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第一章 日常から非日常への朝(分割前半)

 神影(みかげ)駒駆(こまがけ)区駒駆町にある長月(ながつき)荘というアパートの二〇二号室。真田宗助は、九畳一間の中央に敷かれた布団の上で、大の字になって寝ていた。古びたジャージの下とTシャツを寝間着代わりにして、死人のように静かに眠っている。

 窓から差し込む陽光に顔を照らされ、宗助は目を覚ました。ある程度の時間を照らされていたようで、火で焙られたように顔が熱い。まさに天然の目覚ましだった。

 備え付けの冷房を入れていない上、防犯のために就寝中に窓を閉め切っていたとあって、室温は恐ろしいことになっている。軟弱な現代っ子に比べれば耐性があるとはいえ、それなりに辛いことに変わりはない。汗もそれなりに掻いている。

 そうしておかないといつの間にか停まってしまうため、入浴時以外は決して外さないことにしている、やり手の中間管理職として職場で一目も二目も置かれている父親から「俺の形見だ」と押し付けられた自動巻の腕時計を確認すると、時刻は午前五時三十五分だった。

 ほとんど夜明けである。

 しかしいつも通りの時刻である。

 宗助の朝は早い。季節を問わず、ほとんどの場合、このくらいの時間帯には自然と目を覚ます。大学に合格し、一人暮らしをするようになってからの四ヶ月間、ずっとこの生活を続けてきたため、今ではすっかり身体がそれに適応してしまった。

 このような時間に目覚めてしまうのは、その生活習慣による。日が出ている内に活動し、日が沈んだ後はニュースを見ながら夕食を摂り、ゲームやパソコンに興じながらの食休みの後に就寝する。山寺に篭もって心身を鍛え抜く修行僧にも似た生活が体内時計を造り替えてしまったのである。

 しかし、宗助は別に、自己を厳しく律することを目的としてこのような生活を送っているわけではない。もっと散文的な事情によってこのような生活を余儀なくされているに過ぎない。

 それは経済的な事情である。宗助はアルバイトその他は原則としてしない主義であるため、実家からの月々十万円の仕送り以外に全く収入源を持たない。ゆえに、宗助が顔を見たこともない所有者の好意によって設定された格安の家賃及びこのような安アパートには全く不似合いながらも開設されていた光回線の定額料金、携帯電話の定額料金、水道の基本料金、町内会費などを差し引いた、約八万円以内で一ヶ月を過ごさなければならない。この生活水準でこの生活費ならば確かに安いのだが、払う側にとっては所持金と出費の関係性だけが重要な問題である。

 したがってその生活も極めて質素なものとなる。そうせざるを得ない。働いて生活レベルを高める努力を放棄した代償がそれなのである。

 具体的にどういった代償を支払っているのか。

 例を挙げるならば、次のようなものがそうである。

 水は最低限しか使わない。トイレは健康に影響しない範囲内で可能な限り我慢する。入浴時や洗顔時は最低限の水だけを出して手早く済ませる。飲み水なども最低限度に留める。

 電気は最低限プラスアルファしか使わない。冷房は耐え切れなくなった時に扇風機を使う以上のことはしない。暖房は厚着が追いつかなくなった時以外、使わないつもりである。電灯は原則として使わず、夕方以降になると上手い具合に窓から差し込んでくる、街灯の光を利用する。テレビは電源を入れていない時はコンセントを抜いておく。電子レンジは使わない。アルファに当たるのは、ゲームやネットサーフィンなどの娯楽のためにゲーム機やテレビ、パソコンその他を利用する場合である。

 買い物は最低限プラスアルファに留める。最低限の食料品、最低限の衣服、最低限の筆記具、教科書など、必要最低限の品しか買わない。贅沢品や嗜好品の類は一切買わない。プラスアルファに当たるのは漫画、書籍、ゲームソフトなどの娯楽用品である。

 そして残った分は将来のために貯金する。将来のことを考えるならアルバイトでもした方が余程良いというものだが、生憎と宗助は「働くのならば正社員として」という主義の持ち主だった。結局は可能な限り生活費を切り詰め、仕送りとして貰った金を貯金するということしかできないのである。

 他にもまだまだ細々とした制限があるのだが、とにかく、そういったことを一度、宗助は大学で知り合った学生達に話して聞かせたことがある。話題が「節約の基本は安い物を買うことではなくいらない物を買わないこと」、「部屋着と寝間着と運動着は十着あるジャージを着回している」という辺りでは彼らも感心しているような態度だったが、退き際を誤ってその先を続けたのがまずかった。「朝食と昼食は纏め買いしたカロリーメイトと牛乳一杯で済ませている。足りない栄養は纏め買いしたサプリメントで補っている」という辺りから段々と表情が引き攣り始め、「洗濯は二週間に一回、纏めて近所のコインランドリーで」、「蛋白質は大豆製品に頼っているから肉や魚は滅多に食べない」などという辺りになると居た堪れないといったような顔をして、一同揃って「もうやめろ」と訴えかけてきた。

 それ以来、知人達は、顔を合わせるたびにガムや飴などの菓子を勧めてくるようになった。その際に知人達は憐れみの表情を浮かべるのだが、宗助はそれを見るたびに筆舌に尽くしがたい苦さを持った何かが込み上げてくるのを自覚している。そのたび、断らなければ駄目だと思いはするのだが、無料で手に入る甘い物の魔力には逆らえず、気づけば苦い何かを味わいながら菓子を受け取っている。それが現状だった。

 それはさておき。

 洗顔から朝食までを、宗助は極めて機械的に済ませた。三月頃は初めての一人暮らしの中でのあらゆる行動に新鮮さがあり、何もかもが輝いて見えていたものだが、今ではすっかり腐り落ち、錆び付いている。どの行動も、最早、行動と言うよりは作業と言う方がより正しく思えるほどに定型化されてしまっている。惰性で生きているような生活であり、最早ストレスすらも感じない。淡々とその日その日を生きている。そんな、予定をこなすだけの、まるで消化試合のような人生になりつつある。

 ちなみに宗助は超能力者のくせに、洗顔から朝食に到る一連の作業において、超能力を一切使用していない。超能力で窓を開けたり、食事の支度をしたり、後片付けをしたりといったことは一切していない。それどころか、入居して以来、長月荘内で超能力を使ったことそれ自体が一度もなかった。細々とした日常生活において使用可能なだけの精密性と汎用性が備わっているにも関わらず、である。

 使わない理由と使えない理由が、それぞれ別々に存在する。

 超能力を使わないのは、単純に、そうすることが割に合わないからである。たとえば、たかだか冷蔵庫の扉を開け、中から何かを取り出すという簡単極まる作業を行うだけで、軽く近所を走ってきたような疲労感に見舞われてしまう。自分の手足や道具を使えばできてしまうことは、素直に自分の手足と道具を使って行った方が良いのである。

 実際、宗助の超能力というものは大したものではない。確かに多岐に亘ってはいる。不可能なことは時間停止や時間移動、読心、未来予知くらいのものである。しかし、一つ一つの能力は決して強いものではない。生まれてからの十八年強の時間を費やして密かに高め上げてきた結果、その精密性は極めて高いレベルに達したものの、力の強さ自体はほとんど成長しなかった。

 真田宗助にとって超能力とは、たとえば手の届かない場所で水の入ったコップが落ちそうになっており、念動力でも使わなければそれを阻止できないといった状況などの、極めて特殊な場合を除けば日常生活において何らの役にも立たないものなのである。少なくとも、まともに役立てようと努力するくらいならば、その分の労力を別のことに回した方が遥かに有意義だ、と宗助は結論している。

 そのため、そういった能力を持つ人間が活躍する業界があるのだとしたら、その中において自分は凡人でしかないと、宗助は認識している。無論、宗助が想定している「業界」は、テレビで超能力を披露して名声を得るといった、芸能界めいたものではない。漫画や小説に出てくるような、まさに人間を超越した力を持つ超能力者達がその力を使って彼らにしかできないことをやってのけるような、そういう「業界」である。具体的に言えば、非合法組織とか秘密結社とか、そういったものを想定しているのである。

 超能力を使えないのは、宗助が、自分が超能力者であることを世間から隠しておきたいと考えているからである。

 もともと、それは宗助の両親の考えだった。もし宗助が超能力者であるということが世間に知れ渡ったとしたら、過度の注目を浴びることとなるに違いない。そうなれば、とても平穏な人生を送ることはできないだろう。宗助の両親はそう考えたのである。だから、自分達の子供が超能力を持っているということを自分達二人の胸の内だけに秘めておくことにした。彼らは、息子を政府やマスコミに売り込んで自分達が富を得ることよりも、息子の人生が平穏なものとなることを望んだのだった。

 そして、それがいつしか、宗助自身の考えとなった。その考えに根ざした教育を受け、超能力者として脚光を浴びたがために不幸な人生を歩むことになった実例などを知る内、超能力者であることを他者に知られるのは危険であるという認識が生まれていたのである。

 そして宗助は、長月荘で超能力を使うことは、その危険を冒すことに繋がると認識している。なぜなら、SF小説や超能力バトル物の漫画によくあるような超能力者を監視或いは抹殺することを任務とした政府の秘密機関の類に、宗助が超能力者であることが悟られてしまう危険があるからである。

 宗助は、自分や他の超能力者が存在していることから、そういった秘密機関が存在していても不思議ではないと考えている。否、既に可能性の問題は超越していた。中学生の頃から、見たことも聞いたこともない秘密機関の実在を確信していた。

 ちなみに、その最有力候補としては、自衛隊と警察を想定している。他にも安全保障会議やら国家公安委員会やらそれらしいことをしていても全くおかしくはない行政機関がいくらでもあるが、超能力者だの政府の秘密機関だのという言葉が出てくると、やはり自衛隊や警察が真っ先に連想してしまう。参考資料の中には、その手の漫画や小説も多数含まれていたのである。

 そのことから、長月荘が、そういった秘密機関によって用意された、超能力者を発見するための罠であっても不思議ではないということが言える。何しろ長月荘は、近隣住民にも自衛隊関係者が多い上、陸上自衛隊駒駆駐屯地の近所に位置する。そういった「罠」として利用するには打ってつけの立地である。

 ただし、何も宗助は、「秘密裏に拉致され、監禁されたら絶対に助からないであろう場所」である自衛隊駐屯地が近いという、半ば妄想めいた理由だけで警戒心を強めているのではない。長月荘それ自体にも疑うべき理由は存在した。

 それは長月荘に、どこか異質な、何らかの超能力が付与されているという事実である。下見のために長月荘に一歩足を踏み入れたその瞬間から、宗助はそのことを感じ取っていた。

 一応、宗助自身の不十分な感知能力と、入居を斡旋してくれた知人の「変な気配とか心霊現象とかはないみたいだし、別に気にしなくてもいいと思うぞ。俺、四年間病気一つしなかったし」という話から、何者かが付与した超能力が入居者に害をなす類のものではないことは推測ができた。知人が体験したという、「一晩寝るだけで異常なほど疲れが癒される」、「構造上あり得ないほどに防音がしっかりしている」、「不思議なほどに建物が頑丈」といった不思議も体験し、それが働いている力の作用によるものだということも推測できた。

 だが、推測以上のこと、たとえば誰かに質問して真偽を確認するといったようなことしていない。他の誰も彼もが平然と過ごしているのである。一人だけ騒ぎ立てるようなことはできなかった。そんなことをすれば怪しまれてしまう。

 否、怪しまれ、「変人」のレッテルを貼られるだけならば、まだ挽回の余地はある。しかし、もし住人達が、長月荘に作用している超能力の正体を知っているとしたら、それは、彼らが超能力の存在を知っているということを意味する。宗助が超能力者であることがバレてしまう可能性は非常に高い。

 そして宗助は、住人達の何人かはほぼ間違いなく具体的な何かを知っている、と見ている。なぜなら、常に発動されている割に接近しないと効果を発揮しないという感知能力を駆使して調べた結果、住人の中には、明らかに超能力を持っていたり、超能力が付与されているのであろう物品を所有していたりする者が複数存在することが判明している。彼らのことを宗助は、或いは秘密機関の関係者なのではないのか、とも思っている。

 そのため、超能力の使用に限らず、怪しい振る舞いは極力避けることにしている。しかし、明らかに異常な点について全く言及しないのは、それはそれで不自然というものであり、怪しまれる原因にもなる。ゆえに、住人達に対して、「最近、あんまり疲れないんですよ。環境がいいんですかね」、「妙に静かですけど、防音壁でもあるんですか?」、「丈夫な建物ですよね」などと無難な感想を述べておくことは忘れなかった。

 そういった理由によって、直接的な確認をしていないため、長月荘に付与されている超能力の厳密な性質までは未だにわかっていない。ゆえに、それが超能力の使用を感知するような性質を持っていないとは言い切れない。

 したがって、警戒を怠るわけにはいかない。

 否、警戒を怠るわけにいかないどころか、このような怪しいことこの上ない物件にはそもそも入居などしてはならなかったのである。入居することなく立ち去ることが、こと長月荘が持っているかもしれない危険性から逃れるということに関しては、全く最善の手段だった。

 だが、実際はと言えば、宗助はその危険な物件に入居してしまった。止むを得なかったのである。真田宗助という人間が周囲から怪しまれないようにするためには、入居を取り止めるわけにはいかなかったのである。

 前提条件として、一人か二人で暮らすのであれば、長月荘はほぼ理想的な物件であるというものがある。部屋は九畳一間、敷金礼金なし、家賃は月々一万円、光回線完備、最寄り駅から徒歩二十分、自育大学から徒歩十五分、陸上自衛隊駒駆駐屯地が近いためか近隣の治安が良い、そういった破格の好条件が揃っているのである。当然、入居希望者は大勢いる。空きが出るとわかれば、その話を聞きつけた希望者がどこからともなく不動産屋に殺到するという都市伝説まであるくらいである。宗助も、去年まで二〇二号室に住んでいた知人に斡旋して貰わねば、絶対に長月荘の住人にはなれなかったに違いない。

 この普通の学生は絶対に断らないだろうというほどの好条件を蹴ってしまえば、絶対に怪しまれる。いや、それだけで済むはずがない。「宗助が感づいた」ことに感づかれ、監視対象とされてしまう可能性が高い。

 そして、そうなった場合、超能力者であるという事実を隠し通す自信は、宗助にはない。

 以上のような事情から、真田宗助は長月荘二〇二号室に入居することとなった。知人に斡旋を依頼し、知人がそれを承諾した時点で、もう宗助は詰まれていたのである。


 あと十数分で午前六時という時刻、ジャージとTシャツ姿のまま、宗助は長月荘の庭に出た。中学校入学以来、一日置きに行っている筋力トレーニングと、大学進学後に新しく始めたジョギングをするためである。先日はジョギングのみだったため、今日は両方を行う。順番としては、ウォーミングアップを兼ねたジョギングから始めることになる。

 無論、中高生だった頃は、早朝から行ったりなどしていなかった。大抵は放課後、帰宅してからだった。現在、このような時間帯から始めているのは、朝早くに目が覚めてしまうようになり、時間を持て余すようになったからである。

 宗助は庭の門柱の横で柔軟体操を始めた。

 外は夕方のように薄暗く、人気も全くない。まだ午前六時にもなっていない早朝だから当然の話である。市内の中学、高校、大学の運動部員でも、特別な場合を除いてはこのような時間から練習を始めるようなことはない。日本で最も早起きな人種の一つであろう自衛官達ですら、まだ布団の中にいるに違いない。

「おはよう」

 背後から聞き慣れた声がかかった。

「今日も精が出るな。感心感心」

 振り返って確認すると、予想通り、そこには気難しげな顔つきの老人が佇んでいた。

 老人は小野寺大二郎という人である。長月荘の管理人を務めており、長月荘の一〇一号室に独居している。ちなみに、帝国陸軍人だったとのことであり、終戦時の階級は軍曹だったと聞いている。戦後は実家の床屋を継ぎ、その後、息子一家に店を譲って今に到ったという話である。なお、その店は現在、息子の息子、つまり小野寺の孫一家が受け継いでいるとのことである。

 軍曹という階級に対して、平時においては兵卒を怒鳴り付け、殴り付け、非常時においては部下を取り纏めるのが仕事である、というような印象を宗助は抱いている。元軍曹であると聞いた時、厳格そうなこの老人を見て思わず頷き、管理人としての仕事振りや住人達からの人望を知った後で深く納得したものだった。

 旧軍の下士官であり、曾孫までいるともなれば、相当な高齢に違いない。米寿を迎えていても不思議ではない。しかしそれを感じさせない矍鑠とした老人である。杖を持ってこそいるが足取りはその補助を必要としないほどにしっかりとしているし、背筋も背中に定規でも入れているのではないかというほどに真っ直ぐ力強く伸びている。その若々しさを評して曰く、長月荘への入居を斡旋してくれた知人とは友人であり、そのことが縁で宗助ともたびたび一緒に遊ぶ仲となった今谷雅夫三等陸曹が「俺が一曹に昇任すんのと小野寺さんにお迎えが来るんじゃ、どっちが早いんだろうな、実際」、長月荘の向かいの家の主であり、今谷の上官でもある工藤優一准陸尉が「うちの中隊で先任と一緒に若い連中の指導でもやっていただきたいくらいだ」とのことである。

 もっとも、そういった種々の点から、超能力者でこそないものの、「長月荘」という単位での現場監督者かそれに近い存在なのではないか、と宗助は小野寺のことを疑っている。これほどの人物が何も知らないはずがないと考えているのである。

 そのことから、なるべく波風を立てないよう、距離を狭め過ぎず、しかし距離を置き過ぎずという無難な関係の構築を心がけている。

 そのはずなのだが、どうにも宗助は小野寺に気に入られてしまったようで、孫と祖父というほどではないが、大学の知人達とのそれよりも余程親しい間柄となってしまった。

 年長者と医者と聖職者を敬うように躾けられてきた宗助は、そういったこととは無関係に、半ば脊椎反射的に挨拶を返していた。

「おはようございます」

 こういった礼儀正しさが小野寺に気に入られてしまう要因の一つなのだろうということを宗助は理解しているが、しかし、身に染み付いた習性というものは簡単には変えられないものだった。

「小野寺さん、今日もお早いですね」

「若い頃からこんな生活だったからな。この時間になると勝手に目が覚める」

「今日も散歩ですか?」

「自分の足で歩けなくなった奴は終わりだからな」

 小野寺とは早朝に軽い世間話をするくらいの関係を築いている。だから、小野寺の日課が朝夕の散歩だということを知っている。そのコースが、長月荘と駒駆駅までの徒歩二十分程度の距離を往復するものだということも知っている。

 もっとも、こういったことを知っているのは、別に特別なことではない。この辺りは、アパートやマンションともなれば隣人の名前すらもろくに知らないような状況になりつつあるという都会にしては珍しいことに、非常に近所付き合いが盛んである。アパートだろうと持ち家だろうとお構いなく、隣人ならば名前、職業、簡単な経歴、家族構成、生活習慣くらいは互いに知っていて当然というくらいで、実際、宗助もアパートの住人及び近所のいくらかの住民について、そういったことを知っている。また、会ったこともない人間が自分のことを知っているという事態に遭遇したこともある。

「頑張れよ」

 そう言って、小野寺はゆったりとした歩調で立ち去った。

 その背中を見送ってから、宗助は再び柔軟体操を始めた。これを怠ったせいでアキレス腱断裂という悲劇に見舞われた陸上部所属の知人もいたため、その轍を踏むまいと慎重になっているのである。

 小野寺が立ち去った後、更にたっぷり十分間を柔軟体操に費やして、宗助はようやく走り出した。コースはもう決まっている。ジョギングはだいたい二十分弱くらいの時間を目安とするため、アパートとコンビニの間を一往復するのである。


 午前六時を過ぎた頃、宗助は特に何の問題もなく、予定通りにジョギングを終えて戻ってきた。

 高い気温の影響もあり、宗助は大量の汗を掻いていた。汗を吸ったジャージとTシャツは頭から水を被ったかのような様相を呈している。

 水分を失い過ぎている。ろくに思考ができないという危険な状態にまではなっていないものの意識も多少ぼやけている。このまま激しい運動を続ければ脱水症状か熱中症で死んでしまうという確信があった。夏の運動は多大な危険を伴うのだということを、一々心配してあれこれと配慮してくれる家族が周囲にいない生活をしてみて、実感した。

 まだ余裕はあったが、余裕がなくなってからでは遅い。宗助は急いで部屋に戻り、冷蔵庫からスポーツドリンクを出し、コップ二杯分ほどをゆっくりと飲み干した。火照り、渇いた身体が冷やされ、潤っていく心地よさに思わず嘆息した。

 そうして身体の調子を整えてから、改めて筋力トレーニングを始めることにした。メニューは腕立て伏せ、腹筋、背筋、スクワット、逆立ちといった具合に、全身を満遍なく鍛えられるようなものを設定している。

 中高生時代は、このトレーニングの効果によって、強健と評することもできなくはない均整の取れた身体つきをしていた。彼の身体を見た運動部員や女子生徒達が揃って賞賛の言葉を口にしていたことから、当時はそれなりの身体を作っていたのだという自覚がある。もっとも、真面目に練習を重ねている運動部員にはまるで敵わなず、顔の作りの方も他人に不快感を与えない最低限度を辛うじて超えているという程度のものだったから、女子にモテるといったようなことはなかった。

 しかし今では、中高生時代とは違って摂取する栄養量が低下したせいか、体格がかなり貧相なものとなった。端的に言うと、肉が落ちて痩せたのである。かつては野球部員や柔道部員のようながっしりとした体格だったのが、今ではインドの修行僧や減量に励み過ぎたプロボクサーを彷彿させるそれへと変貌してしまった。

 身体能力そのものは維持されているとはいえ、このままではそう遠くない将来に限界が来て、身体を壊すことにもなりかねない。そういう危機感を、宗助は最近、特に強く覚えるようになった。

 とはいえ、トレーニングメニューそのものを変える気はない。食生活を改善すれば済むからである。

 いつものように再び庭に出て、宗助はいつものようにトレーニングを始めた。腕立て伏せのような室内でも可能な運動を敢えて外で行うのは、汗だくのまま室内で運動すると部屋のあちこちを汗で汚してしまうからである。

「お、やっとるな」

 腕立て伏せと腹筋を終え、背筋を鍛え始めた頃、頭上から声をかけられた。大きく海老反って顔を上げて確認すると、やはり小野寺だった。

「俺の部下にもおったよ、君みたいに真面目な努力家が。本当に、気持ちのいい奴だった。泣き言一つ、恨み言一つ言わず、黙々と与えられた仕事をこなしておった。何か言いつけるとすぐ新兵に用事を押しつける古参兵共よりも、余程立派にな」

 懐かしげに語る小野寺は、毎度のことながら、明らかに宗助の運動目的を誤解している様子だった。宗助は何かの志を持って身体を鍛えているわけではない。単に体力と健康を維持しようとしているだけである。

 しかし、古きよき思い出に浸る老人の感傷をぶち壊すほど、宗助は無粋な人間ではない。再び背を反らして顔を上げ、相槌を打った。

「そういう人達が国を支えてるんでしょうね」

「うんうん、その通りだ。それに引き換え、今の若い者ときたら……」

 そう水を向けると、小野寺は忌々しげに嘆息し、とうとうと語り出した。

「今谷の小僧は弛みきっとるし、工藤の青二才は若い者を甘やかしとるし……全く、今の日本、君のような有為の若者がどこにどれだけおってどれだけ腐っとることか。それもこれも、教師が生徒を殴らんようになったのがいかんのだ」

 宗助の筋力トレーニングにはこのように、時折、この帝国陸軍の下士官によって、BGMとして現代社会と若者に対する不満が挿入されることがある。今回は、どうも教育問題に関する不満らしかった。こうなれば、宗助は求められた時にだけ口を開き、後は黙々と小野寺の言葉を聞くだけだった。

「俺がガキだった頃は、何かにつけて拳骨を喰らったもんだ。余所見をしたとか、欠伸をしたとか、忘れ物をしたとか、悪戯をしたとか……」

 延々と語り続ける小野寺。海老反り運動やスクワットなどを繰り返す合間に相槌を打つ宗助。三日に一回くらいの割合で見かけられる、しかし見る者など滅多にいない、長月荘の早朝の光景だった。

 なお、この場合に限り、宗助のトレーニングは設定しておいた回数を超えることがある。予定をこなしても、小野寺が語り終えるまでは、続けたままで話を聞くことにしているからである。宗助は老人に対して冷淡な態度を取ることができないのだった。


 結局、朝の筋力トレーニングが終わったのは、午前七時近くなってからのことだった。実に一時間近くもトレーニングをしていたことになる。本格的なスポーツ経験があるわけでもない宗助にとっては、かなりのオーバーワークだった。食生活の変化で肉が落ちて身体が軽くなっていなかったら、たぶん、途中で根を上げていたことだろう。そして、明日は恐ろしい筋肉痛に見舞われるに違いない。そのことを思い、宗助は軽い頭痛を覚えた。

 トレーニングを終えて、ようやく着替えの時間となる。部屋に戻り、着替えを始めた。汗を吸い、まるで雨の中を歩いてきた後のようになったジャージと下着を脱ぎ捨て、濡れタオルで簡単に汗を拭き取り、それからその日一日を過ごすことになる服を着る。これは外出着でもあるから、ジャージではない。

 着替えを終えたら、今度は入浴である。

 とは言っても、内風呂を使うのではない。筋力トレーニングを行った日に限り、午前六時から午後十時まで営業している定の湯という銭湯を利用することにしている。

 基本的に倹約生活を心がけている宗助にとってこれは、数少ない贅沢の一つであると同時に、必要な贅沢でもあった。何と言っても、内風呂とは比べ物にならないほどに広い浴槽に疲れた身体を浸すと、これが実によく疲れが取れるのである。肉体的な疲労だけでなく、精神的な疲労をも癒してくれる。

 洗面器に石鹸とタオルを放り込めば準備は万端である。銭湯というのはこれらさえきちんと持って行けば、あとは高くても百円玉四枚程度が入った財布と身一つで構わない。

 朝の七時を過ぎた辺りでは、長月荘の住人達が部屋から出てくることはまずない。外は相変わらず静かである。宗助や小野寺のように特別に早起きな人間を除き、大抵は、夢の中にいるか朝食や弁当の支度をしているかのどちらかである。

 門を出たところで、宗助は、これから出勤するところの向かいの家の主とそれを見送る妻に出くわした。

 朝の試練の始まりだった。この遭遇は、小野寺やそれ以外の住人達に接する以上の緊張を強いられる。

 宗助の方から工藤夫妻に向かって会釈した。

「おはようございます、工藤さん」

「うん、おはよう」

 鷹揚に手を上げ、最初に挨拶を返してきたのが工藤優一准陸尉である。

 通勤時や外出時は制服を着用するように定められているらしいのだが、工藤優一は迷彩柄の戦闘服を着込んでいる。何でも駒駆駐屯地では、「駐屯地司令の裁量」ということで、駐屯地司令が戦闘服での通勤を許可しているらしい。

 そのせいか、駐屯地のある駒駆区、特に駒駆町では戦闘服姿の逞しい男達と、ごく少数ながら健康そうな女達を見かけることが多い。

 もっともその際に一般市民が目撃することになるのは、戦闘服姿でスーパーやコンビニの袋、ケーキ屋の箱などのような生活臭漂う物品を持ち歩いている、何ともシュールな自衛官達の姿である。

 現在宗助の目の前で戦闘服を着て出勤しようとしている工藤優一准尉が中身がぎっしりと詰まった指定のゴミ袋を左手に提げていることからもわかる通り、自衛官と言えども社会生活を営む人間には違いなく、彼ら彼女らには彼ら彼女らの生活というものがあるのである。

 工藤優一の年齢は四十歳をいくらか過ぎたくらいに見える。顔には世の中そのものを呪ってでもいるかのように沈鬱な表情が常に浮かんでおり、最早、「苦みばしった渋い顔」を通り越して単なる「苦い顔」、「渋い顔」でしかない。最低限のことしか口にしない寡黙な態度、右頬にある下ろし金か何かで削られた痕のような痛々しい古傷などと合わせて、向かい合う人間に常に重圧を感じさせる重苦しい顔つきをしている。心に疚しいことが何もなくとも、ただ顔を付き合わせているだけで落ち着かない気分になる。

 体格は非常に良い。百七十センチを少し超えたくらいの宗助よりも頭半分近くも背が高く、全身にも満遍なく筋肉がついている。ただし、筋肉で膨れ上がっているような印象はなく、どちらかと言えば筋肉を圧縮して密度を高めたような印象である。無駄な肉の大部分と必要な肉のいくらかを削ぎ落としてしまったかのような宗助とは、似て非なる身体つきだった。内心、宗助は工藤優一の身体つきを羨んでいて、なれるものならばこういう風になりたいものだ、と常々思っている。

「おはよう。今日も早いわね」

「ええ、まあ、寝る時間が早いですから……」

 続いて挨拶を返してきたのが工藤仁美である。

 夫よりも十歳は若く見える、気の強そうな顔立ちに眠たげな表情を浮かべた美女である。これで実は夫よりも一歳年長だという話を聞いた時、宗助は酷く驚いたものだった。だが、その後、他に考えることもなかったのでそのことについて考えてみた結果、五十歳を過ぎてもヌード写真集を発売できるような女優がいるのだから、四十代で三十代の若さというのはあながちあり得ない話でもない、という結論に到った。

 すらりとした肢体の持ち主である。女子水泳選手やモデルのように無駄のない、すっきりとした流線形の身体をしている。しかも、決して肉感的な身体ではなく殊更に男の欲望を刺激するような要素などないはずなのに、何とも形容しがたい妖艶さがあった。宗助は会うたび、十代二十代の小娘にはない熟成された大人の色気というのはこういったものなのだろうか、といった具合にわかったようなわからないようなことを思ってしまう。

 その色香の凄まじさと言えば、何の変哲もない至って普通の服装であるにも関わらず、じっと見ていると思わず前屈みになってしまう上、眩暈のようなものまで覚えてしまうくらいだった。事実、宗助も健康な男だから、ついつい服の下に隠された肢体を想像してしまうようなことがたびたびある。現に今も、無駄のない肢体を眺め、思わずその下を想像してしまったところである。

 ただし、透視能力を使って実際に全裸を見ようとしたことはない。

 十八年間の人生で築き上げてきた宗助なりの倫理や道徳だけがその理由ではない。安全のためでもある。端的に言ってしまえば、工藤夫妻の前で超能力を使うのは、長月荘の中で超能力を使う以上に危険だということである。宗助は工藤夫妻、少なくとも工藤優一のことを、「超能力者を弾圧、監視する政府の秘密機関」の構成員ないし関係者ではないかと疑っている。

 工藤優一が、かつて十一個編成されていた混成団中、唯一解体されることなく残ったことから、特別な任務を想定した部隊ではないかと疑われている第十一混成団所属の陸上自衛官であるということだけが理由ではない。工藤夫妻が長月荘の近所に住んでいるということだけが理由でもない。真田宗助という超能力者の超常感覚が、工藤夫妻に超能力の存在を感じ取り続けているということが最大の理由だった。

 極めて強大であり、また長月荘と同じくどこか異質な超能力が、工藤夫妻から感じられるのである。もし宗助が目の前で超能力を発動させるようなことがあったら、念動力のような効果を視覚で捉えられるようなものに限らず、超能力の発動それ自体を察知されてしまうかもしれない。

 宗助はこれまでに、長月荘の入居者達以外にも、何人かの超能力者らしき人物に遭遇してきたが、常に気づかれることなくその場を切り抜けてきた。いつも、宗助だけが相手が超能力者であることを察知し、相手が宗助が超能力者であることを察知したことはなかった。少なくとも、察知されたという自覚は、これまでにただの一度としてなかった。

 その理由として、宗助は三通りの可能性を想定している。一つが超能力者であるか否かを感知する能力を持っている超能力者は少ないということで、もう一つが超能力であることを感知されにくい性質を宗助が備えているということ、最後に宗助の超能力が弱過ぎて感知不可能であるということである。

 このどれかだろうと彼は思っている。単なる幸運に過ぎないという可能性に関しては、最初はそうも思ったが「偶然も三回続けば必然である」という言葉もあることから、今では除外している。

 しかし、これまでに発覚しなかった理由が何であろうと、過信は禁物というものだった。宗助自身もそうであるように、感知能力を持っている超能力者がいないわけではない。また、感知されにくい性質を備えていたり、感知されないほどに弱いのだろうと、面と向かって超能力を使った場合にどうなるかはわかっていない。

 三十六計逃ぐるに如かず。宗助がすべきことは、小野寺やそれ以外の長月荘の住人達に対するのと同じように、接触を最低限に留めるというただそれだけだった。

 それ以上のことをすべきではないし、同時に、それだけはしておかなければならない。深く関わっても全く無視しても駄目である。仲良くなり過ぎても険悪になっても駄目である。単なる近所の住民その一として互いを認識しているような、そういう当たり障りのない関係が必要なのである。

 無論、最初からこの夫婦の存在を知っていれば、宗助も関わろうとはしなかった。知っていれば、トレーニングの時間をずらし、この夫婦と鉢合わせしないように調整していた。

 それができなかったのは、工藤夫妻の存在を宗助が知ったのが、既に早朝のトレーニングが習慣として周囲に認知されてしまった後のことだったからである。工藤優一の出勤時間や帰宅時間が丁度、宗助の早朝トレーニングと重ならない時期が一ヶ月ほどあり、その間に生活習慣として定着してしまったのである。

 無論、一時間もずらしておけば、まずこの夫婦と鉢合わせするようなことにはならない。しかし、今から一時間も時間を変更するとなると、完璧に生活習慣が変化してしまう。

 それは流石に辛いし、何より、周囲からそうと認知された生活習慣を変えるというそのこと自体が怪しまれる原因となる。宗助は、流石にそれは臆病に過ぎると心の片隅で思いつつも、そう信じている。

 だから、今更、時間を変更して工藤夫妻を避けるようなことなどできはしないのだった。

「じゃ、これから定の湯なんで、失礼します」

「うん、俺もゴミを捨てて来ないとならんから」

「二人共、行ってらっしゃい」

 宗助は最低限の言葉のキャッチボールをこなし、軽く会釈して歩き去った。

 工藤家からしばらく歩いた辺りで立ち止まり、宗助は安堵の溜息をついた。

 今日も無事に「普通」を演じることができた。そう思った瞬間、自分が腋の下に冷たい汗を掻いていることに気づいた。今までは緊張のあまり、気づかなかったのである。

 いつものことだった。工藤夫妻と接している時、宗助はいつも、表面上は至って普通に振る舞っている。しかし、内心では、いつバレるかと不安に押し潰されそうになっている。

 朝から風呂に入るようになったのは、単に汗を流し、身体を休めたいからというそれだけが理由ではなかった。朝の試練で消耗した心を癒すためという理由も、そこには含まれている。

 定の湯の暖簾が視界に映るたび、宗助は安堵し、安堵している自分に気づき、その理由を思い出すのだった。


 宗助が定の湯を出たのは午前七時半を過ぎた辺りのことだった。

 もともと、入浴などは頭と身体を洗うのに五分程度、浴槽で身体を温めるのが十分程度、計十五分程度というものだったのだが、今ではその倍近くを費やすようになった。理由としては、心身の疲労が中高生当時の比ではないということと、朝の常連客達との雑談が楽しいということが挙げられるだろう。

 湯上りの身に蒸し暑い屋外は少々辛いものがあったが、時折吹き寄せてくる爽やかな風のおかげで、堪えられないというほどではなかった。上手く日陰を選んで歩いたため、定の湯で汗を洗い流したことは無駄にならなかった。

 部屋に帰って最初にするのが、入浴セットの片付けである。もっとも、片付けとは言ってもそれほど大袈裟なことはしない。洗面器と石鹸を台所に戻し、身体を拭いたバスタオルとスポンジ代わりに使った手拭いを窓の外に干すだけである。

 問題はここから先の行動だった。普段ならば、その日の授業の準備をし、余った時間を読書やゲームで潰し、時間が来たら大学に向かうという予定があるのだから、別に何の問題もない。しかし、夏季休暇の初日である今日からは、そういうわけにもいかない。

 ここから先の予定は、前以て帰省することに決めていた八月に入るまで、全くの空白なのである。引っ越して来てすぐの春期休暇中とは違い、隣近所への挨拶、近所の地理の把握といった、やっておかねばならないこともない。本当の意味での空白、完全なる自由だった。

 宗助は最初、予定が空白になるのならば、読書なりゲームなりネットサーフィンなりをして過ごせば良いと軽く考えていた。しかし、いざそれをしなければならないという状況になって初めて、彼は自らの無謀さに気づいた。どうしても時間が余ってしまうのである。

 もちろん、ゲームソフトや書籍もそれなりにあるから、一週間くらいは退屈せずに済む。だがそれ以上はまず無理である。一日の大半を読書とゲームに費やすような生活では、一週間もすれば娯楽の大半を使い果たしてしまうだろう。

 そして実際のところ、八月まではまだ二週間近くあった。一週間前後をしのげる程度ではまるで足りない。プラスアルファが必要だった。

 そして、そういう場合に頼れるのがネットサーフィンなのだが、これについてはあまり頼りにするべきではない、と宗助は思っている。ネットサーフィンは、あまりのめり込み過ぎると、インターネットの世界から現実世界に戻って来られなくなってしまう可能性が高くて危険である。現に宗助の高校時代の友人の中に、常に変化を続けるインターネットから目を離すことができなくなり、結果として日本国政府が定めるところのNEETと呼ばれる人間になってしまった者もいる。

 猫をも殺す退屈に殺されないために必要なプラスアルファをどうするか。幻覚でも見ているかのようにぼんやりと視線を宙に彷徨わせながら、宗助はそれを考えた。

 友人達と遊ぶというのは論外である。一緒に遊ぶような友人は、地元にはそれなりの数がいるが、神影市にはまだ今谷くらいしかいない。大学の知人達とは、まだプライベートを共にするほど親しくなってはいない。しかし今谷には今谷の予定というものがあり、付き合いというものがある。月末まで一度も会わないというようなこともないだろうが、二度以上会うことがあるとも思えない。ゆえに友人は当てにしてはならない。

 一人で何かをして過ごすしかないのだが、そうなると、あまり費用のかかることはできない。誰かと過ごすために使うならばまだしも、自分一人の娯楽のために大金を注ぎ込むのは、あまりにも馬鹿馬鹿しい。自分一人の娯楽に使って良いのは、せいぜい月々数千円から一万円前後といったところである。何万円も使うなどは言語道断というものだった。

 散々に考えた挙句、宗助は結局、七月三十一日まで市内を散策することに決めた。まだ行ったことのない場所を探して、普段は大学で過ごしている分の時間を丸々それで潰すのである。それも大通りなどを歩き回るのではなく、あまり普通の人が行かないような、「知る人ぞ知る名店」などが隠れていそうな所を歩いてみるつもりだった。

 神影市は六つの区に分けられた政令指定都市だから、一日に五時間ほど歩き回るというのを十数回繰り返す程度では、到底全てを見て回ることなどできはしない。そういう認識が根底にはあった。

 宗助は、三万円ほど入った財布とコンビニのビニール袋だけをポケットに入れ、暇潰しのために出かけて行った。

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