8話 二人目の女神がいる国 イリス
人間界の端。魔界から一番遠いとされる国。
その名をイリス。
俺達は今、魔族から最も縁遠い国にやってきていた。
イリス国の近くにある湖へ、アリシャの転移で移動する。街までは徒歩で数時間。
人間の頃にこんなに歩いたら、間違いなく筋肉痛が二、三日後に襲ってくるはずなのだが、さすがは魔王の肉体。全然辛くない。
国の検問は形式だけ行われており、魔族がここまで深く人間界に入り込んだことがないのだろう。
俺とアリシャ、クラリスは全員フード付きの黒いローブに身を包み、検問官に何個か質問を受ける。
「イリス国へようこそ。入国前に何個か質問を。
ここには何をしに訪れましたか?」
俺ではなくアリシャがスラスラと答えてくれる。すごく助かった。全然考えたことなかったからね!
「麗しき三女神の一人。セイレス様の巡礼に」
「信徒様でしたか。これはこれは、未だ敬虔なる信心深い方々とは。
私も実はセイレス様の信徒なのですよ。歓迎いたします。どうぞ中へ」
「ありがとう」
何個か深掘りの質問がされるかと思ったが、そんなことはなくあっさりと通された。
大丈夫? この国の警備。
特に揉め事もなくイリス国の中に入国が認められ、広がっている街並みを見ると、そこは美しい水路が街の中に引かれていた。
観光用だろうか。水路には木製の船が何隻か浮かんでいる。風情を感じながら、ここが平和で安全な街だと直感的にわかる。
時刻は既に昼下がり。そのまま休憩せずに街に入る。
「へぇ、綺麗じゃん」
「それはそうよ。ここは水の女神、セイレスが住んでいる街なんだもの」
「えっ、女神が一般人と一緒に生活してるってこと?」
「そうよ。ちょっと女神っぽくないでしょ?
セイレスはちょっと変わっててね。
昔からそうなの。この街のどこかにいるはずだけど、どこにいるかはわからない」
「結構広いし、探すのは大変そうだね。
どこかで聞き込みでもする?」
アリシャは少し俯いて考えてから、言葉を探すように口を開いた。
「聞き込みするなら別れた方が効率的だけど、あなたこの世界の常識まだまだ知らないだろうし……。
クラリスもどちらかというと魔族側だから……私が代表して聞くしかなさそうね」
「遺伝的には私に入っている魔族の血は薄いのですが、やはり魔界で生まれ育ちましたので……。申し訳ございません。アリシャ様」
「ううん。それにしても人間っぽい見た目であれだけ強いんだもの。
何かあるとは思ってたけど、まさか混血とはね。セイレスが聞いたら卒倒するんじゃないかしら」
アリシャは少し苦笑いを浮かべながら、クラリスの告白を受け止めてくれる。
俺もクラリスの強さは気づいていたし、混血だったとは。なるほど、強いわけだ。
今の俺と本気でやり合ったら、恐らくクラリスの方が強いかもしれない。怒らせないようにしなければ。
俺達は三人で、街行く市民や、野菜を売っている商人。果ては船着場のお兄さんに色々聞いて回ったが、どれも空振り。
「一度休憩しましょうか」
アリシャの一言で当てもなく、テラス席があるレストランみたいなところに足を運んだ。
ウエイターを呼んでアリシャがテキパキと注文を済ませてくれる。
まだメニュー表とか見ても断片的にしか読めないから本当に助かる。
注文した食べ物が運ばれてくる。平皿に野菜が乗せられ、白いソースがかかっている。
半熟の卵がぷるぷると揺れながら運ばれてくるのを見て、お腹がぐぅっと鳴る。美味しそうだ。
「お待たせ致しました。アリシャご一行様」
ん? 今なんて言った?
「ええ、ありがとう……? えっ?」
どういうこと? 名乗ってないよね?
俺とクラリスが顔を見合わせていると、アリシャが口をあわあわし始める。
「え……ま、まさか!」
「久しぶりね、アリシャ。
会うのは百年ぶりくらいかしら?」
「セイレス……!? なん……え? えぇ!!?」
「声が大きい……! 私もこの仕事を始めてまだ長くないけど、今また他の雇い主探すのだけはごめんだわ」
「ず、随分と俗っぽくなったわね」
驚きの表情は変わらずに、少し笑っているアリシャ。久しぶりの友人に会うようなノリで話している。
こういうのっていいな。
ここまでアリシャが喜んでくれるなら、一緒に来てよかった。
スラっとしたスタイルで、給仕用のウエイター姿がよく似合っている。
「私もちょっと求心力が落ちてきたし、こうして働いて少しでも街に貢献しようと思って」
「へぇ、そうなの!
あの人を寄せ付けないセイレスがねぇ……」
人差し指を口元に持っていき、ウインクしながらおどけて見せる二人目の女神は、アリシャに微笑んでから俺をじっと見てくる。
「あなたが……アリシャの魔力供給元ね」
「そうだね。契約結婚だけど、俺の奥さんになってもらった」
事実を伝えると、アリシャが軽く叩いてくる。
痛くない。
「恥ずかしいことを平気な顔して言わないで」
「なるほど、その指輪が媒介になっているのね」
「わかるの?」
「ええ、目には自信があるの。
私もそろそろ時間で上がるから、私の家にいらっしゃいな。詳しい話はそこで聞かせて」
陽が落ちかけて辺りが暗くなってくる。
いざ会計を済ませようとした時、ちょっとした事件が起きる。
「悪いな、払ってもらっちゃって」
「えっ? 私お金持ってないわよ?」
「「えっ?」」
俺とアリシャが同時にフリーズする。
二人でクラリスを見ても、返ってくるのは頭を下げて謝罪のポーズのみ。
もしかして俺達、無銭で飲食しちゃったの!?
やばいやばい……!
流石にここで女神だからタダにして? は出来ないし、トンズラするのも論外。魔王だけど。
ここは謝って皿洗いでもするしかないと意を決した時、セイレスが軽く走り寄って耳元で囁いてくる。
「ここは私が持つので、後でちゃんと埋め合わせしてくださいね」
甘さと凛々しさ混ざり合ったような妖艶な声。
全身に鳥肌が立ち、耳元がこそばゆい。
店を後にして、セイレスの家へ案内される。
大きくはないが、木製のデザインが目立つシックな一軒家。日本の古い住宅というよりかは、お伽話に出てきそうな可愛い外観だ。
「ようこそ、私の家へ。さっ、遠慮せずに入ってください」
落ち着きのある雰囲気は、俺達の気持ちを緩めるには十分過ぎるほど暖かい。
俺は自らの正体を明かすのに、少し勇気が必要だった。




