守るために
帳簿を閉じた瞬間、ヒロは息を吐いた。
(……また、通った)
数字は嘘をつかない。
いや、嘘をつかないように選んでいる。
確率表示は、今日も静かだった。
派手な成功率は出ないが、外れない道筋だけが並んでいる。
【取引条件:提示】
成功率:82%
十分だ。
「ヒロ、さすがやな」
隣でミレイが笑う。
「この条件、普通は飲まれへんで?」
「……運が良かっただけだよ」
いつもの返し。
ミレイは「またまた」と笑って肩をすくめる。
その時だった。
「――あの子、最近来てないな」
背後から、ひそひそ声が聞こえた。
ヒロは、動かない。
聞いていないふりをして、紙束を整える。
「モモ、だっけ?」
「ヒロの連れの」
(……)
「正直、助かるよな」
「商談の場に、ああいうのがいると目が散る」
「分かる」
「条件より、そっち見ちまう」
笑い声。
下品な、粘ついた笑い。
ヒロの手が、止まった。
(……ああ)
胸の奥で、何かが冷えた。
「ヒロも分かってるんだろ」
「だから最近、連れてこない」
「賢いよな」
「弱点は隠さないと」
弱点。
その言葉が、妙に重く残った。
ヒロは、ゆっくり振り向く。
だが、男たちはもう話題を変えていた。
数字と利益の話に、戻っている。
(……)
ミレイが気づいたのか、小さく首を傾げる。
「どしたん?」
「疲れた顔してるで」
「いや……」
ヒロは、首を振った。
(……見えてしまった)
確率じゃない。
数字でもない。
人の視線。
噂。
欲。
それらは、表示されない。
(連れてこなくて、正解だ)
自分に言い聞かせる。
モモは、商談の空気が苦手だ。
人の欲が渦巻く場所は、疲れるだろう。
それに――
(守らなきゃいけない)
そう思った。
説明は、していない。
理由も、言っていない。
ただ「今日は一人で行く」と言っただけだ。
モモは、少し寂しそうに笑っていた。
(……でも)
それでいい。
そう思っていた。
取引は、うまくいっている。
金も、信用も、積み上がっている。
確率が示す限り、
この選択は、間違っていない。
(俺は、ちゃんと……)
ヒロは、帳簿を抱え直す。
(守ってる)
そう、信じていた。
――その裏で、
モモが何を感じているかを、知らないまま。




