外来生物法
登場人物
・ギフト(義普登志彦) … 主人公。12歳。目が覚めたら100年近い時間が過ぎていた。空想カタパルトで、手に届く範囲の物体を飛ばすことが出来る。
・みっちゃん … 目が覚めたギフトの隣にいた制服を着た少女。大変力が強く、おっぱいが大きい。
・空吾くん … 12歳。ギフトやみっちゃんを猿と呼んで見下している。ショットガンを装備している。
・先生 … フレームの細い眼鏡をかけたスーツの男。空吾くんの面倒役で、話出すと長い。喫煙家。
「遅いよ、先生」
呻き半分、空吾くんが返事をした。
「こう暗いと時間かかっちゃってさ。あ、吸っていい?」
みっちゃんは頭を押さえたまま、答えなかった。
「ああ、ちょっと強すぎちゃったかな」
タバコを胸ポケットにしまう。何を考えているか分からない、人畜無害な表情が浮かび上がる。
「みっちゃんに何をしたんですか」
初めて僕に気づいた様子で「やあ」と一声かけて答えた。
「秘密。それにしても空吾くん、初めての実戦とはいえ訓練が活きてないなあ。暗闇で矢鱈目鱈撃ちまくるもんじゃないよ」
「こいつら異常に素早いんです」
「初撃で仕留めないと逃げられるに決まってるじゃない。決定打に欠ける一撃は、いかに威力があれど意味をなさない。練度不足としかいいようがないなあ。いいかい、大戦期の英雄シモ・ヘイヘは狙撃の奥義を練習であると答えたそうだ。君も見習って少しは真剣に――」
「先生」
「うん、すまん」
痛みが治まってきたらしい空吾くんがみっちゃんに近づくと、「猿が」と頭を足蹴にした。
「こら、空吾くん」
「こいつ、僕の髪を引っ張ったんです」
「やめなさいって」
引き剥がされても収まり切らない様子で、離れ際に唾を吐きつけて、先生にたしなめられた。
「しかし二人いたとはね」
僕とみっちゃんを交互に見て、先生が言った。
「違う」と呻きながらみっちゃんが言う。「ギフトは違う」
「さっきからギフトギフトって何なんだ」
「彼の本名が義普登志彦だから、あだ名なんだろう」
言いながら、先生がみっちゃんの前で腰を下ろす。屋敷の中で僕にも向けられた機械を使うと「彼女の名前は藤光子か」と独りごちた。
「二〇〇二年生まれ。ここの娘らしいな。ちょっとしたお嬢様だったらしい。大体見た目、十四歳くらいか。となると感染時期は推定二〇一六年の混乱期。見た目は綺麗だが――」
先生がみっちゃんの白いシャツをまくり上げる。月明かりが、雪のように白い肌を現した。わき腹にえぐれたような傷跡がある。さながらゲレンデの上を雪上車が走り抜けた跡のようだ。
「襲われた傷跡だ。二次感染者だな」
先生は向き直って、僕の所へやってくる。
「見たかい。彼女の出鱈目な力。復活した人間は常識では考えられない力を使うようになる」
僕は返事をしなかった。
「授業の続きをしようか」空吾くんに目をやり「すぐに終わるから安心しなさい」と断りを入れた。
「さて、感染は拡大の一途を辿ったが、君たちへの対応は消極的だった。二年後の二〇一四年、外来生物法が改正されるまではね」
「外来生物法?」
聞きなれない言葉に僕は言葉を返してしまった。
「外来生物とは海外起源の生物を指す。身近な例で言えば、名前通りアメリカザリガニなんかがそうだ。これらの生命力が勝り、在来種のニホンザリガニは極端に数を減らしてしまった。そういったことを起こさぬよう、元ある生態系の維持に努める法律だ。
端的に言えば、君たちをアメリカザリガニと同じ枠組みに入れることにしたんだな。生態系を乱す特定外来生物としてこれを防除、つまり殺処分することも許可されたわけだ」
「同じ人間だったじゃないですか」
表情を変えず、あくびを出しかねない声色で言う先生に、僕は得体の知れない恐怖を覚え始める。
「そう、人間だったさ。さっき、君は死んでいると言ったろ? 君らは、人間とは程遠い能力を持った種だ。生命活動が不可逆となって再開している。つまり、人間としては死んだのさ。別の生きものなんだ。記憶も性格も本人そのものだが、変化した種として外来生物法に組み込まれた。
君たちに人権は無い。害獣として扱われるから、殺処分されて然るべき、というわけなんだな、これが」
みっちゃんが再び悲鳴を漏らす。
「君たちは現代社会において『変種』と呼ばれている。二〇八六年、ウクライナから鎮圧が報告されたのを最後に頭数が減少傾向であるとWHOが発表していているが、ゼロになったわけじゃない。種の保存を訴える学者も近年出てきているが、世論はまだ排除の向きだな。まして人を襲ったとなると――」
空吾くんが待ってましたとばかりにショトガンを構えた。銃口の先にうずくまるみっちゃんがいる。
「殺処分するほかない」
「やめてください!」
「先生、そっちのはやらないの?」
「彼は連れて帰る」
「まだ最初の感染者だと思ってんですか」
「いや、確証を得た。彼は一次感染者だ」
空吾くんは笑ったけど、先生は表情一つ変えなかった。
「……マジですか」
「十中八九、マジだ。一次感染者は損傷のない健康体であったから、脳機能の低下はごく僅かだったそうだ。会話してみて、彼が極めて論理的な思考をしていることが分かった。俺が相対した中でもっとも賢い個体と言っていい」
空吾くんが信じられない様子で僕を凝視する。
「八六年間、誰にも見つからなかった? ありえない」
「おそらくこの屋敷に秘密はあるだろう」先生が顔を上げる。炎にぼんやり照らされた木々が風に揺れる。その向こうで僕の目覚めた屋敷が、切り取った影のようにぴたりと佇んでいた。
「こんな山奥には過ぎた屋敷だと思わんか。もしかすると彼の研究資料もあるかもしれん」
「……ま、いいや。こいつ、やっちゃいますよ。菅野三尉の敵を討たなきゃ」
ショットガンを脇に抱え直す。底部が肩に当てられ、頬を潰すようにして狙いを定めた。
「あのね、こんな近距離で撃つんじゃないよ。俺が巻き添えになるだろ」
空吾くんが咎めるように顔を上げた。
その一瞬を見逃さなかった。二人の注意が僕らから外れた瞬間、ありったけの想像力を膨らませる。
カタパルトだ。なるべく遠くへ。ぶつけるのではなく、怪我をしないよう、足下を滑らせる感覚で。
先生は声を上げる間もなく、茂みの向こうに飛んでいった。
「先生!?」
空吾くんは反射的に後ろへ飛び、みっちゃんの回し蹴りを避けた。どういう仕掛けか分からないが、頭痛の元が先生という予想は正しかったらしい。
「くそっ、先生!」
みっちゃんさえ自由になればこの場を突破出来るはずだ。
手や足を振るう度、まるで巨木を振り回したような轟音が鳴る。
空吾くんは文字通り、必死で避ける。
意を決した様子で、飛び退きざまショットガンを構えた。
ショットガンが宙を舞った。みっちゃんが蹴り上げたのだ。
高く足を上げたまま、縦長の銃が軽快に回転し落下する。それはまるで新体操のようだ。
「鍵を渡して」
構えも何もない、立っているだけの女の子に圧倒されていた。
空吾くんが歯噛みしているのが、背中からでも分かる。
観念した様子でポケットに手を入れ、地面に放り投げた。
それは親指ほどの――弾薬だ。
瞬間、強烈なオレンジ色の光が現われた。
踊り狂う業火は呆気にとられた表情のみっちゃんを飲み込み爆ぜる。
衝撃が、ありとあらゆる刺激をもたらした。
ただ意識だけは切り取られたように、静かに奥底へと沈んでいった。