暗夜教室②
「嘘だ」
「何でそう思う?」
「だって、僕はこうして生きてます。影だってあるし、息だって吸います。心臓も動いてる」
先生はタバコをくわえたまま頭を掻いた。それは間違いに気づいたというよりも、予想通りの返事にちょっと間を空けてみただけのように感じられた。
「確かに生命活動は続いている。これは二次感染者の症例だが、新陳代謝が起きているから酸素は必要だし、それを送るため血液も循環を止めていない。そういう意味では、君は確かに生きているよ」
こねくりだした屁理屈のように感じられ、「じゃあ生きてるんじゃないですか」と責めるように言うと、先生は慌てる風でもなく手を振った。吐いた煙が無軌道に暴れて霧散する。
「それが死んでるんだわ。人間の死の定義って分かる?」
こうして話が出来ていること自体、生きていることの証明じゃないかと思う。先生という男に不信感を募らせていると、無言をどう取ったのか「空吾くん」と名前を呼んだ。
「生命活動が不可逆的に止まること、です」
「その通り」
正解を得て表情を綻ばす。僕に気づくとすぐに引っ込めた。
「君は高熱の末、一度心肺停止状態にまで至ったはずだ。担当医は死んだものと判断して脈拍を記録するのを止めただろう。病室から安置室に移動させられて、白い布を顔にかけられて、やってきた家族がひとしきり泣いて、はいご臨終ですよ、と。君には悪いが、ここで終わってりゃ良かったんだけどなあ」
タバコの煙が深く吐かれた。ひっかかった骨をやっと吐き出したような苦々しさが含まれていた。
「さてと、ここからは何て話したものかな。二次感染者のものに比べて、一次感染者、つまり君と同じ人間の症例記録は少ない。当時混乱の極みだったのと、あまりに前例が無い症状だったので現場レベルで記録が躊躇われたそうだ。破棄されたという説もあり、なんであれ今残っているものはほとんど無い。面白いのは首都圏で発生しつつあった新興宗教との関連性だ。彼らの唱える終末観と偶然似通った状況となったため、病状が一種の宗教活動と疑われたことで対応が遅れたとも言われている。もちろん因果関係は一切ないものの――」
菅野三尉が咳払いをする。空吾くんは頭の後ろで手を組んで呆れていた。「まあ、なんだな」と先生がタバコを吸い直す。
「残っている症例を付き合わせていくと、死亡確認後の経過はこうだ。前触れもなく突如として起き上がり、身近な人間に襲いかかる」
「襲いかかるって」
「噛みつくんだ。食べようとするんだぜ」
空吾くんが面白そうに言った。
「余計なこと言うんじゃないよ」
「本当のことじゃないですか。しかも、殺しても死なない。腕を取ろうが脚を取ろうが、首さえ残っていれば大丈夫なんだ」
先生は眉を少し困ったように傾けるだけで「まあ」と講義を続ける。
「今のは本当だ。一度停止した生命活動を動かすに辺り、肉体はエネルギーを消費した状態にあるらしい。カマキリという虫を知ってるか。カマキリの雌は交尾しながら雄を捕食するんだが、そのエネルギーは産卵のために使われる。一見残酷に見えるが、種の存続という観点では実に理にかなっている。雄は分泌されたエンドルフィンによって絶頂状態にあるから痛みを感じないそうだ。頭部を失っても生殖行為は可能で――」
菅野三尉のヘルメットが落ちることで、先生の演説は中断される。重量が結構あるらしく、地面に落ちるとボーリングの玉のように静止した。
そのとなりにみっちゃんがいる。草むらから半身を出していた。右手が濡れている。
「ギフト! 逃げよう!」
「こいつ」空吾くんが叫ぶ。「菅野三尉をやりやがった!」
菅野三尉の首が、引きちぎられたコードみたいになっていた。リズムカルに血を溢れさせながらも、不思議なことに立ち続けている。
先生が何か叫ぶ。空吾くんが背のショットガンに手をかける。
みっちゃんが思い切り片足を踏み降ろすと、土や小石が飛び散った。
二人が視界を奪われたその隙に、僕は檻ごと担がれる。
「飛ばして!」
言われるがまま、みっちゃんを空想カタパルトで飛ばす。
檻の中の僕ごと、文字通り弾かれてその場を抜けだした。
次回更新は24日19時予定です。