第64話 新たな紋章
テビリス入植から一週間後――
『【泥ニ塗レ土遊ビ】!』
魔法が迸ると、硬く締め固まっていた大地がぬるりと息を吹き返す。
テビリスの土は栄養分も豊富だが、とにかく固い。
理由は単純だ。
大型の動物が絶えず徘徊し、その巨重で踏み固め続けてきたからだ。
結果、生えているのはせいぜい雑草程度。
草食動物はここでは腹を満たせず、森へと食料を求めて移動する。
そんな土地を開拓しようというのだから、まずは魔法で土をほぐす必要がある。
【泥ニ塗レ土遊ビ】で土壌を緩め、その上で鍬を入れ、空気を通し、根が呼吸できるようにする。
地味で時間はかかるが、必ずやらなければならない作業だ。
それを、全員で一週間。
ようやく持ち込んでいたエーテルの種――およそ二万粒近くをすべて蒔き終えた。
「ふぅ……ようやく種まきが終わったね。イヴァン、エヴァン、それにペッパ。辛くない?」
声をかけると、三人はその場にへたり込む。
「正直……こんなにきついと思わなかったよ……」
「うん、もっと簡単だと思ってた……」
「何度も心が折れそうになったけど……みんなやってるからって思って……」
三人とも、顔色がいいとは言えない。
無理もない。
魔力を持たない子供が、成人用の鍬を振るい、固い土を相手にしていたのだ。
だが、本当にきついのはここから先だ。
耕したのはテビリスの百分の一にも満たないのだから。
しかし、いくら何でもきつすぎる。
「ねぇ、お父さん? さすがに……この人数だけで開拓するのは、きついと思うんだけど……」
「対策はもちろんしている。時期が丁度いい。来週あたり、ラージャンから【血の十字旗】の連中が応援に来てくれることになっている」
「え? ラージャンは大丈夫なの?」
「ああ。もうそろそろ、あっちは雪が降る季節だ。傭兵の仕事も減る。ヘルマー伯爵経由で正式に依頼してある。そこまで含めて考えているさ」
なるほど……お互いに得がある関係であれば、それが一番いい。
もし今後も定期的に来てもらえる算段が立つのなら、毎年冬に来て耕作を手伝ってもらうことも可能だろう。
戦場慣れした傭兵であれば、魔境での作業にも動じにくいしな。
ただ気になることが。
「南のラージャンが雪降るんだから、テビリスはもっと雪降るんじゃないの?」
「父さんもそう思っていたのだが、将軍鷲が言うには、ここは滅多に降らないようだ。雪雲がかからないのかもしれないな」
へぇ……それはいいことだ。
もう一つの疑問もこの際に訊いてみることにする。
「ベースキャンプは何とかならないの?」
俺たちは今、簡易的なテントと荷馬車を中心にした野営地で生活している。
雨風は凌げるが、快適とは言い難い。
「そうだな。カイサたちと一緒に大工も呼んでいる。しばらくの間は、ここに留まってもらうことになるだろう」
そこまで配慮していたのであれば、問題ないか。
「じゃあさ、カイサさんたちが来るときに、イネ科の草も持ってきてもらっていい? 荷台に積めるだけでいいから」
ホークが首を傾げる。
「理由は?」
「レビたちにお礼をしたいんだ」
レビとは、レビンデマンモスのボス、あの真っ白な個体のことをステラがそう言い始めたのだ。
レビも快く応じてくれ、特に子供たちを背中に乗せてくれたりと、いい関係を築けている。元々将軍鷲もレビたちの背中の上で過ごしていたようだしな。
今、彼らはベースキャンプの周囲で眠りにつき、巨大な壁のように俺たちを守ってくれている。肉食獣は近づこうともしない。
ウィンや将軍鷲にも警戒は頼んでいるが、テビリスの主がそこにいるという事実は、それだけで抑止力になる。
本当は早くエーテルを食べさせてやりたいのだが、収穫まではまだ時間がかかってしまうからな。
「分かった。明日にでもウィンを飛ばしておこう」
そして、二週間後――
「うわ……まるで夢のような世界だな」
そう呟いたのは、【血の十字架】団長、カイサだった。
彼の背後には、腕利きの傭兵たちと、大工や石工たちがずらりと並んでいる。
もちろん、善意で来たわけではない。
依頼は正式なもので、報酬もしっかりヘルマー伯爵経由で支払われている。
だが、それでも――
眼前に広がる光景は、彼らの想像を軽々と超えていたのだろう。
「まぁな。早速やってもらいたいことがある。まずは森の整備だ。開拓と言っても、無闇に木を伐る必要はない。人と馬車が出入りできるだけの道を通してくれ。切った木材は捨てるな。一時的な住居を建てる。最終的にはレンガ造りにする予定だが、それまでは木造に住むつもりだ」
「俺たちに任せろ。早速だが、木の伐採からやってしまおう。どこの木を切るのか教えてほしいからホーク……いや、アクィラ男爵。ご教示ください」
ホークが男爵に叙爵されたのを思い出したのか、カイサは突然敬語となる。
「うむ、じゃあ来てくれ」
そう言いながら、ホークは傭兵と職人たちを率いて森へと向かっていく。
一方で俺たち子供と、一部の女性陣は、今日も畑に立つ。
鍬を振るい、土を起こし、魔法で柔らかくした地を、さらに耕す。
幸いなことに、最大の脅威であるレビンデベアは冬眠に入っていた。
今は、魔境がわずかに牙を引っ込める季節。
開墾には最も適した時期かもしれない。
それから一週間、さらに一週間、気づけば一カ月が過ぎ――
平原のど真ん中に、木造の屋敷が一棟、また一棟と姿を現し始めていた。
ただ寝食をする、仮の家だが、ベースキャンプよりかはマシ。
その中心では、並行してレンガ造りの屋敷も建設が進んでいる。
本拠となる、恒久的な住まいだ。
十二月を越し、新年を迎えれば俺の誕生日が来る。
無事に八歳を迎え、エーテルの収穫も視野に入り始めた――
そんな、二月の夜半のことだった。
いつものようにステラと二人、同じ寝袋に包まっていると、突然、強く肩をゆすられる。
「メナト! 来てくれ!」
ホークに連れられ、 半分眠った頭のまま外套を羽織り、同じくぼーっとしているステラの手を引いて外に出る。
連れて行かれた先は、
ディノス一家が使っている家だった。
「……どうしたの?」
まだ眠気の残る目を擦りながら尋ねると、扉の向こうには【曙光の鷹】の全員が集まっていた。
その中心にいたのは――
イヴァンとエヴァン。
二人を囲むように、皆が静かに立っている。
「メナト……僕たちも、仲間入りしたよ」
イヴァンの声は少し震えていた。
「ほら、見て」
エヴァンが続き、二人は同時に右手を差し出した。
手の甲に浮かんでいたのは、水面に雫が落ちたときに広がる、柔らかな波紋のような紋様。
それは左右対称――
まるで一つの紋章が、二つに分かれたかのように、双子の手に刻まれていた。
「もしかして……二人とも、紋章を授かったの!?」
あれだけ眠かったのが嘘のよう。
気づけば、思った以上に大きな声が出ていた。
「うん、夜中、僕とエヴァンの右手が同時に光って……」
「団長が言うには、【共鳴の紋章】って言うみたい」
そう言って、双子は視線を揃ってホークへ向ける。
促されるように、父が説明を引き継いだ。
「双子が特に授かりやすい紋章でな。どれほど離れていようと、互いの意思を繋げられる。魔力を授かっていれば……互いの魔力を融通することすら可能になる」
すると、腕を組みながらパルブが呟く。
「改めて、とんでもねぇ傭兵団だよな。団長は【鷹の紋章】、副団長は【水の紋章】。メナトは【追憶の紋章】、ヨーダは【剣の紋章】。俺は【小火の紋章】で……極めつけが、双子の【共鳴の紋章】か。帝国軍だって、一つの軍団に紋章持ちは五人いるかいないかってくらいなのによ」
……確かに異常だ。
しかもホークは、ステラもいずれ必ず授かると言っていた。
まだ増える見込みはある。
「魔力はどのくらい授かったの?」
「それが、まだ分からなくて。少しだけ、魔力みたいなものは感じるんだけど」
「測るには、魔法文字を覚えないとダメなんだよね」
双子の言葉に、俺も頷く。
結局、【風槍】や【火槍】を何回使えるかで測る、原始的な方法しかない。
魔法文字を知らなければ、正確な把握は不可能だ。
「うむ。だから今後、二人には農業の傍ら、魔法文字を学んでもらう。アイシャ、頼めるか?」
「ええ、もちろん。手加減はしないから、覚悟してね?」
寝間着姿のアイシャが笑みを見せる。
それに被せるように、ヨーダが付け加えた。
「剣の稽古と基礎体力の訓練も続行だ。紋章持ちだろうがやってもらうからな」
こうして双子の十歳の誕生日――二月五日に俺と地獄の訓練を共にする新たな同志が誕生したのであった。




