、シアンの意識は追いついた。




「――大丈夫かい?」

「……はい、なんとか」

 はいとは言ったものの実際はそうであるとはとても言えなかった。胃の中に何も入っていないからだろうか。お腹がすたという感覚は薄れたが、体内の栄養が足りないのは分かった。とにかく、しんどかった。

 今もしんどい。

「……本当すみません。見苦しいところをお見せして」

 軽く笑おうと思っていたが、笑うほどの元気も私にはなかったようだ。目を瞑り軽く頭を垂れることで代用した。

 本当、体力って大事だな、と思った。

「気にしないで、その……いろいろあったし」

 いろいろ。

 ゆーたさんの顔を見る。私のことを、心配そうに見ている。整った顔立ち。

 その顔立ち。

 頭。

 頭が、そこに――

「――っ!!」

 胃が虚無のはずなのに、何かを拒絶するように喉の奥へとせりあがってくるのを感じ、口を手で押さえる。

 やばい。

 いけない。

 目をぎゅっと瞑る。

 気持ち悪い。

「大丈夫!?」

 ゆーたさん。

 ゆーたさん、ゆーたさん……。

 ……。

 その後しばらく経ったが、虚無を吐き出すことはできなかったようだ。

 もちろん、体力は相当削られた。

 状態を上げているこのベッドの構造。早くフラットに戻して、寝たい。

「……う、ぅ。うぅ」

「大丈夫……でもなさそうだね」

「あはは……はい」

 笑う気は、無い。もう、本当に元気が無い。

 ……ああ、本当につらいなぁ。

 命の恩人に、こんな心配させるなんて。

 そんな……そんな……。

「…………」

 いつもの私なら涙が出ると思った。しかし今は――本当に疲れた。本当に衰弱している。これはもうだめだ。涙さえ流せないなんて、本当にギブアップだ。

「もう、早く休んだほうがよさそうだね」

 ゆーたさんは立ち上がる。その様子を横目で見る。顔を上げたくない。

 今はもう疲れた。

「倒すよ」

「…………」

 無言、ああ、悲しいなあ。体力が無いって。

 ゆーたさんはベッド脇のいろいろなものを操作し、ゆっくりとベッドを倒してくれた。フラットになったベッドに体を埋める。

 とにかく弱っている体には睡眠だ。目を瞑る。ゆーたさんが布団をかけてくれる。ありがたい。

「じゃあ……おやすみ」

 ゆーたさんが出て行こうとする。

「……ゆーたさん」

「……どうしたの?」

 疲れた。本当に疲れた。

 でも気になってしまったから、聞きたくなった。

「ゆーたさんは、どうして……私を助けてくれてくれたんですか?」

 昨日も、聞いたことだ。

 しかし、改めて聞きたくなった。

「…………」

 目を瞑っているから、今彼がどんな表情をしているかは分からない。

「あんなに、あんなになってまで助けなくて良かったじゃないですか。私は……つらいんです。わたしのせいで、ゆーたさんまで……。巻き込みたくなかったです。ゆーたさん……」

 疲れているが、口は少しばかり良く動いたようだ。

 頭はぼーっとしてきたが。

「そうだね……正直、僕は――自分が嫌いなんだ」

 ゆーたさんは言った。

「僕は自分のことを、本当につまらない人間だと思っている。そんな僕より――君のほうが、生きていて価値がある」

「あの一瞬で、そんなこと……」

「はは、自虐体質でね、反射的さ。昨日言ったとおり。……だから、つまらない僕よりも、君に生きてほしかった」

 彼にどんな人生があったのか。

 わたしには分からない。

 けど。

 これだけは言える。

 言わなくちゃ。

「そんなこと……駄目です」

 力は入らないが、力をこめて話そう、伝えよう。

「そんなこと、二度と言わないでください。自分は駄目な人間だとか……そんなので、死んでいいわけないじゃないですか。理由になりません」

「理由……」

「それに、ゆーたさんはつまらない人間なんかじゃありません」

 断言する。

 断言できる。

 断言しなきゃいけない。

 断言したい。

「ゆーたさんは、わたしを助けてくれたじゃないですか」

 わざわざ道路に飛び込んで。

 あの一瞬で走り抜いて。

 そして、あんな目にあったとしても。

「とても……勇気ある行動だったと思いますよ。普通は、そんな勇気ありません。助けになんか、いけませんから」

 断言。終わり。

 これが彼の心にどう響くかは分からない。でも分かってくれただろう。世界には、自分のことをそう評価してくれる人間もいるということを。

 足音が、近づいてくる。

 汗で濡れた額に、手が触れる。ああ……"良い"なぁ。

「……ありがとう」

 にこっ。と力いっぱい微笑んだ。

「ゆーたさん」

「何?」

 言う。

「好きです……大好きです」

 いつもなら言うはずも無い言葉だ。

 しかし今、言いたかった。

 この思いを、伝えたかった。

「……参ったな」

 ゆーたさんは言う。

「これじゃあ、死ねなくなったじゃないか」

 笑いながら、そう言った。




 目が覚めたのは、昼過ぎだった。

 体力的に少しはマシになったが、いかんせんお腹がすいていた。

「おなかすいた……」

 ぐっ、と起き上がる。よし、朝のようなつらさは無い。

 この空腹以外は。

「何か食べなきゃ……」

 周りを見る。すぐに気づく。脇のテーブルに、カロリーメイト、おにぎり、お茶にパンと、食べ物が置いてある。買いに行く手間が省けた。ありがたい。

「ゆーたさん……」

 と、思っていいだろう。本当に、ありがたい。

 おにぎりの袋を開ける。とにかく口に何か入れたかった。

 真ん中、左、右。よく出来た開け方だ。

「いただきます」

 一口食む。歯を海苔に立て、力を加えて、ご飯が口の中で破裂する。

 たまらない。

 もぐもぐ。

「……あー」

 言ってしまったなぁ。

 告白、してしまったなぁ。

 えへへ。

 やばい、初体験。

 思いつきで、思ったままを口に出してしまった。

「うわー……」

 どきどきしてきた。顔が赤くなってきた。いかん、これは本当に初めての感覚だ。

「どうしよう……」

 どうしよう。

 何を?

 この胸の高鳴りに、どう対応しよう?

 このうれしさのあまり飛び上がってしまいそうな自分をどう抑えようか?

 これが――恋なんだ。

 そう感じる。

「……ゆーたさん」

 名前をつぶやいてみた。

 きゅん、とする。体の中心から、何かやさしいものに引っ張られるような感覚。

 好き、という感覚。

 とても、楽しい。

「恋かぁ……」

 恋。

 あー、うん。恋だね。

 ゆーたさんはどう感じたんだろう。ゆーたさんから見ればわたしはただの子供だ。恋愛的な意味での"好き"だと思っているのだろうか。そう受け止められていない可能性は高い。

 ……はぁーあ。

 片思い。

 ああ、楽しい。

 ああ、切ない。

「……ふぅ」

 でも。

 でも、違うのだ。

 わたしのこれは、純粋な恋じゃない。純粋な愛情じゃない。

 きっと、それは後ろめたさ。

「うん……違う、んだよね」

 "申し訳なさ"の上に成り立つ感情だ。

 負う必要の無い傷を負わせてしまった。

 死ぬはずだったわたしを助けてくれた。

 そんな申し訳なさの感情なのだ。

 その――恩を、返したいという感情だ。

 それがたまたま――いいや、たまたまではないのかもしれないが、わたしの場合は恋や愛情といった形で現れたというわけだ。

「…………」

 お茶に口をつける。

 ――止められないよなぁ、と思う。

 これ以外――ゆーたさん以外の恋が、これでできなくなってしまったんじゃないかと思う。ほかの誰にも、この感情を向けられないんじゃないか?

 仮に。

 仮にできたとしても、それは直接的ではないだろう。常にゆーたさんのことを負い目に感じてしまうのではないか? この恩を――仇で返したことになってしまうのではないか?

 ゆーたさんは気にしないかもしれない。

 でも私は、それを負い目に感じてしまう。

 私はその恩を――愛で返さなければならない。

「愛……で……」

 ゆーたさんのためだったら、なんでもしたい。それが愛なのだとしたら、これはまさしく愛だった。

 なんでもって?

 なんでも?

 そう、なんだって――

「……っっ! むぅー……っ!」

 顔がとんでもないほど熱い。火が出ているように、この体を燃やし尽くしてしまうんじゃないかというほどに。

 私は、私は、何を考えて――

 それはきっととても先の話で、とてもすぐの話?

 食事を終えた私は布団をかぶり、そしてそのまま目を閉じた。




 ――ゆーたがリハビリから戻ってきたのは、夕方のことだった。そこからゆーたはベッドに戻って――外をぼんやりと見ていた。ぼんやりと、動かない人形のようにじっと座っていた。

 その夕日が沈み、夜が更けるまで。

 シアンは――『CPS』は、ずっと眠っていた。

 目を覚ますことはなかった。

 物音を立てずに病室に戻り、そして今の今までじっと外を見て座っていたのだ。

 まるで、その空間だけ時間というものが存在しないかのように。

 ゆーたは――じっと、座っていた。

 体勢を変えることも、指一本動かすこともなく。

 彼はじっと外を見ていた。

 それは脅威の集中力とも見て取れた。この数時間、彼は意識を手放すことなく、じっと窓の外の景色を見つめていたのだから。

 窓の外に何があるというわけではない。

 むしろ何も目に留まるものはなかった。

 そもそも彼には窓の外を見ているという認識さえなかった。

 しかしながら、彼は操られている、精神を誰かに何かに支配されているというわけではない。このゆーたの行動――動かざる行動に、魔法的な要素は何一つ無い。

 魔法以外の何かも無い。

 あるのはただの、とんでもないほどの集中力、忍耐力。

 恐ろしいまでの――執念ともいえる行動だった。

 しかし彼はこの行動を、何とも思っていない。

 この、不気味で、人間味の無い、生命というものを感じられない行動は、彼にとっては、どうってないことの一つ。それはつまり、慣れているということ。日常的な行動となっているということだ。

 そんな彼の、この行動の意味は一つ。

 ただ考えているのだ。

「…………」

 そして彼は、思い出したかのように動く。その体を、動かした。

 立ち上がった。

 その顔は、笑っていない。どうしようもなく真剣なそれは他人が声をかけることなどできないほどのものだった。

 単純に言えば、真顔。

 感覚的に言うならば――冷たい表情だった。

 冷酷。

 外を見ているときから、その表情は保たれていた。

「…………」

 何も言わない。何も言わないまま、彼は歩く。病室の中を歩く。

 静かに、静かに。冷静に、冷酷に――歩く。

 そして、『CPS』のベッドのそばで、足を止める。足音も同時に止まる。

 『CPS』を見下ろす。

 ぐっすりと、すやすやと眠っている。10歳そこそこの年齢である彼女。その、完全に無防備な姿。寝顔、それを――ゆーたは。

 見下す。

「…………」

 何も言わない。表情も変えない。

 しかしそこには、感情的でない感情があった。

 『CPS』は気づかない。

 今のこの部屋の様子に、気づけない。



                   第2章・終

                   第3章へ続く

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