苛烈の追撃者
登場人物
・ギフト(義普登志彦) … 主人公。12歳。目が覚めたら100年近い時間が過ぎていた。空想カタパルトで、手に届く範囲の物体を飛ばすことが出来る。
・みっちゃん … 目が覚めたギフトの隣にいた制服を着た少女。大変力が強く、おっぱいが大きい。
・空吾くん … 12歳。ギフトやみっちゃんを猿と呼んで見下している。ショットガンを装備している。
・先生 … フレームの細い眼鏡をかけたスーツの男。空吾くんの面倒役で、話出すと長い。喫煙家。
僕とみっちゃんは敷地内でも最も木々が密生している辺りに飛び込んだらしかった。もはや森と呼ぶべき地帯で、月明かりも乏しく、近くまで寄らなければ木の幹と分からない程だ。
「無事?」
檻を置いて、みっちゃんが四つん這いで囁く。
僕は檻の中で、胸を抑えて吐き気と戦っていた。
「気持ち悪いの?」
「あそこまでしなくても」
嘔吐を抑えて、絞りだすように言う。
「殺さなくたって」
みっちゃんは首を傾げた。
「あそこにいたかった?」
「そうじゃないよ」
「ギフトは難しいことを言う」
不思議そうな顔をしてから「今、出してあげる」と檻に手をかけた。その表情は、僕を純粋に心配していて、人間の首を引き抜いたとはとても思えなかった。
化け物、という言葉がどうしても浮かび上がってしまう。
みっちゃんに対して恐怖を覚えていたが、僕もまた化け物らしかった。
衝撃的なことが続いて混乱しているのかもしれない。
名前で呼んでくれる人と一緒にいられることは、畏怖以上に奇妙な安寧の念をわき上がらせていた。
自分が化け物だなんて信じられないし、信じたくない。けれど、みっちゃんが証明してしまった。受け入れたくない事実が、胃の中で跳ね回っていた。
みっちゃんは鋼鉄を前に悶絶している。「かたい」と呻くと手を離し「なんじゃこりゃあ」とため息をついた。
「みっちゃん」
「もう一回、頑張ってみる」
機関車のように鼻から息を出す。僕はもう一度、名前を呼んだ。
「みっちゃん、誰かを殺したりするのは、駄目だよ」
「そうなの?」
予想だにしなかった返事に、少しだけたじろいでしまう。でもすぐに気を取り直して「そうなの」と言った。
「でも」
「駄目ったら駄目」
みっちゃんが言葉に詰まる。それから「わかった」と言って俯いた。
化け物になると記憶の混乱と老化が停止すると先生が言っていた。
だからみっちゃんは、当たり前のことだって忘れてしまったに違いない。
それにどんな意味があるかは分からなかったが、僕が少しずつ教えていけばいいと思った。
凶暴なライオンも、ちゃんと躾れば人を襲わなくなるのだから。それくらいの気持ちで、だから大丈夫と自分を納得させる。
――前触れもなく突如として起き上がり、身近な人間に襲いかかる。
変わり果てた姿のみっちゃんのお父さんが脳裏に浮かぶ。
慌てて首を振った。みっちゃんは、あの白い部屋にお父さんが会いに来たと言っていたじゃないか。少なくとも、みっちゃんに襲われたのではないはずだ。
では僕は。
お腹の中で何かがぬめりと動いたような悪寒が走った。
顔を上げると、暗がりの中でも光を湛えた虹彩が僕をじっと見つめている。
「ギフト、泣いてるの?」
「泣いてない」目を服の袖で拭う。僕にはもう、みっちゃんしかいなかった。「檻は、僕らを捕まえるためのものだから、特別製かもしれない。だとしたら、鍵が必要だ」
捕まった時、近くにいたのは菅野三尉と空吾くんだった。空吾くんが持っているとは考えにくく、おそらく菅野三尉が持っていたのだろう。今となってはちょっと分からない。
もう鍵なんて必要ないかもしれないな、と思う。僕らは危険だと見なされ、殺されてしまうかもしれない。
「ギフトの力で壊せない?」
「無理だよ。空想カタパルトは『飛ばす』って感覚で『壊す』とは違うんだ」
思い切り岩に激突すれば壊れるかもしれないが、僕も無事ではないだろう。死なないとはいえ、進んで痛い思いをしたいとも思わなかった。
「それじゃあ、鍵取ってくる」
忘れ物を取りに学校へ戻るように踵を返したので、慌てて声をかける。
「大丈夫、殺さない」
また物騒なことを言うから、僕は一度言い淀んで止めようとした。
すると聞き覚えのある笑い声がどこかから聞こえてきた。
「自信満々だな、猿のくせに」
みっちゃんが心底驚いたように目を見開いて辺りを見回す。気付けなかったようだ。
「お前たちも大昔じゃ混乱を招いたらしいが、今じゃ対策もしっかり確立されてるんだ。猿と変わらないんだよ」
乾いた銃声が暗闇で鳴り響く。
同時に、みっちゃんが檻を抱えて跳躍した。
さっき立っていた位置から雨が降ったような、ぱたたっと地面を叩く音がする。
直後、オレンジ色の光が煌めいた。闇の中、突如出現した太陽のように、目を刺激し皮膚の表面をちりと焼く。
炎だ。炎は燃え盛る直前、クラゲのように膨らんでから辺りにその身を散らしていた。
「よく避けれるもんだ」
二回目の砲声がする。僕はみっちゃんを飛ばす。みっちゃんの脚力よりもこちらの方が速かった。
木々の合間を飛ぶ。後方から爆発音と眩い光りが発せられた。
夕暮れのような紅い、ぼんやりとした明かりが樹の焼ける臭い共に漂い始める。
「みっちゃん、爆弾だ。僕らを焼き払うつもりなんだ」
「ばくだ……?」
「爆弾。ドカーンって鳴ると、熱くて痛くて、みっちゃんだってひとたまりもないよ」
「大変。でも、鍵だけは取らないと」
そんなこと言ってる場合じゃない、言いかけて、舌を噛みそうになる。前触れもなくみっちゃんが跳んだのだ。
「さっきの声で、大体位置は分かったから」
「駄目だって!」
大丈夫、と言うなり着地してまた跳ぶ。
辺りでは幾分か背の高い茂みを飛び越える。暗視ゴーグルとおぼしき装置を被り、ショットガンを構えた空吾くんがいた。草地に着地するみっちゃんと目が合うと、口許が歪む。
「人間のにおい!」
「犬かってんだよ!」
空吾くんは吐き捨てショットガンを逆向きに持って振るう。
みっちゃんは小虫を払うように右腕で受ける。
手が痺れたらしく、ショットガンが落ちこぼれた。
みっちゃんが左腕を伸ばす。空吾くんは身を屈めて避けると、腰から隠し拳銃を取り出して三発鳴らした。
「みっちゃん!」
全てお腹に命中する。しかし呻くでもなく彼の髪を掴んだ。
「痛っ、痛たっ! 離せ! この猿!」
「鍵を渡して」
「僕に触るんじゃない!」
一発、左脚に撃ち込まれる。一瞬身体のバランスを崩しかけたが、すぐに立て直した。
「鍵を渡して」
手の力を込めたようだった。空吾くんの悲鳴が一層大きくなる。
「くそっ、殺してやるぞ! 僕がお前を、殺してやる!」
二人の異常なやりとりを見て、僕はいつかの夕暮れ時を思い出していた。
それは家に帰る途中で見た、姉弟と思われる二人の喧嘩だった。何があったかは知らないが、弟が烈火の如く怒り狂い、姉が氷のように冷たく見下ろしていたのだ。夏の暑さが残る初秋だったが、僕は言いようのない感情を覚えた。
「う、ううう」
みっちゃんが突如くぐもった声を出し、その場にしゃがみこむ。空吾くんが解放され、二人とも膝から落ちた。
撃たれた所が痛みだしたのだろうか。それにしては。
離れた暗がりから先生が現れる。一仕事終えた風体で「空吾くん、ご苦労さん」とタバコを取り出した。
次回更新は26日19時頃予定です。