終わりの夜の始まり
夜は、静かだった。
同じ宿に泊まっている。
それだけで、少し安心できるはずだった。
私は、ベッドに腰掛けたまま、
落ち着かずに指先を組んでいた。
今日一日、
心がざわついている。
ヒロと再会して、
確かに嬉しかった。
胸が温かくなって、
「戻ってきた」と思えた。
でも――
時間の感覚だけが、
どうしても合わない。
「一年」
ヒロが言った、その言葉。
合わない。
(……そんなはず、ない)
私は、異世界に来て二年。
現実世界で彼を失ってからは、
もっと長い。
七年。
待った。
諦めた。
それでも忘れなかった。忘れられなかった。
(……いいの)
今は、
それでいい。
そう思って、
灯りを落とした。
その時だった。
――気配。
廊下の、向こう。
足音が、一つ。
止まる。
(……?)
宿の廊下は古い。
誰かが歩けば、すぐ分かる。
でもこの足音は、
“止まったまま”。
まるで、
扉の前で、
立ち尽くしているみたいに。
胸が、
きゅっと縮む。
(考えすぎ)
ヒロたちも、
同じ宿。
誰かが、
トイレに起きただけ。
そう言い聞かせる。
……でも。
視線を、感じる。
見られている感覚。
(いや……)
これは、知っている。
現実で、何度も向けられた目。
仕事として、受け止めてきた欲望。
でも――
一人だけ。
どうしても、
「商品」以上の目で見てきた人。
(まさか……)
そんなはず、ない。
異世界だ。
ここには、来られない。
来られるはずがない。
コン
と、小さな音。
ノックじゃない。
扉に、指先が触れた音。
私は、息を止めた。
(ヒロ……)
声を出せば、
すぐ来てくれる距離。
分かっているのに、
喉が動かない。
怖い。
同じ宿にいるのに、助けを呼べない。
それが、
一番怖かった。
――その時。
別の足音。
重い。
二人分。
(ガルド……?)
次いで、
微かな魔力の揺れ。
(リーゼ……)
扉の前の気配が、
一瞬、
揺らいだ。
躊躇。
迷い。
そして――
静かに、
遠ざかっていく。
足音が、
消える。
私は、
その場に崩れ落ちた。
同じ屋根の下。
同じ夜。
守られていた。
――でも。
(見られた)
確かに、私は見つけられた。見つかった。
この夜は、
ただの始まり。
そう、
本能が告げていた




