第65話 交易
「これは……重労働だな……」
「ちげぇねぇ……正直、戦場に出てた方がまだ楽かもしれねぇ」
「でも、子供たちはこれに加えて地獄の特訓を受けているんだよな……」
愚痴を零しながらも、【血の十字旗】の男たちは黙々とエーテルの実を収穫していく。汗に濡れた腕は止まらず、手はひたすらに動き続けていた。
一方で女性陣は、収穫されたそばから実を受け取り、間髪入れずに別の開墾地へと蒔いていく。流れるような分業。誰一人として無駄な動きはない。
今回、収穫されるエーテルの実は、およそ百五十万粒。
数だけ聞けば気が遠くなるが、量としては三十キロの米袋で一袋分に過ぎない。
収穫が終わるや否や、待ち構えていたレビたちが、エーテルの草に喰らいついた。
夢中で草を頬張り、興奮したのか耳を大きく広げ、甲高い鳴き声を上げる個体までいる。
この調子なら、あっという間に平らげてしまうだろう……そう思ったが、意外にも減りは緩やかだった。
どうやらエーテルは非常に栄養価が高く、他の草に比べて満腹感が長く続くらしい。それでも、三日も経てば、レビたちの胃袋に収まってしまうのだろうが。
そして数日後――
「アクィラ男爵、では我々はこれで」
種まきを終え、【血の十字旗】たちは十名ほど残して帰って行く。
ラージャン付近が
残ったのは、大工と石工、職人と数名の傭兵たち。
それでもかなりありがたかった。
ホークも同じ思いだったのだろう。
別れ際、父はカイサを呼び止め、そっと金を握らせた。
ヘルマー伯爵からの正式な依頼を受けている以上、雇い主以外から金銭を受け取るのは、本来あまり好ましいことではない。
だがそれは報酬ではなく、あくまで感謝の形。
カイサは一瞬だけ目を瞬かせ、頭を下げてからそれを受け取った。
彼らの背中を見送ったあと、俺たちを待っていたのは、変わらぬ開墾作業だった。
エーテルを収穫し終えた土地を耕し、残った根を掘り起こし、細かく砕いて肥やしへと変える。
地味で、終わりの見えない作業。だが、この積み重ねがなければ次はない。
なるべく【泥ニ塗レ土遊ビ】は使わない。
俺の魔力は、極力【無毒ノ魔種】へと注ぎ込む。
次の種まきに備えてたくさん用意しなければならないからな。
そしてようやく迎えた、エーテル第三世代の収穫となる六月。
再びヘルマー伯爵を頼り、【血の十字旗】から数名の応援を呼ぶことになった。
【血の十字旗】を指名しているのには、明確な理由がある。
エーテルポーションの存在を、今はまだ外に漏らしたくなかったからだ。
もっとも、主力の傭兵たちはラージャンの警備に出払っており、やって来たのは比較的戦闘経験の浅い者たちばかりだった。
それでも、こちらにとっては人手が増えるだけで十分にありがたい。
彼らと共に収穫を進めながら、今回はさらに新たな工程が加わる。
採れた種子をすり潰し、酒精に浸す作業だ。
今回収穫されたのは、エーテル第三世代の種。
これをそのまま植えれば、間違いなくヴェノムモリスへと変異する。
だからこそ、ここで止める必要があった。
――そして、その量。
米袋にして、百袋弱。
冗談のような数字だ。
おそらく、エーテルポーションに換算すれば、壺で千個は軽く超える。
そんな、ある日の夜のことだった。
いつものように【曙光の鷹】全員が揃い、食卓を囲んでいたとき、ホークがふと手を止め、口を開く。
「みんな、聞いてくれ」
それだけで、賑やかだった食卓の空気が一瞬にして引き締まった。
誰一人として言葉を発さず、視線がホークへと集まる。
「エーテルポーションを、国王陛下へ献上しようと思う。本格的に交易を始める。そのため、近々王都へ向かう予定だ。その際、できるだけ多くの人を連れてこようと思っている。開墾に携わる者、それから大工や服飾といった職人たちだ」
何かあるたびにヘルマー伯爵を頼るのは、いつまでも続けるべき形じゃないしな。
「それでだ。その前にお前たちの給金を見直したい」
ホークはそう前置きし、静かに言葉を選ぶ。
「ここはヘロス王国でも最果ての辺境だ。相応の金を用意しなければ、移り住もうという者はいない。だが、新しく来る移住者より、ここにいるお前たちの給金が低いというのは……おかしな話だろう」
そう言って、ホークは金貨を二人の前に置いた。
ディノスと、メル。
「二人は月々、金貨二十枚だ。今後やって来る農業従事者たちの世話や教育、監督を任せたい」
一人あたり、金貨十枚。
それは紋章師クラスと同等の報酬だった。
「えっ!? あ、あの……こ、こんなに……」
「い、いいのですか……?」
二人の声は、明らかに動揺している。
一年前、ラージャンで暮らしていた頃の、実に十倍の金額。
しかも家賃はなく、食事は団と同じ。
団服が汚れれば無償で支給されるのだから、実質的な価値はそれ以上だ。
「ああ。これまで通り、頼む」
ホークは頷き、さらに視線を移す。
「それから、イヴァンとエヴァン」
二人の前に置かれたのは、金貨五枚ずつ。
「今はこの額だが、力をつければ、もっと高い報酬を出すと約束する」
十歳で給金を得られること自体が、破格だ。
二人は言葉を失い、ただ互いの顔を見合わせていた。
「パルブ」
名を呼ばれ、パルブが背筋を伸ばす。
「ヘルマー伯爵が言っていた通り、お前は優秀だ。何より、その気概がいい。この地の治安を預かる長を任せたい」
差し出されたのは、金貨十五枚。
そして、最後に。
「ペッパ」
少年は、はっとしたように顔を上げる。
「お前が非常に働き者だということは、皆が知っている。開墾作業だけでなく、家事、掃除……将来的には、お前を執事として迎えたいと考えている。どうだ?」
「え……? ぼ、僕……ずっと、団長たちと一緒にいていいのですか……?」
「もちろんだ。イヴァンとエヴァンにも言うつもりだが、落ち着いたら学校へ通ってもらう。一般教養と、執事としての立ち居振る舞いを学んでほしい。学費や留学費用はこちらで持つ。心配はいらない。給金の方は私の方で貯めておく。必要な時が来たらペッパに渡す……それでいいか?」
「は、はい! ありがとうございます!」
カンタ君と一緒に頭を下げると、笑みを見せてホークは俺に向き直る。
「メナト、あっちの件は順調か?」
「うん。何度も試行錯誤して作ったから、多分大丈夫だと思う。あとは……巣を見つけて、蜜を少し分けてもらうだけかな」
「……その辺りの知識は、父さんにはさっぱりだな。好きにやりなさい。メナトの判断に任せる」
「じゃあ、ウィンにも伝えておいて。この辺りにレビンデミツバチがいないか、探してもらえる?」
「ん? もう見つけているぞ。巣は三つ。レビンデ山脈の方らしい」
「早ッ!」
思わず口に漏らしたが、当然のようにホークが答える。
「将軍鷹にも協力してもらったらしいからな」
なるほど、納得だ。
「じゃあ、今度ウィンにそこまで運んでもらっていい? 僕一人なら、まだウィンも高度を上げられるでしょ」
少し考え込むような間を置いてから、ホークは頷いた。
「分かった。近々、王都へ出発する予定だ。なら、早い方がいい……明日、送ろう。そのつもりで準備しておけ」
「うん、ありがとう」
俺が何をしようとしているのかと言えば、レビンデミツバチの巣から、蜜を少し分けてもらうことだ。
その蜜を、自作の養蜂箱の内部に塗る。
匂いで女王蜂を誘導し、新たな巣を作ってもらう。
もちろん集めてもらう蜜はエーテルの花からだ。
そうすれば――
エーテルの種子はエーテルポーションへ。
エーテルの花は蜂蜜へ。
エーテルの草はレビたちの餌へ。
ステラも頑張っているのだから、エルにも頑張ってもらわないとな。
そう想いながら【追憶の紋章】を見ると、
「シシシッ! そのくらいのことは任せろだぜ!」と、言わんばかりに柔らかく発光するのであった。




