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理性崩壊の入り口

馬車が、止まる。


揺れが消え、

外の音が戻ってくる。


扉が開いた瞬間、

冷たい空気が頬に触れた。


「降りて」


短い声。

逆らう選択肢は、最初からなかった。


建物は、宿ではない。

人の気配が薄い。

早朝の街外れ。


(……ここ、どこ)


考える余裕はない。


腕を掴まれ、

半ば引きずられるように、

階段を上がる。


鍵の音。


部屋に入った瞬間、

背後で扉が閉まる。


――隔離された。


「座れ」


言われるまま、

椅子に腰を下ろす。


逃げ道を、

無意識に探す。


窓。

一つ。

高い。


扉。

鍵付き。


(……詰んでる)


「大人しいな」


タカシが言う。

どこか、機嫌が良さそうに。


「もっと騒ぐかと思った」


「……」


声が、出ない。


喉が、

張り付いたみたいだ。


「ヒロは?」


その名前を、

考える前に口が動いた。


一縷の望み。

それしかなかった。


「ヒロ……来る」


言った瞬間。


空気が、

変わった。


「……は?」


低い声。

「今、なんて言った?」


「ヒロは……」

その名を口にするだけで勇気が出る。

元気が出る。


でも、言い切る前に、

強く腕を掴まれる。


「呼んだのか?」


目が、

笑っていない。

「期待してるのか?

 あの“動かない勇者”に」


「……違う」


「違わないだろ」

声が、荒れていく。

「お前、まだ分かってないな」


距離が、

一気に縮まる。


逃げようとするが、

力が違いすぎる。


「ヒロは来る」

もう一度、絞り出す。


その瞬間。


――逆上。


「黙れ!」


怒鳴り声が、

部屋を震わせた。


「なんで、そいつの名前を出す」


「正しいのは、俺だ」


「選べば、成功する」

「失敗なんて、してない」


言葉が、

支離滅裂になっていく。


理性が、

剥がれ落ちていくのが分かる。


「やめて……!」


必死に声を上げる。


でも。


届かない。


怒りに任せた手が、

逃げ場を塞ぐ。


(……間に合わない)


(ヒロ……)


呼びたい。

でも、

声が、出ない。


「静かにしろ」


「すぐ終わる」


その言葉が、

一番、怖かった。


――その時。


遠くで、

何かの音がした。


気のせいかもしれない。


でも、

それでも。


(……信じてる)


見えなくても。

聞こえなくても。


ヒロは――

来る。


そう、

信じるしかなかった。

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