今日もただただ生きててえらい
ノノと暮らし始めて数日が経った。
「ノノは毎日おにいちゃんと一緒にいたい!」
そう言われて、今ではお風呂とトイレ以外は、四六時中一緒に過ごしている。お菓子を食べるバイトの時も、ご飯を食べにいく時も、寝る時も、ずっと一緒だ。
それでも、娘ができたみたいで楽しい。
まあ、本人は嫁のつもりらしいんだけど。
俺とノノが仲良しなのが羨ましいのか、アンナも布団に潜り込んでくるようになったので、今は三人一緒の布団で寝ている。
ぎゅうぎゅうで狭いが、前世ではいつも一人だったので、この暖かさが心地いい。こんな日がいつまでも続くといいのにな、と思う。
そんなある日。
いつものように昼過ぎまで寝ていると、突然グオオオッ、と大きな音がした。ものすごく大きな生き物の鳴き声のようだ。
「おにいちゃん! すごい、すごいよ!」
入り口の戸を開けたまま、庭先でぴょんぴょんとノノが飛び跳ねている。
何事か、と思って目をこすりながら外に出ると、大きなレッドドラゴンが庭に降りていた。
「凄いなあ、大きくて偉いね」
そう言うと、ドラゴンの背から見知った顔が現れた。魔王軍おやつ部隊長の、ヴェルラッタである。
「シンタ。会いたかった」
目が合うが早いか、ドラゴンから飛び降りていきなり俺に抱きついてきた。ヴェルが怪我しないよう、その細い肩を優しく抱き留める。
「浮気だ!」
どこでそんな言葉を覚えてきたのか、ノノは本当におませさんだ。
「この小さな女の子は誰かな? ……そう、ノノっていうの。浮気じゃないよ。僕は先日シンタからプロポーズされたのさ。だから、正式にお嫁さんだね」
昨日メールで、結婚しようか、と送ったら、三秒で「うん!」と返ってきたので、ヴェルは晴れて俺の三人目のお嫁さんになったのだった。
「じゃあ、ノノと一緒だね。おにいちゃんからプロポーズしたなんて偉い」
理解が早くて助かる。
ノノに撫でられるために少し屈むと、ヴェルが小首を傾げた。
「おや? でもそうなると、お嫁さんが三人って事になるね」
「そうなるな」
俺が頷くと、ヴェルは俺に抱きついたまま、少し考えるように目を細めた。
「お嫁さんが三人。そしてシンタはそのうち二人と一緒に暮らしている、と。これは少し不公平じゃないかな?」
「不公平?」
「うん。だって僕は魔王軍の幹部だからね。シンタの家にずっといるわけにはいかない。でも、アンナとノノは一緒に暮らしている。これは……ちょっとフェアじゃないかも」
ヴェルは、何でもないことのように言った。
「うん、きっとそうだ。これだと、僕が我慢しないといけない」
「我慢できて偉い、ってことにはならないのか?」
「偉いよ。でも、ずっと我慢するのは可哀想だと思わない?」
ヴェルは真剣な顔でそう言った。
なるほど、言われてみれば確かにそうかもしれない。
俺は一人しかいない。
アンナも、ノノも、ヴェルも、みんな俺のことを好きでいてくれる。
その三人のうち、ヴェルだけに我慢をさせるのは、旦那さんとしては、あまり偉くない。
「じゃあ、順番にすればいいんじゃないか?」
「順番?」
「今日はアンナ、明日はノノ、明後日はヴェル、みたいな」
「それだと、今日じゃない二人が寂しいよ。寂しくさせない方が偉いよね?」
「まあ、それは……そうだな」
ノノが、俺の服の裾をきゅっと掴んだ。
「ノノ、毎日おにいちゃんと寝たい」
「僕も、毎日シンタといたい」
「……私は」
いつの間にかアンナが、戸口に立っていた。
いつもの優しい顔で笑っている。
「私は、シンタがどこかに行ってしまわないなら、それでいいよ」
彼女の優しい言葉は、いつも俺の陽だまりだ。こんな俺でも、生きていて良いと思わせてくれる。
「でも、ヴェルちゃんもノノちゃんも、シンタと一緒にいたいんだよね」
「うん!」
「もちろん」
二人が頷く。
アンナは少しだけ考えてから、にこりと笑った。
「じゃあ、仲良く分ければいいんじゃないかな」
あまりにも自然な声だった。
「……分ける? 何を?」
「もちろん、シンタを」
「俺を? ちょっとどういうことか、分からないけど」
言葉の意味が分からずに少し考え込んでいると、三人が不思議そうに俺を見た。
「それは名案だね」
ヴェルの腕が、するりと俺の背中に回る。
「ノノもさんせー!」
ノノが服の裾を離さない。
アンナは戸口からゆっくり近づいてくる。
「待て待て。俺はおにぎりじゃないぞ。プリンでもバームクーヘンでもない。人間だ」
「うん。シンタは人間だね」
「人間は分けられないだろ」
「どうして?」
アンナが首を傾げた。
本当に分からない、という顔だった。
「好きなものは、仲良く分けた方がいいでしょう?」
「いや、分けるって、具体的にどうするんだ?」
「具体的に考えられて偉いね」
アンナは目を細めた。
「でも、ちゃんとみんなのことも考えてくれたら、もっと偉いよ」
ヴェルが俺を後ろから抱きしめる。
「僕は全部欲しいなんて言わないよ。三分の一で我慢する。偉いだろう?」
「偉い……いや、たぶん偉くない」
「たぶんって言えて偉いね」
ノノが俺の正面に回り込んで、背伸びをした。
そして、俺の頬にちゅっと口づける。
「おにいちゃん、ノノのことも大事にできて偉いね」
「ノノ」
「ノノ、少しでいいよ。全部じゃなくていい。少しだけおにいちゃんが欲しい」
少しだけ。
その言葉が、妙に優しく聞こえた。
全部ではない。
少しだけ。
三人とも、俺を全部欲しいとは言っていない。
少しずつでいいと言っている。
それなら、随分と遠慮してくれているのかもしれない。
いや、違う。
俺は頭を振った。
頭にぼんやりとかかったもやを、必死に払おうとする。
そうだ、普通に考えて、この状況はおかしい。
そもそも、嫁が三人ってなんだ? こんな都合のいい世界、あるわけがない。上手く言えないが、何かが狂っている。
「ちょっと待ってくれ! これは駄目だ、何かがおかしい」
「駄目って言えて偉いね」
アンナが俺の手を取る。
「怖い?」
「怖いに決まってるだろ」
「怖いって言えて偉い」
ヴェルが背中に頬を寄せる。
「怖くないように、ずっと僕が側にいるよ」
ノノが俺の服を握る。
「ノノも手、握っててあげるね」
三人の声が、そっと耳元で囁く。
甘くて、柔らかくて、温かくて、逃げ道がない。
おかしい。
これは絶対におかしい。
そう思っているのに、三人に囲まれていると、俺の方がおかしいような気がしてくる。
だって、みんな俺を好きだと言ってくれている。
俺を欲しいと言ってくれている。
前の世界では、俺の代わりなんていくらでもいると言われた。
でも、この世界では違う。
アンナも、ノノも、ヴェルも、俺じゃなきゃ駄目だと言ってくれる。
それは、たぶん。
とても幸せなことなのだ。
「じゃあ、ノコギリ持ってくるね。二人はそのまま抑えてて」
「「はーい」」
アンナはいつものように軽い足取りで家の中へ戻っていった。
朝食のパン切り包丁を取りに行く時と、同じ声だった。
俺は、ヴェルに後ろから抱きしめられ、ノノに手を握られたまま、ぼんやりとその背中を見送った。
ヴェルの体は温かくて、ノノの手は小さくて、二人とも俺を好きだと言ってくれている。
「シンタ」
ヴェルが手を回したまま、耳元で囁く。
「シンタは、どこを残してほしい?」
「残す?」
「うん。ちゃんとシンタの気持ちも聞きたいから」
「ノノも聞きたい。おにいちゃんの気持ち、大事だもん」
二人は真剣だった。
心から俺のことを考えてくれている。
だから、俺も真面目に考えなければいけない気がした。
「……痛いのは、嫌だな」
「痛いのが嫌って言えて偉いね」
「怖いのも嫌だ」
「怖いって言えて偉い」
「できれば、みんなに嫌われたくない」
そう言うと、ヴェルが俺を抱きしめる腕に少しだけ力を込めた。
「僕は嫌いになんてならないよ」
「ノノも嫌いにならないよ」
「私も、大好きだよ」
いつの間にか戻ってきていたアンナが、すぐそばに立っていた。
手には、よく手入れされたノコギリと、白い布と、ピンクのリボンがあった。
「大丈夫。シンタが動けなくなっても、私がきちんとお世話するから」
アンナはそう言って、いつものように優しく笑った。
「綺麗にして、温かくして、ご飯も食べさせてあげる。シンタが寂しくないように、ずっとずっと、そばにいる」
「僕も大事にする」
「ノノも毎日おにいちゃんに話しかける」
三人が口々に言う。
誰も責めない。誰も否定しない。
みんな、俺を好きだと言ってくれる。
それなのに、俺は怖がってしまった。
三人を拒絶してしまった。
それなのに。
「シンタ」
アンナが俺の頬に触れた。
「じゃあ、少しだけ頑張ろうね」
その言葉は、どこまでも優しかった。
胸がじんわりと温かくなる。
俺はゆっくり頷いてから、そっと目を閉じた。
ヴェルが背中を支えてくれる。
ノノが手を握ってくれる。
アンナが額に口づけてくれる。
「えらい」
「えらいね」
「おにいちゃん、えらい」
何かがゆっくりと近づいて、そっと肩に触れた。
それはウェディングケーキにナイフを入れる時みたいに、やさしい祝福だった。
三人の声に包まれて、俺は最後まで褒められていた。
ついさっきまで、怖かったはずなのに。
今はむしろ誇らしい。
みんな、こんなにも俺を求めてくれる。
前の世界はどんなに一生懸命頑張っても、誰も、何も、褒めてはくれなかった。そんな世界はエらクナい
この世界は狂ってなんかいない。
どこまでも優しい、俺がずっと望んできた世界だ。
「三人とも、大好きだよ」
ああ、俺は今、とても幸せだ。




