36.選択
オルドスと話をして、彼は王都に戻っていった。彼は大変驚きながらも、私の提示した最後の計画を否定はしなかった。
その後、私は大急ぎで支度を調えると、レオールの下へ使者を送る。
用件は明日、そちらに伺いますということ。
返事を待たず、私は翌朝ルーインを伴ってレオールへ会いに行った。
(今、彼はエベラルド領にいるはず。手紙にはそう書いてあったし)
レオールの大きな動向は行き来する手紙で私も把握していた。
もしかすると帝国の大多数より私のほうがレオールの近況を知っているのかも。
だけど、そのおかげで私は迷いなくレオールへ会いに行ける。
夏は終わりかけ、秋。線路沿いの杉も色がやや落ち始める。
風はまだ暖かいが……エベラルド領に到着すると、なんだか駅の構内が騒がしい。
人の波がごった返している。
「何かあったのかしら?」
「ヴォルデ行きの列車は線路上に魔獣が出現したため、一時運休といたします。振替の列車につきましては――」
駅員が大声で叫んでいる。
なんてこった。私たちと入れ違いで線路上に魔獣が出現するなんて。
聞くと出現地点はエベラルド領内らしい。
「なんだか多いですね……。公国内でもそうでしたし」
「ええ、そうね……」
不安の兆候を感じながら、レオールの屋敷に向かう。
数か月振りの彼の屋敷は、ほとんど何も変わっていなかった。
変わっているのは咲いている花と葉の色くらいだろうか。
レオールは屋敷の門前で私を出迎えてくれた。
「久し振りだな」
「お久し振りです。あんまりそんな感じはしないわね」
「手紙でひっきりなしに連絡は取り合っていたからな」
レオールは変わりないようだった。とても落ち着いており、穏やかだ。
私は焦っていたのかもしれない。でも彼の様子を目にしたら、不安はかなり和らいだ。
「急に来てしまって、ごめんなさい。居ても立ってもいられなくて」
「君なら構わない。早速だが本題に入ろう」
レオールに屋敷の貴賓室へと案内される。
そこは重厚な茶褐色に囲まれ、古そう(かつ読み応えありそうな)本が棚に並んでいた。
レオールの趣味の部屋ではないように思うので、多分……レオールの父や祖父からの部屋だろうか。
クラシックながら少しも歪みのない木製の椅子に座ると、レオールが口を開いた。
「用件は概ね想像がついている。公国の中央で何かあったのだろう」
「……ええ」
私はかいつまんで説明をした。公国内のゴタゴタで危険が迫るかもしれないこと、魔獣の襲撃があり得るかもしれないこと……。
ディルダについてはあまり話さずに済ませたい。まだ私の夫で公国の王なのだから。
「ふむ……」
レオールは私の話を聞き終え、じっとこちらの顔を見つめてきた。
「君の立場ではそれしか言えないか」
「うっ……察してもらえると助かるんだけど……」
「さきほど鉄道線上に魔獣が出たが、あれは公国から来たと思われる魔獣だ」
「……っ!!」
「君には知らせなかったが、疑わしい事例がいくつかある。俺が調べたところではラッセリア王の手が増えたとも聞く」
「ええ……そうね、陛下は色々と裏でやっておられるみたいなの」
「率直に聞きたい。ラッセリア王はヴォルデへ実力行使に出るのか?」
私はごくりと喉を鳴らした。
肯定すればレオールは必要な行動を取るだろう。それは公国の不利益に繋がりかねない。
エベラルド領だけでも公国八十万より大きい。
(――何を迷うことがあるのよ)
私は恐れているのか。目の前のレオールは公国の運命を左右できる。
彼が動けば……帝国の中枢も動く。
公国そのものが破滅するかもしれない。
しかし、今の公国に守る価値があるのだろうか。民の生活は荒れ、魔獣が人里を襲い、官僚は苦境にある……。
守るべきはディルダや国ではない。
国土と民のはずだ。
「その可能性は高いと思う」
応えると自分の肩に力が入っているのが自覚できた。
「ヴォルデには帝国の人間と資産がある。それが危険に晒される――と考えていいのか?」
「引き上げをされなければ」
「なるほどな。さて……」
レオールが紅茶のカップを手に取った。手は少しも震えておらず、そのまま口をつける。
大した胆力だ。私の手は少し震えて、テーブルの上に手を出せないのに。
「辺境伯として、公国での動乱は止めねばならん。だが、それだけで皇帝の承認はないだろう」
それは私も考えていたことだ。
魔獣の多い公国はそれゆえに外からの攻撃に強く、占領しても旨味に乏しい。
だからこそ八十万の人口で、周囲を大国に囲まれながらも独立を保っていられたのだから。
「…………」
「君に本当の覚悟はあるか」
「もちろん。私自身にも責任があります。どうなろうとも」
「なら――俺の婚約者になれ」
「はっ? え……?」
「側妃の身分を捨て、帝国に来い。それならば君を救ってやれる」
レオールの緑の瞳には憤りと悲しみがちらついていた。
とても冗談で言っている風ではない。
「本気……?」
「君の評価は帝国でも極めて高い。皇帝陛下もお認めになるだろう」
「私はまだ公国の側妃よ」
「何の咎もなく側妃とさせられ国境に送られ、それで対等な婚姻と言えるのか。君の国でも、俺の国でも……離縁を突きつけるのには充分だ」
「それは――確かに、理屈の上では」
「君はもう充分、公国に尽くしたのでは?」
レオールは怒っていた。
私の代わりに……そう、私は半ば諦めていた。
頭を下げないとは決めていたが、王都に戻れても鬱屈とはしただろう。
ディルダが変わらなければ、また何度も同じようなことが起こってしまう。
水に濡れてくしゃくしゃになった本は元に戻らない。
ルーインがそっと、静かに言う。
「コーデリア様、お受けしても良いのでは?」
「ルーイン……」
「兄上の振る舞いは目に余ります。コーデリア様だって……幸せになる権利があるはずです」
私自身の幸せ。
それは私が公爵令嬢に生まれた時から、ディルダと婚約してからも縁遠いものだった。
そしてレオールからの好意をこれまで感じてなかったと言えば、嘘になる。
留学時代から今の手紙に至るまで、彼は私を見てくれていた。
彼と一緒にいて、私は――幸せを感じることが出来るだろうか。
(答えはもう出ているのに)
レオールは私を大切に想い、公正かつ幅広く民の為に働いている。
それこそ私の理想だ。
真実はわからない。介入の口実に私を使いたいだけなのかも。
でもそれで良かった。
もうディルダの妻の妃でいることに、何の幸せも喜びも見いだせない。
私はすっと息を吐いた。
「……お受けいたします」
「すまないな。こんなタイミングではなかったはずだが」
「いいえ、このような今でなければ……私も決断できなかったかも」
ラッセリア公国の王都にいたままなら、どうあっても受けなかっただろう。
だが、王都からヴォルデに来て私も変わっていたのだ。
ここにいる鬱屈していた、見捨てられていたと思っていた人たちと頑張って。新しい物、新しい仕事を手にして前向きになれたのだから。
それから、いくつかの話をした。
具体的にどうするか、婚約と言ってもすぐにどうこうできるわけでもないし。
あとは昔の話とか。私は見たものは何でも覚えている。
レオールは感情を隠すのが上手いけれど、それでも映りゆく心の少しは手に取れる。
それが嬉しいし、彼といると穏やかな気持ちのまま心地良くいられる。
彼と話し込んでいるとあっという間に時間が経ってしまう。
もう窓の外は夕焼けになっている。
最後に私はひとつの部屋に案内された。
「わぁ〜……!」
それはレオールの書庫であった。
ただ、本棚は新しい。中の本はかなり古いものもあるけれど。
「折に触れて、君に贈ろうと思っていた」
「ありがとう! 私の読んだことのない本ばかりね」
「ああ、そうだと思う本を集めておいたからな」
思い返すとディルダから本を贈られたことはなかった。
夫は本が嫌いだったから。
「座椅子も用意した。ここでたっぷり読みながら寝られる」
「最高ね……!」
「留学時代、よくこうしていると聞いていたからな」
何年も前のことなのに、よく覚えている。
そう、本を読むならだるんだるんな姿勢で読みたい。
ついでに蜂蜜入りの甘ったるい飲み物とセットで。
「今日はこの部屋に泊まっていくといい」
「ええ、是非ともそうするわ」
昨日から気を張り詰めて疲れていた。あまりに色々なことが起こりすぎている。
でも心は晴れやかだった。
要らないものを捨てて、新しいものを手にできるから。
とりあえず、読んだことのない本を読むのは最高だし。
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